【WBSS 】ノニト・ドネアVS井上尚弥 2
レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。
井上実質4階級目やからな
バンタムではあきらかに体小さい
163しかないからなぁ
それでもドンドン階級上げてデカイやつ強豪を簡単に倒してる
亀田三男は173ぐらいあるの必死に下の階級で試合
強豪からは逃げ回り雑魚ばっかり
しかも毎回雑魚にすらグダクダの判定
体格有利やのに亀田三男のSバンタムのKO率0%ww
久保と亀田三男はマジで本物の雑魚
こんな弱いボクサーは亀田長男以来やわ >>842
馬鹿なのはお前だ
お前の言う通り
ほんとにスーパーフェザー級〜ライト級が適正体重
ならその階級でやってるわ
無理して減量してるなんて井上本人が言ったわけでもねーだろ
アホ >>842
ライト級の世界ランカーだつた坂本は身長172で井上よるもはるかにガッチリした体格だったから井上がライト級は無理でないの? >>842
クルツィゼ167 元ミドル級暫定王者
ロマチェンコやパッキャオも無理して減量して弱い階級でイキってるだけか? バンタムでは全く小さく無いよ
身長だけで測れないし
ライバルと比べても上半身大きいし 世界的スーパースターになりたいならライトでデカいヤツらボコボコにするぐらいじゃないと フェザーごときじゃ全然注目浴びれない 井上を否定しようとしてバンタム級自体を否定してるアンチがおるな
バンタム級好きだけどな、俺は >>845
こマ?
亀田3てSBでKO1回もしてないの?
SBで何試合してるんだ? ドネアに勝てばモチベーション維持するには他団体のチャンピオンとの統一戦しかない 井上陣営は判断を間違えたりはしないだろう
素人の意見にも全く影響されないと思うから安心しろ 井上もだけど日本人選手ってなんでパンチ出すとき過剰にシュッシュと言うのか ロスチャイルドを理想にするアルカージー少年の若々しい自意識を書いたのが、54歳であったという
50になったら未成年の頃の気持ち何て忘れているよね
「わたしには金は必要でない、というよりは、わたしに必要なのは金ではない、と言ったほうがよかろう。威力でさえもない。
わたしに必要なのは、威力によって得られるもの、そして威力がなければぜったいに得られないもの、それだけなのである。
それは一人だけのしずかな力の意識である!
これこそが、世界中が得ようと思ってあれほどじたばたしている自由の、もっとも充実した定義なのである!」 >>969
> 私の小文『宣告』は、人間存在の根本的な最高の思想、つまり人間の霊魂不滅の信念の
必然性、不可避性について論及している。
人間存在の根本的な最高の思想 = 人間の霊魂不滅の信念
しかもそれが
必然性、不可避性 であること。
> つまり、自分の魂とその不死に対する信仰なしには、人間存在は不自然であり、考えら
れず、また堪えがたいものだ
> 「論理的自殺」によって死につつあるこの人間の告白の裏付けとなっているのは、今す
ぐこの場で次のような結論を出す必要があるということである。
「論理的自殺」によって死につつあるこの人間
とは、
この場合だれを指すか?
> 最も優れた観念なしでは、人間も国家も存在することはできない。
> ところでこの地上における最も優れた観念はただ一つしかない。
> つまり、人間の霊魂の不滅についての観念である。
> というのは、人間が生きる拠りどころとなっているすべての残りの「最も優れた」観念
は、この一つの観念にのみ源を発するからである。
この信仰が源となって、文化文明社会制度そのほかいっさいの人間の営みが活力を得て持
続する。 >不死の観念喪失の場合の自殺は、まったく不可避であり、必然的なものとさえなってお
り、
彼(いじめ自殺の中学生)は不死の観念喪失ゆえに、自殺したのか?もともとその観念が
なかったのか?
>逆に不死は永遠の生命を約束することによって、それだけ強く人間を地上に結びつける。
永遠の生命の約束を確信しきってなかったがゆえに、かれはこの地上を投げ捨てたのか?
>自分の不死に対する信念がなかったら、人間と地上のとのつながりは切れ、より細く、
腐ってゆく。
彼(我とおきかえてもよい)信心弱きゆえに人間と地上のとのつながりは切れ、より細く、
腐っていったのか? >そして人生最高の意味の喪失は、疑いもなく自殺を招来する。
不死についての観念、これは生命そのものであり、生きた生であり、生命の決定的な公式
であり、人類にとっての真実と正しい意識との主要なる源泉である。
自殺のいろいろな事実を叙述し、ついでこれらの自殺について私がどのように考え、また
どのようにそれを説明するつもりなのかとたずねる手紙を非常にたくさん受け取っている。
------------------------------------------------------------------
私はこれらの自殺のすべてに説明を与えようとしているのではないし、そんなことはでき
ない。
しかしそのかわりに、この自殺者たちが、その大部分、全体として、直接間接に、同じ一
つの精神の病から、自分たちの魂の中に存在することについての最高理念の欠如からわが
身を滅ぼしたのであると、私は確信して疑っていない。
------------------------------------------------------------------
天才ドストエフスキーのこの断言をどう思うか? このいじめ自殺は該当しないのか?
「この自殺者たちが、その大部分、全体として、直接間接に、同じ一つの精神の病から、
自分たちの魂の中に存在することについての最高理念の欠如からわが身を滅ぼした」の
か?
ぼくはこれは観念論ではない、と思っている。事実そのままだと考える。ぎゃくにいえば、
最高理念なきものは、かならず自殺して終わる(自殺的な形をとって)とおもう。
ですから結論的に、わたしたちは残りの人生のすべてをささげて、この最高理念の獲得に
「のみ」生きなければならない! 不死がないならもはや生きていけなくなる、これはトルストイも似たようなことを言ってる
死ぬこと自覚した時、生の付属は意味を失う
なぜなら、すべて例外なく誰もが、死ななければならなだから
やがて死すべき存在であるという事実に直面した時、挫折・絶望し、いかなる幸福も光を失う。──「死の竜と、私の生命の綱である灌木の幹をかじる鼠とを見ると同時に、いかなる蜜の甘さも私には甘美でありえなくなったのである」(トルストイ『懺悔』) > >哲学的学術的文学的な深い教養をひけらかしつつ、
> >信仰に「ペッペッ」とツバをはきつけてまわっている。
> 「ぺっぺ」と言えば、ドストエフスキーの小説ではよく出てくるが、
> ロシア語版だとどういう表現になっているのだろう?
> 翻訳者はこういうところでセンスを問われている
そうだね。ぼくもドストエフスキーからこの表現をおもいついた。眠くないとき調べるわ。 >>13
> 創価学会に非ずは人に非ず
> 公明党に投票しなさい
確かにまちがいなく「おれの心の中の本心」ではそう思っている。
そして「公明党に投票」すれば、「ぜったいに幸せになれる」しあわせへの一歩を開く。
おまえの人生のいっさいが開けていく―と断言できる。
しかし。「そんなことをこのスレで書くのは」いたずらに反感をかい、ある意味差別であり、広宣流布において
逆効果である。 > 人生は幸福か、それとも苦痛か? 宗教が繰り返すそれは実に無益な問いであった
> 幸福は苦痛によって、苦痛は幸福によって、弁証法的に発展し続ける
> ――人間とは、揺れ動き続ける状態である(『銃夢』)
-------------------
このジュームとかいう作品は有名なんか? 作者オニオンじゃねww?「宗教」とひとまとめにしてもなあ!
古人は近現代の思想家なんかより異次元の思索をしてるんだぜ? それこそ日蓮大聖人なんか釈迦や
ドストエフスキーでさえ んこ というぐらい深いんだよ。ただ、小説として「思想をドラマチックに
表現できるところ」はすごいね。ドストエフスキーやトルストイは。
> 今日もすばらしい書き込みを授けよう
おまえは「ぜんぜん凄くない」とわかってるから、そんな変な前置きを書くんだろう?WWW 人間を自然化してとらえるならば、人間社会で選ばれた人間はあらゆる法と制度の枠組みを越える権利を持つのはその通りといえる
越えるとは縛られないものであり、社会において、罰せられないという事と同義である
その証明は歴史であって、同時に人間社会での話に限られる英雄でもある
自然は強きを重んじ弱きを軽んじる
だけど人間は何時でも自然に従うのみなのだろうか
自然を人間化して考える事が間違いなのだろうか
そうならば、その時ラスコリニコフの論理は破綻する
凡人と非凡人の価値観は消え失せ、別の何か新しい価値が創造されるだろう
その新しい価値での非凡人という概念が生まれるのかもしれない
それは愛と呼ばれるものだったりするのかもしれない
と、ぼくはそう思う >>855
4試合ぐらい
しかも全員無名の本物の雑魚
そいつらに毎回グダクダの判定
メディナには鼻血出され顔ボコボコにされた
久保と亀田三男はマジで弱い
王者の実力は間違いなくない >>24
お帰りw
しかしむずかしいな。
>人間を自然化してとらえるならば
冒頭からかなり理解しにくい。そこ以降はだいたいわかる。罪と罰を読んでいるから。
>自然を人間化して考える事が間違いなのだろうか
またしても、わからなくなった。ただひとつわかるは「あなたはいつも真摯にドストエフスキーについて
考えている」こと。 >>25
お久しぶりです
最近色々あって書き込めなかった
なんとなく伝わっているなら良かったです
おそらくここでは、なんとなく、汲み取ってくれる人がいると思う
このなんとなくがイデア的に重要だと思ってる
言葉が重なるとはそういう事なんだろうね >>28
> 言葉足らずだったけど、そういう人も含めて自然から人間を見ると強者になる
> 才能とか高知能とか強靭な身体の持ち主とかも
> つまり物資的な、という意味が内包される
イヴァンが使っていた「自然法則」ですね。
> 一方で人間を人間として眺めれば、精神とか形而上的な感情とか、もしかすれば優しさなどの情緒さえも飛び抜けていれば、新しい非凡人の価値になり得るかもしれない
> その時に最上の人間的な価値があるとすれば愛ではないだろうか、という持論です
そうです!そうです!「優しさ」こそ人間が持ちうる最大価値です。愛という言葉は混乱を呼びがち。それは
せっこすの愛ではないし、恋愛の愛でもない。仏教の文化圏の用語に翻訳すれば「慈悲」です。しかもいま
話されていることは、特定の文化に限定されたものではない。言葉の表面的な字面なんか関係がないんだ。
ゾシマやアリョーシャは「愛のひと」だったし、イヴァンやミーチャは心の奥底に慈悲や愛を内包してはいたが
それは、日常の振る舞いに自然とあらわれるものではなかった。
ラスコーリニコフもしかりです。青年期の各過程をドストエフスキーはとらえ、それをば巧みに形象化し表現した。
> だけどドストエフスキーだってゾシマやアリョーシャの生みの親なんだから、そういう思考はあったはずと思う
いちばん忘れがちで、こんかい目が覚める思いしたのはここ。ゾシマやアリョーシャのもつ、わたしたちが
あこがれる、あの大感情も、天上の高みへと登っていくあの苦悩も、ちっぽけな自分を制覇しようとする
あの勇気も、悪からの誘惑を退ける瞬間的な愛の爆発も。
すべてドストエフスキーの「心」から生み出された。それはまったく同じものが、いやそれどころか
はるかに壮大かつ深甚のものがあるから、できるワザです。 ぼくは、論議しやすくするために、映画やまんがの登場人物のように
イヴァンやミーチャは一段低い劣ったもののごとく言い、ゾシマやアリョーシャは
ただ崇高そのものの人物と書くが、ぼくの真意はちがう。
彼らはすべてロールモデルです。問題はだれに自分を当てはめて考えるか?です。
ぼくたちは若い頃ラスコーリニコフを読んで、彼に同化した。青少年にとってひじょうに同化しやすい
共感しやすい人物像を、若い詩人であるドストは創造したから。 ぼくは告白しますが、若いときからこんにちに至るまで
ぼくのロールモデルはつねにアリョーシャです、でした!
あなたがたにも、そうなってほしい。イヴァンやそのほかを捨て去ってください!
「えw?おまえのどこが、アリョーシャ?」かって?
そんなことはイイんです! 自分の中で卑小なものを見つけたら、その都度修正して見つめ直せば。
「いや、むしろここはフョードルでゆこう!」「こういう腹たつやつには、スヴィドリガイロフしたれ!」
という感じでゆきましょうww ところでな、アレクセイ、わしはこれまで幾度となく心の中で、そういう顔を持っている
おまえを祝福したものじゃ、今こそ打ち明けて言ってしまう。」長老は静かな微笑を浮か
べながらこう言った。「わしはおまえのことをこんなふうに考えておる、――おまえはこ
の僧院の壁を出て行っても、やはり僧侶として世の中に暮らすのじゃぞ。いろいろ多くの
敵を作るだろうが、その敵さえもおまえを愛するようになる。また人生はおまえに数々の
不幸をもたらすけれど、その不幸によっておまえは幸福になることもできれば、人生を祝
福することもできるし、また他の者にも祝福させることができるであろう――それが何よ
り大切なのじゃ。よいか、おまえはこう言ったふうな人間なのじゃ。皆さん。」と彼は喜
ばしげにほほ笑みつつ、客人達の方を向いた。
(我)
1,>そういう顔を持っている
とは、目が大きいとか、賢そうな顔をしているとかではなく、福運が如是相に出ていると
いうことだと。
2,>おまえはこの僧院の壁を出て行っても、やはり僧侶として世の中に暮らすのじゃぞ
この僧院を出て俗世で暮らすのは、その目的は「自分自身が」人生を祝福し、「他の者に
も」祝福させるためである。つまり「自他ともに幸福になるため」である。僧院の中にい
るよりも、アレクセイは俗世間においてこそ、より大きな仕事をなすからである。 3,>いろいろ多くの敵を作るだろうが、その敵さえもおまえを愛するようになる。
これこそ信仰者にとってもっとも大事な生き方だとおもいます。最後は信頼されるという
こと。だから勇気です。
4,>また人生はおまえに数々の不幸をもたらすけれど、その不幸によっておまえは幸
福になることもできれば、人生を祝福することもできるし、また他の者にも祝福させ
ることができるであろう――
青年がもっとも信頼し傾倒しきっている長老、その言葉は奇跡としてぜったいに予言通り
になると。だからこそアリョーシャは、今後の人生においてなにが起きようと、どんな不
幸な事件が来ても、長老の自分にたいする予言を思い出し「自分はぜったいに幸福にな
る」「苦悩を使命に変える」「他の人々をも救いきっていく」そういう使命が自分にはあ
るのだ! と考える。そしてじっさいにいかなる堕落からも立ち直る。
--------------
「第六編 ロシヤの僧侶」ぜんぶんにコメントをつける
を一ヶ月ぶりに再開します。上は前回までのところ 「この若者の顔がわしの心にとって、なぜこれほど懐しいものになったかというわけ
を、いままで当人のアレクセイにさえ一度も言うたことがない。今はじめてこれを打
ち明けますじゃ。
>(我)先生はゾシマ長老の生まれ変わりなどではない。先生は先生。小説中の登場人物
たるゾシマはゾシマだ。
しかし、その精神の核心部分はひじょうに似ている。それは弟子をきづかい、その成長を
祈り、ときには厳しく指導する。それはなんのためだ?ほんとうの幸福をつかませるため
だと思う。仏にするためだと思う。
この少年の顔はわしにとって、まるで追憶と予言のように思われ
る。わしの生涯のあけぼのに、わしがまだ小さな子供のとき、ひとりの兄があったが、花
の盛りの十七やそこらの年に、わしの目の前で死んでしまいましたじゃ。
>(我)このゾシマと同じような体験をぼくは持たないが、しかしここに書いてあること
はストンとぼくの胸におちてきた。当時少年のぼくにさえ。
その後、自分の生涯を送って行くうちに、わしはだんだんこういうことを信じるように
なった、――この兄はわしの運命にとって、神の指標とも予定ともいうべき役割りを勤め
た、とな。 >>36
> その後、自分の生涯を送って行くうちに、わしはだんだんこういうことを信じるように
> なった、――この兄はわしの運命にとって、神の指標とも予定ともいうべき役割りを勤
めた、とな。
ある人物との出会い。しかもそれはひじょうに短い言わば瞬間的ともいえるような出会い
だったかもしれない。
それが年齢を経るに従って、それは「神の指し示していたもの」「神によって予定されて
いたもの」(宗派によっては仏とおきかえてもいい)そう感じられてくるような人生の出
会い!
大なり小なりだれの人生にも思い当たるのではないか? だから大事なのは、その心の奥
底にねむっている原点をたいせつな思い出を、いまいちど思い出すことじゃないか? ぼくはアリョーシャの言葉が気に入ってる
「これからの人生にとって、何かすばらしい思い出、それも特に子供のころ、親の家にいるころに作られたすばらしい思い出以上に、尊く、力強く、健康で、ためになるものは何一つないのです。
君たちは教育に関していろいろ話してもらうでしょうが、少年時代から大切に保たれた、何かそういう美しい神聖な思い出こそおそらく最良の教育に他ならないのです。
そういう思い出をたくさん集めて人生を作り上げるなら、その人はその後一生、救われるでしょう。そして、たった一つしかすばらしい思い出が心に残らなかったとしても、それがいつの日か僕たちの救いに役立ちうるのです。」
「ああ、子供たち、ああ、愛すべき親友たち、人生を恐れてはいけません!何かしら正しい良いことをすれば、人生は実にすばらしいのです!」 本棚にゲーテファウストがねむってる。
100円で路上の段ボール箱で見つけたのさ
ほんとに本が読めなくて
目が悪いからなあ、ハズキルーペがあったらいいのか?
マンの魔の山もいつまでたっても読まないなあ >>50
たとえば中国史には光武帝というすごい人がいてだね
並外れた力量を持っている凡人(常識人)もいるわけだよ
だから能力と人格はあまり関係ないと思う
実際、多くの奇人はただ周囲に嫌われているだけで、能力は低く、社会の底辺にいる
でも阮籍のような奇才もいるだろうし
李賀のように後世の人に評価される狂人もいる
馬謖のように「言が動を超えた(ようするに口だけ)」結果
やらかして斧で斬首される秀才もいる
日本では東條英機がこのタイプだろうけど
あるいは辻正信とかね
人間の能力と評価は本当に難しい もっとも、今のような時世に、人間に明瞭さを要求するとしたら、
それこそ要求するほうがおかしいのかもしれぬ。
ただ一つ、どうやら確実らしいのは、この男が一風変わった、
むしろ奇人に近い人物だということである。
しかし、偏屈とか奇癖とかいうものは、個々の特殊性を統一して、全般的な乱雑さのうちに、
ある普遍的な意義を発見する能力を、与えるというよりは、むしろ傷つける場合が多い。
奇人というものは、たいていの場合に、特殊で格別なものである。
そうではないだろうか?
ーカラマーゾフ 序文よりー >>56
> ミケランジェロやレオナルドダヴィンチは典型。
> ……余りにも天才。
> 健常人からは距離の感覚を払拭し難い蓋然性。
> では〜(-^ ^-)♪
なんかテクスチャー的にちがうんだよね〜〜
職業人として究極的絵画技法のひとですよね。ボク的にはむしろ
>>54
> もっとも、今のような時世に、人間に明瞭さを要求するとしたら、それこそ要求するほうがおかしいのかもしれぬ。
> ただ一つ、どうやら確実らしいのは、この男が一風変わった、むしろ奇人に近い人物だということである。しかし、偏屈とか奇癖とかいうものは、個々の特殊性を統一して、全般的な乱雑さのうちに、
> ある普遍的な意義を発見する能力を、与えるというよりは、むしろ傷つける場合が多い。
> 奇人というものは、たいていの場合に、特殊で格別なものである。そうではないだろうか?
> ーカラマーゾフ 序文よりー
で表現されてることこそ、もっとも美しくすばらしい人間像ということじゃないかと? >私 は アレクセイ を 自分 の 主人公 と 呼ん で いる けれど、 彼 が 決して 偉大 な 人物 で ない こと
は、 自分 で よく承知 し て いる。 従って、『 あなた が アレクセイ を 主人公 に 選ん だ のは、 何 か
偉い 所 が ある から です か? 誰 に なんで 知ら れ て いる の です か。 一体 この 男 は どんな こ
と を し た の です? どういう わけ で 我々 読者 は この 男 の 事蹟 の 研究 に、 暇 を つぶさ なけ
れ ば なら ない の です?』
と読者から質問されるだろう、というのだ。
その答えは
>『 ご 自分 で 小説 を 読ん で ご覧 に なっ たら わかる でしょ う』 と 答える ほか ない
これはつまり「ひとことではいえない」という意味ではないか?
>私 にとって は 確か に 優れ た 人物 で ある が、 果たして これ を 読者 に 証明 する こと が 出来る
か どう か、 それ が 極めて怪しい
>つまり 彼 は 事業家 で ある けれど、 曖昧 で はっきり し ない 事業家 なので ある。
アレクセイを「事業家」とよんでいる。これは第二部をも視野に入れた発言であろうか。「曖昧 で
はっきり し ない 」事業家だと。
いわゆる「偉大 な 人物 で はない」
ミケランジェロやダヴィンチのごとき偉人ではない
なにか特別な能力をもっていたのでもない
誰 に なんかで 知ら れ て いるのでもない
そういった何重もの「非」によって、逆証明される優れた人物ではないか?
>ただ 一つ ほぼ 確実 らしく 思わ れる のは、 彼 が 奇妙 な、 むしろ 変人 とも 名 づく べき 男 だ と
いう こと で ある。 しかし、 奇妙 な こと や 変 屈 な こと は、 注目 の 権利 を 与える より、 むしろ
傷つける 場合 の 方 が 多い。 ことに 現代 の 如く すべて の 人 が、 部分 を 統一 し て、 世界 全体 の
混沌 の 中 に、 普遍的 意義 を 発見 しよ う と 努め て いる 時代 には なおさら で ある。 そう では な
い か?
変人 は いつも 部分 もしくは 特殊 に 限ら ない のみ か、 かえって 変人 こそ 全体 の 核心 を 包蔵 し
て、 その他 の 同時代 の 人間 は 何 かの 風 の 吹き 廻し で、 一時 変人 から 離れ た もの に すぎ ない、
という よう な 場合 が しばしば だ からで ある…… ギャンブル依存症だけではないよ
幼児虐待までやってるし
くだらない虚栄心のためには平気で駄法螺をふく
しかし、小説家というのはそんなものだよ
屑に徹した人間ほど人間存在の深奥に近づくのは
人間というものの本性がどうしようもないほどの屑だという事だろう
人間は他者から賞賛される限りにおいて自分を卑下する
というのはラ・フォンテーヌの箴言であるのだが
太宰やドストエフスキーの場合はもっと屈折していて
他者の賞賛を勝ち取るためにあえて自己を卑下する
その際に自己の暗部を人間一般の業として普遍化するので
その告白が受難者のそれとして聖性に転化する
しかしこういう見え透いた戦略は自意識に滓として残るので
さらに苦しい言いを訳続けなければならない
この人たちは生きている限り救われることは無いね
かといって開き直るほどのふてぶてしさもない
ようするに弱者でしかないのだが、
悪あがきを続けるのも人間の一生であるので アリョーシャを「愛の天才」「形而上的・霊的世界へのセンスを持った青年」
あるいは単に「育ちのいい」「生まれつき性格の温和な青年」と考える人も多いし、
作者もそういう方向で描出してみせる面もある。
ぼくは違うと考える。
俺達は誰でもアリョーシャとなれる。むしろもうすでにアリョーシャだとさえいえる。
この作品を愛読し、その姿に憧れるその一点のみにおいて。 無駄に改行して頭悪い中学生のブログみたいだな
くだらない信念の表明は他でやってくれよ
> 声闘(ソント)とは朝鮮人の古くからの風習で声の大きさで相手の言論を封じること。
> 人と議論をするとき、議論の内容は関係なく、ただ大声で早口で居丈高に話し、
> 相手が何も言い返せなくなれば勝ち、というしきたり。
韓国系創価学会員の書き込みには辟易する >>75
> ゾシマ長老は死後死体が腐敗したエセ聖人
その解釈おかしいでしょww
カラマーゾフの兄弟を理解できてないよw
おれといっしょに第六編から第7篇を精密に読んでゆこうな
> つまりその生まれ代わりの池谷大作もニセモノ
そのネタすきやねwwww あんまくだらないと、そのうちアボンするよWWWW? 何年も前から思ってたけどいま告白しちゃう
このスレでおれと同レベルの愛情をこめて
ドストを読んでいる子はひとりしかいないね
おれはそいつのためにだけ書いてる
もちろんタイピングそのほかが不得意なだけで、
深く情熱をもって読んでいるメンバーは複数いるでしょうが https://ja.wikipedia.org/wiki/太宰治#創作、乱れた私生活
>除籍になった10日後の11月28日、銀座のバー「ホリウッド」の女給で18歳の田部シメ子と鎌倉・腰越の
>海にてカルモチンで自殺を図る。だがシメ子だけ死亡し太宰は生き残る。この事件について太宰は『東京
>八景』『人間失格』などで入水自殺と書いているが、当時の新聞記事では催眠剤を飲み海岸で倒れて
>いるところを発見されたと報道されている
https://ja.wikipedia.org/wiki/小山初代
>この後、太宰と共に谷川温泉付近でカルモチンにより自殺を図ったが未遂に終る。
太宰は2人殺している、一人は未遂に終わっている
心中って信じてるか? >太宰は2人殺している、一人は未遂に終わっている
おんなは好き好んで恋愛ロマンスで死んだんだろ?
当時の法律じゃ、そんなものは処罰される対象じゃなかったんだろ?
それに殺人殺人って大騒ぎするが、日本人の大半は中絶などで我が子を殺してるけどな。笑い事じゃなく。
ましてや、ドストがクズってWW なにを根拠に書いてんの? この核エネルギーは途方もなく強力で、それは肉体の免疫システムを弱体化させ、
人々は肺炎やインフルエンザ、慢性疲労、癌、 HIV/エイズなどに抵抗できなくなっています。
【3.10、3.11】 東京大空襲「逃げるな耐えろ」死者10万、福島原発事故「安全だから住め」死者毎年20万
https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1552189012/l50
逃げて、逃げて、福島から、早く逃げて! 薦 むる 詞
はや
昔 我が 濁 れる 目 に 夙く 浮び し こと ある
よろめけ る 姿 ども よ。 再び 我 前 に 近づき 来 たる よ。
なんだち
いで や、 こ たび は しも 汝達 を 捉 へん こと を 試み ん か。
我 心 猶 そのかみ の 夢 を 懐かしみ す と 覚 ゆ や。
せま
汝達 我 に 薄 る。 さらば 好し。
靄 と 霧 との 中 より
我 身 の めぐり に 浮び 出 でて、 さながら に 立ち振舞 へ かし。
つら
汝達 の 列 の めぐり に 漂 へる、 奇しき 息 に、
我 胸 は 若 やかに 揺ら る ゝ 心地 す。 >>96
>相手だけが死ぬようにできれば完全犯罪か?
少し話が変わるけど、イワンが家路に向かう途中で酔っ払いが寒い中に道端でで倒れている場面がある
一度は見過ごすが、結局は手を貸すのだけれど、もし放置したならば、それは殺人になり得るのだろうか
もちろん良心の呵責の問題であって、法で殺人を問われることはないけれど、こういう良心の問題を突き詰めていくと、どれだけ多くの見過ごしを行なってきたのだろうと思う
そしてイワンは父親の殺人は見過ごすが、酔っ払いは見過ごさなかった
悔い改めたと読むのは深読みし過ぎなのかな >>99
> 少し話が変わるけど、イワンが家路に向かう途中で酔っ払いが寒い中に道端でで倒れている場面がある
> 一度は見過ごすが、結局は手を貸すのだけれど、もし放置したならば、それは殺人になり得るのだろうか
> もちろん良心の呵責の問題であって、法で殺人を問われることはないけれど、こういう良心の問題を突き詰めていくと、どれだけ多くの見過ごしを行なってきたのだろうと思う
>>100
> 寒中の酔漢については「義を見てせざるは勇無きなり」だけど
10年くらい前までの こちらの地域では、真冬あちこちにホームレスがフトンなしで寝てたけどな。
しかも「だれひとり」そうした人のために動こうとするヤツはいなかったね。僕自身も含めて。
良心の呵責にも、「義を見てせざるは勇無きなり」など考えたこともなかったね。
... ... だからゆってるんだ! もはやだれも意識しないほど悪に加担してるとね!お上の言うことには逆らわない。
多勢につく。こういう社会を構築してきたのは、まさに「無宗教あたりまえ。信仰?バカのすること」という
日本人たちだよね! そうだ、書き忘れた。上に挙げたホームレスの例だけどね、これは市ひいては、
国家意思なんだ。国としてこういう人間は助けない、という行政の意思決定なんだよ。 >>103
> 家路で、真冬の寒い日の夜中に明らかに飼い犬の脱走に出会った事がある
> 首輪を付けた犬が道の中央をテクテク歩いていた
> とっさのことで、しかも運転中で、外は寒かったのと噛まれるんじゃないかという不安で、見過ごして走り去ってしまったのを覚えている
> 帰ってからとても後悔した、罪悪感すらあった
> もしかすると首輪に住所とかあったかもしれないとか色々考えた、引き返そうかとかも考えた
> でも結局その時は何もしなかった
きみはアレクセイみたいだなあ! でもワンちゃんって、飼ったことないから知らんけど、寒くても平気なんでしょ?
そんなのほっといたらいいのに。 サンスクリット語:Angulimālya
パーリ語:Angulimāla अंगुलिमाल
他の音写:鴦掘摩羅、鴦仇摩羅ほか
音写(略):鴦掘摩、鴦掘など
訳(意訳含む)・意味:一切世間現、指鬘など
釈尊が在世の時代の古代インドで、多くの人命を奪い、人々から恐れられていたアングリ
マーラを巡る説話
――ある時、釈尊の姿を見かけたアングリマーラは、釈尊の命を奪おうとして、後を追い
かけた。
しかし、どれだけ足を速めても、釈尊のそばにはたどりつけない。
業を煮やした彼が立ち止まり、釈尊に「止まれ」と叫んだ。すると釈尊から返っ
てきたのは、「アングリマーラ、わたしは止まっている。おん身が止まれ」との答
えだった。
自分は足を止めているのに、なぜ、そんなことを言うのかとたずねるアングリマ
ーラに対し、釈尊はさらにこう答えた。
「止まれ」と言ったのは足のことではない。次々と命を奪うことに何の痛痒も感
じない、その行動の奥底にある害心に対し、自らを制して止まるように言ったので
ある、と。
この言葉に胸を打たれたアングリマーラは、害心を取り払って悪を断つことを決
意し、手にしていた武器を投げ捨てた。そして釈尊に、弟子に加えてほしいと願い
出た。以来、彼は釈尊に帰依し、自らが犯した罪を深く反省しながら、贖罪の思いを込
めた仏道修行にひたすら励んだ。 ――アングリマーラが托鉢をしながら街を歩いていると、難産で苦しんでいる一
人の女性を見かけた。何もできずに立ち去ったものの、女性の苦しむ姿が胸に残り、
釈尊のもとに赴いてそのことを伝えた。
釈尊はアングリマーラに対し、女性のもとに引き返して、次の言葉をかけるよう
に促した。
「わたしは生まれてからこのかた、故意に生物の命を奪った記憶がない。
このことの真実によっておん身に安らかさあらんことを、胎児に安らかさあらんこ
とを」と。
自分が重ねてきた悪行を知るがゆえに、アングリマーラは真意がつかめなかった。
そこで釈尊は、アングリマーラが害心を自ら取り払い、深く反省して修行を重ねて
いることに思いを至らせるかのように、改めて彼に対し、女性にこう告げるように
呼び掛けた。
「わたしはとうとい道に志す者として生まれ変わってからこのかた、故意に生物
の命を奪った記憶がない。このことの真実によっておん身に安らかさあらんことを、
胎児に安らかさあらんことを」と。
釈尊の深い思いを知ったアングリマーラは、街に戻って女性に言葉を捧げた。す
ると苦しんでいた女性は穏やかな表情を取り戻し、無事に子どもを出産することが
できたのだった――
この二つの出来事を通して、釈尊がアングリマーラに促したことは何であったか。
それは、彼を長らく突き動かしてきた害心に目を向けさせて、悪行を食い止めた
ことにとどまりませんでした。母子の命を助けるための道を照らし出し、アングリ
マーラが自らの誓いをもって“命を救う存在”になっていく方向へと、心を向けさせ
た 蓄積された罪業が縁となって来世の運命が決まる
というのがインド系宗教の基本的発想
だから人々は断食や禊といった宗教儀式で
この悪縁を断ち、輪廻の輪から逃れようとした
「その努力は無駄だよ」
と言ったのが仏陀であり
修業よりも瞑想の方をすすめた
まあ瞑想で自我を解体すれば転生の主体は消失するので
輪廻転生やそも原因となる業縁という問題設定も霧消する アンチや逆張り野郎だけならまだしも
IDコロコロのキチガイまで湧いてきたから
次はワッチョイにしよう こう言うやつがいつか包丁持って外に飛びだすかと思うと怖い
5chでのあらしが悲惨な人生の癒しになるなら
多少目を瞑っても良いかなとさえ思ってしまう
とにかく外に出ないで引きこもってて欲しい テテとかガン無視して欲しい。いちいち相手してたらキリないしな
スーパー6終了後に美味しいとこ狙ったビュテみたいなもんだわ。 >>854
バンタム級否定ではないが
世界(アメリカ)で稼げるようになるには最低でもフェザー以上
Sバンタム以下はどんなに強くても国内で防衛戦してた方が稼げるのは事実じゃね? 井上って上の階級の並王者より普通に稼いでるけどな
多分バンタムかSバンタムで億行くぞ そりゃ今の王者飽和時代
フェザー以上でも並王者じゃアメリカでもたいして稼げないだろ なにも海外で稼いでるやつと同じ事をする必要もないだろう
P4P一位でなくても既に井上は軽量級のオンリーワンのスターになってる
欲をいえばSフェザー辺りまで制覇してほしいけどそれができないからといって評価は下がらん >>902
稼げるっていうのは具体的に幾らくらいの事言ってる? トランプがボクオタで井上に是非会いたい!とリクエスト
宮中晩餐会に招待される妄想してみた ロマチェンコは1億ちょいだな
サーマンが1億後半から2億
スペンスが2億から3億 >>906
具体的な値段なんてそれぞれだろうが
アメリカで強敵相手にリスク犯しても軽量級だから数千万と
国内で適当な雑魚相手に同じ数千万を複数回防衛なら国内の方が良いだろ? サーマンはパック戦がキャリアで一番稼ぐ試合になるよな
PPVだしかなり見込めそう 間違いなく井上はアメリカの方が稼ぐだろ
優勝したらトップランクと契約もするしロマゴン超えは確実 稼ぎより名誉
これまでの王者との格の違いを見せて欲しい
階級上げろうるさい奴は無視でOK >>911
アメリカで軽量級でそこまで大金が動くかね?
ロマゴンもいつもゴロフキンのアンダーカードだったイメージだが フェザーのサンタクルスですら1億越えることがあまりないんだよな リカルド・ロペスはタイソンやトリニダードの前座だったが
ラスベガスで井上が挑戦者を迎え撃つ形でメインをはれたら
「軽量級でも」の枠がついにとれる トップランクとの契約内容は軽量級では破格と記事に出ていたがどんな内容なんだろうか バンタム級、Sバンタム級に井上並みのパンチ力のファイターっている? パンチだけならドグボエやネリ、ドネア
当てる技術はないみたいだが
KO率だけ見るとガバリョもパンチだけは強いかも ドネアがトップランクと契約した全盛期は最低保証が70万ドル
どんな相手でも最低7000万貰えた
ドネアの最高額がリゴ戦の120万ドル
井上はこれ以上の条件なら軽量級では最高条件やと思う
どんな強くても軽量級ではこの辺りが限界額
ロマゴンの最高額も80万ドル
リゴの最高額もドネア戦の70万ドル
井上は今一試合5000万前後ぐらい 軽量級としては過去最高となるなら充分だな
加子の?どの偉大な軽量級の王者たちより最大級の評価を受けてるってことだし ドネアにしろサンタクルスにしろフランプトンにしろ
誰もかれもちょっとピーク過ぎてるんだよな
近い階級に評価上げられる対戦相手がいないって不運だよな バンタム級で井上抜きだと一番強いのがロドリゲスって評価になってたしな
もう頂上決戦が済んでしまった ドネア
ロドリゲス
テテ
バーネット
モロニー
ネリ
分かりやすくA〜Eでランク付けしてみてくれ >>908
ロマチェンコってその程度なのか
ショック 井上にも、7年前のドネアにとってのリゴンドー的な相手がいればいいんだけどね ドネア戦の後Sバンタムでローマン倒してその後フェザーに上げてラッセルとバルデス倒したらかなり評価上がるんだけど 井上尚弥が今がピークなのかも正直よく分からんからもう少し試合積んでから階級上げても全然良いと思う それでもロマチェンコ級の評価になるのはかなり遠いか アメリカ人やメキシカンの超人気選手に勝たないとなかなか知名度やファイトマネーは上がらんか
そのへんパッキャオは恵まれてたな〜 ただ井上の場合日本の大企業がスポンサーに付いてくれれば
ファイトマネーだけならロマチェンコ超えは可能なんじゃね? >>933
アメリカあたりで名を売りたい企業にとっては井上のスポンサーになのはいいかもね この活躍なら追加で日本企業のスポンサー付きそうだな 少し前ならフランプトンやクイッグがいたのになぁ。二人の全盛期に井上との試合が見たかった。普通に井上負けもあり得る相手だからな。
今のSBには井上を脅かす相手いないでしょ? リゴンドーのウィキ見たらアラムと仲悪いから井上との対戦は無さそうだな
ネリもヘイモン傘下だしドネア戦クリアしたら無双状態が相当長い間続きそう テレビでやってたけど井上ってボディ弱いんだろ?井上と同じくらい破壊力あるボディ打ってくる敵が現れたら負けるだろうな レス数が900を超えています。1000を超えると表示できなくなるよ。