【70年代ボクシング総合スレ45R】
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【70年代ボクシング総合スレ44R】
https://medaka.5ch.net/test/read.cgi/boxing/1506127263/ レパードって後援会の企業?
だったら玉姫殿玉熊がリングネームだよな スレチだけど大友巌って何しているんだろうな?
引退後はスタントマンになりたいと雑誌で語っていたけど。
キャリア後半はグダグダだったけど、あのナザロフ相手に判定まで行ったのは凄かった。 大友って凄い戦い方だったよな
あんな戦い方でどんどんKOしてたのが凄いよね(笑)
素人の度胸あるだけのケンカだよ(笑)
新人王取って間がない頃にスパー見たことある下手糞なのに打ち合いがめちゃくちゃ気が強い感じだった >>122が事実ならドランカーっぽくて少し心配だな。 引退直後の柴田国明を綾瀬駅構内で何度か見たことある。 柴田国明は無名時代に浪越徳次郎主演の映画[愛の三分間指圧]に出てる 大友とタイガー道上は、スタイル的に大嫌いなボクサーだった >>112
「非行に走り少年院に」の後に「。」を書き忘れてるから妙な文面に 当時の雑誌に大友は1週間に一度必ず高尾山に登ってるって書いてあった 渡辺二郎に挑戦した勝間をよく谷中日暮里あたりで見かけるよ
もう20年以上前から見かける(笑) あれは妹夫婦だか弟夫婦だかに譲ったってTVで言ってたな 具志堅は赤坂で沖縄そば屋とか
茨城県土浦の西友ストア内にチリドッグが売りのハンバーガー屋「チャンプ」も経営してたな
石松はスナック、寿司屋、雀荘などを開業してたが全部潰した
柴田も日立市にスナック喫茶「バヒア」
桜井は高田馬場に喫茶「ゴールド」を経営
海老原、八王子にイタリアンレストラン「エロイコ」
西城も中目黒にイタリアンレストラン
高田次郎横浜上大岡に味噌ラーメン店
畑山 桜木町でラーメン店
どれも一度は行って見ようと思ってたが行くことはなかった 大橋の実兄は現役時代から社長として多角事業を営んでいたが、
今はどうしてるのだろう?
ボクマガかワ―ボクにピザレストランを開業した様子が載っていたことを覚えている。
ボクシングってそんなに儲かるの?みたいな内容の記事だった。 >>138
全員全ての店が跡形もなく潰れたって凄いなボクサーは おまえら
平仲の嫁さんは横浜生まれ早大卒の元CAだぞ
世界チャンピオンなってみるもんだな >>142
つけ麺大王といえば思い出すのはライオン古山だな
たしか店長になってたのでは >>135
引退後最初に赤坂に沖縄そば屋を出したよな。 具志堅は芸能活動の旨味に気づいたろうな
バカな振りしているだけで大金が転がり込むんだから 結局、一番単価が安いタンゴ屋だけが残ったわけか
コツコツ一途な輪島らしいな 輪島の団子はジムやるよりも何年も前から地道にやってるからな自ら店に立ってやってたらしいしな >>146
高田次郎のラーメン屋って、昔は戸塚にあったんだよね
その時は何度か行ったことがある
今は上大岡にあるとは知らなかった 高田のラーメン屋って開業当日の配達中に事故に遭って
休業を余儀なくされて、結局閉店したんじゃないの?
何かの本で読んだことがある。 白井のように貸しビル業が儲かるな 飲食店は水商売 素人が手を出しても上手くはいかない カーン博士のアドバイスで表参道の一等地の土地を購入していたんだっけ?
まだ周辺が閑散としていて安かった時代に将来は有望な立地だと判断したらしい。 高田次郎のラーメン店って長く上大岡駅近くで営んでいて
数年前に上永谷駅か下永谷駅付近に移店したと聞いてたんだが違うのかなあ >>134
渡辺二郎vs勝間和雄の試合は、
当初、渡辺と契約している日本テレビ側が難色を示し、大阪帝拳は関西テレビ(フジ系)と交渉を始めた。
結局、土壇場で日テレ側が折れる形で中継を決定。
実際、フジ系で放送される方向で話がかなり進んでいて、
火曜ワイドスペシャル枠の予定で試合日も決定済みだった。
そのため、通常の日テレ系木曜スペシャル枠ではなく、
日テレとしては異例の火曜19時からの2時間枠での放送となった。
上記の件から大阪帝拳と日テレに軋轢ができて、
韓国での次防衛戦はテレビ東京で放送。
その次の王座陥落試合は、フジ系で放送。
因みに、この王座陥落試合が世界戦中継としては、
ゴールデンタイムではない、最初の昼間帯の放送だった。 ローマンに負けた後で、二郎さんの控室にTVカメラが入ってきたよなぁ
二郎さんが笑顔で「メロン食べたいですね」って言ってたのを覚えている 、これまで数多くの世界王者が誕生したが統一王者&敵地防衛を成し遂げたのは二郎、唯一人 「ウハハ、負けてもうた。これで楽出来るんかな、メロン食いたいわ。ほんま」って
感じだったね。二郎さん、でもローマンとあれだけの接戦してたのは間違いなく当時の
ジュニアバンタムで世界の一線級だった。結局底を見せないで引退ってキャリアになった 二郎は13回からの挽回力が凄かった。
正直今回は負けかなと思った試合が何試合かあったけど
ラスト3Rでの逆転試合が何試合かあった。
世界戦の12R制はそういう意味でも面白くない。 余裕かましてるうちに先にスタミナ切れちゃってギリギリ判定勝ちだったっけ 二郎さんの場合 ちょうどビデオが普及し始めた頃とドンピシャだったから
無名時代からタイトル戦は全部録画してあるわ 永久保存の一つだ >>165
無名時代は録画出来ひんやろ(笑) ホラはいかんよ笑笑 >>165
私が初めてビデオを買ったのは’79年だった。
当時は60分テープが¥5.000-位したので録画は見たら
次の録画で上書きするのが普通だった。 >>166
あー金結構の時からの録画やから無名でなく無冠時代からやったわ
金戦の次戦の李はタイトル戦の勝間やイバネスより強かった 二郎さんもけっこう打ってたが打たれてもいた
>>168
自分の時は120分空テープ2千円くらいだったかな
ボクシング録画だけは上書きせんかった 二郎さん、六車、浜田の頃はもっと低下価格だったように思う VHSのT-120とβのL-500が2100円くらいだったな。でも当時90分のオーディオ
カセットテープが定価で800円くらいしたからそんなに高いと思わなかった。 >>170
90年代になるとカセットテープは粘着テープよりも安くなったな。 自分もビデオ導入は1986年からです
浜田の防衛戦が見たかった(王座奪取戦は仕事で見れずだった)から、3ヶ月で10万貯めたわ
いざビデオデッキが来たら、「ユッコ録りたかった・・・」と思ったもんでした 1987年にワイが買ったビデオデッキはFUNAI製だった。
もうかなり安くなっていた。 浜田が1Rでレネぶっ倒した試合は凄かった。国技館の座布団舞って、ヒョロヒョロのヤンキーみたいなセコンドのあんちゃんが怒ってたな。 あの試合、事前のTV番組で桑田トレーナーも「浜田の不利」って言ってるんだよな
腰痛があるとはいえ、再戦では案の定実力の差が出た、新聞各紙の批評も辛辣なものだったなぁ 二郎さんと浜田までは良いけど大橋辰吉鬼塚は駄目、昭和63年までは良いのでは? >>178
昭和63年て1988年だろ どこが70年代なんだよ ボケ
昭和スレでも立てろ クズw 1970年代にベータのデッキを30数万で買ったが故障ばかり。
数年後にはVHSが主流になり値段も安くなった。
せっかく録画したテープはゴミとなった。 >>179
ごめんなさい、もう二度と来ません(>_<) >>181
つか死んでいいよ お前w 糞の役にも立たねーよ 昔々世界4位でアルメンテロスというボクサーが居たんだとさ
単身で日本にやってきて当時アマからプロ入りして8連勝中の
ホープ稲垣という選手がこのアルンメンと対戦したらたった64秒でノックアウトされたんだとさ
この稲垣という選手があしたのジョーでのプロテストでジョーの相手したモデルらしい >>174
確か都内にベータからDVDにダビングしてくれるところがあるよ、池袋だったと思うが
料金もそんなに高くなかったはず >>185
ベターはダビングできないだろ どうやっても。 AVや映画のビデオ今10円で売ってるわ、テープ張ると録画できる >>185
それ、ソニーのバイオxpで出来たぞ。
おれはそれで何本かdvdに焼き直した。 >>180
本当はβの方が画質は良かったんだけど録画時間で負けちゃったんだよな。
ビクターがアメリカで売るためのリサーチをしたところ、アメフトの試合が
ハーフタイムショーも含めてマルっと一本で取れる必要があるという事で
3倍モードのVHSを開発した。 VHSを買った客にのみ特典としてアダルトビデオを付与した……というのも大きかったな
そのAVのタイトルを『洗濯屋ケンちゃん』といった >>85
敵地での東洋王座獲得の日本人
溝口宗男の名前を忘れていた
溝口、門田、柏葉、伊藤
これに戦前の堀口を加えても
たったの5人か
少ないなあ・・・ 溝口の快挙も当時のプロレス&ボクシングの海外通信欄に
連敗中で不調の溝口が李アンサノから意外なTKO勝ちで東洋王座奪取と
トロフィーを掲げた小さな写真と共に淡々と記載されていたな。 トヨタ2000GT やスカイライン2000GT R が200万円位で庶民の憧れだった頃の西城のファイトマネーが3000万円って凄いな >>195
それが本当ならな。
実際にはそんなに貰ってないだろ。 西城は都内に3千5百万円の家を購入したりアパートを建てて経営したり
目黒にレストラン持ってたり鹿島灘に土地も持っていた
キックはほんの遊び 小林弘戦で小林800万
西城1000万
世界タイトルならもっと多いんじゃないかな?
大場で興行権がテイケンになった試合から2000万だから キックの島にとってボクシングは遊びだったのだろうか? 海外は、キックから国際式の王者が多々出ているけど、日本はいないね。
土屋ジョーなんてのもいたけど、どうにもならなかったし。 >>196
3000万としてもマネージャー料引かれて手取りは2000万だな。2000万としても
当時プロ野球でそれより多く貰ってたのは長嶋・王・野村・張本くらいだからな。 >>202
ファイトマネーはどういう扱いなのかな?
ゴルフなんかと同じ”賞金”扱いかな?
だとすると、贈与税(当時36%くらいだったか?)もかかるから
2000万−720万=1280万
さらに所得税、市県民税と取られたら最終的な実質金額はいくらなんだろ。 >>202
張本だけは20000ウォンだったらしいな 韓国で行われた柳済斗 (ミドル) vs 金沢英雄 (J・ミドル) の
東洋王者同士のノンタイトル10回戦
金沢の優勢で最終の10ラウンド終了
ところが韓国側は突然に2ラウンドの延長
結局、12回引き分けにされた 延長の条件として20万円だったか、10R終了時にセコンドのポケットに捻じ込んだらしい。 金沢って酷ぇボクシングだよな あんな下手くそでも東洋獲れちゃった時代なんだな 辰吉夫婦の特集NHKの見た? もう呂律が回らないんだな辰吉 47歳だけど60歳くらいに見えた
日常生活のスローな動きを見るとおそらくパーキンソン病じゃないかと思う まだ4度目の世界王者になることを
目標に毎日ジム通いしている 泣けるね〜 輪島功一がフジテレビと中継権契約期間中にも関わらず、
4度目の防衛戦、vs龍反町 戦はフジが日本人対決に視聴率を危惧して敬遠したため、
この試合に限りNETで中継した(ちなみに日本人対決でも視聴率30%以上を記録)。
当時、自分の県は民放2局(TBS系、フジ系)だったので、
試合当日、新聞テレビ欄を見て生中継がないことに愕然とした思いがある。 金沢が先に世界戦するはずが輪島に負けて無くなったと週刊現代の対談
で金沢が言ってた、クリンチの時、
輪島に抱えられて軽くロープに投げ飛ばされた
凄い馬力だったと 輪島「ボクシングってのはリングに上がったら相手に、この野郎!って思わないと勝てないんだ。
でも、龍君には最後までそんな気になれなかったね。」
重量級に人材の乏しい日本で、輪島のスパーリングパートナーをやってくれたのが龍。
それを恩義に感じていたそうだ。 門田新一がフィリピンでレネ・バリエントスと試合をしたとき
途中で相手が小さいグラブに付け替えたなんて話を雑誌で読んだ記憶が >>208
貴明の野球でよくやるやつパクったんだな >>212
輪島−龍反町は最初2度目の防衛戦で行う筈だったが、TBSがボクシングから
撤退することになりフジに局が変わったら日本人対決はダメということで
ドノヴァンに変更になった。どうしても反町戦をやりたいのでNETに移籍した。
次のベルティニ戦もNETで、オリベイラTからフジに復帰した。 解説は日テレ原田 tbs白井 郡司 フジ矢尾板 朝日 沼田
東京12海老原でいい 反町も東洋タイトル獲った時に拳骨折しなかったらその後のキャリア違ってただろうな
若く勢いある時の10か月のブランクは肉体的精神的にもマイナスだったろう 反町はそもそも強くは無かったからな。
当時の東洋タイトルなんてたいしたモノじゃないし。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています