山崎の登場で新しいせんずり時代の幕が開けたと思われたが、それに待ったをかける者が現れた。
誰あろう、せんずり時代の開拓者であり伝説のせんずり武将・多田野であった。
蝦夷国を追われ、加賀の百万*衆に身を寄せたと聞いた時は誰もが凋落を信じて疑わなかった。
しかし多田野はそこで、谷岡を射殺した武力とはまた違う才覚を発揮する。それは若侍の指導である。
百万*衆に集った無名だが素質ある若者たちを的確な指導力で次々と表舞台へと送り出したのである。

時折しも、公家はお抱えの二刀流剣豪・大谷翔平を南蛮へと送り出した時で人材の育成が急務であり、
多田野のその卓越した指導力を放っておくはずがなかった。
先達・木田画伯介同様、人材担当の奉行として蝦夷地へ凱旋したのである。