クチュルクはよく西遼に引き抜かれる。
日本列島に放流しても鎌倉政権に仕官後に間諜ユニットの委任行動が再開されたのか、引き抜かれた。

源頼朝「よりにもよってチルクのところにか!覚えておれ!」
知ってるわけねーよw