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1923年9月1日

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0001名無しさん@そうだドライブへ行こう
垢版 |
2021/06/09(水) 09:51:51.08
1923年(大正12年)9月1日の午前11時58分、日本の関東地方一帯に激震が走った。

関東大震災だ。

約190万人の日本人が被災し、結果として10万5000人あまりが死亡もしくは行方不明となる(犠牲者のほとんどは東京府(当時)と神奈川県が占めている)、明治以降の日本の地震被害としては最大規模のものであった。
府県をまたいだ広範囲にわたる災害で未曽有の犠牲者・被災者が発生し、政府機関が集中する東京を直撃したこともあり国家機能が麻痺したのだ。

この時、震災に乗じて悪事を働いたのは専ら穢多・非人と呼ばれる日本の被差別階層である。
しかし、あろうことか
「朝鮮人が井戸に毒を入れた」
「朝鮮人が暴動を起こしている」
「朝鮮人が家屋を焼き払いながら近隣まで迫っている」
といった誤情報に日本人は惑わされ、各地で治安維持という大義の下、4,000を超える武装した自警団が結成された。

そして朝鮮人(と間違われた中国人を含む)を捕らえては殺害したのだ。
とにかくその判別方法が凄まじい。
朝鮮語にはザ行にあたる音がないことから「ザ・ジ・ズ・ゼ・ゾと言ってみろ」と命令し、「ジャジジュジェジョ」などと言おうものならその場で撲殺された。
また「全然大丈夫です」を「じぇんじぇんだいじょうぶです」と言うような発音不明瞭な者も殺害対象とされた。
したがって聾唖者や地方出身の訛りのある日本人も数多く殺害されたのだ。
朝鮮民族風の長いアゴ髭を伸ばしていた者が殺された事例もある。
王氏高麗朝に入ってから、朝鮮の一般大衆はは白衣民族と呼ばれるほど白い服を好んで着ていた。
李朝第18代国王顕宗が白衣禁止令を出したほどである。
横浜では「白服を着た者が数人集まって密議をしている」と3名の海軍兵学校の生徒が暴行されている(一命はとりとめた)。

地震発生以降、孤立していた朝鮮人コミュニティでは「同胞が無差別に殺されている」という情報が錯綜し恐慌をきたしていた。
そう、日本に帰属していた従順な朝鮮人までもが同類とみなされ一様に殺されてしまうという事態が発生していたのだ。

彼ら内地朝鮮人の大半は1910年日本に併合され、その統治下にあった朝鮮半島では生活が成り立たず、
生きる糧を求めて日本に渡って来た奴婢・白丁(朝鮮半島における賤民階層)だった。
0021名無しさん@そうだドライブへ行こう
垢版 |
2022/02/17(木) 16:17:38.13ID:EiqDnmcG
朝鮮人虐殺作戦に従事した軍人の証言

中村少尉がいた騎兵連隊が出動したのは9月2日正午少し前であった。
「とにかく恐ろしく急」で、人馬の軍装を整えて舎前に整列するまでに「所要時間が僅に30分しか与えられなかった」。
2日分の人馬の糧食と予備の蹄鉄、実弾60発を携行し「さながら戦争気分」であった。
午後2時頃亀戸に到着すると連隊は直ちに「列車改め」を行い、鮮人を引きずり下ろすとサーベルや銃剣でめった刺しにした。
日本人避難民の中からは嵐のような「万歳歓呼の声」が上がった。
連隊はこれを皮切りに、其の日の夕方から夜に入るに従って「いよいよ素晴らしい事(本格的な朝鮮人狩り)」をやりだしたのである。
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