この種の問いは、「労働が善であるのか」「消費が善であるのか」といった傍題や、「人間とはどうあるべきか、人生の目的とは?」「そもそも人間とは?」などのより抽象的な問いにも発展させて考えてしかるべきなところがあります。
多くの人にとってこれらの不可知的な問いは「そんなこと考えてどうするの」というような逃避や、そもそも扱える能力や思考的体力がないようです。
だからこそ、生きる指針としての宗教(共産主義、資本主義、キリスト、イスラムなどなど)に埋没することで人生をやり過ごそうとしているように見えます。
私は、そういった態度が「ホモ・サピエンス」としてふさわしいようには思えないんですけど皆さんはどうです?