例えば、カオス現象の典型として有名な二重振り子の運動ですが、これは一方の振り子が他方の振り子の動きに干渉し、その干渉を受けた他方の振り子がまた一方の振り子の動きに干渉するという、これも自己言及的な運動を繰り返しているからこそ二重振り子の運動はカオス現象になってしまうのです。

貨幣というものはもともとそのようなものであって、購入に必要な貨幣の量である価格そのものが、次の価格を生み出して貨幣の量を決定し、さらにその循環が続くという意味で、つまりその決定は常に自己言及的であり、その動きは揺らぎを持つ、だからこそ、その動きがカオス現象になってしまうのです。
しかし、そうであるのなら、貨幣にはその価値を担保している具体的な根拠など何もないということになってしまうのですが、私はそれでいいんじゃないのか?と思っています。

つまり、貨幣の価値を決定している外部の原因など何もないのだ、と考えるべきだと私はそう考えます。
その点からすると、国家信用をその価値の源泉だとする日経新聞や財務省的な見解も、あるいは徴税こそ貨幣価値を担保しているMMTのような考え方はすべてウソなのだと、私はそう思います。

では銀本位制や金本位制の経済なら貨幣価値に根拠があり、揺らぎが発生しないのでしょうか?
これも、私は疑わしいと思っています。

事実、銀本位制であった江戸時代の大阪では、世界に先駆けてコメの先物市場が開かれていましたが、その価格もまた常に揺らいでいたはずだからです。

これがなぜそうなるのか?ですが、おそらく江戸時代のように日常的に銀貨が流通している社会では、貨幣に含まれている銀の量など使用者が全く気にしておらず、事実上の不換紙幣と同様に扱われていたからではないのか?と思います。

事実、銀の含有量を価値の源泉だとするのであれば、貨幣を使用する際に、いちいち貨幣に含まれている銀の含有量を調べないと使えなことになってしまいます。
このような不便な貨幣が流通することなどありえないのではないでしょうか?

もちろん、銀や金の価格そのものもまたカオス現象であり、常に揺らいでいたであろうことは、疑うべくもありません。