927 名前:名無しさん@1周年 []: 2017/10/19(木) 01:16:59.48 ID:sP5rTHK20 (16)
西室氏は25歳の時に「余命5年」と宣告された。
脊椎のまわりにキスト(嚢腫)が発生する奇病で、腰から足まで電気が走るような激痛が走り、足を引きずるようになった。
31歳の時、米国で8時間に及ぶ手術で嚢腫を取り除いたが、下肢に不自由さが残った。
西室氏は重電を担当したことがない。東芝では、重電部門が社長の登竜門とされている。
1987年の東芝機械のココム(対共産圏輸出統制委員会)違反事件で、佐波正一会長と渡里杉一郎社長が同時に辞任した。
渡里氏が1年余で社長を辞めていなければ西室氏が社長になる目はなかった。
佐波氏と渡里氏の意思疎通がうまくいっていなかったことが、トップ2人の同時辞任につながったといわれている。

「肩書コレクター」とは、西室氏に付けられたアダ名だ。
00年に東芝会長になった西室氏が密かに目指したのは“財界総理”、経団連会長の座だった。
西室氏は、東芝から3人目となる経団連会長に就く野望を抱いた。西室氏は01年から経団連副会長を務めていたが
東芝の会長から相談役に退けば次期財界総理の可能性がなくなる。そのため会長の座に固執し続けた。
東芝の社長は通常、4年で交代していたが、西室氏は岡村正氏に社長を5年継続させた。だが
それでも西室氏は経団連会長になれなかった。
東京証券取引所の会長になれたのも、絶対本命だった野村ホールディングス会長の氏家純一氏が断ったためだ。
2番手だった西室氏にお鉢が回ってきて、二つ返事で引き受け、半年後に社長を兼務した。
東京証券取引所のトップに就けば、受け取れる勲章は勲一等が相場といわれている。