「科学」ついでに言うと、
イスラムの「サイン、コサイン、タンジェント」だのまでは、
やっぱり、数学と言っても「算術」の域なんですね。

それが座標にかかって、微積分等の処理ができるようになって、
やっと本格的な数学ですね。


ただ、ここからも問題があってですね、近代以降の学術論争は、
結局は一つに集約されるんですよ。
「光(その他の物質も)は粒子か、波動か」
というね。

これは、以前、
「コンバットは粒子、バルサンは波動」
とか言ったこともありますけど、もっと直接的に言うと、
「スリッパでゴキブリを殺せるのはなぜか」論なんですね。
(ゴキブリが大活躍するのは「粒のようで、波でもある」からだが)

>・粒子派(ニュートンなど)
>「スリッパでゴキブリが殺せるのはスリッパが硬い(粒子的だ)からだ。
>タオルでゴキブリが殺せるのか。」

>・波動派(ホイヘンスなど)
>「スリッパでゴキブリが殺せるのはスリッパがしなる(波動的だ)からだ。
>木の棒でゴキブリが殺せるのか。」

というようになるんですね。色々派生しても、結局はこの話ですね。

結論を言うと、「粒子は子なるイエスの型」、「波動は聖霊なる神の型」
であって、「三位一体である」ということになります。