>>221
しかし、政府の用意した金銀の量が少なかったため、実質的には不換貨幣でした。その翌年の1872年、政府は国立銀行条例を制定しました。この国立銀行は日本各地に設立され、それぞれ独自に貨幣を発行していました。はじめは兌換紙幣として発行されていましたが、条例改正により、事実上の不換貨幣となりました。また、西南戦争時には不足したお金を紙幣の増刷で賄ったため、市場が混乱、米価は2倍以上に跳ね上がりました。
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と続きますかね。
まあどの道、明治初期は政府自らが金貨やその兌換紙幣や不換紙幣を発行していた、ということです。