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昭和60年度生まれの無職ダメ人間集まる店 211軒目
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0241名無しさん@毎日が日曜日
垢版 |
2019/01/17(木) 21:07:10.49ID:CzxavHcq
お釈迦様が始めた仏教ですが、それが本来目指した境地があります。
それが「解脱」です。
何から解脱するのかというと、それは「輪廻転生」の輪からです。
インドの原始宗教では、人間の命は永遠という考え方がありました。
死ぬことで魂は再び六道のどこかに転生して、生を過ごすことになるのです。
お釈迦様は、そうした思想と真っ向から対立したのです。
つまり、輪廻転生から脱け出すことが、目指す境地であると考えたのです。

お釈迦様は、生きることが苦しみだと考えました。

永遠に生きるということは、永遠に続く苦しみであると考えたのですね。
だからこそ、永遠の苦しみを生みだす輪廻転生の輪から出ることを目指したのです。
輪廻転生から脱け出すためには、悟りを開き、罪なき者にならなければなりません。
この思想の元になったものも、古代インド的な考えのなかにあります。
清浄な者、無垢な者は、輪廻転生しないという考えが基礎になっています。
普通の人間は、輪廻転生の輪の中にいるので、何度死んでも何回も何回も生まれ変わります。
これは、たとえ天上界(天道)に生まれ変わっても、輪廻転生の輪から外れたことにはならないということでもあります。
仏教でいう天上界とは、キリスト教でいう「天」とは違うもので、人間界よりも非常に優れた世界ではありますが、
そこにも寿命があり、生老病死や「天人五衰」という苦しみが存在するのです。
人間は、下は地獄から上は天上界まで、その中を何度も何度も永遠に行ったり来たりしているというのが輪廻転生の考えです。
そこから逃れる方法が「解脱」なのですね。
清浄な罪なき者になることです。
輪廻の輪から外れるということは、本当の意味での「永遠の死」が訪れるということで、すこし怖い感覚を味わいますね。
ただ、罪あるものは何度も繰り返して苦しみを味わうことに対して、罪なき者は一度の苦しみで良いということでもあります。
お釈迦様は、輪廻の輪から脱け出す「解脱」のために、この世の中のすべてのものが無常であることを悟れば、
人間を超えたすぐれた者になれて、輪廻の輪から外れることができると考えたのです。
この「解脱」に成功した者、人間を超えたすぐれた者を「如来」、あるいは「仏陀」というのです。「如来」とは、悟りにいたった者という意味です。
0242名無しさん@毎日が日曜日
垢版 |
2019/01/17(木) 21:07:53.30ID:CzxavHcq
釈迦は釈迦族の王子として、何不自由なく育てられました。
彼のために、夏・冬・雨季とそれぞれの季節専用の宮殿が用意され、そこで美しい女性たちに囲まれ、
毎日のように宴会が催されたと伝えられています。


そのような優雅極まりない生活を送っていた釈迦ではありますが、
彼は青年になるにつれ人間の老・病・死の苦しみを知るようになり、人生について強く思い悩むようになります。
その様子を示す「四門出遊」という有名なエピソードがあります。四門とは城の東西南北四方にある門を指し、
四門出遊とはそれぞれの門から釈迦が城外にでたときに起きた次のようなエピソードです。

まずある日、釈迦が東の門から郊外に出ると、老いて腰のまがった老人を見かけました。
彼は常に宮殿内で過ごしていたため、そのような老人を見たことがありませんでした。御者に「あれは何者か」と尋ねると、
御者は「老人です。人はみな長く生きるとあのようになるのです」と答えました。
「私もいずれあのようになるのか」と釈迦が訊くと御者は「もちろん王子とて歳をとればあのようになられます」と答えます。
これに驚いた釈迦は動揺し、外出を取りやめて城内に引き返してしまいました。

 
また別の日、南の門から外に出ると、今度は痩せ衰えた病人に出会いました。これまで病人も見たことがなかった釈迦は、前回と同じように御者に尋ねると、
「人はみないずれ病気になり、あのような姿になります。王子とていずれはあのような姿になります。」と答えます。
これを聞いた釈迦はまた城内に引き返してしまいました。
 さらに西の門から城を出た日に、死んだ人が横たわっているのを目にします。初めて死人を見た釈迦は、御者から、
人はみな死から逃れられないということを聞き、やはり城内に引き返しました。
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