貨幣は何を根拠として流通しているのか?という問題について少々考察します。

先に結論を言うと、貨幣は、それが流通しているという事実を根拠として価値を持つということになります。
しかしこれは、価値があるから流通しており、流通しているから価値がある、といった、循環論に過ぎません。もう少し高級な言い方をすると自己言及的なモデル、ということになります。

投資家のジョージ・ソロスは、経済学のいわゆる「均衡」についてこれを批判し、市場価格が価格そのものを独立変数(その因子、原因のことです)としている以上、そのような自己言及的なモデルでは、価格は絶対に均衡しない、とそう述べています。

たしかにソロスが日々直面している株式市場や外国為替市場の価格は、常に神経質に変動し続けていますよね。価格はどの値でもぜったいに均衡していないのです。

これはどういうことなのか?例えば財市場の商品の価格ですが、価格が上がると、消費者の購買力に変化がない限り、消費者はこれを買わない、あるいは買ったとしても、他の商品を買い控えるという行動に出ます。

消費者がその商品を買わない場合は、その商品の価格は再び下がりますし、他の商品を買い控えたときは他の商品の価格が下がります。

つまり、値上がりした商品というその価格自体が、その商品や他の商品の価格の根拠になってしまっているということです。

だからこそ、価格は常に神経質な揺らぎを持ち、つまりある種の揺らぎを持つことになります。

この価格の揺らぎは、一種のカオス現象であると物理学者はそう言っていますね。

有名なカオス現象の一つに、独特のフラクタルと命名された動きを発見したべノア・マンデルブロは、シカゴ市場の綿花の価格チャートから、このフラクタルの着想を得たと言われていますが、要するに価格はカオス的に絶えず揺らいでおり、それは自己言及的に揺らいでいるのです。