もしN64がCDを採用していたら?
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スクウェアも流通はあきらめて、普通に参入しFF7は64で出ていたんじゃないだろうか?
他メーカーも64での開発に力を入れ、発売初期のソフトも充実し、64がスタンダード機になっていたんじゃないだろうか? デジキューブ破綻で、どれだけの人間に迷惑がかかったのか 発売初期のソフトも充実し>これはあったかも
64がスタンダード機になっていたんじゃないだろうか?
>これは無い もし、N64がBD-ROMを採用していたら?
BD-ROMとは、読み出し専用のデータ用BDディスク。
※BD-Rも、一度しか書き込みができないため、ディスクアットワンスにてクローズセッションしてしまえばBD-ROMとしての使用しかできなくなる。
トラックアットワンス、セッションアットワンスの場合は、空き容量がある限り追記できる。
ディスクアットワンスとは、CD-R/RW、DVD-R/RW、BD-R、BD-REにおいて、リードインからリードアウトまでのセッションを一気に書き込む方法。
追記はできない。1.44MBのデータでも、クローズセッションしてしまえば空き容量の無いディスクになってしまう。
BDビデオはマルチセッションに対応していないので、自作のビデオにおいて、普通のBDプレーヤーでの互換性をもたせるならディスクアットワンスで書き込む。
マルチセッションとは、いわゆる複数の目次情報(TOC)があるディスクで、非対応の機器では、一番最初のセッションでしか読めない。 CD-ROMドライブのデータ転送速度
基本的なデータ転送速度は、1倍速:1秒間に約150キロバイトの速度で、
これは音楽CDの標準再生速度に等しい。
ただ、この速度はコンピュータ用途、ゲーム用途としては遅すぎるため、
2倍速や4倍速といった、次々と高速なタイプが開発された。
最近では、40倍速のドライブも珍しくない。
CD-ROMの読み込み速度は早くても52倍速が頭打ちとなった。
何故なら、これ以上高速化すると、ディスクのポリカーボネイトが
遠心力に耐え切れずに粉々に砕けてしまうからである。 スクウェアは初心会流通が嫌だったのではなく、ソニー流通が嫌だったんだよ。
だからこそのデジキューブ。64がCD使ってれば、スクウェアは64に参入してたよ。 64というか、SFC用CDドライブ「PlayStation」が登場していたら、
今も任天堂機がスタンダードだったんじゃないかな。 64のROMカセットだとどうしてもCD-ROMよりソフト価格が抑えにくくなるからな
仮にFF7が64で出てたら一万超えしたFF6以上の価格だっただろうな ゲーム王が訪問した時に、違った反応が観られただろう位。 >>9
SFC用CDドライブが出ていても、大して普及したとは思えないが、ソニーが独自の
ゲーム機を出さなかったかもと言う事だね。
>>10
任天堂のソフトだけど、ゼルダが256メガで6800円だったから、7800円、8800円に
抑えたんじゃないかな。 64がCD使っていたら、4倍速CDになっていたかもね。 余談だが、ハイブリッドディスクを使用して、内周が読み出し用領域、外周がDVD-RAMの記録層を使用した領域のディスクを考えてみたこともある。
あれは規格外の特殊な光ディスクとなり、非現実的だ。
ミニディスクにおいて、ハイブリッドディスクは、内周が再生専用、外周が録再用として使えるもの。
現実的においては、MD用ヘッド・レンズクリーナーで存在していました。 あるいは、両面ハイブリッドディスクというのもある。
片面は読み込み用のDVD-ROM、もう片面はセーブデータを保存するためのDVD-RAMの領域という規格外の特殊ディスク。
これを片面で実現するには、読み出し用セッション、読み書き用セッションと分けなければならない。これも規格外だな。
片面二層式なら、1つの階層は読み出し用、もう1つの階層はセーブデータ保存用として使える。
何度も読み書きをする関係上、DVD-RAMと同様の記録層が必要となる。
これには、きめ細かなレーザーコントロールが必要で、機器のコストが高くなる。 FF7はSCEからの開発資金援助があってこそ
それにN64はサードのクソゲー撲滅のためにメーカー毎で年回発売タイトル本数が制限されてた
当時、株式上場してソフトを大量生産して売り上げを構築したいスクウェアは
その時点でN64は除外
で、セガにはバーチャファイターの開発スタッフを引き抜いてトバルとか作らせてたから
おめおめとサターンに参入できるハズもなし
元々SFCのスーパーマリオRPGを任天堂と共同開発した時から違和感があったらしいし
どの道N64はジリ貧だったよ スクウェアに任天堂からの開発資金援助はあったらしいよ。正確な情報かわからないが。
ポリゴンの汚いサターンには参入する気はないから、スタッフを引き抜いたと言った方が正しい。
サターン参入が頭にあるなら、引き抜かなかったでしょう。
64はアメリカでは半数近いシェアをとり、日本においても小学生以下にはむしろ64の方が
人気があったのだよ。決してジリ貧の負けハードではない。 >>17
何言ってんの?
PSでスクウェアが出してた主要タイトルは2DのRPGばっかじゃん
双界儀とかフツーにポリゴン汚かっただろ
それにポリゴンだけなら64の方が性能上だろうが
SCEからライセンス料やら特別待遇を受けたから
64やSSを無視してPSに参入したのが現実 >>19
2Dゲームでもドット絵ではなくポリゴンで描いてるから。
もちろん後発の64の方が性能は上であるが、ここで言ってるのはサターンとの比較。
特別待遇やら開発者の引き抜きなど関係なしに、ハードの特性からしてサターンは完全無視と言う事。
任天堂とはかなり話し合いがあったようだ。 >>9
カプコンの会長はスーパーファミコンがCDを出していれば、当社はあと2年くらいは
SFCでやっていたかも、なんて言ってたよ。
64がCD搭載だったら、バイオは64同時発売タイトルになってたかも。 SFCのソフト価格、11400円。任天堂の前科と言っても良いくらい。
PS,SSが発売直後から順調に伸びていった理由の一つに、この悪夢のような価格からの脱出がある。
64が発売されたら、ソフト価格9800円。(前から分かっていた事であるが)
あの悪夢の様なソフト価格設定を、次世代機でも続けるのか・・そんな雰囲気もあったね。
任天堂は自殺したんだよ。 >>18
俺はあれでゲロ吐いてから64が嫌いになった ゴールデンアイ007の売上
全世界で800万本
日本で30万本
日本では海外ゲーム、FPSはね。 何でニンテンドウ64なんて名前にしたのか。
普通にスーパーファミコン64で良かったんじゃないの。 海外では
ファミコンはNES(ニンテンドー・エンターテイメント・システム)
スーファミはSNES(スーパー・ニンテンドー・エンターテイメント・システム)
それの64bitゲーム機だからでしょ
FC 6,191万台(日1,935万/米3,349万/欧830万) 5億1万本
SFC 4,910万台(日1,717万/米2,288万/欧815万) 3億7,906万本
N64 3,293万台(日554万/米2,011万/欧635万) 2億2,497万本
海外とは売れてる規模が全然違うし、ファミコンって名称は日本だけ
64からは名称が統一されたから当然海外に準拠 マザー2でストロング署長が「こどもはニンテンドーでもやってればいいのに」と言ってたけど
あれってアメリカ準拠の呼び名を意識したんだな ニンテンドー64もバーチャルボーイも糸井重里が命名した。
ニンテンドーと言う言葉が外国人にどう響くか知らないが、日本人にはなー。
64がアメリカで売れたのは知ってたけど、ヨーロッパでもそこそこだったんだね。
メガドライブはどうだったのだろう。 >>27
スーファミ→64の数字比較するに64って世界では健闘してたんだな
むしろスーファミの方がソフト数が比較にならないくらい多い割に世界ではあまり売れてない >>30
MD 3,537万台(日358万/米2,040万/欧839万/ブラジル300万)←NOMADやら派生機種含めると北米2,390万、累計4,190万台
海外市場だと本体の低価格やソニック人気やらで結果的にメガドライブの方が売れてた
ソニックのブランドイメージは海外じゃ結構高いみたいで
オリンピックのマリソニシリーズも国内は任天堂販売だけど海外はセガ販売になってたりしてるよ 北米市場だとセガジェネシス(メガドライブ)が当時のゲーム市場の5割以上占めてたしな
サターンも32Xとか出さずにソニック本編をしっかり出してたらもう少し売れてただろうに その時代(SFC,MD)だと、アメリカのゲーム市場はパソコンが主流だったと聞いた事があるんだけど。
アメリカでは当時でもパソコンの普及率が多かったらしくて。
PS、N64の時代になり、また家庭用ゲームに戻ったとか。 64は当時好きなハードだったな。
サターンは大人になってからレトロゲーム機として好きになった。
今思うとPS1はビッグタイトルはいいんだけど、その他は個性なくていまいちだなw ×今思うとPS1はビッグタイトルはいいんだけど、その他は個性なくていまいちだなw
〇知らないゲームは皆同じという事にしておくw カートリッジでも海外では普及したのだから、CDならば64が席巻してたか、
あるいは、むしろカートリッジだから良かったのか 64は開発が遅れて発売時期がPS・SSの2年後だったから負けた、ってのもあると思う
北米だとPS・SSも翌年発売でそこまで先行リードされていなかった感じなのかな
あと、日本はバーチャや鉄拳とか3D格ゲーが絶頂期だったけど64はだいぶ後にスマブラだったし まあサターンは海外では全くと言っていいほど、売れなかったらしいが。 任天堂が金儲けにこだわったことでN64のCDを採用せずFFがPSに逃げた
PSに逃げたことでPSとサターンの均衡が崩れた
任天堂がCDを採用してN64がFFを抱えていたら三つ巴になってたかもしれなかった そもそもSFCのCDーROMアダプタを予定通り出しとけばSCEがPS1出さなかったかもしれないのに
業界トップの座も陥落しなかったかもな >>39
それでもPS>N64>SS>3DO>PC-FX>プレイディア>ピピンとかの順だろ >>42
PS=N64>>>>>SS=3DO
こんな感じでしょ。海外では。
>>40
64が独占していたと思う。アメリカでも、ファミコンの様に。 そもそもFF7はSCEが開発費援助してるから64には無理
スクウェア自体もSFCのマリオRPGで任天堂と不仲になったとか言ってたじゃん
64が海外でどう売れようが日本に影響はないんだし
どうあがいても64は負けてたよ 64が勝っていたら、PS2もなかっただろう。
単にあの時代のスタンダード機と言う事だけでなく、その後の歴史が変わっていた。
ただCDにしていれば、たったそれだけでだ。 今となっては円盤ディスクを、機械を酷使してぎゅるぎゅる回すソフトメディアが
すごく原始的に思える。(まだまだ現役ではあるものの。)
そこで思ったのが、もともとはゲーム機(ファミコン)はカートリッジだったんだよね。 PCエンジンのHuカードってカセットより原価安そうだったのに、なんでMD、SFCはあれを
使わなかったのか。マークVにもマイカードとか言うのあったけど。 >>49
感覚的にはデスクトップパソコン+液晶モニターの値段と同じ価格でノートパソコンを探すと
ノートパソコンの性能が劣ってたりとか、実はモノを小さくするのにはお金が掛かる。
あと、Huカード用独自ROMを採用してたから大量生産によるコストダウンもそれ程見込めないし
小さくて余裕がない分、色々な機能が削られてたりする。
だからHuカードソフト自体にはセーブ出来ないし、PCエンジン本体もコントローラ端子は1コしかなかったりとかね。 天の声はメモリーカードか。
コントローラー端子は1コだったかなあ。それはHuカードだからと言う訳じゃ
ないだろうけどね。 Huカードの最大容量ってストUダッシュの24メガか。
もっと可能だったのかな? >>51
一応電池入るよ。天の声バンクの分厚い部分に電池入ってる >(今は亡き)デジキューブについて語ろう
スクウェアは初心会流通より、むしろソニー流通が嫌だったんだろう。
>もし64がPS、SSと同時に発売していたら・・・
1年半後発だからハイスペックなのだが、ただ画面が綺麗と言う差ではなく
完全な3Dゲームを作る為のスペックが64にはあった。パワプロ、実況サッカーが分かりやすい。
また95年はSFC集大性の年でもあったから、94年末発売でなかったのは正解。
>スクウェアが任天堂を裏切らなければ
スクウェアは次世代機のソフトメディアとしては、CDを大前提に考えていた訳だから、
裏切られたのはむしろスクウェアの方。 >>53
SGの大魔界村が8メガで8,800円だったんだから
24メガの9,800円は売れれば売れるほど赤字 任天堂って今も昔もエゴが強すぎるんだよな。
あえてカセットにしたり、極端な低性能機作ったり、変なコントローラー作ったり。
スーファミの時代のCD使ったゲーム機のゲームを今見ると、次世代機でCD選ぶのは必然でしかないと感じるわ。
当時はスーファミしか知らなかったから、メガCDとかあんなの知らなかったけど。 良くも悪くも尖ったハードを任天堂は作る。任天堂が作ったごく普通のハードはGBアドバンスくらいのものだろう。 ゲームボーイがモノクロ液晶採用したのも燃費を第一に考えてたからだしな
他社のゲームギア、アタリリンクス、PCEGTとかカラー液晶のせいで燃費悪すぎて論外だったし >>60
ワンダースワンはゲームボーイより省電力だったし
ワンダースワンカラーとスワンクリスタルもゲームボーイカラーより高性能で高画質だったけどね。
任天堂の強さは任天堂が世界最強のソフトメーカーだから。
そうでなかったら、そんなもの一年や二年続いても、十年も続きません。 >>62
初代GBなんてすぐに縦線切れてたし液晶の耐久年数10年もないぞ ゲームキューブまでは、後発だから高性能なのは当たり前だが、意味のある高性能だった。
SFCは発売した90年当時のアーケードゲームと、スーパードンキーコングを比較すると良く分かる。
64は完全な3Dゲームを実現するための性能。
GCだってね、PS2が発売前にユーザーに抱かせていた、PS1のムービー画面でプレイできるとか
DCの10倍はあろうかと言う驚愕のスペック。大嘘だったけど。
GCもさすがにムービー画面でゲームじゃないけど、PS2がGC並みの性能があったらまだ納得だった。
それだけの性能がGCにはあった。
GCのバイオには4,1のリメイク、0ともに、びびった。 ハドソンってPCエンジンで先駆けてCDのゲーム作ってたのに
次世代機では64に肩入れして、カセットのゲームを作ってるんだから。 >>65
なのにどうしてwii,wiiUのグラフィックはあんな。
wiiU、もうだめじゃん。コアユーザーを甘く見過ぎ。 あれほど拡張機器が大好きな任天堂だったのに
何故スーファミのCDドライブはを出さなかったんだろ
ロードを嫌ったという話はあるけれども >>69
まさか、その時の構想からプレステが生まれる何て当時の任天堂は思わなかったんだろな。
逆をいうとスーファミCDが出てたら今のゲームシーンはどうなってたんだろ? スーファミCD聞いてCD-i思い出した
下手したらホテルマリオや例のゼルダ3作も日本で出てたかもな スーパーファミコンのCDが出ていても、ディスクシステムの様にそんなには普及しなかっただろう。
ただ64がCDになっていただろう。 >>69
スーファミCDの名称はPlayStationでCDライセンス料と流通はSONYがほぼ独占
そんな契約を任天堂が認める訳無いからCD特許を持つPHILIPSと契約し直し サターンは普通にCDになったのかと言えば、実はカセットかCDかでかなり迷ったらしい。
結果、両方使えるハードになったのだが、カセット(だけ)のゲームは発売されなかった。 N64がCD採用してたら任天堂1強でゲハ争いなんて生まれなかったんだろうな
N64やGC時代、いや今のwiiやwiiUもだけど
N64で大コケしてから後の任天堂はゲーム業界の足を引っ張る立ち回りが得意技になったからな 大コケと言っても海外では売れてたし、国内でも低年齢層にはむしろ64の方が人気があったんだが。
ゲームボーイが復活してから、ずっと任天堂の携帯ゲーム機は人気があるわけだし、
足を引っ張っていた何て事はないと思うが、今現在はそうかもしれない。 ファミコンのカセットが一番良かった。アクセス時間ゼロ。
スーパーファミコンですら長く感じる。電源入れてから表示されるメーカーのロゴはいらない。 >>34
んなこたぁーない。北米欧州は今も昔もずっとメインストリームはPCだよ。 64以前のカセットは接触不良が糞過ぎる
カセット型なら最近のタイプがいい
でなけりゃCDのがまだマシ 先取りする事もあるけどね。64のアナログスティックとか、DSのタッチパネルとか。
ポリゴンに関しても実はかなり早い時期から、いずれその時代が来る事を予見していたらしい。
時代の流れを読むの下手なのは、セガの方。
セガは時代を先取りしすぎて失敗するなんて意見もあるが、それは違う。
他のメーカーはまだ時期ではないと見送っていただけだから。
逆にサターンはポリゴンが弱かったりとかな。バーチャファイターと言う
ポリゴンの評価を決定づけるゲームを自社で出しておきながら、一体なにやってたのか。 ファミコンは当時だとかなりのハイスペックハードだったけどな >>67
PCエンジン→PCFX とハードも完全に迷走してる
>>74
クロノトリガーは当初、SFCCDを想定して開発してたそう
でもSFCCDでクロトリを発売しても、OPやイベントでムービーが入るだけでたいした変わらない
でもあの時代はテイルズで歌が入ってることぐらいが目玉になってたから
クロトリのアニメムービーでも大目玉になってたかも >>77
64がCDならスクウェアは脱退しなかっただろうし
PSSSのマルチに64も加わることができる
そしてマルチ3機種の中で64版が最も読み込み速く、ポリゴンの質も良い
2Dの性能もSS級以上だから、負ける要素なし 64の2D性能はサターン以上ですか。
アメリカではカセットでも半分のシェアを取ったのだから、CDにしてたら席巻していたでしょうか?
それともむしろカセットだから良かったのかどうか? 数年の月日を経て、結局皆、DSで64(程度)のグラフィックでゲームする事になったのだ。
数年の月日を経て、結局皆、Wii,3DSでゲームキューブ(程度)のグラフィックでゲームする事になったのだ。 ニンテンドウ64って名前がなんかな。
スーパーファミコン64とかスーパーファミコンWiiとか、ともかく「ファミコン」と
言う名称を残して欲しかった。 個人的には「ファミコン」と言う名称がローテクっぽい。
海外ではNintendo Entertainment Systemで売られていたんだから
ファミコンって名称自体ガラパゴ的な物なんだろう。
GBになってやっとグローバルスタンダードになったんだよ。
GBも商品イメージはできるが英語としては変。 >>83
アナログスティックは同時期にサターンのNiGHTSやPS1アナログコントローラー(後に振動機能も追加してデユアルショックに)などあった。フライトゲーム用の操縦桿アナログスティックはPSもSSも発売初期からあった。
95年にはマイクロソフトからPC用アナログパッドも発売されていて、本格的な箱庭3Dゲームにはアナログ入力が必要と認識していた。
N64発売の96年夏頃にコスト面でこなれ標準化できた。アナログ入力の認識力そのものはN64はPS SSのそれに劣る。
N64コントローラーはアナログ入力そのものではなく、あの賛否両論のあの3Dステイックだね。俺は大好き。 >>90
N64はウルトラファミコンという名称案もあったらしけどそれでもいいの? 64の発表会でアナログスティックがお披露目されて、PS,SSが取り入れたんだよ。
SCEの佐伯氏は3Dスティックに関して「恐れ入りました」と認めていた。
良いものはすぐ取り入れる。それで良いのだが、セガはPSの「プレイステーションベスト」を
同じ事考えていたけど「ソニーが先にやったから時期を待った」だってさ。
変に突っ張って何ですぐにやらないのか?(岡本吉起氏)
セガはアナログコントローラーも標準装備しなかった。 開発コードネームはウルトラ64。ウルトラファミコンと言う愛称も使っていくなんて言ってた。
ドンキーコング64も、ウルトラドンキーコングと言う仮名称だった。 カセットビジョン カセットビジョンJr スーパーカセットビジョン
ファミリーコンピュータ スーパーファミコンJr スーパーファミコン
カセットビジョンの次の機種が発売されていたとしても、ウルトラカセットビジョン
にはしなかっただろう・・・ サターンが当たり前の様にCDを採用したのではなく、カセットかCDかで
悩んでいた事の方が意外だね。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています