>>256
1です。79レスの意味は78〜84前後のレスを見ればより理解しやすくなると思います。
私は「世界宗教に代表されるような文化共同体の内部であれば、”軸”への探求心に関わらずにどんな人ともポジティブな人間関係を構築できるという主張には疑問が残る。たしかに文化共通体は個人間の差異を埋没させて一体感を生み出す。しかしそれは違いを黙殺するという形式であるので、違いを認識・尊重し合った上での建設的関係性の土台にはなりえないのではないか。軸に対しての姿勢が異なる場合、キリスト教は大きく分けて正教会、カトリック、プロテスタントに分かれますけど、彼らは”軸”に対する姿勢が異なるからコンフリクトを起こして分裂したわけです。「俺たち同じだよな!」という幻惑が解けて、互いに相手を否定する関係にシフトすることは、軸への態度の違いが齎す予定調和であったと言えます。つまり、文化共同体のコミュニケーションは、コンフリクト関係へと移行するまでのまやかしにすぎず、それは建設的とは言えない」と指摘しました。
これに対して79レスでは「コンフリクト関係からも軸に対する建設的議論は生まれうる。その意味で、コンフリクトを生むとしても文化共同体という土壌は意義がある」と反論した、と私は解釈しています。