《バレンの高校時代、過酷な生活環境で日々鍛錬し、ケンブリッジ大学医学部合格へ》

15歳の時、細川バレンタインは再びナイジェリアに強制送還された。

中学の頃、バレンは空手で中学の番長を倒し、いじめられっ子からいじめっ子に変身してしまった。町では不良少年として知られ、人気者になったが、日々勉強を怠り、ブレーキングダウン、悪さばかりしてばあちゃんに手に負えなくなり、ナイジェリアに返されたのだ。

ナイジェリアの治安と生活環境は最悪だった。家は電気も水も通っておらず、毎日飲み水を4km先の池まで汲んできて、ろ過し、煮沸し、夜にしか使えない発電機で数時間冷蔵庫で冷やしてやっと飲めるというのだ。

バレンは、そんな過酷で厳しい生活を余儀なくされていた。ナイジェリアでの経験が今も役立っていると言うが、その環境は高校時代の彼の生活にも大きな影響を与えたことは間違いない。

ナイジェリアのド田舎の高校で本当に英国式教育を受けられたのか、また、たった3年のナイジェリアでの英国式教育で不良少年バレンをケンブリッジ大学医学部合格のレベルまで押し上げることができたのか、疑問は尽きない。なお、バレンがナイジェリアに戻った際、7歳までに覚えた英語をすべて忘れていたという事実は、バレンの英才教育に関する不可思議な側面を浮き彫りにしている。