【〜70年代ボクシング総合スレ46R】
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1970年代までのボクシングを中心に、
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【70年代ボクシング総合スレ45R】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/boxing/1512566496/ いまのカネロ・アルバレスって完全に白人だね
写真だけ見たら我々が抱いているメキシコ人のイメージとは遠い 一つヒントを言うと、外人の顔を見分けるには、顔だけ見たんじゃダメだよ
骨格を見るんだよ。頭蓋骨の形。長頭か中頭か短頭か
次に顔面の構成比率を見る
瞳孔の色、髪の色、質、肌色のトーン
これらを瞬時に把握する。過去からの蓄積と照合して答えを出す
おまえら、日本の街中を歩いてるロシア人をロシア人と見抜けないのかな?アメリカ人かロシア人かどっちか分からないくらいセンスが無いわけ?
迷ったら、さらに、髪型、着てる服、持ち物をチェックしたら大体答えは出る とりあえず件のヤツはダニーロペスを知らないかサンチェスと勘違いしてると思われる >>341
平成生まれのくせになんでエディーさんがタバコ吸ってたとか話題ふるんだよ?
おまえエディーさんと一瞬も人生で交差してないじゃん
おまえエディーさんが生きてる頃にはこの世に存在もしてないじゃん エディさんって昭和のうちに亡くなってたんだな
ついこないだまで健在だと思っていたのに・・・
井岡も引退するわけだ 「あしたのジョー」 では取材に来た記者連中が
ジム内でスパスパ喫煙してたな エディーさんで思い出すのが田辺清に電動歯ブラシ贈ったんだよね。
日本人ボクサーは歯が悪い人が多いとか・・・。歯が悪いっていうのは
歯並びのことなのかな?歯ブラシ贈ったから虫歯? エディーさんは後楽園ホールの選手が入場してくる通路でよくタバコを吸ってたよ。
ある日私に「久しぶりね。いま何してるの?」と聞いてきたことがあった。
元ボクサーだった誰かに私が似てたらしく間違えたようだった。 >>346
適当に言わないようにな
井岡は19才でエディーさん亡くなって、その後30まで現役でやってるよ
エディーさんが亡くなったのは井岡の初防衛戦の日だよ。
最後は病院から駆けつけた井岡に手を握られてだよ。めちゃくちゃ有名エピソードだよな
井岡は最後まで病と戦うエディーさんを見て30まで現役を続けたのに、あなたは「井岡も引退するわな」って事実誤認も甚だしいわな
ちなみに井岡の白浜キャンプ、初防衛やエディーさんの死はNHKが取材していて死後すぐ話題になったわ
その後、舞台になったり本になったりしてる >>350
↑最後は会場から病院に駆けつけた
↑これが正解 >>350
俺は>346じゃないけど・・・・
エディーさんが亡くなったのは昭和で、もう30年前。
その間(亡くなった時から今日まで)に井岡も引退するわな。
って解釈じゃないか?
もうそんなに経つんだ。そりゃ自分も歳をとるわけだ・・・・的な言い回し?
話は変わるが、井岡って結構長くボクサー生活してたイメージだけど
30歳でリング降りてるんだな。もちろんデビューが早かったのもあるけど
30半ばくらいまでやってると思ってたわ。 >>350
別にエディさんが亡くなったから引退したなんて言ってない >>352
正におっしゃる通りですよ
わかる人にはわかるんだよなあ >>345
何もそんな言い方しなくたっていいだろう >>346の書いてることは意味不明 >>350が呆れ気味に書く気持ちがよくわかるw エディは何でマフィアから命を狙われていたの?
プエルトリコに行けば命の保障は出来ないと外務省から忠告されたらしいけど。 >>341
そもそもお前がエディさんのタバコネタふっておいて、何が平成生まれだからわからないだ
おまえ頭イカれてるんじゃないか
平成生まれなら70年代スレで普通に話すな赤ん坊が!クソガキ >>360
ごめんなさい、もう二度と来ません(>_<) 海外は名トレーナーってのを結構聞くけど、日本はいまだにあんまいないよな
それで外人トレーナーに頼った国内名選手も結構いるし 具志堅のトレーナーだった渡辺さんは海外で経験を積んでたね
アルバラードやロドルフォの陣営にもついてグローバルに活動してたよ >>367
渡辺さんってここのスレだとすこぶる評判悪かった記憶がある。
テイケンの鈴木さん並に。
2人とも最近みないけどもう業界にいないか?
>>365
日本の場合はジムありきだから、それが障害になってるんだよな。
エディーさんはジプシートレーナーなんていわれてたし・・・・。
選手とは違うジムで世界王者のトレーナーって福田洋二くらいでしょ? >>368
福田なんて三流トレーナー 問題外だよw 懐かしいなぁ、ジプシートレーナー。
藤猛から井岡まで。
1番かわいそうは田辺よ、って言ってたね。
赤井の事も可愛いがってた。 沼田義明VSラウル・ロハスではロハスのセコンド。
この試合ロハスは勝ち目無しで同行者がいなかったの? >>369
福田先生はエディー賞トレーナーだぞw
っていうか日本のボクシング界って選手以上にトレーナー含め
会長がダメな奴多いよね。
一昔前のトレーナ―や会長ってなぜか所属出世頭選手以外の平凡選手や練習生を見下してみてる奴が多かった。
それでいなくなったら途端に「最近の若い子はすぐやめる」と愚痴を言い出す。
甘やかせというわけじゃないけど、練習生の対応をおろそかにするとジム経営に響くとか考えなかったんだろうな。 エディはハートで教える
マッククリハラは理論で教える
この二人についてもらった選手は幸せだよな マットドノバンのセコンドにもついていたね
輪島の圧力に3Rで散ってしまったが 外国人トレーナーで思い出したけど
イスマエル・サラスって一時期に日本のジムにいたけど
日本ではあんまり結果残せなかったよ。
坂本の3度目の世界挑戦も一ラウンドに2度ダウン奪いながらの敗戦。
当時の2chに書かれてたけど(真偽は不明)2度目のダウンを奪っても
サラスがGOサインを出さなかったことに会長が不満を持ったとか・・・・。
坂本とサラスは良い人間関係を保ててたみたいだけど試合後、角海老を
離れる。
後に関西の大鵬ジムに雇われるけど会長曰く「べた足のボクシングしか教えない」
と酷評されてすぐに離脱。 ボクサーに一番必要なものは何だかんだ言っても根性だからな
日ごろの練習や減量は根性をつけるためにやってるようなものだよ 科学的トレーニングも
も根性が無けりゃやっても意味がない 根性っていう言葉は複雑な意味を持ってるよな。
死ぬ気で練習してそれこそ血尿が出るくらいオーバーワークになってしまったら
それこそ意味のない練習だし。 >>376
畑山はヨネクラ辞めて京浜川崎に行かなかったら
チャンピオンになれなかっただろうなぁ
大手ジムはトレーナー付くまでが大変 >>382
血尿が出るというのはいい練習が出来た証拠 全然オーバーワークじゃない
最近のボクサーはそこまでやらん やれ理論だ科学だ栄養学だとか 一対一の格闘技なんだから
原点は根性だよ ド突き合いに勝てないようではボクサーとしては失格だ ボクシングじゃなくどつきあいでチャンピオンになったのは
渡辺二郎さんと赤井英和だけだなぁ >>385赤井は世界ランカーで世界挑戦はしたけど
日本も東洋も取ってない 赤井の場合、日本チャンピオンの亀田との試合を
つまらん理由をつけては逃げ回っていたからね。
JBCからチャンピオンカーニバルでの亀田戦を持ちかけられても無視し続けた。
TBSと朝日放送と言う互いの契約テレビ局の違いもネックだったが。
1975年3月までならTBS=朝日放送はJNNの系列局同士だったと言うのも皮肉である。 サラスって、最初は村田のトレーナーもやっていたんだよな
あれもいつの間にかお役御免になっていたね >>385
二郎はどつきあいと言いながら戦略的な打ち合いだった
どつきあいとを一番やったのは大熊じゃないか マック・クリハラはどうよ?
因みに米映画「ベスト・キッド」で空手師事のミヤギやくをやったパット森田は
従兄弟らしいな。 本物のどつきあいはタコ八郎だと思う
しかし片目で戦ってた
打たせ疲れさせてから攻撃する試合がほとんど >>386
赤井は世界ランカーにも勝ったことがない
雑魚レベル相手の連勝記録だけで世界ランク入り ドンカリーがプロ入りするときブルースが俺とは物が違いすぎるセンスが段違い
みたいなことを言ってたがこのものころは試合で負けたりスパーリングでノックアウトブルースにされたりしてる まぁ〜素人が見る分にはテクニックやフットワークがどうこうよりも
パンチパーマで結構良い男で笑いも取れてドカタの喧嘩みたいな
バタバタ振り回して倒す赤井英和のどつきあいは人気出るのは分かる
天才少年なんて言われてたストローの井岡じゃ同じリングサイド3万円するって言ったら
みんな赤井の試合見たいだろう
所詮興行なんて人気商売だから 赤井の再起戦で新井容日と対戦した時、新井への声援の方が多くてワロタ。 >>398
それでもカリー相手に試合にはなってたな
もっと真面目にやってたらいい線行ったかも? 津田会長は赤井の実力が大したことないことを早いうちから気付いていたんで
単なる金儲けの材料だったって以前なんかで読んだな
事実関係は知らんが 赤井は大星ジムに出稽古に行った時新井容日とスパーリングしたら
酒の臭いがプンプンしてたとテレビで言ってた テレビで思い出の地巡るという企画で
数年後に胃がんで死んだ会長が2階から顔出してた 赤井がTVで「世界をやって、チャンピオンとそこまでの差を感じなかった。
今度やれば勝てる、そう思って再起した」と言ってたな。 >>396
昔読んだ「昭和のチャンプたこ八郎物語」は最高に面白かった >>411
笹崎会長が東日本新人王戦で原田壊されるから
斉藤棄権させられたんだよなぁ
タコは原田が大好きだから素直に棄権した >>412
原田が壊されるから←そういうのを真に受けちゃいかんね 同門同士になったらどちらかが棄権するのはよくあること 能力が原田の方が上だから斎藤を降ろしたんだろう
斉藤では海老原に勝てないし たこさんが予想外と言っては失礼だが青木勝利に勝ったから同ブロックだった原田と
当たる事になってしまったんだよね。
たこさんに降りてくれって頼んだのはジム側の選択だったのは賢明だったかもね タコは顔面ガードでボコボコ打たせて打ち疲れた相手を反撃して勝つパターン
現役時代に片方の目を失明してそれを隠してさらに打たれ続け晩年は重度のパンチドランカー
まともな仕事には就けないから芸人になっていじられ役 笑わせるというより笑われる方
セリフが回らないんで本番前に酒を飲むのだが豆腐のようになった脳には少量のアルコールでも
効くらしくシラフ以上に呂律が回らなくなる それが面白いと周りに言われ無理やり酒を飲まされるようになり
控室で失禁することも頻繁になる これはボクサーの悲惨な最期と言うべき 本来の引退ボクサーはこんなになってはいけない >>416
まあー早い話が 廃人寸前だったよなタコちゃん
あの時 海で一緒に酒飲んでたヤツは誰なんだかなぁ
今だったら猛バッシングされてるよな ま、ビートたけしは褒めていたけどな、死んでも人を笑わせているって 斎藤清作はあそこで溺死してなくても早世してただろうね。 そんなタコさんでさえ、あき竹城って女優に
惚れられてたのに、俺たちときたら 坂本九、橋幸夫も歌手になる前ボクサー目指してたんだよな
貧乏子だくさんの子供たちはボクサー相撲取り野球選手目指してた
挫折してやくざになるパターンも多かった たこの師匠の由利徹もピストン堀口にあこがれ、宮城から上京して旭拳闘クラブに入門するも
物にならず断念、1942年に新宿のムーランルージュに入とある ビートたけしもボクシングを齧っていたそうだな
そのまんま東がバーでボコボコにされて「たけしさん、強いんですよ」と言ってた 『人生はリベンジマッチ』
↑
名曲、ユーチューヴ検索 >>427
それは間違い。
ひょうきん族の寸劇で
ビートたけし:ピストン北野
太平サブロー:ホセ・メンドクサー
サブローはアマボクシング経験者。 座布団運びの山田はあの当時ミニマムあったら日本ランカーくらいなれただろうな
1番軽量がフライの頃減量無しでフライでやってたの沢山いる
10kg減量する選手ともともと50kgじゃハンデある
ぺレスももともと46kgでフライで名チャンピオンになったけどな 70年代は通常 闘っているクラスより下のクラスでの
挑戦が多かった たしか輪島功一は東日本新人王の決勝を
同門・三迫ジムの選手と争ったと記憶 後に30代で新人王を取った選手も三迫だったな
あそこは伝統的に変わり者が多あおw >>270 エスカレラは脆さもあったが 全身のバネが凄かった 躍動感のある動きで ハデなフォロースルーが効いていて迫力があったね。山辺2で おもいっきり右ストレート空振りしてからクリンチの際 放送席の白井義男 小林弘に ウインクしていたのが懐かしい。 >>431
上の “ジュニア階級” に行くパターンも (反町、用皆など) 80年代だが、Jフェザーで戦ってて下のバンタムで世界王者になった六車は稀有な例か。
対戦相手のあれこれもあったけど。
Sフェザーからライト級の世界王者になった小堀もいたなあ 門田も上のジュニア狙って惨敗したがセルバンテスじゃない方は
誰だったのかな アルカリかな いくらなんでも上のクラスの名王者に
勝てるわけない 三迫の見識を疑う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています