【1970年代ボクシング総合スレ 47R】
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怪物を超える怪物あの時期のレナードに負けるまでのハーンズはフレジャーを宙に浮かせて圧倒して
実質アリに3縦のノートンを失神させたフォアマンに似た感じだった
でアリとレナードは兄弟弟子というところが偶然にしてはよくできてる話 て偶然でもなくレナードがダンディにトレーナー頼んだからだがw リングジャパンのクエバス特集を買ってみたら、その中でジョーさんが言ってたよ。
「クエバス陣営は、ハーンズが怖いのは4ラウンドまで、と読んで前半は打ち合わなかった」
その作戦が裏目に出たんだよな、倒されたかもしれないけどプレッシャーかけて打ち合うべきだった 落ち目のクエバス相手とはいえ黄は敵地と言ってもいいアメリカでよく勝てたな。
不評だったが、カリー戦でもダウンを奪っている。 まったく抵抗できずにハーンズにKOされたセンサク・ムアンスリンの姿は哀れだったなあ
ハーンズはエディ・ガソもKOしてたよね アンジェロダンディの自伝を読んだけど途中からレナードとは合わなくなったらしいね >>744
三原戦が実現していたら、さらに酷い試合というより、公開処刑になったことだろう。 まだ、そこまでは良かった
偽中川とまことが、一緒に活動しはじめたのである
同一人物とバレるとは思わなかったのか >>737
金沢までクエバス辻本見に行ったよ。
クエバスの一目惚れするようなボクシング、いまだに背筋がゾクゾクする。
ハーンズ戦以降のクエバスは、ハーンズに心も体もブチ壊されたと理解してる。 >>749
縁もゆかりもない地方都市での開催でもやっていけた時代だったよね >>750
深夜帯のみの記念うp
削除⊂二二( ^ω^)二⊃ぶーん 柴田 メキシコ・東京・松山・東京・ハワイ・東京・ハワイ
東京*3・福岡・茨城
石松 パナマ*2・東京・名古屋・大阪・東京・大阪
東京・プエルトリコ・東京
具志堅ほどではないが結構巡っていますな 今週の週刊ポスト2018年6月15日号にて、
読者の投票による歴代の日本人ボクサーの格付が載っていて、
具志堅用高、ファイティング原田に続いて、大場政夫が3位だった
確かに名選手だったが、過大評価じゃない? 1970年前後の世界王者達はノンタイトルでも地方で良く試合してたよね でも今考えると大場って当日計量の時代に夜までによく
体調を上げてきたよね。彼らは何キロぐらい増量して
リングに上がっていたのだろう? 上げても数百グラムだろ。
もっともその数百グラムが大きいんだけどな。 西城は新田なんとかいう日本ランクにも入っていない相手ともノンタイトル戦をやった 西城は人気ボクサーの条件を全て満たしていたな
井上がイケメンとされているが西城の方がマスクは数段いいな 1年ぶり書き込むかな
後楽園ホールって昔は後楽園ジムナジアムって名称だったんだな
スタジオがあって日テレの公開放送もやってたよな >>763
直撃! 地獄拳だなw
やたら欧米人をなぎ倒す映画だった記憶があるわ
欧米人を殴り倒し「ジャップの味はどうだい?」
決め台詞は「俺はダウンを知らない男でね」
もうハチャメチャな映画だった 地方開催が多かったのは、売り興業が出来たから。
893に売り切りでチケットの売れ行き心配せんで良いからな。
今では考えられんが。
ノンタイトルは具志堅もコリアンとやったな。
ユーリが最後か?もう二度とないだろうな。 具志堅は大宮スケートリンクだったかな、西城は福岡、札幌、ハワイなど地方巡業なみに
試合してた。 ファン獲得に効果的だったろうね
柴田も名古屋とか茨城でノンタイトルしてたっけ 柴田はビラフロアとの再戦前にやったっけ。世界戦は日テレだったけど、
ノンタイトルは東京12chだった。 小林弘はノンタイトル戦で2敗している
いずれも相手は強豪だったけど >>756
他の選手のように下り坂を見せなかったから過大評価になるのは致し方ない
あと所詮読者の投票(人気投票の側面も少なからずある) 柴田vs鄭,デュランvs石松,マルセルvs根本
アリvsノートン は73年9月 全て12chで放映された
杉浦アナ 海老原さん ご苦労様でした 外へ目を向けるとこの時代の世界王者のノンタイトル戦は盛んだな。
特にアルゼンチン人世界王者は最近まで数多くノンタイトル戦を挙行していた印象がある。 今は無い桜ノ宮スケートリンクでもボクシング興行してた 小林✕西城みたいなキャリアに影響しないようなドリームマッチが組めたのがいいよね。
タイトルマッチにしてしまうと、常に選手生命がかかってしまうような重いものになるけど。
西岡✕長谷川なんて、時代が時代でノンタイトルならできたかもしれない。 マルセルvs根本 ではマルセルの体重は1.5kgオーバー
だったようだ。タイでの花形戦のチャチャイも同様に
魔法の秤が登場した もう日本人の無冠戦はビッグマネーがかかわらない限りないな
つか具志堅がやってから40年以上ないし やる必要もない
昔はマラソンの川内のように練習を兼ねた実践という位置づけでやってた >>774
千里馬がケリーバブルへのOPBF挑戦やった所
初のミドル超えのタイトルマッチに期待するも、
蒸し風呂での凡戦に終わった 756の番付
以下、リングネーム:票数
1.具志堅用高:364
2.ファイティング原田:133
3.大場政夫:70
4.ガッツ石松:55
5.村田諒太:40
6.和島功一:38
7.白井義男:26
8.井上尚弥:25
9.藤猛:23
10.辰吉丈一郎:21
11.山中慎介:20
12.長谷川穂積:17
13.竹原慎二:12
14.渡辺二郎:11
15.内藤大助:9
16.井上一翔:8
17.ピストン堀口:7
18.海老原博幸:6
18.西城正三:6
20.畑山隆則:5 柴田なんて入らなくて当然だ
大した選手じゃなかった
すぐに惨めに王座陥落したしな >>781
当時最強と言われたビセンテ・サルジバルやビラフロアに勝ってるんだぞ。
しかも敵地で。 80年代までは、天才ボクサーと言ったら「柴田」の名前が挙がったもんだけどな
その後は、天才という言葉が幾分安っぽく使われ出したけど >>779
内山が入ってないな。知名度いまいちなのか? ガッツ石松「原田さんが最強。スタミナ・連打の印象が強いが、本当に卓越していたのはディフェンス技術。
柳に風と言う感じで、打たれているようでダメージはもらっていない」 柴田はチビでリーチも短く体格的要素ではボクサーには全く不向きだった
しかし卓越したセンスとスピードで体格面の不利を十分におぎなっていた
もし柴田がもう少し背が高くて打たれ強かったら世界的にも凄い選手になっていただろう 柴田はメキシコでは今でももっとも有名な日本人ボクサー。
サルジバルに勝ったことは当時のメキシコ人には驚きだったらしい。 >>786
それはないな〜 本当に石松が言ったのなら原田先輩を
持ち上げたんだろう 先達には敬意を払う男だから
原田は距離を潰し連打連打で相手に溜めたパンチを打たせない
ボクシング それが最大の防御 ディフェンス技術に特筆すべきものはなかったよ 柴田のステップインは軽やかだった
相手のジャブを交わすと同時に左ボディから入っていけるボクサーは
後の日本から生まれた王者では出来ない芸当
辰吉の左ボディが凄いと評判だったが、バカスカ打たれながら近づき当てるのがやっとで
何処が凄いのかサッパリわからなかったわ マイベスト10
1位 ファイティング原田(実質・当時の3階級制覇)
2位 具志堅用高(13回防衛と連続KО防衛)
3位 輪島功一(2度のリマッチ戴冠、中量級で連続防衛)
4位 渡辺二郎(海外防衛、多団体時代の王者統一)
5位 柴田国明(海外強豪から奪取二度)
6位 大場政夫(永遠のチャンプ)
7位 小林弘(雑草の安定王者)
8位 長谷川穂積(防衛回数、初のPFP10位内、3階級制覇)
9位 海老原博幸(伝説のハードパンチャー)
10位 ガッツ石松(ゴンザレス、ブキャナンを破る名王者) 今だからお前らに教えてやる
エデルジョフレはニューハーフだったんだぞ 今だから教えてやる青木戦前のスパーリングでいいパンチ貰ってジョフレピヨピヨになったんだぞ 青木戦は会場が凍りついたってか戦慄したな
強すぎた青木がボディで悶絶して
とどめのボディで死にそうになったよな
原田より強いはずの青木がな 青木が原田戦の後負けが込み始めたのはパンチアイになっちゃったから
3羽ガラス全員の才能がどの程度か身をもって知ってる人に言わせると
青木がもうずば抜けて才能には恵まれてたとか 柴田国明のフェザー級王座獲得後に行った日立でのノンタイトル戦
当時、自分が住んでいた広島では1週遅れでテレビ放送された >>797
斉藤勝男だったかな、ジョフレは一説にフェザー級時代に一度テンカウントされた試合を
無理強いして相手に倒れて貰ったという件がある
渡辺さんなら知ってるはず >>799
青木は才能があったとよく聞くけど才能とは花開かせてナンボでしょ リングに上がる前に便所で酒を飲むとか・・才能以前に臆病過ぎてボクサーの適性がなかったということだろう 80年代になっちゃうけど上原安恒がサムエルセラノにKO勝したのはびっくりしたな。 似たような話でハグラーが誰だか忘れたがボディブローでダウンとられたといううわさもある
少なくともシブソン戦に向けてのトレーニングでボビーワットにあばら骨を折られて試合が延期になった
ペトロネリがハグラーをダウンさせたらボーナスをスパーリングパートナーにやるという約束が
あったが誰もできなかったらしい
因みにモンローもスパーリングパートナーだった
佐瀬さんが解説で言ってたがスパーリングで一度アッパーカットで
ダウンとられたのを目撃したんだとか
ただ異様な眼の光を放ってパートナーを病院送りにしたんだと >>799
青木は原田戦以降一気に墜落したと言われることが多いが、
実際にはその後で、のちに東洋フェザー級王座を6回防衛した
金鉉の挑戦を退けている
信憑性はわからないが、とある花屋の論評
http://www.ham.gs/boxing.htm
理想的な骨格を持ったボクサーのベストワンは私の知る限り青木勝利だ。
パンチが当たったときの衝撃は、そのパンチの速度の二乗に比例する。
だからこそスプリントが大きな要素とされるわけだ。
ところが青木のパンチにはスピードがない。
速度の二乗だけでパンチ力が決まるのなら、五割を超すKO率が説明できない。
遅いパンチの、もう一つのデメリットは、よけられてしまうことだ。
しかし、青木は確かにスピードこそないものの、パンチを当てる優れたセンスを持っていて、
相当な実力者を相手にしても、一試合の内に、かなりの数の有効打を決めることが出来た。
青木のその緩慢なパンチが、しかし、殆ど「まぐれ」としか思えない程の鮮やかさで決まると、
相手は八割がた倒れるのだ。これは何度見ても腑に落ちない不思議な光景だった。
スピードを補う要素があるとしたら、前述の鋭い指向性だろう。指向性は骨格に依存する。
「青木のパンチのスピード」と「青木のパンチがもたらす結果」との、
このギャップを埋め得るリーズナブルな要素は他に見当たらない。 >>805
青木如きそんなに評価してどうすんだよw パンチはあったけどセンスはなかったと思うけどな 青木を見て今も見てるファンに言わせると努力した青木が井上だという評価もあるよね 勤勉さ メンタルの強さも才能のうちだから3羽ガラスで
肉体的素質だけならずば抜けてたのが青木というべきだな 青木って、とっくに死んでいるそうだけど、最期はどんな人生だったんだろうな 高橋会長追悼記念にうp
https://imgur.com/a/dUSVPpN
すぐに消すから保存は今のうちだぜ(・∀・)ニヤニヤ 才能を惜しまれるボクサーと言うのは網膜剥離で強制引退させられたとか致命的なケガをしたとか
本人の努力ではどうにもできないケースだよ 青木は只の練習嫌いでメンタルも脆弱だったという
自分自身の問題 こういうのは才能がなかったという方が正しい たまに青木信奉者が現れて持ち上げるが
見苦しい限りだ 惜しかったのは田辺清だな、その後の人生も苦労したそうだし 網膜剥離もパンチを受けての事だから本人の責任だよ
田辺はノンタイで王者を仕留めていたから気の毒だが
辰吉みたいに見苦しくしがみ付くのもねえ >>813がどんな定義をしようとも、原田を含め数々の選手が
青木の桁外れの才能を認めていたのは紛れもない事実
才能がなければ、ボクシングを始めて2年半で東洋王座になれるはずがない
もっとも、仮に世界王者になれても、結局は酒浸りになって身を滅ぼしただろう
横山やすしのように、破滅型の天才、才能に依存した重度の社会不適合者 そうは思わんな。青木は才能があった。そこに異論は無い
才能はあるが欠点を持っていた、でよい 日本人ボクサーで最も才能に恵まれ しかし十分に発揮できなかったのは具志堅だと思ってる 高野拳磁が協栄から世界ヘビー級チャンピオン目指すのオレンジ事件で立ち消えなったやろ 高野俊二なんて練習嫌いだし、ボクシングなんて無理無理だよ
プロレスでもスタミナ切れてアップアップしていたし アリとかモンソン ナポレスは後ろに下がりながらカウンターでダウンさせてたよな
ああいうの最近減ったね ダウンを奪い、立ち上がったところを猛ラッシュ
そこでレフェリーストップ
最近のKOは、ほとんどがこのパターンだね
昔は失神KOでもカウントアウトしてたもんなあ
考えたら恐ろしいわ 輪島とかあんなに殴られて、割と元気そうとか信じられんわ。 それに加えて輪島もガッツも大酒のみだったからな
元々の身体が強いのだろうな 今だったらカウント無しで止めただろうノックアウト
柴田対クルス、ベン対柴田リマッチ、輪島対柳第一戦 >>831
今の輪島はヘロヘロだぞ 何言ってるかわかんないし おそらくパーキンソン病だな 今の実況って右ストレートを左と言ったりフックを
ストレートと言ったり間違いが甚しい 昔の実況は
そういう間違いはほとんどなかった 実況というのは
時代が変わっても正確に伝えるというのをモットーにすべきだ ジャブを打った時に
「これはジャブと言うよりストレートですね!」
有象無象の実況の常套句
ジャブやっちゅーねん ジャブって軽く見られてるけど、一発には決定的なダメージを与えることはないけど
打たれりゃ痛いからな。
藤猛なんかジャブを打たれ続けて戦意喪失して試合放棄してるし。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています