>>428
ここに愚者と智者のふたりがいた
と想定しよう。愚者は例えば
ここでオレンジを一個買う。
それを食べて、そのおいしさを
味わったとしよう。次の日も
二個 三個四個と買って飽きる
まで食べる。
そしてオレンジに飽きる。
もはやおいしくはない。
次はリンゴにしよう。
彼はリンゴを食べる。
飽きるまで食べる。
次はバナナだ。
バナナで同じことを繰り返す。
ここで、智者だったらどういう
プロセスを辿るのかね。
その人は、オレンジに飽きたとき
「なぜ私はオレンジに飽きた
んだろう?」と考える。
そして「私は今度は、リンゴを
食べたいと思っているけど
ひょっとしたらリンゴにも
飽きるんじゃないか。」
っという考えに至るだろうね。
そしてリンゴに挑戦するとき、
「その時の心の変化をできるだけ
客観的に見ていこうじゃないか。」
と決心する。そして、
リンゴを食べていきながら、
個数を増やしていきながら
心の変化を理解していく。
そうするとねオレンジとリンゴ、
これくらいで飽きる経験は
すんでしまうわけだ。
飽きる経験がすんでしまうから
次のバナナまでいかない。
いく必要がないんだ。
修行しろ。