【1970年代ボクシング総合スレ 47R】
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>>703
「黄金のバンタム」というニックネームに拘るならジョフレでしょうね。
自分ジョフレ生で見てないんで当時雰囲気とかわからんが。 ジョフレは徹底した菜食主義者で当時の軽量級としては極めて異例で36歳で二階級制覇し40歳まで現役を続けた 菜食主義者が大食漢の原田に勝てなかったのは皮肉か
今日 原田の評価が世界的に高いのは原田戦後のジョフレの節制と活躍によるところが大きい たこ八郎の評価が世界的に低いのは
溺れて死んだから たこ八郎さんが溺れて亡くなった時東スポのトップの見だしが
タコ海に帰る!
これ考えて載せたのが当時ぺーぺーだったけど今の東スポ社長
あとたこ八郎さんは両目見えてたら世界チャンピオンになっていた
デビューしたての大場をスパーリングでダウンさせている >>708
706だけど本当なの
冗談で書きこして失礼なことしたなあ
でも世界戦いくまでにパンチドランカー
になるようじゃ・・・ >>707
アルゲリョは後半オリバレスの手数に押され気味だったが
虎視眈々とカウンターをカウンターを狙っていたな
>>708=>>710
大場をダウンw クソのような嘘を書くなよ しかも自演w 1956年3月6日の浅草公会堂の試合最後にJBC無届けのいわゆる草試合が禁止された
JBC加盟ジムが頻繁にしてたみたい >>710
708
ib違うし自演な分けないじゃん
そもそも褒めてないし
706が死んだオクトパスエイトロー
に対して冗談で失礼だったってだけで >>713
アイビーが同じならそもそも自演とは言わないがw
まー レベルの低い自演だろうw >>714
突っ込まれると思ったけど
PCからスマホに変えて書き込みしてるの
こんな事で自演なんかしても
しょがないだろ
708に聞けばいいだろう
もう相手にしないからな スコット・クイッグに割られた、オスカル・バルデスの顎は
大したことなさそうでよかった。
この試合を観たレジェンドたちは、ウンベルト・ゴンザレス
とマイケル・カルバハルの死闘を思い出したそうだ。
オスカル・バルデスは、身体こそ大きくないものの、身長・リーチ
で上回るクイッグの強打をかわしながら中間距離でコンビネーション
を入れる。
一方、クイッグはロングレンジからの強打で攻め立てる。
バルデスは、顎を割られながらも、攻撃の多彩さとパンチの
正確さでクイッグを凌いで防衛に成功した。
顎の状態を診ながらの調整となるだろうが、今後もバルデスの
エキサイティングな戦いが楽しみである。 メデルは原田戦1で来日したとき
メキシコで肉屋とタクシ屋をやっていた 車は1台で運転手を雇っていた 高橋美徳は極度の近眼だったとかアマチュア実積が考慮されたんか
連習生ならプロテストは受けられないかもね >>721
お前は小学生の漢字テストで漢字も受けろやw >>722
何もそんな言い方しなくたっていいだろう >>725
すいません、もう2度と来ませんじゃなかった?
もう来ませんって何回言うんだよ?
100回か?1000回か? 高橋美徳 対 川上林成 は実現していたら日本ボクシング史を変えていただろう 1970年代というボクシングの繁栄期は、3ボクシングのメッカ2である
アメリカを中心に格闘技ファンが急増した時期だと言われている。
その時期にレナード、ハーンズ、ハグラー、デゅランといった、それぞれ
違うタイプのスターが居合わせ、激闘を魅せたことで長らく語り継がれる
ことになった。
とくに、アリに似たカリスマ性をもつレナードの存在が、よりいっそうそれを
引き立たせた。 <誤入力>
ボクシングの前の 3
メッカの後の 2 >>728
ファブ4 とにかく取り合わせがいいんだ 誰一人欠けても
盛り上がらない あんなリーグ戦はもうないな〜 この前 wowowでデュランの映画やってたけど俳優より
赤い頃のデュランの方がイケメンなのが面白い クエバスは18とは思えないくらい風格があったなあ
ハンサムな王者が多かったね
アルゲリョ、デュラン、クエバス
一番のハンサムはパロミノかな FAB4で一番分の悪いデュランが一番分のいいレナードに勝ってるという
最強と思われたハグラーにも善戦してるし
レナードはハグラーケィブマンリー戦を見て自分ではとても勝てないって言ってた クエバスは強いというのがもろに顔に出てたよなw
あれでオールタイムで指折りのハードパンチャーって大谷みたいにマンがじみてる >>737
それだけにハーンズ戦はショッキングだった。 https://www.youtube.com/watch?v=xPI2UbDg78U
ライオン古山との試合を回想するアントニオ・セルバンテス
コロンビアのテレビ番組かな?
使用されている映像は日本でのテレビ放送のものだが 怪物を超える怪物あの時期のレナードに負けるまでのハーンズはフレジャーを宙に浮かせて圧倒して
実質アリに3縦のノートンを失神させたフォアマンに似た感じだった
でアリとレナードは兄弟弟子というところが偶然にしてはよくできてる話 て偶然でもなくレナードがダンディにトレーナー頼んだからだがw リングジャパンのクエバス特集を買ってみたら、その中でジョーさんが言ってたよ。
「クエバス陣営は、ハーンズが怖いのは4ラウンドまで、と読んで前半は打ち合わなかった」
その作戦が裏目に出たんだよな、倒されたかもしれないけどプレッシャーかけて打ち合うべきだった 落ち目のクエバス相手とはいえ黄は敵地と言ってもいいアメリカでよく勝てたな。
不評だったが、カリー戦でもダウンを奪っている。 まったく抵抗できずにハーンズにKOされたセンサク・ムアンスリンの姿は哀れだったなあ
ハーンズはエディ・ガソもKOしてたよね アンジェロダンディの自伝を読んだけど途中からレナードとは合わなくなったらしいね >>744
三原戦が実現していたら、さらに酷い試合というより、公開処刑になったことだろう。 まだ、そこまでは良かった
偽中川とまことが、一緒に活動しはじめたのである
同一人物とバレるとは思わなかったのか >>737
金沢までクエバス辻本見に行ったよ。
クエバスの一目惚れするようなボクシング、いまだに背筋がゾクゾクする。
ハーンズ戦以降のクエバスは、ハーンズに心も体もブチ壊されたと理解してる。 >>749
縁もゆかりもない地方都市での開催でもやっていけた時代だったよね >>750
深夜帯のみの記念うp
削除⊂二二( ^ω^)二⊃ぶーん 柴田 メキシコ・東京・松山・東京・ハワイ・東京・ハワイ
東京*3・福岡・茨城
石松 パナマ*2・東京・名古屋・大阪・東京・大阪
東京・プエルトリコ・東京
具志堅ほどではないが結構巡っていますな 今週の週刊ポスト2018年6月15日号にて、
読者の投票による歴代の日本人ボクサーの格付が載っていて、
具志堅用高、ファイティング原田に続いて、大場政夫が3位だった
確かに名選手だったが、過大評価じゃない? 1970年前後の世界王者達はノンタイトルでも地方で良く試合してたよね でも今考えると大場って当日計量の時代に夜までによく
体調を上げてきたよね。彼らは何キロぐらい増量して
リングに上がっていたのだろう? 上げても数百グラムだろ。
もっともその数百グラムが大きいんだけどな。 西城は新田なんとかいう日本ランクにも入っていない相手ともノンタイトル戦をやった 西城は人気ボクサーの条件を全て満たしていたな
井上がイケメンとされているが西城の方がマスクは数段いいな 1年ぶり書き込むかな
後楽園ホールって昔は後楽園ジムナジアムって名称だったんだな
スタジオがあって日テレの公開放送もやってたよな >>763
直撃! 地獄拳だなw
やたら欧米人をなぎ倒す映画だった記憶があるわ
欧米人を殴り倒し「ジャップの味はどうだい?」
決め台詞は「俺はダウンを知らない男でね」
もうハチャメチャな映画だった 地方開催が多かったのは、売り興業が出来たから。
893に売り切りでチケットの売れ行き心配せんで良いからな。
今では考えられんが。
ノンタイトルは具志堅もコリアンとやったな。
ユーリが最後か?もう二度とないだろうな。 具志堅は大宮スケートリンクだったかな、西城は福岡、札幌、ハワイなど地方巡業なみに
試合してた。 ファン獲得に効果的だったろうね
柴田も名古屋とか茨城でノンタイトルしてたっけ 柴田はビラフロアとの再戦前にやったっけ。世界戦は日テレだったけど、
ノンタイトルは東京12chだった。 小林弘はノンタイトル戦で2敗している
いずれも相手は強豪だったけど >>756
他の選手のように下り坂を見せなかったから過大評価になるのは致し方ない
あと所詮読者の投票(人気投票の側面も少なからずある) 柴田vs鄭,デュランvs石松,マルセルvs根本
アリvsノートン は73年9月 全て12chで放映された
杉浦アナ 海老原さん ご苦労様でした 外へ目を向けるとこの時代の世界王者のノンタイトル戦は盛んだな。
特にアルゼンチン人世界王者は最近まで数多くノンタイトル戦を挙行していた印象がある。 今は無い桜ノ宮スケートリンクでもボクシング興行してた 小林✕西城みたいなキャリアに影響しないようなドリームマッチが組めたのがいいよね。
タイトルマッチにしてしまうと、常に選手生命がかかってしまうような重いものになるけど。
西岡✕長谷川なんて、時代が時代でノンタイトルならできたかもしれない。 マルセルvs根本 ではマルセルの体重は1.5kgオーバー
だったようだ。タイでの花形戦のチャチャイも同様に
魔法の秤が登場した もう日本人の無冠戦はビッグマネーがかかわらない限りないな
つか具志堅がやってから40年以上ないし やる必要もない
昔はマラソンの川内のように練習を兼ねた実践という位置づけでやってた >>774
千里馬がケリーバブルへのOPBF挑戦やった所
初のミドル超えのタイトルマッチに期待するも、
蒸し風呂での凡戦に終わった 756の番付
以下、リングネーム:票数
1.具志堅用高:364
2.ファイティング原田:133
3.大場政夫:70
4.ガッツ石松:55
5.村田諒太:40
6.和島功一:38
7.白井義男:26
8.井上尚弥:25
9.藤猛:23
10.辰吉丈一郎:21
11.山中慎介:20
12.長谷川穂積:17
13.竹原慎二:12
14.渡辺二郎:11
15.内藤大助:9
16.井上一翔:8
17.ピストン堀口:7
18.海老原博幸:6
18.西城正三:6
20.畑山隆則:5 柴田なんて入らなくて当然だ
大した選手じゃなかった
すぐに惨めに王座陥落したしな >>781
当時最強と言われたビセンテ・サルジバルやビラフロアに勝ってるんだぞ。
しかも敵地で。 80年代までは、天才ボクサーと言ったら「柴田」の名前が挙がったもんだけどな
その後は、天才という言葉が幾分安っぽく使われ出したけど >>779
内山が入ってないな。知名度いまいちなのか? ガッツ石松「原田さんが最強。スタミナ・連打の印象が強いが、本当に卓越していたのはディフェンス技術。
柳に風と言う感じで、打たれているようでダメージはもらっていない」 柴田はチビでリーチも短く体格的要素ではボクサーには全く不向きだった
しかし卓越したセンスとスピードで体格面の不利を十分におぎなっていた
もし柴田がもう少し背が高くて打たれ強かったら世界的にも凄い選手になっていただろう 柴田はメキシコでは今でももっとも有名な日本人ボクサー。
サルジバルに勝ったことは当時のメキシコ人には驚きだったらしい。 >>786
それはないな〜 本当に石松が言ったのなら原田先輩を
持ち上げたんだろう 先達には敬意を払う男だから
原田は距離を潰し連打連打で相手に溜めたパンチを打たせない
ボクシング それが最大の防御 ディフェンス技術に特筆すべきものはなかったよ 柴田のステップインは軽やかだった
相手のジャブを交わすと同時に左ボディから入っていけるボクサーは
後の日本から生まれた王者では出来ない芸当
辰吉の左ボディが凄いと評判だったが、バカスカ打たれながら近づき当てるのがやっとで
何処が凄いのかサッパリわからなかったわ マイベスト10
1位 ファイティング原田(実質・当時の3階級制覇)
2位 具志堅用高(13回防衛と連続KО防衛)
3位 輪島功一(2度のリマッチ戴冠、中量級で連続防衛)
4位 渡辺二郎(海外防衛、多団体時代の王者統一)
5位 柴田国明(海外強豪から奪取二度)
6位 大場政夫(永遠のチャンプ)
7位 小林弘(雑草の安定王者)
8位 長谷川穂積(防衛回数、初のPFP10位内、3階級制覇)
9位 海老原博幸(伝説のハードパンチャー)
10位 ガッツ石松(ゴンザレス、ブキャナンを破る名王者) 今だからお前らに教えてやる
エデルジョフレはニューハーフだったんだぞ 今だから教えてやる青木戦前のスパーリングでいいパンチ貰ってジョフレピヨピヨになったんだぞ 青木戦は会場が凍りついたってか戦慄したな
強すぎた青木がボディで悶絶して
とどめのボディで死にそうになったよな
原田より強いはずの青木がな 青木が原田戦の後負けが込み始めたのはパンチアイになっちゃったから
3羽ガラス全員の才能がどの程度か身をもって知ってる人に言わせると
青木がもうずば抜けて才能には恵まれてたとか 柴田国明のフェザー級王座獲得後に行った日立でのノンタイトル戦
当時、自分が住んでいた広島では1週遅れでテレビ放送された >>797
斉藤勝男だったかな、ジョフレは一説にフェザー級時代に一度テンカウントされた試合を
無理強いして相手に倒れて貰ったという件がある
渡辺さんなら知ってるはず >>799
青木は才能があったとよく聞くけど才能とは花開かせてナンボでしょ リングに上がる前に便所で酒を飲むとか・・才能以前に臆病過ぎてボクサーの適性がなかったということだろう 80年代になっちゃうけど上原安恒がサムエルセラノにKO勝したのはびっくりしたな。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています