司馬遼太郎って
レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。
>>849
ニュー速+だからじゃね?
あそこ基本的にネウヨしかいないでしょ >>848
日本の戦は白兵戦が無かった(キリッ
とかいう鈴木信者かおまえ 最近2chでよく見かけるな。いまだに三段撃ち信じてる奴
教科書も三段撃ち→三千丁の鉄砲に変更されて肩身が狭くなった恨みをぶつけてんのか ネウヨは元はネットウヨクの略なんだろうけど
加えて、ネットに脳みそ預けてるネットde真実君の最小公約数的だろう
司馬史観をよく知りもせず否定してるのはこのタイプに多いよ >>843すらその歴史学者を挙げてないし、挙げることはできまい
「司馬史観」って言葉を漫画家のよしのりで知ったって奴が大半だろ実際 わざわざ小説にケチ付けるほうがおかしいよ。
物理学者がいちいちアニメとかに文句言うかっての。
学者は事実を追及するもんだし、小説家はそれを素材に
面白いことを生み出せばいい。 司馬が悪いんじゃなくて司馬を史料扱いにして怠けてる学者が一等悪い 司馬は当時の集められるかぎりの資料収集読破して
小説を作ってたのは有名だけど、
それを学術論文として発表してたのではなく
あくまでも小説として文芸作品として出してるのにな。
どこが事実か脚色化は見る側の見識の問題で、
司馬の責任なんてないな。 h t t p : / / m i x i . jp/view_diary.pl?id=1672546283&owner_id=5106091
歴史】拝啓、司馬遼太郎様ゑ 2011年02月12日18:55 司馬遼太郎さん。
あなたは小説家です。ですから、嘘事でも脚色してもいいです。
しかし、題材が歴史である以上、それを実しやかに語るのは如何でしょうか??
「世に棲む日日」の三巻の終盤に、こんな一説があります。
筑前福岡藩黒田家五十二万石というのは日本有数の大藩であったが、加賀
前田家と酷似していて、藩全体が封建体制のなかで一種の無力体質になってい
た。加賀と同様、幕府を恐れることがはなはだしく、新しいことはすべて悪で
あり、御家のためにならないという気風があり、このため幕末の先進藩特有の
洋学や産業、それに勤王思想という新国家論などの面ではあまりふるわず
、月形洗蔵らのほかには、加藤司書、平野国臣らを出したくらいのものであった。
司馬さん、あなたは何の史料を見て、こう判断したのでしょうか?
それとも、あなたが同著で「筑前人は、便佞で精神が凝定しておらない」と評している様に、筑前人が信用なら無い人間の集まりと思ってるからこその先入観ですか?
※便佞…口先は巧みだが、心に誠実さのないこと
福岡藩が好きな筑前人として、あなたを論破します。
>筑前福岡藩黒田家五十二万石というのは日本有数の大藩
これは同意です。
>藩全体が封建体制のなかで一種の無力体質になっていた。 まあ、小説と史実の違いも分からん馬鹿は、
試しに観音寺潮五郎著「さむらいの本懐」の随想部分を読んでみな。
きっと参考になる。 物資か必要なところに届かずに、不要なところに届くような話を聞くと
今の政府に石田三成か大村益次郎がいたらなあと思う クソバカ2ちゃんねらーが「態度が横柄」とか陰口叩いて速攻失脚だろうよw >>862
>拝啓、司馬遼太郎様ゑ 2011年02月12日18:55 司馬遼太郎さん。
死後15年経って死者に語りかけてるのか?
アンチは馬鹿なのか異常者なのか 太閤記は秀吉はチート性能でだったな
関ケ原のヨボヨボ爺さんと同一人物とは思えない無双ぶりだったぜ >>858
ドヤ顔でアニメに文句いってる奴いるだろ >>864
清正「奥州で大地震とな、すぐさま蔵から米を出し、兵も救助に遣わすぞ」
三成「来られても指揮系統が乱れてむしろ邪魔だから、援助は金子にて受けつける」
清正(……ビキビキ) >>858
問題は、その小説を鵜呑みにしちゃって
語り出しちゃうような、田舎者やオタクなんだよな・・・ 私、このスレ結構好きで見てるけど・・・
やっぱり何か書き込みにくい雰囲気があるよ!
バランスに厳しい人とかいるし、熟練者が集ってるから
気後れしてしまう人もいると思う
もっとビギナーを受け入れるテンプレとか工夫してほしいよ! >>873
「司馬遼太郎作品をまったり語るスレ」とか作ったらいいんじゃね? >>872
小説を鵜呑みに話す奴より
小説も読んだこと無い奴の批判がうざいんだよ
実際後者の方が多いしな >>872
そういう意味で、司馬自身の人物評価や好き嫌いが、
根拠も丸ごとそのまま鵜呑みにされて受け継がれてるのも多いな。
>>881
家康の人物評価は別に司馬の影響少ないだろ。
あと乃木を低評価してると言いたいのか?
だったら読解力が足りないな。
司馬さんが学徒出陣をさせられた頃には、
陸軍の長州閥は完全に衰退して軍部内での発言力すら失っていたのに、
なんで小説や講演で長州に対してボロクソに言っていたんだろう? >>884
講演は知らんけど小説で長州をボロクソに言ってないだろ。 >>884
「飛ぶが如く」での木戸や山縣、山田顕義の描写には
さすがに疑問符が湧いたな。 .,lllllllll,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,,, ,iillllllllllii,, ,,,iillllllllii,,,
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実際に明治以降の木戸や山縣は司馬に限らず評価低いだろう >>888
司馬は陸軍にトラウマがあるらしいから山縣を嫌うのはわかるが、
「兵は凶器なり」と指摘した上申書(理事官功程)提出した
山田顕義まで嫌うのはどうしてだろうな。
あの上申書に書かれている内容には
兵士(徴兵される側)の人権を尊重したものも含まれているから、
司馬も結構共感しそうなものだろうに。
やっぱ山縣と徹底抗戦せずにあっさり陸軍を離れたのが駄目だったのか? 小説には対立軸として作品によって悪玉になったり
善玉になったりするのはどの作家でもあるからな。 >>891
当時の司法大臣だったのにも関わらず、
天皇の統帥権の持つ危うさを公の場で指摘しなかったのが許せなかったんじゃないの?
さすがに「兵は凶器なり」の上申書提出の件や明治期の法典論争のことを
司馬が知らないはずがない。 統帥権自体は、プロイセンも同じであって、それが軍部による
政治体制簒奪の真の原因ではないのでは? 恫喝する道具にされてただけで。
究極的には当時の社会の民度の低さが真因だと思う 民度の低さといってもなー
民度なんかいつだって低いものですよ
進歩してると錯覚してるけどね、ぜんぜん進歩なんかしてないわけだし
なんかのきっかけで簡単に同じことをしますわな
見掛けが違えばまあやりますわ
今だって管が居座り続けたことによって日本の大凋落は避けられないわけだから
軍事政権もありえないわけではない 司馬は「この人・組織・国が嫌いだから、悪く書いてる」訳じゃないだろ
なんか変な前提がある奴いる気がする
作品を面白くする為に悪く書く、嫌いじゃないけど悪役・無能者として書く
…コレって小説として当たり前のことじゃないの?
嫌いだから
→批判してるんだ、馬鹿にしてるんだ、評価しないんだ!
っていうのは1bit脳過ぎるだろう 主人公についても、欠点や負の部分をさり気なく書いたり、
敵役悪役についても、同情できる美点ややむ負えない事情を書いたり、
そういう所が上手いなと思う。 >>859
「三段撃ち」と「三千丁」だったらより疑問視されてるのはどう見ても前者の方でしょ >>899
三段撃ちを思いつくのは誰にでもありえても
鉄砲を三千丁集めるのは色々条件がいる 多少、右よりなんだと思う。
でも彼の天性の明るさと固執ぶりは脱帽。
坂の上の雲読んだお 司空遼太郎の面白さは他の歴史作家には無い
圧倒的な歴史データ量から作り出される“小説”
という考察の規模と深さだと思う。
部分的に最新研究結果で司馬のデータを批判して
売名しようとする奴はたまにいるが、
考察においての全体の大きさ深さは未だ後の
小説家で超えれる人材はいない。 上のレスの名前コピペして名前間違えてた
司空じゃなく司馬ね。 >>903
右寄りってレベルじゃないくらいのド右翼
師の講演とか行った人はそう言いますね 武将の評価が西高東低なのは全て司馬遼太郎の責任
長編だと最東端で箱根の坂だし短編で政宗をちょろっと書いただけ 単に長編小説の主役に関東・東北の武将が居ないってだけだろ。
しかも武将の評価が西高東低なのは全て司馬遼太郎の責任ってアホか 土佐ですら牛試しとか一条家の小便飲むとかあることないこと書きまくってるし
奥羽の作品書いたらどんなことになるやら 近代史は確実に司馬の評価で決まってる
ただこの人は基本的に資料探して書いてるから鵜呑みに信じると創作部分がわからんから困る 司馬遼太郎最大のミスは斎藤一と斎藤一諾斎の混同かね
一が函館までいってたら色々と逸話が残るだろうに
おかしいと思わなかったのかなぁ そもそも斎藤一諾斎も函館までいってないしちゃんと資料読んでるの?
古本大量に買い込んでアピールしてるだけじゃないの?疑惑があるんだよな >>916
少年漫画の影響で斎藤一が10年くらい前から有名になっただけだから
逸話なんか残らなくても不思議じゃない。 >>917
資料は読んでると思うよ
でも歴史史家と違って小説家だし、多分史料批判はしてないんだろうな
それか俗説的な話にしても、それと判った上で小説としての娯楽を追及するために。あえて引用して書いてるか 別に読んでて作り話だとわかる内容だと思うんだけど
細かい余談とかはマジの逸話だと勘違いすることはあるかもしれないけどさ 小説の中の司馬の余談こそ実は一番の魅力だよな
そこに大量の資料を集めた司馬の真価が発揮されてる 信長が浅井長政の頭蓋で酒飲んだってデマ誰が広めたのかと思ってたら
司馬の作品に出てきてワロタw
それについては信長公記にちゃんと書いてあるんだからそっちに準拠しろや ねーよwwとは思うが、東郷ターンする所は名文だと思うけど
「狂したか、東郷!」というセリフがかっこいい 日本海海戦のくだりはさすが司馬とうならせる天下一のシビれる名文だからな。
八巻だけ読んでもよしwそれ以前は乃木伊地知とロシア軍人叩きばっかでつまらんからw
ところかかれがそうつぶやいたとき、安保砲術長の記憶では、かれの眼前で背を見せている東郷の右手が高くあがり、
左へむかって半円をえがくように一転したのである。
瞬間、加藤は東郷に問うた。東郷が点頭した。このとき、世界の海軍戦術の常識をうちやぶったところの異様な陣形が指示された。
「艦長、取舵一杯。―」
と、加藤は、一度きけばたれでも忘れられないほどに甲高い声で叫んだ。
艦長伊地知大佐は一段下の艦橋にいた。かれの常識にとってこの号令は信じられないことであった。(中略)
伊地知がおどろいたのは、すでに敵の射程圏内に入っているのに、敵に大きな横腹をみせてゆうゆう左転するという法があるかということであった。
伊地知はおもわず反問し、
「えっ、取舵になるのですか」
と、頭上の艦橋へどなりあげると、加藤は左様取舵だ、と繰り返した。
たちまち三笠は大きく揺れ、艦体がきしむほどの勢いをもって艦首を左へ急転しはじめた。
艦首左舷に白波が騰り、風がしぶきを艦橋まで吹き上げた。有名な敵前回頭がはじまったのである。。 一番好きなくだりは敵前回頭でなく、海戦終結の所なんだよな。しびれる。天才だ
真之がその癖のある両眼を裂くようにして東郷をどなったのはこのときであった。
「長官、武士の情であります。発砲をやめてください」
と叫んだその声は、そばにいた砲術長の安保清種少佐がのちに大将になってからもそのときの真之の血相の変わりようを説明し、
その言葉を繰り返し口真似した。
が、東郷は安保清種の観察によれば冷然としていた。真之の言葉に切り返すように、
「本当に降伏すッとなら」
と薩音でいった。
「その艦を停止せにゃならん。げんに敵はまだ前進しちょるじゃないか。―」
東郷の戦時国際法の知識の的確さは定評があった。たしかに軍艦が敵に降伏するとき、
白旗をかかげるだけでなく機関を停止させねば完全な意思表示にはならなかった。
「秋山さんも返すことばがなかった」
と安保は回想しているが、真之は敵をみつつ、この一種特異な精神の反応をもつ男は怒りとも悲しみともつかぬ感情をおさえかねていた。
たしかに敵は間抜けであった。前進をつづけているだけでなく、放火こそ噴かなかったがその全砲門は三笠にむけられていたのである。
が、ほどなく敵も気づき、機関を止めた。東郷ははじめて射撃を中止させた。 信者である武田鉄矢の熱心な布教活動のかいがあって、司馬の娯楽小説が史実扱いされてる 自分の創作と史実を同様に扱うせいで史実の知識がない人は両者の区別が出来なくて誤解すると思う
自分は史記と漢書読んでたので項羽と劉邦でこのことに気付けた >>927
はぁ?武田が芸能界入るまえからベストセラー作家だ知ったか 武器商人にまで成り上がった時点で小物とは思えないが聖人みたいなイメージは完全に司馬のせいでついたな 龍馬は司馬が小説にするまえから有名だったんだが。
ほんと半可通しかいねえな 司馬信者の俺だが、「尻くらえ孫市」で朝倉宗滴親子をdisってたのは納得いかない お前みたいな知恵遅れを納得させるために物書いてるわけじゃないから仕方ない 箱根の坂なんかは前半を史実に基づいて、後半をフィクションで描きました
って言ってたのに、前半の史実ベース部分も学説が大きく変わって、
いまやオールフィクショントンデモ小説になってしまったな 司馬さん批判してる史実厨は史書でもシコシコ読んでろ。 燃えよ剣で大ファンになった
雪が創作だと知った
中ファンくらいになった 「燃えよ剣」でファンになったのはオイラも同じだ
斬り合い描写の書き方がリアルで映像が頭に浮かんだ 竜馬が小者とか、あほか
竜馬の新国家構想が、
江戸幕府を倒しただけじゃなく、薩摩幕府も長州幕府も作らせなかった
何らかの形で幕藩体制が残りさえすれば、
つまり竜馬がいなければ
日本も植民地化されてたし、その後のアジアアフリカが大きく様変わりしてた
現在、全世界が白人のためだけに存在してるだろう あんな平民クーデターのテロリストどもが武力による国家転覆なんてしなくても
徳川家を議長とする雄藩連合の共和政体で立派に列強と伍していけてたわ
維新なんぞ雑民どもの一揆でしかない >>943
徳川家を議長とする雄藩連合の共和政体
が、竜馬のそもそも構想
明治維新が武力による国家転覆とか、ガチで言ってんの?w
たいせいほうかんって、知ってる? 「1532」
海軍の“海軍反戦トリオ(米内、井上、山本)”は、戦後の創作(でっちあげ、虚構)であり、彼らは始めから敵と内通していた英米派だった。
海軍は、陸軍とは断固協調しないで、日本を始めから戦争に負けるように仕向けたのだ。
米内(光政、よないみつまさ。開戦時もずっと海軍大臣だった。副島隆彦注記。こいつが軍人では最大のアメリカの手先。
極東軍事裁判でも、絞首刑になったのは、東條英機以下6人陸軍ばかりで、あと一人は外交官の広田弘毅=ひろたこうき=だ。
海軍は、ひとりも死刑になっていない。起訴さえされていない。このことのおかしさを、日本国民は、真剣に考えなければいけない。
戦後作られた「海軍善玉論」神話(海軍は、ずっと平和主義者だった。悪いのは陸軍だった、という歴史の捏造。)。
ミッドウエー海戦という決定的な敗北を喫した。山本は、ずっと呉(広島)の戦艦大和の艦橋に居て、無線で指令を出していた。
無線封止(むせんふうし)さえしていなかった。これらはすべて露見している。
本当は、ミッドウエーには、戦艦大和 が先導して、空母艦隊を守りながら、戦闘(海戦)をするべきだったのだ。
今もなおアメリカの手先を自認している者ども、おのれらの恥多き人生を深く、真の英霊たちに向かって恥ぢよ。
この時の、「飛龍」艦長、山口多聞(やまぐちたもん)少将(第2航空戦隊司令官)の戦い方と死に方こそは、帝国海軍の軍人の鑑(かがみ)である。
敗戦後も、おめおめと生き延びて、「私たち海軍は、平和主義だった」などと、よくも、あの恥知らずの、アメリカの奴隷になった軍人どもは、言えるものだ。
南雲忠一(まぐもちゅういち)、栗田健男(くりたたけお)(聯合艦隊司令長官)ども!!!許さん。
それから、航空隊の司令官の、源田実(げんだみのる。戦後もずっと自衛隊代表で、参議院議員をやっていた)。
お前たちも、心底、怪しいのだ。始めからアメリカとつながっていた、スパイ軍人どもだ。
ミットウエー海戦で敗退したあとも、山本を連合艦隊長官から罷免せず、単に海軍内の庇(かば)い合いだけをした。
メディアも“海軍反戦トリオ”“海軍3提督”とかの虚構は作るものの、真の敗戦責任を問うた事がありません。 司馬遼太郎の知識量は、ペンネームの由来の司馬遷に恥じる事無い知識量を持ち合せている。
戦後70年の今でも司馬遼太郎の全知識量に勝る歴史小説家は存在しない。
司馬が死んだ後に発見された知識によって重箱の隅をつつく売名二流三流の歴史関係者はいても
それでも全知識量は司馬遼太郎に遥かに及ばない。 現役の岩波知識人を何人束にしても
司馬遼太郎に匹敵する説得力に はならない。
器量の違いであり、知能の違いであり、人格の違い
だろうと思わざるを得ないし、表現 力と説得力の違いだろうと思う。 レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。