今日、弟の遺体があがった。
確認のため現地入りしたおかんからの電話は、これといった感情も見せず、手短に要点を告げるだけだった。
気分が乗らない時は、会話をぶった切る癖があるおかんは、こちらの質問を無視して、現地で火葬を済ませて、ついでに軽く知床を縦走してから帰ると言った。
「おかんが登山好きだって知ってた?」
おかんは高齢のため、それほど長くは生きられないだろう。
おそらく最後となる、突然降ってわいた北海道旅行で頭がいっぱいのようだった。
いつもは口汚く弟を罵ってはいても、万が一のことがあれば、悲嘆にくれるをおかんを慰める役割を負うものと身構えてはいた。
それがこういう冷淡な反応を見ると、「親の愛を知らずに育った」という弟の言い分もあながち嘘ではなかったのかと思えてなんとも哀れだ。
先ほど自動更新された一週間遅れのブログで、「どんなもんだい!」と息巻いているのも、読んでいて泣けてきた。