【70年代ボクシング総合スレ45R】
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
思い出深い1970年代のボクシングを中心に、
楽しく盛り上がりましょう
前スレ
【70年代ボクシング総合スレ44R】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/boxing/1506127263/ >>317>>318
アルゲリョスレで誰にも相手にされなくなってコッチに
侵入してきたのか? ここはお前のような自演クソ野郎は
書き込み禁止なんだけどな〜 誰と間違えてるのかは知りませんが、人違いですよ。
私は前スレあたりから、ここの住民です。 人が好意であげた映像を転売しまくるやつの常套句みたいだな
元から持ってた 転売氏は口をそろえてそういう >>318
プロイアー、アルゲリョ共に完璧目指すタイプだからな。ボクシングはファイトスピリットあるけどメンタル的に優しいと薬物に嵌まるんだよな。でも素晴らしいよ二人とも。 てかデュランはセルバンテスを避けてはいないだろ
セルバンテスよりはるかに強いレナードに挑戦して勝ってるわけだし 田辺は引退後 職を転々としてるとき酔っぱらって客と何度もケンカになったそうだ ボコボコにしたらしいが
不思議と捕まらなかったと言ってたな そういうご時世だったんだろうな 世界王者に勝ったのに引退をしなきゃいけなかった
というのはどんなに辛かったか察するに余りある 田辺はプロ入りする以前は中央大学卒の安定した新聞記者だったから、
落差に忸怩たる思いがあったのだろう。 アカバリョは再戦のファイトマネーを吊り上げるために田辺にわざと負けたって言ってたな https://mainichi.jp/articles/20170518/dde/041/070/054000c
50年前の5月。田辺さんは網膜剥離で右目の視力を失い、
プロ22戦無敗で引退を決意した。
2カ月後に世界王者と対戦することが決まっていた。
引退後の生活は荒れ、酒を飲んでけんかをした。
金物問屋の店員、興信所の調査員、建築現場の作業員……。
転職のたびに住まいは狭くなり、妻と2人の息子と6畳一間で暮らした。
知人の勧めで保険会社の代理店を40歳で経営するようになり、生活は落ち着きを取り戻す。
プロボクサーになる直前のスポーツ紙記者時代を含めると、八つ目の仕事だった。 田辺はプロ転向しないで日刊スポーツの記者になったが
ボクシングの取材してるうちに気が変わってプロ転向した 田辺がアカバリョとノンタイトルで対戦した時、すでに田辺は世界ランクの上位にいたんだな
いまは15位でも王座挑戦のチャンスをもらえるってのに・・・ 田辺の時代は世界挑戦は生涯一度のチャンス それが決まってたのに引退だからね
負けて引退なら諦めもつくが・・ しかし網膜剥離が判明した時点で左目は失明状態だったという
ならば隻眼でアカバロに勝ったということか 負け惜しみに勝ちを譲ったとしたアカバロには相当ショックだったろう ここでボクシング検定チャンピオンの岸本さんの陰口ばっか書き込んでるヤツ
人間として恥ずかしくないのかよ!?
今からでも遅くないからそういうことは金輪際やめるんだ!!
そして主犯の奴らは岸本さんに法的手段をとられる前に岸本さんのブログのアフィリエイトから買い物をして
わずかでも良いから罪を償え、謝ることだけではおまえらのような低レベルなボクシングファンの罪は晴れないのだから
さぁ、今すぐ下記リンクから罪を償いに行くのだ!クソみたいなボクシングファンの中でも特にクソな者どもよ
http://blog.livedoor.jp/gonzalez1985/ たこ八郎はボクシング始める前から左目失明していたけど失明してなかったら原田よりも強かったし世界取ってたな >>330
言ってることがめちゃくちゃだな。
ノンタイトルで勝利して、次はタイトル戦が決まって、その合宿中に網膜剥離が判明した。
ノンタイトル戦の時点では網膜剥離じゃないよ。 網膜剥離と聞いた時、エディさん煙草の箱を握り潰し無言のまま動けなかったそうだ たこはプロテスト受けられないのに視力の検査の女の人に頼み込んだそう 笹崎会長は新人王決定戦で実力あるたこ八郎を棄権させてスター性のある原田を新人王にさせた 真面目な話、次回以降はスレタイを
【〜70年代ボクシング総合スレ46R】に変えない?
5chで、60年代以前のボクシングスレもないし 60年代を見てきた世代なんてもう死に絶えただろ
たいていはネットの受け売り 小学生の時に原田、海老原のキングピッチ戦を見たよ。
あの頃は負けた王者にはダイレクトリターンマッチの権利があったから
初戦は八百長とは言わないまでもキングピッチのわざと負けっぽかったな。
王者にしてみれば二度おいしいわけだし。 ここはボクシング好きのおじさんの総合スレでいいんだよ。
岡田奈々をズリネタにしたとかな。 >>336
本人はプロ入りした頃から右目は二重に見えてたと言ってたけどな 松竹でヴィレッジシンガーズの映画に出てた尾崎奈々だろ。 斉藤チヤ子とか安村昌子とかが「ヴァケーション」を歌ってたな。(俺、小1時) 昔は大晦日じゃなくてクリスマスに世界戦やってたよな? だが元旦にはやる事はさすがになく、確か最初に元旦は高田次郎が
顔面崩壊の試合だった記憶がある。あれからも1日の試合はないのでは? >>341
アポロ11号が月面に着陸するより
ずっと前に生まれた人が5chにいるとは、
その月面着陸のずっと後に生まれた世代としては驚きですわ
「昔はよかった」なんてよく言うけど、
テレビのチャネルをめぐって兄弟や友達がケンカしたり、
親父にテレビを支配されて泣く泣く子供が引き下がった時代よりもずっといいと思う
おまけに、昔のボクシングの名試合も好きな時に動画サイトで見られるし >>354
昭和30年代はテレビの横にハンマーが置いてあったんだぜ。
テレビの映りが不安定になるとハンマーでテレビの横や頭を叩いたんだよ。
すると映りが元に戻った。
あれには根拠があって、真空管の差し込み部分やトランジスタの半田付け部に
埃が溜まると電流の流れが悪くなるので、ハンマーで叩くことで埃が取れて
電流が安定して流れるようになるからなんだと。 >>354
君が正解。ネットが発達した今のほうがいい時代だよ 354だけど、アンカーを>>343と間違えたw
恥ずかしいw カラーテレビって高かったんだよな
消費者による買い控えが起きてからメーカーが大量在庫抱えるようになって
通産省が15%値下げを指示したんだよな 昔はテレビは四本脚で立ってカバー付きだったんだよな、今の子供がみたら生き物かと思う >>355
ダイヤル式のテレビを使っていた(おそらくギリギリ最後の)
世代だけど、テレビが不調になるとテレビをバンバン手で叩いて応急処置をしていた
(結局壊れて、リモコン式になったけど)
もっとも、当時は既に部品にプラスチックが使われていて、
さすがに金づちで叩いていたら、すぐに壊れていただろうw
あれはテレビ内部でホコリが詰まったか、半田が金属疲労でヒビが入り、
電流が流れにくくなったことが原因らしい
叩くことで一時的に流れが良くなっただけで、むしろ寿命を縮めていた
ちなみに、当時はボクシングには微塵も関心がなかった(というより知らなかった) ピンキーとキラーズのピンキーの年収は大場よりも多かった
クリスマスの豆な >>361
同じ年に人気のあったGSのオックスの赤松愛は月給が1.980円だったと言って脱退したぞ。
人気絶頂のタイガースの沢田研二の月収がたった30万円という事も暴露された。 >>362
恋の季節はミリオンセラーだよ
大場はこの歌聞きながらピラニアに魚食わせてニヤニヤしていたらしいな 11PMではストリップショーやってたもんな 昔の方が良かったな >>364それはあんたが若かったからでしょ
俺にとって00年前後の方が今よりいい時代
まだ十代で楽しかった 昔、世界チャンピオンベルは、団体公式の物ではなく
個別にオリジナルデザインを巻いている日本人選手も割りといたよね。
具志堅用高のカンムリワシデザインにTBSのロゴ入り、
柴田国明のWBCフェザー王者の時のフジテレビの8のロゴ入りと、
契約テレビ局が選手に贈呈したものもあったよね。 化粧まわしみたいなもんか でも今は禁止つか 昔からリング上で
団体のベルト以外を巻くのは禁止 禁止て事はないんでね?
リング誌ベルト巻くことあるし
タニマチベルトが最近では作られないんでしょ
最近でもないけど、川島のアンタッテャブルベルトをリング上で見ることはなかった つか、当時は両団体ともに公式ベルトを出してなかった。
だからチャンピオンベルトは全て自前のものだった。 小熊正二もWBCフライ級に2度目の王座に就いた時は、、
団体公式の物を巻かずに、1度目の王座時に作製したオリジナルベルトを巻いていた。
渡辺二郎もWBA Jバンタム級のベルトは、
当初、団体公式の物を巻いていたが、
後半からは、よみうりテレビ贈呈のオリジナルデザインを巻いていた。 大場は比国製のもあるね。
ノンタイトルでサラバリアに勝ったので比国から送られたんだっけ?
玉熊は団体公式持ってたけど、V1の時に読売ベルトが贈られてその試合終了後は読売ベルトを巻いてたね。
(雑誌のポーズとかはオフィシャルベルト巻いてた) 平仲はイーストに負けた後でどさくさでベルトを持っていかれたと雑誌で言ってたな
イーストが巻いていたベルトが平仲のものだったんだなぁ 渡嘉敷はマデラに中途半端な4R途中の負傷判定で王座陥落した際、
マデラに渡すまいと興奮した観客にベルトを持ち去られた。
その当時の新聞記事にWBAのベルト 15万円相当と書いてあり、
そんなに高価な物ではないんだと思った。
ボクシングマガジン誌の具志堅特集記事でTBSカンムリワシベルトが、
100万円相当と書かれていて、金属や宝石を使ったバックルでもないのに、
そんなにするのかと思った。
今思えば、手縫い刺繍のデザインだったのかな。 >>375
小熊のベルトは当時の金額で300万円で破格の高さだった。
(小熊のタイトル前哨戦の解説をしてた花形がそれを聞いて
「えっ!300万円・・・。」と驚いて言葉が出なくなったw)
最初にタイトルを取ったときに後援者から贈呈された宝石入りのもの。
ところが、最初の防衛戦でタイトルを失い、ボクサンキに勝って
再度タイトルを取るまでの数年間は着けることが出来なかった。 韓国での世界戦に勝ったボクサーは小熊と渡辺しかいない こないだチャリで中華街まで行って石川町駅付近を通ったら
駅の並びのビルにカシアス内藤のジムがあったわ
ジムからは人の気配が無かったけど練習生募集と書いてあったから活動してるんだろう
内藤の母親の実家って元町のクリーニング店だったらしいな
だけど祖父が無類のバクチ好きで店を畳むハメになったとか 大場の親父みたいだ
カシアスは中区中尾台中では陸上の選手で有望だったんだが
そんな運動神経抜群だった選手でもボクシングでは開花しないもんだなあ >>374
本来の意味(王座奪取)ではそれが正しいと思う 大場のリングシューズと浜田のリングシューズは同じ職人のおじいさんが手作りで仕上げたんだよな 某チャンピオンンのチャンピオンベルトオークションに出たことあったよな
流石ヤフオク本人しか持ってないはずのものがたまに出る 坂本博之の孤児たちが作ったチャンピオンベルトが一番いいな 坂本は平成の伊藤直人だな
今年もランドセルを贈られたらしいが ここで伊藤直人なんてありえないわ
70年代みんな知ってるよな
伊藤はない 釣りキチ三平だったか、「イトウ」という幻の魚があったよな。 >>395
ごめんなさい、もうしばらく来ません(>_<) じゃあ真面目70年代に戻します
柴田が今も残ってる言葉が「柴田、パンチを貰ったら必ず返しなさい それがボクシングの礼儀なの」
これはスタンレーイトウさんから貰った言葉です イシマツ、アンタ、ケンカツヨイノ、アイテコロシナサイ
気弱になっている石松がエディさんからインターバル中にもらった言葉 ごめんなさいと謝って懐に入れてもらうのがあったような。 1970年の 「ゴング」 を見ると、海外ニュースは数ページだけ
写真も記事も、とにかく日本のボクサーべったり
まだ、そういう時代だったんだね
逆にプロレスのほうは海外ニュースにたっぷりページを割いてる
いまのファンには信じられんだろうな 続き
「プロレス&ボクシング」 のほうは海外ニュースにも比較的、力を入れていた
本格的になったのは、独立後の 「ボクシング・マガジン」 からだが ゴングは71年くらいまではプロレスとボクシングが半々くらいだったが、
その後プロレスが三分の二くらいの量になった。その頃プロボクが
プロレスとボクマガに分裂したので、ゴングとボクマガの2誌を買ってた。 80年代以降は、まずないけど、
70年代までは日本人現役世界チャンピオンが、結構ノンタイトル戦やっていたよね。
具志堅が5度目の防衛戦の次に、韓国人選手とやったノンタイトル戦(1978.08.14)が最後かな? 大場はメキシコチャンピオンや世界ランカーと世界戦の合間に調整試合やってたから凄い なんか話題の周期が速くなったなw 無冠戦の話は秋頃やっただろw 大場さんの頃ってWBAだのCだのあったのかな?統一? >>411
大場のころは既にあったよ。
西城のころに分裂した。 ゴングの欄外に書いているサモラやサラテの試合結果と戦績を見て
メキシコには怪物がいると思った。 大場チャンピオンはボクサーとして人気が出る条件をすべてもっていました。
もうあんなチャンピオンは出てこないでしょう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています