【1970年代 ボクシング総合スレ 52R 】
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昔は現役の日本、東洋王者も海外遠征してたんだよなあ
花形進のように大金星を挙げた例は少ないが 花形トーレスUはつべにアップされたことがあるね
フットワークが軽快で結構いい試合だった。
花形サラバリアTは見たことないですね。 花形トーレスUはつべにアップされたことがあるね
フットワークが軽快で結構いい試合だった。
花形サラバリアTは見たことないですね。 桜井孝雄もメキシコでオリバレスと闘ってたな。二団体時代やジュニア・フェザーが
できてれば世界王者になれてただろうに。 井上尚弥、2Rに17戦無敗のIBF王者ロドリゲスから3度のダウンを奪って圧勝。
これでWBSS決勝進出とIBFタイトルを奪取してWBAとの2冠王者に。 これでもまだ原田が井上よりも強いと思ってる人達がいるんだよね いや実際に原田の方が上だろう
井上の相手にジョフレクラスはいないからな >>150
ロドリゲスはジョフレ以上だろ。
当時の軽量級なんて中南米とアジアのタイ、フィリピンくらいしか
選手がいない選手層が薄い階級だし(韓国では当時はマイナー競技)
そんな上京なのに原田は既に全盛期を過ぎたメデルにノックアウトされてるしな。 ファイティング原田とか、アホみたいなリングネームだな >>151
おいおいw 原田に時代は1団体8階級 今は4団体17階級ダイヤモンドにスーパーに
暫定アリ ベルトの価値が天と地ほど違う 井上が原田と比較されるとしたらフェザーを統一して
からだろう >>143
シゲ福山の大金星の試合の映像はあるのかな 見てみたい あと洪vsカラスキリャも 井上は海外世界戦でも無双できる初の日本人世界王者だぞ。 >>153
挑戦者を王者が選べたけどな。
それも実績のない奴を無理やり世界ランク入りさせてな。
多くの本当に強いボクサーが挑戦権を得られずに潰れて行った。 ポーン・キングピッチみたいに日本の選手とずっと試合してたら、そりゃ怒るわな。
あれが分裂の一因じゃないのか ポーンvs関
ポーンvs野口
ポーンvs原田
原田vsポーン
ポーンvs海老原
海老原vsポーン
確かにあの時代にこんだけ、約四年間にタイ王国と日本で独占してしまっては他の国は怒るよな。
それが分裂の原因かどうかはしらんけど。 白井さんの頃は アメリカ(ハワイ)イギリスフィリピン
白井さん陣営が回避した南アメリカ(ズールー族)
と世界中でタイトル戦やってる感じ
そりゃそうだよね
8人しか世界王者いないんだから 強い相手との対戦を避ける王者も少なくなかったからな。
一団体時代の王者が今の王者より価値が高いとも言えないよ。 >>163
まぁ確かに 白井さんも デューク トゥリは
危険だと逃げたし
ジョフレもジョーメデルから逃げたし
無冠の帝王がいた時代 ジョフレはメデルをノンタイトル、タイトルマッチともKOしてるんだが
いつ逃げたんだろ ファメションー原田@の様に露骨なホームタウンデシジョンの時代でもあったしな。
挑戦者が相手のホームで判定で勝つのはよほどのことが無い限り無理だった。 >>165
ノンタイトルの前だよ 衰えたところでやった
ちなみに ロイコバもメデルKOしてる >>166
あれは酷かった 有色人種に三階級制覇させない
という事情もあった
返す返すも西城が逃げなければ達成できてたのに >>168
タイでのポーンと海老原のリターンマッチも酷かった。
当時小4だったけど親父とラジオの実況を着てたんだけど
アナウンサーがポーンがロープにもたれかかったところで
レフェリーが両者を引き離した。
普通ならロープダウンでカウントを取るのにレフェリーは撮らずに
ポーンにダメージを回復する時間を与えた。
しかもそういう場面が何度かあり、
実況も「これはおかしい」と言ってた。
後日、試合のフィルムが日本で放送されたが、その場面の数ラウンドの
フィルムだけは送られてこなかった。 >>167
いや、全盛期がいつかという問題はあるが
原田をKOする前のメデルをジョフレはKOしている
メデルはがほぼ全盛期だったんじゃないかな 訂正
× アナウンサーがポーンがロープにもたれかかったところで
〇 アナウンサーの実況ではポーンがロープにもたれかかったところで 8人しかいない世界王者が大体年2回しか防衛戦しないから年16試合。
月に1〜2回しかなかったわけだからな、今なら毎日どこかで世界戦してる >>172
当時は一応は最長でも90日以内に防衛戦を行う事という決まりがあったから
数日間のラグはあっても王者は年に3〜4回は試合してるよ。 >>174
45日だった。
しかも初回の明らかなスリップをレフェリーの吉田勇作がダウンと判定。 >>175
ひでぇ 今じゃ考えられんね
この吉田って輪島vs内藤で無意識で立ってるだけの
内藤に何度もやらせて
あわや殺しちゃいそうになったレフェリーだろ? >>175
ロイヤルvsれんとうきん を見たんですか?
どんな試合内容でした? >>176
輪島ー柳才斗@で輪島を倒した柳のゴング後の反則パンチを見逃したのも吉田。
そのダメージで輪島は次の回にノックアウト負け。
抗議した三迫に吉田は「ゴングと同時だった」と言い訳。
しかし、ゴングと同時というならカウントを取らなければならず、
カウントを取らなかったという事は吉田はあれがゴング後の反則パンチと
解かっていたという証拠でしかない。 >>177
初回に小林がスリップしたのを吉田がダウンと判定。
それ以後は最終回までレントウキンが逃げ回って試合にならず、
結局、初回のダウンの失点で小林が判定負け。
今でいう塩試合以下の酷い凡戦だった。 >>179
逃げる挑戦者に「ロイヤル10ーれんとうきん9」てな採点までつけられる展開でもなかったのでしょうか?
聞いてるだけでは残念な感じですが >>178
これじゃ 吉田は 韓国に接待漬けかハニトラで
弱みでも握られたとしか思えんね
日本人が日本人の敵になってどうするよ?
まだ生きてるの? ロイヤルも追えなかったし判定は妥当
初回のダウンも蓮のパンチも当たってるからしょうがない >>183
触った程度で当たったとは言えないな。
レンのパンチをスウェイしたところでスリップしただけって感じだった。
吉田があれを「ダウン!」と宣言した時にソウルの観客でさえ意外性に
驚いてどよめいてたほどだった。 >>181
吉田勇作レフェリーだっけ?
とうに亡くなられてるはず >>185
途中カツラ付けてリングに上がってた時期あった >>186
マジで!
昔は 吉田、森田、内田、福地、サラサス
とか名前覚えてたが最近はマーチンくらい 輪島の防衛戦なんてレフェリー、ジャッジ、4人とも日本人というとんでもない審判構成だった
アルバラードに14Rまで一方的に打たれて最終回KOされた試合も立ってさえいれば輪島の防衛という手はずだったw
日本もかなり怪しい世界戦はやっていた 日本で日本人王者の防衛戦ならレフェリー、ジャッジ3人とも日本人。
外国人王者の防衛戦ならレフェリーが中立国、ジャッジはお互いの国から
一人づつというのが多かったな。アポロ−ビラフロア戦は3人とも日本人で
引き分けに、柴田−マルセル戦ではなぜか一人いた韓国人ジャッジが
柴田の勝ちをつけて命拾い >>188
実際に14Rまでの採点は輪島がリードしてたな。 日本もかなりインチキ臭いことをやってた 殊更にファメションを引き合いに出すが
ファメションは半年後に再戦を日本でやって原田を倒してるのだから立派なもんだよ
日本は再戦はしても日本国内しかやらない ポーンはオプションでタイでやらざるを得なかっただけで。 具志堅のフローレス初戦も怪しいよな
ま、ボクシングは強い奴が勝つんじゃなく
買った奴が強い競技だからな >>194
工藤ーゴンザレス@もな。
ま、工藤は再戦ではTKO勝利したけど。 70年代のデンキンやロザディラが悪徳のイメージがある ギブス、マカンテは善玉イメージ 5点法10点法も混在していた時代
小熊カントTが5点法だったら外人審判2人は
どう採点していたかな 70年代はWBA.が5点法 WBCが10点法みたいだったな
輪島がアルバラードにKOされた試合もCのフリーノックダウン
制だったらレフェリーが強引に立たせて輪島のハンテ防衛
なんて飛んでますないことが起きたかもしれない ダウンが無くても10−8(7)をつけてたね
柴田ボラノス、石松ロハス、小熊ゴンザレス2
そうなると大場花形戦の13Rも10−8花形か 郡司さんの採点は 5-5 の 良い分 だと
思ってた幼き頃 どの試合か忘れたが輪島がめちゃくちゃな採点してたの覚えてる >>199
当時は一方的に打たれてもレフェリーがストップを滅多にかけなかったから。
今なら10−8くらいの一方的な展開になったらレフェリーストップで終了。 ロープダウンを廃止したのは合点がいかないな まだやれそうなのにいきなりストップというのが多い
劣勢でちょっと打たれてても打たれ強いボクサー 回復力の早いボクサーはいるからな
一度ロープダウンをとってレフェリーが状態をチェックするというのは事故防止にもなると思うが・・ >>200
それ自分もそう。いいぶん、という日本語だと思ってた。ある日
海外の採点表見てEがついてるのを見てEVENだと知った。 >>204
ワシだけじゃなかったんだなー
みどる きゅう って単語もミドリが浮かんだし
フライ きゅう も美味しそうだなー
なんて小学一年って可愛い 5点法の頃に解説者が
「5対4,5という採点法があるなら赤コーナーですけどね」と聞いた事がある
だから10点法が採用されたと知った時には「今後は微差が10−9」明確に
ラウンド支配したら10−8でダウン取ったら10−7か6だと勝手に思い込んだ
10点法って5以下を利用しないなら意味無くね?計算しやすいから10点満点にしたの? ハグラー・デュラン戦で吉田勇作ジャッジがつけた判定が10-10イーブンが多かったのがアメリカのマスコミに批判され
あの時初めて10点法の意味を日本で認識されたように記憶している 海外では80年代からラウンドマストシステムは確立されててイーブンはつけなかったが
日本だけは10−10をつけていた RMSは不備だ イーブンのラウンドは確実にある
ひと試合に2回まではイーブンをつけていいとか採点法も改革しないと 疑惑の判定が多くなっている メイウェザーvsカルモナ1
クアドラスvsロマゴン
とかもラウンドマストじゃなければ勝敗は逆になったかもしれないよな。
因みに私の採点ではカルモナとクアドラスの勝ちだった。 昨日のヘリングなんかに比べたらアントニオ・アマヤのほうが
遥かにやりにくいわな。 >>199
そうなると柴田エチェガレー14Rは
10−7(公式は三人とも5−4)だね ( ´艸`) ペドロ・ゴメス
アントニオ・アマヤ
エルネスト・マルセル
不気味な挑戦者みたいな新聞記事だった 読売新聞の柴田ーボラニョス戦の予想は柴田の王座陥落だった
柴田は予想が不利の時の方がいい結果を出す 驚異的な戦績で前評判が高かったボラニョスは来日して
公開スパーでガードの甘さと技術の稚拙さを露呈した。 偶然今日ワルインゲ中山のご子息に会った
ご子息は日本で働いていて中山本人はケニアでご健在とのこと >>219
ワルインゲ中山さんのご子息というと
元ボクサーのトム・ワルインゲさんですか? >>220
そうです
トムも日本でプロ入りしてたんですね
トムは今は全く異なる仕事をしています
私は数年前から彼の顧客ですが今日まで彼が
ボクシング関係者だったことを知りませんでした
トムに会うのが楽しみになりました ワルインゲさんて銀メダルなのに最優秀選手に
与えられるバルバーカーカップ受け取ってるんだよな ワルインゲ中山五輪2大会連続メダリスト 世界のトップアマのはずだが異常に弱かった
デビュー2戦目でKO負け 牛若丸にも負けプロ戦績が14勝10敗(7KO負け)
神林会長が大枚叩いて移籍させたボクサーだが・・ >>223
ワルインゲ中山さんが十分に活躍できなかったのは
プロに転向した年齢が28歳とあまりにも遅く、アマのスタイルから抜け切れなかったためでしょうね。
しかし、日本王者になって4度も防衛、世界王座にも2度挑戦したのですから
「異常に弱かった」とまでは言えないでしょう。 >>222
ロイ・ジョーンズと一緒だね
よほど酷い判定だったのかな? ワルインゲ中山五輪2大会連続メダリスト 世界のトップアマのはずだが異常に弱かった
デビュー2戦目でKO負け 牛若丸にも負けプロ戦績が14勝10敗(7KO負け)
神林会長が大枚叩いて移籍させたボクサーだが・・ 金メダル盗まれた小林はボクシング転向しても面白かった
アマレス出身では工藤の例もあるし 首が太いから打たれ強い、クリンチで相手を疲れさせることができる、スタミナ抜群で良いことずくめだ
体力は柔道とレスリングがダントツ
常に力を入れてなきゃならないそうだ
ボクシングはお見合いしてる時にいくらか休めるので、その分だけ組技格闘技に体力は劣るらしい 柔道やレスリングに必要なのは瞬発力。
ボクシングに必要なのは持久力。 >>228
細かいことですが、レスリングの小林選手は金メダルを盗まれたのではなく、紛失したんですよ。
電話ボックスに金メダルを入れたバッグを置き忘れてしまったんです。結局、戻ってきましたが…。 赤井の母親は一昨年のテレビでは商店街を元気に歩いてたけど今年93歳で亡くなってた >>233
赤井の実家って西成区の肉屋さんだっけ? >>147
亀レスですが
桜井 vs オリバレスは米国ロサンゼルスでの試合です
桜井 「日本に比べてマットが柔らかく、フットワークが使えなかった」 桜井さん、ローズ戦は惜しかったですね。
三迫「桜井が負けたんじゃない、俺が負けたんだ」
オリバレス戦も2Rにダウンを奪ってます。 来週19日は井岡が日本人初の4階級制覇を目指してSフライに挑戦
しかし47.6kg〜52.2kgの間4.6kgで4階級ってどうなんだかな
原田はフライからフェザーまで7kg差で3階級にチャレンジしたわけだから
レスリングや柔道なんて5キロ差なんて一階級の内だから ボクシングの複数階級制覇は
甘すぎると思う。 今度の井岡の試合は千葉県で初開催の世界戦なんだな
千葉といえば思い出すのは本多ジム
スパイダー根本と対戦した足立なんとかいう日本ランカーがいた >>238
時代が違うんだから仕方ない
今の階級での恩地による複数階級制覇は、何も井岡だけでなく外国人でも多数いるんだから、そんなこと言ってもって感じ >>240
日本人は出てないが
フォアマン、モリソン、カニザレス揃い踏みが
今は亡き 浦安の東京ベイNKホールであったよ 70代になっている柴田国明が何かボクシング界で活動再開
優秀な人材を見つけてジムに斡旋する仕事だそうな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています