【1970年代 ボクシング総合スレ 52R 】
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日本ボクシング史上最高のボクサー一人だけ挙げろ
と聞かれたら誰の名前を出す? 渡辺二郎 総合的に考えたら二郎になる
二桁防衛 敵地防衛 統一戦 ヘススが徹底的に打ち合いを避けたというのも石松の力だからな
ただg減量が無謀過ぎてピークが短かった感がある >>7
ガッツは評価していいね
デュラン、ヘスス、ゴンザレス、ブキャナンといった
高レベルのライト級一線級と戦って3勝2敗で勝ち越している ガッツは見た目はすごく頭悪そうだが、実は非常に頭が良い
やくざ者8人を相手にした池袋事件での概要は以下のとおり
ガッツは大勢を一度に相手にすると勝ち目はないと判断し、
ビルの隙間に逃げこみ、追いかけてきた相手を一人ずつ、
全て一発目のパンチで倒した
大勢を相手にする場合、非常に合理的な戦法であり、それを
いざというときに瞬時に考え付いて実行出来ることが素晴らしいね ガッツが高評価なら柴田もだな メキシコ不敗の英雄をギブアップさせたのは原田がジョフレに勝った
のと同格の快挙だろう 二郎が高校からボクシングを始めてたら20歳くらいで
世界とって20かいくらいぼうえいしてただろう >>11
そのうちIBF、WBOも立って70年代スレは4つになるかもw >>13
一度現役を引退した後にカムバックしたサルディバルは
柴田と対戦した時は全盛期を過ぎていた
原田はジョフレの全盛期に二度勝っている。ジョフレの
生涯敗戦は原田に負けた2敗のみ
柴田の実績も立派だが、原田には及ばないよ >>18
だな。
しかもジョフレは一度引退後にカンバックしてフェザー級の王者にもなった。
そんなジョフレを2度も破った原田は間違いなくグレート。 >>18
それなら原田はジョフレのホームで勝てたかということだ
初戦は日本でやったから勝てたようなもの 70年代は敵地挑戦のハンデは大きかっただろう
それとサルディバルがピークを過ぎてたというのも怪しい 柴田戦の時は無敗だったし 柴田側に立てば
柴田に削られたということも言える 原田と伍する名ボクサーだ 古山もペリコ戦が日本でやれたら王者になってたのにな ボクシングはジモハンなんて当たり前だったからな
海外でやるときはKOしないと勝てないとよく言われていたもんだ 勝てない位ならまだいいクソみたいな選手に反則されまくって事故で
廃人になったスーパースター候補もいる
アルゼンチンだとKOしても勝てないことがあるしw >>23
籍光徳は気の毒だったよな。
あとオーストラリアでの原田も。 メキシコのテレビ局から映像を引き出すのはかなり難しいんだそうだ
RJ大したもんだな 関サルディバルやロスカンペオン 柴田は二度海外でとってるからな 原田もファメション戦は勝ってたし海外でも十分やれただろう 原田とキングピッチUも、自分の見た感じ、原田の勝ちだけど敵地だしな…判定がキングピッチに流れるのも仕方ないかな?て内容だった。
あそこで順当に評価されて原田の判定勝ちになってれば、日本人の引きこもり体質も多少早めに緩和させてたのではないかな? 2度目の引退をしていたサルディバルがまたカムバックして
いきなりノーランクのままでジョフレのWBCフェザー級王座に挑戦
結果はKO負け・・・
お互い全盛期にやっていれば最高の好カードだったろうけど お互いの全盛期にやってもジョフレの圧勝だろ。
原田に敗れた後に引退して、その後7年間のブランクを経て37歳でカムバック、
いきなりフェザー級王者に挑戦してタイトル奪取。
ジョフレは怪物だよ。 ジョフレレグらはユーチューブにあるから見てみるといい完敗だよ
ゴミ記事のウィキにはでたらめ書いてあるけど そうそう
よくジョフレイが高齢でフェザー級でカムバックしたからゴイスーなんて書いてあるけど
酷いジモハンなんだよな
あれ見て凄いなんて言えるかっての >>32
ホセ・レグラ
151戦135勝(49KO)12敗4引分け
KO率は低いが、キャリアが凄い >>35
スニーカーはずっとNBだったけどスケッチャー買おうと思う 2つ同じスレがあるから、それぞれ読むのがめんどくさいなぁ
1970年のボクシング雑誌では、新興WBCの世界王者は 「まるで妾の子のようだ」 と書いてあった >>38
確かにあの頃はリングアナの選手紹介で
本日のメインイベント WBC世界・・・・級タイトルマッチ15回戦を・・・
WBAは単に世界・・・級・・・と言っていましたね。 WBC単独日本人王者を列記すると
沼田(Jライト70)
柴田(フェザー70)
柴田(Jライト74)
石松(ライト74)
小熊(フライ74)
R小林(Jフェザー76) 70年代後半になるとWBCの方の王者の方が強かったな ボクマガでもWBA対WBCどっちの王者が強いかなんて記事出てたね。 >>42
ヘビー級がホームズとウィーバーの時、ホームズが前に勝ってると1行で
片づけてたやつかな。 亀田一家とTBSのせいでWBAの印象が益々悪くなった >>43
ペドロサVSロペス、チャンドラーVSピントール
なんかも記事にあったと思うし見たかったな 70年代A,C王者対決が実現したのはモンソンVSバルデス デュランVSへスス 無冠戦で
サモラVSサラテくらいか サラテ、ゴメス戦見たけど
KOの山築いて来たのが不思議だった>サラテ
ふつーのボクサーにしか・・ >>44
協栄は金平ジムの頃から数人も世界王者を出してるけど
ユーリと西城以外は全てWBAだろ。 >>48
ハンドスピードがもっと凄い人だと思ってたよなサラテって ダイヤモンドのバンタム KOアーチスト ピンポイントボクサーなどサラテを形容する言葉は多かったが
実際の映像を見ると極端に広いスタンスでガンガン強打を打ち込む強引なボクサーだった
戦績で誇大妄想をしてしまった代表的ボクサーだな
>>46
ライトヘビーのボブ・フォスターとビセンテ・ロンドンの王座統一戦も
>>49
西城はWBAだよ >>52
じゃ、ユーリ以外は全てWBAって事だな。
亀1の疑惑判定での王座獲得もWBAだったけど
当時の亀は協栄所属だったし。 >>50
>>48
でもサモラをノックアウトしてるんだから全盛期の実力は本物だろ。 ワルインゲさんに直接聞いたけどサラテは死ぬほどパンチあったそうだよ 54戦54勝52KOなんてヤオが入っていないとできない戦績だからな ハル・バグウエルが1938年から1948年まで175連勝してるが
公式試合とは判然としない記録も数多く含まれているので
バッキー・マクファーランドの1905年から1915年にかけての92連勝
ペドロ・カラスコの1964年から1971年の92連勝が記録として使われることが多くなったらしい 世界王者にもなってないボクサーの連勝記録なんてアテにならないな マルシアノだって一晩に4人倒したとかあったんじゃなかったっけ >>52
https://www.youtube.com/watch?v=o8_RKrws5c4
ボブ・フォスター対ビセンテ・ロンドン
70年代には滅多に行われなかった王座統一戦のひとつなんだけど
意外にこのスレでは語る者がいない 元々フォスターが統一王者だったのにWBC王者を量産してたベネズエラが
フォスターの王座を剥奪して作った王者だったからな。王者決定戦も
インチキ臭かったし、試合前からフォスター圧勝の予想だった。 フォスターもWBOとかOIBFがあればヘビー級獲ってたな 長身だし左フックという武器があった >>61
フォスターの王座をはく奪したのは当時には珍しくWBAのほう
フレージャーのヘビー級王座への挑戦で負けた次の試合からWBCのみの王者になってる
よく覚えてないけどWBAの指名試合拒否が理由かな
ミドル級のモンソンがWBCから王座をはく奪された理由も覚えてない >>57カラスコは世界チャンピオンになっている
マクファーランドは殿堂入りには選ばれた モンソンは確かWBCから素行が悪いという理由でタイトル剥奪
じゃなかったっけ? 当時WBAが王座をはく奪したのは
フォスター以外にもナポレスがいる
ACとも指名挑戦者を拒否したのが公式理由
本当は多額の承認料が欲しかったのです。 ロドリゴ・バルデスにもう少し体格があればなモンソンを攻略できたんだけど・・
小さすぎた。173cmでは182cmでリーチがあるモンゾンには届かなかったな >>67
身長166cmでライトヘビー、クルーザーの二階級制覇した
ドワイト・ムハマド・カウィというのがいるんだが。 >>68
カウイの身長はどんどん低くなってないかw ウィキでは170 ボクマガでは168だったが・・
カウイはつべ見ると相手がやり辛そうだった パンチはあるし名ボクサーだったのは間違いない >>70
公表170cm
シューズを履いて168cm
医師による試合前検診での計測では166cm
つまり実寸は166cmなのは間違いない。 カウイはアストロズのアルトゥーべのようだな 190cm越えの投手が投げる160km近い外角ギリギリの球を楽々とレフトスタンドに引っ張っていくパワーと技術 なー 誰か教えて! あっちでも聞いたけど
井上のグラスゴーの中継って
いつ以来の日本人 海外世界戦 地上波生中継?
韓国の 二郎vsユ 以来か?
辰吉のHawaiiも生だったかな?
ググってもわからん >>73
マカオの試合は生だったろう 亀田か木村 去年の大晦日に井岡もどこかでやったぞ そうだそうだ マカオがありましたね
失念してました
ありがとうございました
村田のマカオもやってましたね カウイ対ホリ初戦は2-1の判定なのにリングアナもテレビのテロップもマジョリティデシジョンになってたな タフなブリスコを狙ったパンチで倒したのはバルテスすごかったな
hall of fameの動画がやたらヘビー級が多いのはクレクレ言って代わりに日替わり映像提供してるのが
ヘビー級マニアだから アリはバンベンnなっても年3回くらい防衛戦やってたよな
あれはすごいよ 相手は二流だったけど アリはボクシングの布教にも尽力したボクサー 金目当てで年に1,2試合しかやらない腰抜けとは
スケールが全然違う 当時のアリは側近から末端まで合計すると400人くらい食わせてたというからな。
アリそのものがチョッとした企業のようなモノだ。 >>66
ナポレスは 「WBCだけが正当な団体だと思う」 とか言って
自主的にWBAの王座を返上 そのあとはレナードvsハーンズまでウェルター級王座は統一されなかった
いまの時代だったらクエバスとパロミノの統一戦やってるだろうね >>86
クエバスって一流なのか二流なのか分からんボクサーだわね 試合内容は面白かったし、マネー取れるボクサーだったよ 対戦相手の質を考えればクエバスのほうがパロミノより
上では?ハーンズに負ける前のクエバスならデュランでも
勝てなかったかも。 クエバスはハーンズに負けた時はまだ22歳 老けこむ年でもないのに一気に落ちたな
金が入ってハングリー精神が無くなったんだろ いやうんと若いころからいっぱい試合やると若くして擦り減ることはあるよ
昔の日本の選手が若いうちに擦り減ってやめたろ 試合感覚も短くて年間5試合とか普通だったからな。
当時の海外の選手にはプロだけで生涯で100選以上なんて選手がザラにいた。
しかもそれ+アマで200戦とかな。 あと減量が前日になったのや減量が昔よりだいぶ方法が進歩して減量による摩耗が少なくなったのが
選手寿命の飛躍的伸びに大いに影響してると思うよ >>93
それは確実に言えるな。
輪島が引退したのは33歳の時で、、それでも引退するのが
遅すぎと言われたほどだったからな。
今なら33歳現役なんてザラだし。 パロミノは17年間のブランクののち再起して4連勝、
負けはしたもののウィテカーに善戦した世界ランカーのリベラと判定までいってるんだよな
その時の年齢が48歳、浜さんも「こういったボクシングが出来るんだなぁ」と感心していた 最初の引退までに33試合しかしてなくてダメージのたまる試合もほぼしてない
KO負けもないし頑丈だったんだろうなパロミノ だから再起してそれだけ出来た
レナードもブランクあったっていうけどそれだけダメージ蓄積しなかったし
ハグラー戦まで1年かけて準備してる
因みにパロミノの息子は父親よりレナードの方が強いと言ってたそうだw 輪島は入門3か月でプロテスト合格したとき25超えてた 輪島さんのボクサーとしての活躍は知能の高さが大いに物言ってると思うよ
実際小学校の時は開校以来の秀才って言われていたと聞いたことがある クエバスー辻本戦 ヨネクラは慣例通りエディに
トレーナーを任せれば違った答えが出てたはず
辻本が 松本さんと世界王者になりたいと甘いことを
言ってエディを拒んだらしい 相手のトレーナーは百戦錬磨の
ルペサンチェス 当時の松本では勝てない 練習も全て辻本の
考えを基本に組んでいた 世界を知っているエディにやらせるべくだった
まだザツで試合ムラがあったクエバス 千載一遇のチャンスだった 顎殴られてダウンしたのに衝撃が後頭部まで行って後頭部殴られたのと勘違いして
ファウルアピールしてたな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています