裁定の公正さを重視するか、その場に波風を立てないことを優先するかで行動が変わるのは理解するが、
「まともに人付き合いした事あれば躊躇して当たり前」などと言われたら波風立つぞ、普通。

というか、誤りを指摘するということは、GMの行動によって「公正に裁定されている」ことが信じられなくなったためであって、その状態を解消しないまま進める方が一時の波風(仮に立つとしても)よりよっぽど悪い。
「間違えましたごめんなさい」も「今回はこの裁定で行きます」も言えない呪いがかかっているワケでもあるまい?