☆昭和の車のあるあるS20型☆
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昭和の車のあるある第20スレッドです
引き続きいろいろ語り合いましょう
製造後、13年経過車への各種重課断固反対 >レオパード
ちょっとでも動物に興味を持ってる人だったら知ってるのは、豹=レパードorレオパルトだわな
>トライX
これはなんと言っても写真界に君臨する(していた?)B&Wフィルム、コダック・トライX
缶入り長尺フィルム2缶とD76を4袋が未開封のまま20年以上経過・・・ セリカXXがアメリカではスープラと別名を名乗ったのは、アメリカでXはポルノ映画のエッチ度を表す記号だと知ったときは笑ったな。
じゃあ仮面ライダーXは仮面ライダースープラになるのかとw >>864
え?なんで?
なんで車とライダーの名前変更を同じに考えちゃうの?(マジ顔) フェアレディの31、32型はアメリカではZXと呼ぶから「究極のエッチ」だな。 ZX(ゼクロス)は旧シリーズ最後になる筈だった幻のライダー(しつこい 上のレス、「スープラ」が一瞬「ヌーブラ」に見えたw 友達の箱スカのクーラーは助手席にクーラーユニットがむき出しについていた
その後自分もエアコン付き買ったら除湿もできるので感動した 吊り下げクーラーは昭和のあるあると言っていいものか あの吊り下げクーラーサニートラックあたりならガンガン効きそうに思えるのだが
70年代前半ぐらいまでに出た車種に付いている印象がある
スカイラインだとジャパンはエアコンでハコスカはクーラーだけどケンメリはどうだったかね?
パブリカは最終型でも吊り下げクーラーかな 昨日地元道路でこんなん走ってたけど、B10サニーで正解ですか?
https://imgur.com/a/RW0NsOu >>875 昭和と言っても昭和40年代あるあるだな。
昭和50年代はビルドインタイプのエアコンが主流。 >>878
ありがとうございます。何十年ぶりに見ました。
80歳くらいの老夫婦がヨタヨタしながら走ってました。
ボディが錆び穴だらけで大きい所はステッカーチューンされておりました。
ホイールキャップだけが見事に輝いていて・・・w 昭和50年代半ば頃迄JAFメイトにはサンデンの吊り下げカーエアコンの広告あったなー >>884
わざわざ旧車選んでるチャラい奴じゃ無く、本当に長年乗ってるっぽいのか凄いな
しかしこのご時世、ご老体がヨタヨタ乗ってると微笑ましいだけでは済まないのが悲しい >>886
ナンバーが横浜2桁ですからそれなりの期間をお乗りだと思います。
人生を一緒に歩んできた相棒って感じでしょうか。
首都圏田舎なので、未だ微笑ましいで済んでいるようでした。
地元DQN車も「なんだあの車?」と言う感じで間隔開けてましたしwww B10って50年モノ?
故障したら直せるの?部品あるの? うちの親父が友達から譲り受けた(買った)昭和51年式カペラにエアコンが付いていなかった。
当時小学生だった自分に相談なんかするはずもなく、ある日、突然、助手席にエアコンが付いてて驚いた。 除湿暖房が出来るのがエアコンだから吊り下げクーラーだな 弱めに設定すると助手席以外に座る人間が暑いので
効きを強くすると助手席の人間が冷えすぎて腹を壊す
助手席吊り下げ式クーラーの記憶 昭和40年代のクラウンとかセドリックはトランクにクーラーユニットを搭載して
リヤトレーから冷気を出すタイプもあった。
クーラーユニットには保冷機能もあって缶ジュースが数本入る。
前には冷気の吹出口はないのが、今のデュアルエアコンと違うところ。 >>894
81年に親父がクールボックス付デュアルエアコンと空気清浄機を装備したクラウンロイヤルサルーンを買ったときは嬉しかったな〜2800ツインカムエンジンも力強くて最高だったよ。 >>895 当時の新車のクラウン、特に3ナンバーは今のレクサスLSくらいのステータス感があったと思う。
親父さんは金持ちだったんじゃないの? 当時のローン金利バカ高かったよな
だからうちは買える範囲でカローラをニコニコ現金払いだった
もちろんカード払いも振込もなし母ちゃんがバック握り締めて店に家族で行ったの憶てる、帯封つけっぱなしなの初めて見た
高級車は父ちゃんが出張前に会社の車を家に乗ってきてたのを楽しんでた >>896
一応建設会社の社長でした。
クラウンの次はY30セドリックのセダンブロアムに替え、最後は130系クラウンのセダンV8ロイヤルサルーンでした。 >>898
自己レス
Y30でなくY31セドリックでした。
ノンターボの3000ブロアムですね。 タクシーも全車クーラーて1980年頃だったかな
小型車は導入が遅くタクシー待ちで小型がきたときの絶望感、小型の運転手は夏は客に謝りまくって気の毒だった
子供の頃は窓開けてタクシーのるのがふつうだった、窓から顔出して運転手と親から怒られた 鉄道もクーラーが導入されたのは遅かったんじゃない?
古い車両には未だにJNR(国鉄)の刻印入りの扇風機が残っているw あんな扇風機で真夏の満員電車、それも時差通勤なんて殆ど無い超ラッシュの電車乗ってたんだよなあ
しかも壊れて止まってたりする 湿度の高い台風時期の窓締切ったときの生き地獄たらなかったな そう言えば婆ちゃんちに電車で行く時、子供ながらに電車の屋根見て一喜一憂したわ 昭和時代の北海道では車も建物もエアコン装着率は低かったな。
クラウンですらロイヤルサルーン以上じゃないと標準装備ではなかったから
スーパーサルーンエクストラのエアコン非装着車が結構あった。
一般庶民向けのカローラ、サニーあたりだとエアコン装着車は20%くらいじゃなかったか。
あくまで私見だけど。
平成になって物品税廃止に伴ってエアコン標準装備車が増えてきたら、
北海道民もエアコン付き車に慣れちゃって、エアコンなしじゃいられなくなったけど。 昭和の末期あたりでも、夏に長野あたりの避暑地に行くと
車種を問わず窓を開けて走っているクルマが多かった
当時はエアコン装着車でも、窓を開ければ暑くない気候のときは
エアコンを点けず窓を開けて走る、という選択肢があったんだな 夕方になると肌寒いくらい冷えるからな
日中の気温はヒートアイランドで東京並みだが 今のクルマは窓が小さいんだよな、後部座席の窓が全開にならないのもザラにある
近場用の軽を4代目前期型ライフからN-WGNに乗りかえたら密室感が上がって息苦しくなったわ 昭和時代の車のカタログに「低いベルトラインによる広いグラスエリア」というフレーズが多かった。
背が高い今の車でそれをやったら最終型ビスタセダンのように頭でっかちで不格好になるだろう。 >>908
ガラス面積は減らす、局面率は落とす
コスト削減策の一つ
個人的には初代ステージアより息苦しいのは知らない
昭和じゃないけど 息苦しさだったら初代チェリークーペ
洞窟に入ってるようで・・・ >>909
それは昭和52年辺りからの車だと思うこと
昭和40年代半ば頃から50年代初め頃はウエストラインが高くて窓が小さい車が多かった。 ウエストラインが高く、窓面積が狭いクルマといえば、初代レオーネのクーペとハードトップ
「間違いだらけのクルマ選び」の初版で、徳大寺に「常にトンネルのなかにいるような閉塞感」と指摘されたが
まさにそんな感じだった 閉塞感かぁ
囲まれてる感、って言い換えると、そんなに悪いことじゃないように思える 試乗会でプレリュードに乗った時の頭の圧迫感といったら・・・
座高の高い俺は耐えられんかった
婚約中だった嫁は惚れてしまったようなのだが 初代レオーネはシートの位置も低かったんで、囲まれてる感より閉塞感が正解。 Z31なんか、タダでさえ狭苦しいのに
目の前には巨大なバルジがあったなあ。
今だとなだらかな形状になるんだろうけど、
当時の車だからプレスラインがくっきりとした
角ばった形状なので余計に目についた。 初代レオーネはひどかったな
フラット4による前輪駆動を除き、スバル1000〜ff-1の理想主義的な設計を全否定した成り立ち
スバル1000が凝りすぎて儲からなかったから、コストダウンを最優先したのだろうが
それまで営業主導の、見た目優先のクルマ作りの経験がなかったので、恐ろしくカッコ悪いクルマになってしまった レオーネの頃360と1000の百瀬さんは携わってないはず
すでに日産と業務提携している時代になるな スバルの4WDのお陰で日産のR160やR180のデフの部品には困らない
86/BRZではトヨタのデフになったが他の4WDのリアデフそのままだし >>919
初代レオーネといえば5ひろみと地井武男のカーチェイス(笑)
歴代の中では2代目のスイングバックは悪くないと思う。 >>922
あの頃の日産のデザインテイストを色濃く反映しているね。同年代のレックスもR2に比べたら中々の酷さ >>926
FFレックスがすごく洗練されてるように感じたくらい(笑)
アルシオーネなんかカッコいいはずなのにカッコ悪いという…(^^;
バブルの時に倒産寸前になったのも当然と思ってたし、日産に九州合併されると思ってた。レガシィが出るまでは >>923
ほー、そうなのか。レオーネ時代と逆のパターン。
>>924
初代レオーネと言えば尾崎紀世彦。
プラモデルで唯一スバル車を組み立てたのがレオーネ クーペ GSRだったなぁ。 >>928
初代レオーネから広告もガラっと変わったんだよな
しかも初めてイメージキャラクターに起用した尾崎紀世彦は
レオーネのデビュー年(1971)に「また逢う日まで」の大ヒットで
レコード大賞と歌謡大賞をW受賞した、まさに旬のタレント
翌1972年にデビューしたレックスには、これまたその年に
メジャーからのデビューシングルとなる「結婚しようよ」でブレイクしたばかりの吉田拓郎にCMソングを歌わせた
クルマの出来はともかく、広告戦略はなかなかやるじゃん、と思わせたが、そこはスバル
後が続かなかったw >>929
拓郎はスバルからレックスをもらって乗ってた、って言ってたな
岩崎宏美とダブルで2代目レオーネのイメージキャラクターを努めた原辰徳も
すでに巨人の4番だったにもかかわらず、律義にレオーネに乗っていたそうだ
そういう契約だったのかもしれないが オランダ・DAFからスバルはCVT技術を買うことになったが、
実際に渡されるまでえらい時間がかかった。
晴れて自分のものになってみたら軽やリッター車でしかつかえない代物。
考えてみりゃDAFもちっこいクルマしかなかった。
んで提携した日産がのりだしてきて全車種に使える技術になり、
日本の他社でも使い始めることとなった。 >>930
少し前おぎやはぎの番組に岩崎宏美が出ていたが
彼女も数年間レオーネ乗ってたそう >>932
スバルはプラットフォームを2世代使うが現行車はトヨタ提携以前に開発されたもの
しかもフロントは更新されたがリアはキャリーオーバー
WRXは競技用パーツの絡みで簡単に変更できないというのも有るかもしれない 昔、スバルブラットが欲しくて、スバルに問い合わせたw
丁寧な対応でメーカーでは扱えないからと業者を紹介された。
結局予算が合わずに買えなかったけど、今でも欲しい。 >>933
みたみた。
昔の写真見てたらコロッケとダブって番組に集中できなかった(笑) ふむ、実は俺も岩崎宏美はコロッケしか頭に浮かばない >>915
二代目乗ってました
当時はツンツンヘアーで、天井に擦ってましたね
二代目で印象深いのは、ボンネットの低さから来るフロントの見切りの良さ
かなり手前まで良く見えるので、スピード感がハンパじゃなかった
今の車じゃあのスピード感は味わえませんね >>919
70年代にコストダウンなんか考えてないって。
単にあそこにL型の4気筒を積めるように設計してただけ。 >>940
ではガラス面積を狭くしたのもコストダウンではないと? >>930
当時スバルからもらった岩崎宏美と原辰徳が写っているトランプを持っているが、今の彼女が写っていたらjokerかも知れない。
2代目レオーネのCMキャラと言えば、ドン・セヤーズ(Don Sayres)。
「高島屋から発売」なんてフレーズが記憶がある。 >>941
ウエストラインが高くてウインドゥが小さいのは当時のスタイリングの流れ。
コストダウンの一例でインボードブレーキ。
これは整備性が悪かったのもあると思う。 あおい輝彦がレオーネ・グランダムのCMに出ていなかったけ? >>944
あおい輝彦ではなく、辺見えみりのパパの西郷輝彦 >>943
インボードブレーキがコストダウンになるのか。
ばね下は軽くなるが、ドライブシャフトは太くなるぞ。 >>946
逆
スバル1000がフロントに採用していたインボードブレーキが
レオーネで一般的なアウトボードになったってことだよ スバル1000を参考にしたと思われるアルファスッドもインボードブレーキだったよな?
整備性が良くないのがデメリットの一つかね?
今はどうなのか知らないがスバル1000当時クラッチ板の交換にエンジンを降ろさないとならないので整備屋さんが嫌がったというのがあったらしい wikiみて初めて知った、レオーネて元日産の人がデザインしたの?
FFといいチェリーそっくりや >>950
日産と提携してたからね。
日産の人がデザインしたかどうかは分からないが、かなり影響は受けてるよね。 >>950
駆動輪が同じとはいえ、フラット4縦置きのレオーネと直4横置きイシゴニス方式のチェリーじゃ、まったく異なる >>952
全く異なるけど、デザインテイストは似ている それは言い過ぎ
「日本車史上五本の指」くらいにしといて ええ
1000は良かったし二代目レオーネはまあ悪くなかったじゃん
RX欲しかったわ 今のクルマと比べたら素直なデザインで悪くはないんじゃないか
https://youtu.be/JNOBGZkxd4o >>957
360
1000
初代サンバ
シンデレラハネムーンレオーネ
FF初代レックス
は悪くないと思う。 >>959
幼馴染の家がこれの黄色乗ってた。
ボンネットにスペアタイヤ載ってたのが幼稚園児の俺には凄くインパクトあった。 ボンネットにスペアタイヤって、普段からからラリーでもしてたんけ? レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。