【WBSS 】ノニト・ドネアVS井上尚弥 2
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在日?あー、わざと大久保とかにすましてる人とかか?
知り合いに北朝鮮人がいて催事でわざわざ日本に来て焼肉売りに来てたらしいけど別に金がもらえるわけですね。売り上げとは別に、、
反日ビジネスでしょー。
分けといたほうが楽だからなだけだよ。統治する側が、、、少子化が進んだ途端韓国と北朝鮮あれやん。
別に悪気あるわけでもないけど、北と日本は相変わらずにしとかないとね、で、米軍超低空飛行とかね。 >>283 真実は君の近くにある?
要するに被害者は陰謀論より集ストに目をやれって言ってんでしょう?
わかりやすいミスリードだな。まだ陰謀論の方が事実に近いから君は言っているだけだな。
うえに言ったようにそれをまともに信望すると挫折するけどね。
サイエントロジー会員を警察は犯罪犯しても立件できない。
これは陰謀論ではないです。 別に被害者じゃなかったら君ここに何しに来てんのって言ったら警察として来てるだけだな。
警察が被害者が妄想者ばかりだと書き込みを読んでわかるならほっとけばいいわけね。
なんでスポンサーとかつかせる必要性感じるわけ?戯言言わせとけばいいのでは?
集団に属してで妄想しようが個人で妄想しようが妄想は嘘ですね。さっき矛盾の間にあっての話ししたばっかでこれだからやれやれなのは俺の方。
>>302
警察に言えなんて言ってないだすよ
今の警察なんてあてにしたって集スト対策にはならないんだからさ
ただ視点は直接触れる奴にすべきだってことだよ
その先までかんぐってもどうにもできないだから
メンヘラが薬の知識おぼえてくような無駄なことだ 井上の最強性に勝てないからコピペで無駄な抵抗を図る知恵遅れ
この知恵遅れがいくら頑張った所で現実の井上には何のダメージもなく井上最強時代を築いてるから
知恵遅れは自我崩壊してるだろうなwww 空振り多いと又ワケわからん言いがかり付ける気違いが沸いてくるから悔しいんだ。きっちりとどめ差して欲しい。 マクド戦でもガードされてるなか左フッククリーンにぶち込んでるしな
あれで完全に戦意喪失、セコンドも慌ててエプロン上がってるしレフェリーも亀のマクドの表情しっかり見てる
パヤノ戦はいうまでもなし
ロド戦もカメラに写りにくかっただけでボディきっちりブチ込んでる
空振りなんてタガイ一人が騒いでるだけでしょ
世間で空振りなんて思ってる奴一人も居ないよ 2回目のボディダウンとか的確過ぎるだろ
冷静すぎて怖い 闇雲に振り回して当たったってパンチじゃないしな
右振ってガードさせて空いたとこにリバーブローズドン
2回目のダウンで心折れなかったロドリゲスは賞賛されるべき タガイは皆が賞賛する井上の欠点指摘して勝手に八百長に結びつけて俺カッコイイみたいな短絡的な男だし
タガイの指摘する欠点も八百長も材料が薄過ぎて自演で自画自讃する毎日だ
可哀想過ぎてかける言葉もない 井上はパッキャオ超えなんて狙う必要ないんじゃないかな?例え戦績で超えてもあそこまでの評価は難しい。パッキャオはレジェンドのまま、誰も超えられない、それで良いような気がする。
そしてWbss獲った後は安売りせず海外で試合するならメインイベントじゃないとやらない、それくらいのスタンスで進んでほしいね。 心配しなくても井上本人が目指してないと思うよ
インタビューから見ても行けてフェザーという感じに受け取れる
バンタムとSバンタムでパッキャオを超える試合を見せて欲しい ドネア倒した後、戦うモチベーションをどう保ち続けるか、だよね。 重量級とは住んでる世界が違うもんな
住み分けは大事
軽量級のモンスター、それでいいじゃん
何が不満なのか 井上のKOが見たくてPPVでもいいから見たいって人が増えれば
大した相手じゃなくてもいい、並の王者とはお金の単位が1桁違うんでしょ?
そのうちにライバルが現れてビッグマッチが出来るよ 何を今更
まぁニワカが増える事もファンが増えたと思えば良い事かもな とりあえずフェザー級で都合6階級だからそこが区切りでしょ
それ以上は人外の領域 Sバンタムに上げて相対的に実力が落ちるのか変わらないのかそれとも上げて来るのか
これでフェザー進出を決めるだろうな
これは誰にもわからないが上げてくる可能性もあると思う パヤノ、井上の一発で大の字w
こんな試合が一番面白いな >>803
バンタムとSバンタムでパッキャオを超える試合って
どんなの?マクドネルやパヤノみたいに1R
でKOし続けるとか?
野球で言えば他のアジア人が
レジェンドのイチローを超えるのは無理みたいなもんか
>>805
そこはテテやウーバリーと統一戦でしょ バンタムのパッキャオは超えてるという評価だね
まぁそれは誰が見てもわかるか
パッキャオは階級幅が半端ない ウェルターに上げてからのパッキャオは16勝して3KO
パンチがないって言われてたメイウェザーよりKO率は低かったんだよな パッキャオってバンタムでやってたのか
そのころのパッキャオなら井上勝てる? パッキャオはSバンタムだな
フライの井上とパッキャオならどうだろうか パッキャオはSウェルターまで取った凄さは有るけど
その階級で桁外れに強かったかと言ったら
そこまででも無いんだよなあ
強いは強いけど >>812
統一ねぇ、、、テテやウーバリーって悪いけど大した相手じゃないのは明らかだし
あんなのに勝って統一したってフラストレーション溜まる一方って気がするなぁ
見てる方は楽しいけど、本人はつまらないと思う ハットン戦は井上レベルだよ
あれがSライトだった事を考えると異常だよな >>819
いや、それでも十分やる価値はあるだろ
テテやウーバリー倒せば3、4団体統一王者だぞ?
マクドネルやロドリゲスにテテやウーバリーも倒せば
バンタムで現役全員倒したことになるし
そうなればPFPもまた上がるだろう >>821
◯◯戦はーって切り取らないといけない時点で
階級階級での強さはそこまでじゃないんだよなあ
階級上げてもパフォーマンスがそれほど落ちなかったのは凄いけど >>823
そもそも本人がやりたがってんでしょ?
ならモチベーションが落ちることは無いよ
俺はすぐにでもSバンタムで見たいけどね
まあマネジメントはトップランクが上手くやってくれるよ すぐに上げないって言ってるし王者潰していくんでしょ
普通に見たいわ トップランク社と言えば、伊藤負けちゃったね
そうだね、テテ相手に試合開始10秒KO食らわすとかだったら文句なしに面白いけどなw いくらキャッチで弱らせてもコットやマルガリに井上はあんな勝ち方出来ないだろ パッキャオですらウェルター級以降は急激にKOが減ってる
井上も上げていくごとにKO自体が減るのは当然だと思う >>818
アジア人かつ元フライ級でウェルターのトップ戦線にいるだけで色々ありえんからOK ライトで石松と戦ってたと思ったら数年後にはミドル級取ってたデュランってやっぱりばけもんやな 井上を狩るために近い階級から強豪が集まれば面白い
Sバンタムでそうならんかな バンタムは狩り尽くしたし
Sバンタムはそもそも大したやつが今居ないし
フェザーからメジャークラスのチャンピオンが
わざわざマイナーなSバンタムに落とすとも思えんし
井上がビッグマッチ望むなら自分がフェザー上がるしかない
通用するしないは抜きにして サリド戦のロマチェンコみたいになるとも限らんしなあ
サリドは体重超過、クリンチ、ホールド、頭突き何でもやってきてロマチェンコに敗けがついた バンタムは狩り尽くしてないだろ
最強ではあるだろうが証明する必要がある
圧倒的な試合で湧かせてくれそう >>834
Sバンタム以下は強い奴とビッグマッチして名前を上げるより
タイトル取ったら自国で適当に防衛戦重ねた方が稼げるイメージ テテウーバーリは格下だしバーネットは失陥・転級したしネリはベルト持ってないし
ドネア戦終わった時点での状況見て判断するんじゃないかな? フェザー級はヘタレのハーンとかいうプロモーターががっちりプロテクトしてるから今上げてもうまみは小さい
もっと流動化した時にならともかく ロドリゲス戦のようにワクワクできる試合は当面無いだろね。
負けちゃうかも、とか思えなくなってしまった(´・ω・`) ロマチェンコは169センチでライト級
パッキャオは168センチでスーパーウエルター級
こいつは167センチでバンダム級。
スーパーフェザー級〜ライト級が適正体重じゃないの?
スーパーフェザーじゃ埋もれますとか、それって弱いから無理して減量して弱い階級でイキってるだけじゃん。
強いだの最強だの馬鹿みたい。 井上実質4階級目やからな
バンタムではあきらかに体小さい
163しかないからなぁ
それでもドンドン階級上げてデカイやつ強豪を簡単に倒してる
亀田三男は173ぐらいあるの必死に下の階級で試合
強豪からは逃げ回り雑魚ばっかり
しかも毎回雑魚にすらグダクダの判定
体格有利やのに亀田三男のSバンタムのKO率0%ww
久保と亀田三男はマジで本物の雑魚
こんな弱いボクサーは亀田長男以来やわ >>842
馬鹿なのはお前だ
お前の言う通り
ほんとにスーパーフェザー級〜ライト級が適正体重
ならその階級でやってるわ
無理して減量してるなんて井上本人が言ったわけでもねーだろ
アホ >>842
ライト級の世界ランカーだつた坂本は身長172で井上よるもはるかにガッチリした体格だったから井上がライト級は無理でないの? >>842
クルツィゼ167 元ミドル級暫定王者
ロマチェンコやパッキャオも無理して減量して弱い階級でイキってるだけか? バンタムでは全く小さく無いよ
身長だけで測れないし
ライバルと比べても上半身大きいし 世界的スーパースターになりたいならライトでデカいヤツらボコボコにするぐらいじゃないと フェザーごときじゃ全然注目浴びれない 井上を否定しようとしてバンタム級自体を否定してるアンチがおるな
バンタム級好きだけどな、俺は >>845
こマ?
亀田3てSBでKO1回もしてないの?
SBで何試合してるんだ? ドネアに勝てばモチベーション維持するには他団体のチャンピオンとの統一戦しかない 井上陣営は判断を間違えたりはしないだろう
素人の意見にも全く影響されないと思うから安心しろ 井上もだけど日本人選手ってなんでパンチ出すとき過剰にシュッシュと言うのか ロスチャイルドを理想にするアルカージー少年の若々しい自意識を書いたのが、54歳であったという
50になったら未成年の頃の気持ち何て忘れているよね
「わたしには金は必要でない、というよりは、わたしに必要なのは金ではない、と言ったほうがよかろう。威力でさえもない。
わたしに必要なのは、威力によって得られるもの、そして威力がなければぜったいに得られないもの、それだけなのである。
それは一人だけのしずかな力の意識である!
これこそが、世界中が得ようと思ってあれほどじたばたしている自由の、もっとも充実した定義なのである!」 >>969
> 私の小文『宣告』は、人間存在の根本的な最高の思想、つまり人間の霊魂不滅の信念の
必然性、不可避性について論及している。
人間存在の根本的な最高の思想 = 人間の霊魂不滅の信念
しかもそれが
必然性、不可避性 であること。
> つまり、自分の魂とその不死に対する信仰なしには、人間存在は不自然であり、考えら
れず、また堪えがたいものだ
> 「論理的自殺」によって死につつあるこの人間の告白の裏付けとなっているのは、今す
ぐこの場で次のような結論を出す必要があるということである。
「論理的自殺」によって死につつあるこの人間
とは、
この場合だれを指すか?
> 最も優れた観念なしでは、人間も国家も存在することはできない。
> ところでこの地上における最も優れた観念はただ一つしかない。
> つまり、人間の霊魂の不滅についての観念である。
> というのは、人間が生きる拠りどころとなっているすべての残りの「最も優れた」観念
は、この一つの観念にのみ源を発するからである。
この信仰が源となって、文化文明社会制度そのほかいっさいの人間の営みが活力を得て持
続する。 >不死の観念喪失の場合の自殺は、まったく不可避であり、必然的なものとさえなってお
り、
彼(いじめ自殺の中学生)は不死の観念喪失ゆえに、自殺したのか?もともとその観念が
なかったのか?
>逆に不死は永遠の生命を約束することによって、それだけ強く人間を地上に結びつける。
永遠の生命の約束を確信しきってなかったがゆえに、かれはこの地上を投げ捨てたのか?
>自分の不死に対する信念がなかったら、人間と地上のとのつながりは切れ、より細く、
腐ってゆく。
彼(我とおきかえてもよい)信心弱きゆえに人間と地上のとのつながりは切れ、より細く、
腐っていったのか? >そして人生最高の意味の喪失は、疑いもなく自殺を招来する。
不死についての観念、これは生命そのものであり、生きた生であり、生命の決定的な公式
であり、人類にとっての真実と正しい意識との主要なる源泉である。
自殺のいろいろな事実を叙述し、ついでこれらの自殺について私がどのように考え、また
どのようにそれを説明するつもりなのかとたずねる手紙を非常にたくさん受け取っている。
------------------------------------------------------------------
私はこれらの自殺のすべてに説明を与えようとしているのではないし、そんなことはでき
ない。
しかしそのかわりに、この自殺者たちが、その大部分、全体として、直接間接に、同じ一
つの精神の病から、自分たちの魂の中に存在することについての最高理念の欠如からわが
身を滅ぼしたのであると、私は確信して疑っていない。
------------------------------------------------------------------
天才ドストエフスキーのこの断言をどう思うか? このいじめ自殺は該当しないのか?
「この自殺者たちが、その大部分、全体として、直接間接に、同じ一つの精神の病から、
自分たちの魂の中に存在することについての最高理念の欠如からわが身を滅ぼした」の
か?
ぼくはこれは観念論ではない、と思っている。事実そのままだと考える。ぎゃくにいえば、
最高理念なきものは、かならず自殺して終わる(自殺的な形をとって)とおもう。
ですから結論的に、わたしたちは残りの人生のすべてをささげて、この最高理念の獲得に
「のみ」生きなければならない! 不死がないならもはや生きていけなくなる、これはトルストイも似たようなことを言ってる
死ぬこと自覚した時、生の付属は意味を失う
なぜなら、すべて例外なく誰もが、死ななければならなだから
やがて死すべき存在であるという事実に直面した時、挫折・絶望し、いかなる幸福も光を失う。──「死の竜と、私の生命の綱である灌木の幹をかじる鼠とを見ると同時に、いかなる蜜の甘さも私には甘美でありえなくなったのである」(トルストイ『懺悔』) > >哲学的学術的文学的な深い教養をひけらかしつつ、
> >信仰に「ペッペッ」とツバをはきつけてまわっている。
> 「ぺっぺ」と言えば、ドストエフスキーの小説ではよく出てくるが、
> ロシア語版だとどういう表現になっているのだろう?
> 翻訳者はこういうところでセンスを問われている
そうだね。ぼくもドストエフスキーからこの表現をおもいついた。眠くないとき調べるわ。 >>13
> 創価学会に非ずは人に非ず
> 公明党に投票しなさい
確かにまちがいなく「おれの心の中の本心」ではそう思っている。
そして「公明党に投票」すれば、「ぜったいに幸せになれる」しあわせへの一歩を開く。
おまえの人生のいっさいが開けていく―と断言できる。
しかし。「そんなことをこのスレで書くのは」いたずらに反感をかい、ある意味差別であり、広宣流布において
逆効果である。 > 人生は幸福か、それとも苦痛か? 宗教が繰り返すそれは実に無益な問いであった
> 幸福は苦痛によって、苦痛は幸福によって、弁証法的に発展し続ける
> ――人間とは、揺れ動き続ける状態である(『銃夢』)
-------------------
このジュームとかいう作品は有名なんか? 作者オニオンじゃねww?「宗教」とひとまとめにしてもなあ!
古人は近現代の思想家なんかより異次元の思索をしてるんだぜ? それこそ日蓮大聖人なんか釈迦や
ドストエフスキーでさえ んこ というぐらい深いんだよ。ただ、小説として「思想をドラマチックに
表現できるところ」はすごいね。ドストエフスキーやトルストイは。
> 今日もすばらしい書き込みを授けよう
おまえは「ぜんぜん凄くない」とわかってるから、そんな変な前置きを書くんだろう?WWW 人間を自然化してとらえるならば、人間社会で選ばれた人間はあらゆる法と制度の枠組みを越える権利を持つのはその通りといえる
越えるとは縛られないものであり、社会において、罰せられないという事と同義である
その証明は歴史であって、同時に人間社会での話に限られる英雄でもある
自然は強きを重んじ弱きを軽んじる
だけど人間は何時でも自然に従うのみなのだろうか
自然を人間化して考える事が間違いなのだろうか
そうならば、その時ラスコリニコフの論理は破綻する
凡人と非凡人の価値観は消え失せ、別の何か新しい価値が創造されるだろう
その新しい価値での非凡人という概念が生まれるのかもしれない
それは愛と呼ばれるものだったりするのかもしれない
と、ぼくはそう思う >>855
4試合ぐらい
しかも全員無名の本物の雑魚
そいつらに毎回グダクダの判定
メディナには鼻血出され顔ボコボコにされた
久保と亀田三男はマジで弱い
王者の実力は間違いなくない >>24
お帰りw
しかしむずかしいな。
>人間を自然化してとらえるならば
冒頭からかなり理解しにくい。そこ以降はだいたいわかる。罪と罰を読んでいるから。
>自然を人間化して考える事が間違いなのだろうか
またしても、わからなくなった。ただひとつわかるは「あなたはいつも真摯にドストエフスキーについて
考えている」こと。 >>25
お久しぶりです
最近色々あって書き込めなかった
なんとなく伝わっているなら良かったです
おそらくここでは、なんとなく、汲み取ってくれる人がいると思う
このなんとなくがイデア的に重要だと思ってる
言葉が重なるとはそういう事なんだろうね >>28
> 言葉足らずだったけど、そういう人も含めて自然から人間を見ると強者になる
> 才能とか高知能とか強靭な身体の持ち主とかも
> つまり物資的な、という意味が内包される
イヴァンが使っていた「自然法則」ですね。
> 一方で人間を人間として眺めれば、精神とか形而上的な感情とか、もしかすれば優しさなどの情緒さえも飛び抜けていれば、新しい非凡人の価値になり得るかもしれない
> その時に最上の人間的な価値があるとすれば愛ではないだろうか、という持論です
そうです!そうです!「優しさ」こそ人間が持ちうる最大価値です。愛という言葉は混乱を呼びがち。それは
せっこすの愛ではないし、恋愛の愛でもない。仏教の文化圏の用語に翻訳すれば「慈悲」です。しかもいま
話されていることは、特定の文化に限定されたものではない。言葉の表面的な字面なんか関係がないんだ。
ゾシマやアリョーシャは「愛のひと」だったし、イヴァンやミーチャは心の奥底に慈悲や愛を内包してはいたが
それは、日常の振る舞いに自然とあらわれるものではなかった。
ラスコーリニコフもしかりです。青年期の各過程をドストエフスキーはとらえ、それをば巧みに形象化し表現した。
> だけどドストエフスキーだってゾシマやアリョーシャの生みの親なんだから、そういう思考はあったはずと思う
いちばん忘れがちで、こんかい目が覚める思いしたのはここ。ゾシマやアリョーシャのもつ、わたしたちが
あこがれる、あの大感情も、天上の高みへと登っていくあの苦悩も、ちっぽけな自分を制覇しようとする
あの勇気も、悪からの誘惑を退ける瞬間的な愛の爆発も。
すべてドストエフスキーの「心」から生み出された。それはまったく同じものが、いやそれどころか
はるかに壮大かつ深甚のものがあるから、できるワザです。 ぼくは、論議しやすくするために、映画やまんがの登場人物のように
イヴァンやミーチャは一段低い劣ったもののごとく言い、ゾシマやアリョーシャは
ただ崇高そのものの人物と書くが、ぼくの真意はちがう。
彼らはすべてロールモデルです。問題はだれに自分を当てはめて考えるか?です。
ぼくたちは若い頃ラスコーリニコフを読んで、彼に同化した。青少年にとってひじょうに同化しやすい
共感しやすい人物像を、若い詩人であるドストは創造したから。 ぼくは告白しますが、若いときからこんにちに至るまで
ぼくのロールモデルはつねにアリョーシャです、でした!
あなたがたにも、そうなってほしい。イヴァンやそのほかを捨て去ってください!
「えw?おまえのどこが、アリョーシャ?」かって?
そんなことはイイんです! 自分の中で卑小なものを見つけたら、その都度修正して見つめ直せば。
「いや、むしろここはフョードルでゆこう!」「こういう腹たつやつには、スヴィドリガイロフしたれ!」
という感じでゆきましょうww ところでな、アレクセイ、わしはこれまで幾度となく心の中で、そういう顔を持っている
おまえを祝福したものじゃ、今こそ打ち明けて言ってしまう。」長老は静かな微笑を浮か
べながらこう言った。「わしはおまえのことをこんなふうに考えておる、――おまえはこ
の僧院の壁を出て行っても、やはり僧侶として世の中に暮らすのじゃぞ。いろいろ多くの
敵を作るだろうが、その敵さえもおまえを愛するようになる。また人生はおまえに数々の
不幸をもたらすけれど、その不幸によっておまえは幸福になることもできれば、人生を祝
福することもできるし、また他の者にも祝福させることができるであろう――それが何よ
り大切なのじゃ。よいか、おまえはこう言ったふうな人間なのじゃ。皆さん。」と彼は喜
ばしげにほほ笑みつつ、客人達の方を向いた。
(我)
1,>そういう顔を持っている
とは、目が大きいとか、賢そうな顔をしているとかではなく、福運が如是相に出ていると
いうことだと。
2,>おまえはこの僧院の壁を出て行っても、やはり僧侶として世の中に暮らすのじゃぞ
この僧院を出て俗世で暮らすのは、その目的は「自分自身が」人生を祝福し、「他の者に
も」祝福させるためである。つまり「自他ともに幸福になるため」である。僧院の中にい
るよりも、アレクセイは俗世間においてこそ、より大きな仕事をなすからである。 3,>いろいろ多くの敵を作るだろうが、その敵さえもおまえを愛するようになる。
これこそ信仰者にとってもっとも大事な生き方だとおもいます。最後は信頼されるという
こと。だから勇気です。
4,>また人生はおまえに数々の不幸をもたらすけれど、その不幸によっておまえは幸
福になることもできれば、人生を祝福することもできるし、また他の者にも祝福させ
ることができるであろう――
青年がもっとも信頼し傾倒しきっている長老、その言葉は奇跡としてぜったいに予言通り
になると。だからこそアリョーシャは、今後の人生においてなにが起きようと、どんな不
幸な事件が来ても、長老の自分にたいする予言を思い出し「自分はぜったいに幸福にな
る」「苦悩を使命に変える」「他の人々をも救いきっていく」そういう使命が自分にはあ
るのだ! と考える。そしてじっさいにいかなる堕落からも立ち直る。
--------------
「第六編 ロシヤの僧侶」ぜんぶんにコメントをつける
を一ヶ月ぶりに再開します。上は前回までのところ 「この若者の顔がわしの心にとって、なぜこれほど懐しいものになったかというわけ
を、いままで当人のアレクセイにさえ一度も言うたことがない。今はじめてこれを打
ち明けますじゃ。
>(我)先生はゾシマ長老の生まれ変わりなどではない。先生は先生。小説中の登場人物
たるゾシマはゾシマだ。
しかし、その精神の核心部分はひじょうに似ている。それは弟子をきづかい、その成長を
祈り、ときには厳しく指導する。それはなんのためだ?ほんとうの幸福をつかませるため
だと思う。仏にするためだと思う。
この少年の顔はわしにとって、まるで追憶と予言のように思われ
る。わしの生涯のあけぼのに、わしがまだ小さな子供のとき、ひとりの兄があったが、花
の盛りの十七やそこらの年に、わしの目の前で死んでしまいましたじゃ。
>(我)このゾシマと同じような体験をぼくは持たないが、しかしここに書いてあること
はストンとぼくの胸におちてきた。当時少年のぼくにさえ。
その後、自分の生涯を送って行くうちに、わしはだんだんこういうことを信じるように
なった、――この兄はわしの運命にとって、神の指標とも予定ともいうべき役割りを勤め
た、とな。 >>36
> その後、自分の生涯を送って行くうちに、わしはだんだんこういうことを信じるように
> なった、――この兄はわしの運命にとって、神の指標とも予定ともいうべき役割りを勤
めた、とな。
ある人物との出会い。しかもそれはひじょうに短い言わば瞬間的ともいえるような出会い
だったかもしれない。
それが年齢を経るに従って、それは「神の指し示していたもの」「神によって予定されて
いたもの」(宗派によっては仏とおきかえてもいい)そう感じられてくるような人生の出
会い!
大なり小なりだれの人生にも思い当たるのではないか? だから大事なのは、その心の奥
底にねむっている原点をたいせつな思い出を、いまいちど思い出すことじゃないか? ぼくはアリョーシャの言葉が気に入ってる
「これからの人生にとって、何かすばらしい思い出、それも特に子供のころ、親の家にいるころに作られたすばらしい思い出以上に、尊く、力強く、健康で、ためになるものは何一つないのです。
君たちは教育に関していろいろ話してもらうでしょうが、少年時代から大切に保たれた、何かそういう美しい神聖な思い出こそおそらく最良の教育に他ならないのです。
そういう思い出をたくさん集めて人生を作り上げるなら、その人はその後一生、救われるでしょう。そして、たった一つしかすばらしい思い出が心に残らなかったとしても、それがいつの日か僕たちの救いに役立ちうるのです。」
「ああ、子供たち、ああ、愛すべき親友たち、人生を恐れてはいけません!何かしら正しい良いことをすれば、人生は実にすばらしいのです!」 本棚にゲーテファウストがねむってる。
100円で路上の段ボール箱で見つけたのさ
ほんとに本が読めなくて
目が悪いからなあ、ハズキルーペがあったらいいのか?
マンの魔の山もいつまでたっても読まないなあ >>50
たとえば中国史には光武帝というすごい人がいてだね
並外れた力量を持っている凡人(常識人)もいるわけだよ
だから能力と人格はあまり関係ないと思う
実際、多くの奇人はただ周囲に嫌われているだけで、能力は低く、社会の底辺にいる
でも阮籍のような奇才もいるだろうし
李賀のように後世の人に評価される狂人もいる
馬謖のように「言が動を超えた(ようするに口だけ)」結果
やらかして斧で斬首される秀才もいる
日本では東條英機がこのタイプだろうけど
あるいは辻正信とかね
人間の能力と評価は本当に難しい もっとも、今のような時世に、人間に明瞭さを要求するとしたら、
それこそ要求するほうがおかしいのかもしれぬ。
ただ一つ、どうやら確実らしいのは、この男が一風変わった、
むしろ奇人に近い人物だということである。
しかし、偏屈とか奇癖とかいうものは、個々の特殊性を統一して、全般的な乱雑さのうちに、
ある普遍的な意義を発見する能力を、与えるというよりは、むしろ傷つける場合が多い。
奇人というものは、たいていの場合に、特殊で格別なものである。
そうではないだろうか?
ーカラマーゾフ 序文よりー >>56
> ミケランジェロやレオナルドダヴィンチは典型。
> ……余りにも天才。
> 健常人からは距離の感覚を払拭し難い蓋然性。
> では〜(-^ ^-)♪
なんかテクスチャー的にちがうんだよね〜〜
職業人として究極的絵画技法のひとですよね。ボク的にはむしろ
>>54
> もっとも、今のような時世に、人間に明瞭さを要求するとしたら、それこそ要求するほうがおかしいのかもしれぬ。
> ただ一つ、どうやら確実らしいのは、この男が一風変わった、むしろ奇人に近い人物だということである。しかし、偏屈とか奇癖とかいうものは、個々の特殊性を統一して、全般的な乱雑さのうちに、
> ある普遍的な意義を発見する能力を、与えるというよりは、むしろ傷つける場合が多い。
> 奇人というものは、たいていの場合に、特殊で格別なものである。そうではないだろうか?
> ーカラマーゾフ 序文よりー
で表現されてることこそ、もっとも美しくすばらしい人間像ということじゃないかと? >私 は アレクセイ を 自分 の 主人公 と 呼ん で いる けれど、 彼 が 決して 偉大 な 人物 で ない こと
は、 自分 で よく承知 し て いる。 従って、『 あなた が アレクセイ を 主人公 に 選ん だ のは、 何 か
偉い 所 が ある から です か? 誰 に なんで 知ら れ て いる の です か。 一体 この 男 は どんな こ
と を し た の です? どういう わけ で 我々 読者 は この 男 の 事蹟 の 研究 に、 暇 を つぶさ なけ
れ ば なら ない の です?』
と読者から質問されるだろう、というのだ。
その答えは
>『 ご 自分 で 小説 を 読ん で ご覧 に なっ たら わかる でしょ う』 と 答える ほか ない
これはつまり「ひとことではいえない」という意味ではないか?
>私 にとって は 確か に 優れ た 人物 で ある が、 果たして これ を 読者 に 証明 する こと が 出来る
か どう か、 それ が 極めて怪しい
>つまり 彼 は 事業家 で ある けれど、 曖昧 で はっきり し ない 事業家 なので ある。
アレクセイを「事業家」とよんでいる。これは第二部をも視野に入れた発言であろうか。「曖昧 で
はっきり し ない 」事業家だと。
いわゆる「偉大 な 人物 で はない」
ミケランジェロやダヴィンチのごとき偉人ではない
なにか特別な能力をもっていたのでもない
誰 に なんかで 知ら れ て いるのでもない
そういった何重もの「非」によって、逆証明される優れた人物ではないか?
>ただ 一つ ほぼ 確実 らしく 思わ れる のは、 彼 が 奇妙 な、 むしろ 変人 とも 名 づく べき 男 だ と
いう こと で ある。 しかし、 奇妙 な こと や 変 屈 な こと は、 注目 の 権利 を 与える より、 むしろ
傷つける 場合 の 方 が 多い。 ことに 現代 の 如く すべて の 人 が、 部分 を 統一 し て、 世界 全体 の
混沌 の 中 に、 普遍的 意義 を 発見 しよ う と 努め て いる 時代 には なおさら で ある。 そう では な
い か?
変人 は いつも 部分 もしくは 特殊 に 限ら ない のみ か、 かえって 変人 こそ 全体 の 核心 を 包蔵 し
て、 その他 の 同時代 の 人間 は 何 かの 風 の 吹き 廻し で、 一時 変人 から 離れ た もの に すぎ ない、
という よう な 場合 が しばしば だ からで ある…… ギャンブル依存症だけではないよ
幼児虐待までやってるし
くだらない虚栄心のためには平気で駄法螺をふく
しかし、小説家というのはそんなものだよ
屑に徹した人間ほど人間存在の深奥に近づくのは
人間というものの本性がどうしようもないほどの屑だという事だろう
人間は他者から賞賛される限りにおいて自分を卑下する
というのはラ・フォンテーヌの箴言であるのだが
太宰やドストエフスキーの場合はもっと屈折していて
他者の賞賛を勝ち取るためにあえて自己を卑下する
その際に自己の暗部を人間一般の業として普遍化するので
その告白が受難者のそれとして聖性に転化する
しかしこういう見え透いた戦略は自意識に滓として残るので
さらに苦しい言いを訳続けなければならない
この人たちは生きている限り救われることは無いね
かといって開き直るほどのふてぶてしさもない
ようするに弱者でしかないのだが、
悪あがきを続けるのも人間の一生であるので アリョーシャを「愛の天才」「形而上的・霊的世界へのセンスを持った青年」
あるいは単に「育ちのいい」「生まれつき性格の温和な青年」と考える人も多いし、
作者もそういう方向で描出してみせる面もある。
ぼくは違うと考える。
俺達は誰でもアリョーシャとなれる。むしろもうすでにアリョーシャだとさえいえる。
この作品を愛読し、その姿に憧れるその一点のみにおいて。 無駄に改行して頭悪い中学生のブログみたいだな
くだらない信念の表明は他でやってくれよ
> 声闘(ソント)とは朝鮮人の古くからの風習で声の大きさで相手の言論を封じること。
> 人と議論をするとき、議論の内容は関係なく、ただ大声で早口で居丈高に話し、
> 相手が何も言い返せなくなれば勝ち、というしきたり。
韓国系創価学会員の書き込みには辟易する ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています