【70年代ボクシング総合スレ44R】 [無断転載禁止]©2ch.net
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皆さん、ご回答ありがとうございました
30年以上前に1度だけ放送されたきりなのに、
憶えている方が多くて驚きました
2chのログを見ていると、この番組の動画をやり取りしていたことが
あったみたいで、淡い期待で書かせて頂きました
>>189
呂律が回らず、43歳とは思えないほど老け込んだ青木氏を
中村氏が必死に励ましていたと聞いていましたが、
それが本当だったらガッカリですね……
ちなみに、前回書いた番組の断片と思われる動画はこちら
https://youtu.be/MX_lN6vDW4Y 去年までつべにあったけどな 青木がカーロスリベラみたくなって可哀そうだったわ >>194
そうですか……無念です……
ただ、気を害されたら恐縮ですが、
青木氏が廃人同然になったは自業自得
練習を怠けたのも、酒に溺れたのも、覚醒剤に手を出したのも、
全ては彼自身の責任
一方で、もし彼が心酔するようなカリスマ的な指導者に
出会うことが出来たら……とも考えます
引退寸前だった白井義男選手を世界王者に育て上げた
カーン博士が青木氏を育てようとしたという話を
聞いたことはありますが、本当かどうかはわかりません
(博士の伝記にはそのような記述は見られませんでした) 杉並区の善福寺公園で中村敦夫の取材を受けてた
最初に青木の口からでた言葉が無銭飲食の事
「飲みに行こうって誘われたから行ったら帰りには誰も居なくなっちゃうんだ
こっちはお金持ってないからそれで・・・」
まあ自己弁護してるがアル中になるほどの呑兵衛
気の弱さを酒でごまかしてた人だな
せっかく節制しても計量後に吞んでフラフラになってリングに上がり1RKO負け(たぶん柴田戦)
期待して観に行った寺内和尚もあきれてた >>197
当時の三鷹ジムの会長は、青木が酒を飲んでリングに上がるのは
負けた時の言い訳にする為だったのではないかなと言っていた。 青木勝利は、潜在能力だけなら日本人ボクサー史上
最高だったと言われるけど、映像資料が少ないのが淋しい
ユーチューブにあるのは、ジョフレ戦と原田戦しかない
個人的には、東洋王座を奪回した試合が見たい
>>199
原田戦に負けた直後は、敗因は寝不足だと弁明していた
それは正しいけど、後年に実は試合当日の朝まで飲んでいたと明かした
最初は負ける不安を紛らわすためだっただろうけど、
気が付いたらアルコール依存症になっていたのだと思う
>>198
電子データにダビングしたほうがいい
アナログ媒体の記録は劣化する >>200
米倉健司から東洋王座を奪った試合も映像が見られるよ
ちょくちょくお勧めしてる中日映画社のサイトで 青木がジョフレにボディ打たれて悶絶して倒れてる写真がある >>201
ありがとうございました
検索しても見つからないわけだ
あまりカメラの角度が良くなくて見づらいけれど
最後の青木の笑顔が印象的だった
多分、これが彼の人生最良の瞬間だっただろう 青木って本当に強かったのか? 三羽ガラスの他の二羽が強かったから底上げされて言われてるだけじゃないか
大学野球で立教三羽烏といわれた長嶋 杉浦 本屋敷 の本屋敷とか 法政の田淵 山本 富田の富田とか 北の富士
清国 若見山の若見山とか 三羽ガラスと呼ぶために無理やり入れたのが青木なんじゃないか それで周りからライバルなんて
言われてプレッシャーを背負って自滅 もっと自由にやらせれば活躍できたんじゃないか >>204
柴田と接戦している金玄に2勝してるし
落ち目になる前は負けたのが海老原ジョフレ原田アグィリーだけだから強い
それも練習しないでだから
常日頃から俺は練習しないでも勝てると豪語して実践してたくらい
3羽ガラスの中では一番自由にやってた感じがする
甘いマスクだから周りがチヤホヤしすぎたんじゃないかな >>204
ずば抜けて強かったのは事実だと思う。
フライ級時代の青木にスパーリングでライト級やウェルター級の選手でも
敵わなかったというくらいだからな。 >>204
他の人は知らないけど、大学時代の富田は山本よりもはるかに評価が高かったよ。
プロではあとの二人にだいぶ負けたけどね。 亀田大毅は北朝鮮系のパチンコ店だといわれているキコーナで営業してる
キコーナの大当たりはすべて遠隔大当たりなので打てば打つほど負ける
キコーナは大阪、兵庫の極悪パチンコ店なので利用しないように >>204
デビューしてから2年4ヶ月、19歳11ヶ月で
東洋王座に戴冠した位だから、強いに決まっている
(ちなみにボクシングを始めたのはデビューの2ヶ月前)
もし当時の世界王者が、ジョフレのような歴史的名選手でなければ、
世界王者にもなれただろう
(結局は原田に奪われただろうけど)
青木はあまりにも自由にやらせすぎたからダメになった
もっと優秀で、青木が心酔するような指導者がいたらよかった
なお、原田戦以降はかなり真面目に練習していたが、
アルコール依存がひどくて立ち直れなかったみたい >>206>>207>>208>>210
大変失礼しました。8ミリで見ると青木の強さがよくわからなかった >>189
その特集にボカシはなかったということだけど、
この動画では現役時代の写真(新聞掲載)ですらボカシがかかってるよ?
https://youtu.be/MX_lN6vDW4Y
さすがに動画編集時にボカシをかけたとは考えにくい
もっとも、この動画が本当にその特集の一部なのかは知らないけど 青木勝利のように、一つの時代を築いたにもかかわらず、
いつ死んだのかさえわからないのが、一番悲惨な末路だと思う 青木の人気と知名度は相当なものだったんだろうな。
三鷹ジムでは期待のボクサーだった佐藤稔という選手に
『二代目青木利勝』を襲名させてるほどだからな。 ジャイアントロボの必殺技のメガトンパンチも青木のパクリか? ロボコンパンチもマジンガーZのパンチも青木が由来なんだよな さっきNHKが10日後の村田の試合について報道していたが、試合を放送しない局が試合前にニュースを流すのは珍しいな
昔はどこの局もやっていたことで隔世の感がする 柴田国明は、青木勝利に憧れてボクシングを始め、世界王者になった
現役引退後、何度も事件を起こし、シャバと刑務所を
往復するようになった青木を、柴田はどんな気持ちで見ていただろう >>218
青木は柴田との対戦前に柴田に対しての取材を受けていて
「あの子は良い子ですよ サウナで会ったんだ 落ち目になった僕を先輩としてたててくれてね
米倉さんとこの選手は皆良いんだ だから試合するのが辛いよ」と
青木の大ファンだった柴田も複雑な思いだったらしい、だが柴田ににしてみれば師匠の米倉の東洋バンタム王座を奪って引退に追い込んだ敵討ち試合
思い切り行ったと でものちにあの試合は辛かったと明かしていた
その後の青木についてはそれはもう悲しい気持ちでいっぱいだろうな >>219
少なくとも1982年12月までは府中刑務所にいた
何年いたかはわからない
暴行、窃盗、器物損壊、詐欺(無賃乗車や無銭飲食)、
覚醒剤所持と、1983年の時点で前科7犯、逮捕20回だった
>>220
青木らしい話
ファイティング原田のように青木を蔑む人はいたけど、
青木を悪い奴だったという人は聞いたことがない
他人にも自分にも優しい人間だったのだろうか >>221
既に死亡している可能性が極めて高い
中村敦夫が取材した時点でひどく老け込み、
呂律が回らない状態だった(らしい)
それ以降、30年以上消息不明
1996年に、マガジンハウスが青木の行方を捜したが、
最後まで見つからなかった
渡嘉敷ジムのブログでは、青木を明白に故人としている
多分、1980年代後半または90年代に世を去った 青木の末路を聞くたびにボクシング協会は年金制を考えるべき
日本王者で5度防衛以上とか資格を決めて 現役頑張った選手の受け皿がないと
ボクサー志望者がいなくなる 少子化なんだから 青木が寺の境内で死んでたとか書いてるボクシングの本もあったけどね 青木をこよなく愛した寺内大吉に葬ってもらったんじゃないか 中日映画社の映像って映画館で本編の前に上映していたものかな?
もっともテレビのスポーツニュースも昔はあんな感じだったけど
遠い昔には東洋タイトル戦のニュース映像も流してたんだよねえ
小坂照男が世界王者のエロルデから“東洋王座”を奪った珍しい試合が
観られておもしろかった >>229
パッとサイデリアも青木のファンだったのか >>228
あんなのデマに決まっとるやんwww
最後は弟さんに看取られ、葬られたと信じたい
あんな社会不適合者にはもったいないほど優しい弟だったみたい 連投失礼
>>227
年金制度はいいかもしれないけど、青木は年金があっても
変わらなかっただろう
現役時代の7年間で、当時の金額で3000万円
(現在なら1億2000万くらい?)を稼いだのに、
放蕩と博打で一銭も残らなかったのだから 青木のエピソードを聞くたびに「人生とは何ぞや?」と考え込んでしまう 指導者だな 周りに叱りつける会長やトレーナーがいなかったんだろう 地方遠征でエキジビションが終わると会場から飲み屋街に直行
朝まで飲み明かす 流石に川野会長が叱ると「もう飲みませんから・・・」と謝る
しかし帰りの列車の中では一人離れた席でウィスキーのポケットビンをチビリチビリ
酔うと暴れる癖があるのが青木の困った所
無銭飲食で逮捕された時も警察署内でかなり暴れたらしい 青木って165センチだから当時は平均的なんだな それであのガタイだから暴れたら警官も大変だったろうな 厳しい指導をすれば、逆に青木は世に出なかったかもしれない
永遠のチャンプ・大場政夫を破った谷正和は
ずば抜けた才能の持ち主だが、青木同様に大の練習嫌いで、
ジムの会長に厳しく咎められ、嫌気がさしてボクシングをやめてしまった
よほどの実績と貫禄のある人間じゃないと、こういう天才肌を育てるのは難しい
有名なところでは、マイク・タイソンとカス・ダマトみたいに 21回の逮捕
最後が福岡でタクシーの無賃乗車(所持金5円)
その一ヶ月前が
岐阜県大垣のスナック(中浦敦夫が取材した店)での無銭飲食(マスター警察に同行、青木暴れる)
この岐阜から福岡と行動範囲が広いのは何でだろうか 現役時代はとんかつ屋を経営していた青木
ちゃんと結婚もしてたんだよね
たしか俳優の田宮次郎と親しかった >>239
福岡には、昔のファンの住まいに居候していたことがあるから
馴染みの店とかがあったかもしれない
>>240
とんかつ屋は引退した後では?
本人曰く、経営は順調だったけど、飲み屋で傷害沙汰を起こして
続けられなくなったそうだけど
「ちゃんと」結婚していたとは言えないような……
浮気しまくりだったし、奥さんは2度も自殺未遂をするし
娘は溺愛してたようだけど、離婚後は死ぬまで会うことはなかったと思う 青木ほどではないが海老原も晩年は寂しかったな
酒を飲みすぎて肝硬変から肝臓破裂 死亡時期は青木と同じくらいじゃないか >>242
師匠の金平正紀よりも先に死んでしまった
しかも、娘には交通事故で先立たれている
ガラスの拳に泣かされたことと言い、不幸度は青木以上 世界タイトル二度取っててテレ東やフジで解脱もやってたのにな
社会的地位や財産では心の健康は埋まらなかったんだろう タイトルは二度取ったけど防衛は一度もできなかった。 しかし原田も海老原もあの時代にロスで世界ランカーと戦って
勝ってるんだよな。 バブルの頃の後楽園ホールリングサイドでタニマチ風からデカい紙コップのビールを超満面の笑みで受け取るの見たことある、本当ソレの顔だった 結局 原田一人勝ちってことだな 他の二人の運を奪うように 実際リング上でも勝ってるしな
第2の人生と寿命でも完勝
これはもう半端ない鬼畜 禁欲主義を貫いた原田と、酒に溺れた二人では、
差がつくのも当然では 酒飲みのボクサーは長生きしない、パンチと酒で脳のダメージ凄い。ボケるの早い。輪島と具志堅は天然だから例外。 >>251
輪島は完全に後遺症だろ あんな妖怪のようなしゃべり方はパンチドランカー まあでも70代半ばでピンピンしてるんだから、輪島さんはやっぱりボクシング界のレジャックだよ 当時大人達が原田よりフライ級では海老原、
バンタム級では青木、フェザー級では柴田が素質がある。
小林弘より下の階級の西城が素質があると言っていた。 清水アキラ →メガネ障害者、目を二重に整形してる、O型(狩猟民族)、長野県出身
清水良太郎の母 →メガネ障害者
清水良太郎 →メガネ障害者(仕事中はコンタクトを使用)、一重(二重のときはアイプチっぽい)、O型(狩猟民族)
清水友人(清水良太郎の兄) →良太郎の逮捕に「まずは人であれと言いたい。親の甘やかしとかいろいろあるかもしれないけれど、彼自身が甘いと思う」
事件現場のラブホテル(池袋警察署の道を挟んで隣、20メートルにある。この道の向こう側は目白警察署の管轄なので清水良太郎は目白警察署に逮捕された)
↓
ホテル リンデン 池袋店(HOTEL LINDEN)
2015年7月27日 ホテルリンデン池袋店がグランドオープン致しました!! 最上階の特別ルームは、露天風呂付き
東京都豊島区西池袋2-38-8. TEL: 03-3984-0511
http://www.hotellinden.jp/ikebukuro/
どーでもいいコラムニストの勝谷誠彦とかいう馬鹿メガネが「性の商売をしている人たちはクスリには非常に厳しい。その世界にはその世界の日常がある。
クスリに手を出すと絶対に警察が来ます。」といってるがそれは大嘘、現実は風俗店やアダルトビデオでの女性は覚醒剤、向精神薬などの薬物をやっている人が多い。
覚醒剤と買春の原因は父親の清水アキラと母親が馬鹿だからです。
そして「まずは人であれ」「親の甘やかし」発言をした兄の清水友人もクズです。
「人であれ」「甘やかし」発言をする奴は心理学を信じちゃってるので最低の人間です。
メガネ=メガネ障害者
体が左右非対称=ブサイク障害者 青木勝利と海老原博幸は、共通点が多い
○天才肌の左の強打者
○弱小ジムに所属(海老原所属の協栄ジムは創立したばかり)
○病的な酒好き
どうしてかくも差がついてしまったのか
(海老原も世界王者としては目立った記録は残せず、
晩年は苦難の連続だったが) 輪島さん自分の状態を自分で本でも読んだのか調べたらしい
でやばい引退しなきゃって
日テレの深夜番組のろみひーでいってた そういえば初期の日本の世界王者ってみんな新興ジムで、いわゆる名門からは一人も世界王者が生まれていないのはなかなか興味深いな >>252
輪島、具志堅はチャンピオンになる前からあんな感じ ガッツは頭良い >>258
名門ジムからは帝拳の大場が最初で唯一だったな。 ていけんは大場から浜田まで15年生まれなかった
協栄は沢山出たよな
木村は小熊のみ >>263
海老原さんも矛先をWBCにしておけば、もちっと王者期間が長くいられたのかなあ
チャチャイやトーレスには勝ってるんだよねえ >>266
海老原の時代にはまだ両団体に分裂してなかったんじゃね? >>267
分裂前のチャンピオンは白井と原田だけ、統一は輪島だけ >>268
ということは海老原は統一じゃなかったのか? ロッキーになれなかった男たちには
高山一夫が浜田の戴冠試合をスナックで観てるシーンがあって
浜田のKO勝ちに凄く喜びながら「これで帝拳から二人目の世界王者かあ
自分が1番目になりたかったな」と遠い目で話してたな
生涯成績59勝30KO7敗のデビー・ムーアじゃキツイわな
見た目TAXIの運転手風だったわ >>272
デビームーア懐かしい
デュランとヤってたな >>272
>>273
羨ましい
その番組を見るためなら、大阪に行ってもいいのに
(制作したのは毎日放送)
高山を二度破ったデビー・ムーアがリング禍で夭折し、
敗れた高山が天寿を全うするなんて、世の中はわからない >>268
最初の王者の時は分裂前だけど、アカバロとの決定戦の時は分裂後でなかった?
ブルニのタイトル剥奪(マクゴーワンへ移動?)で、マクゴーワン〜チャチャイのWBC、日本で決定戦やったWBAて流れでなかったっけ? 今だったら海老原・高山・田辺の3人が世界フライ級王者なんてことに
なってたかもしれない。 >>268
沼田義明、小林弘、藤猛も最初は統一王者 ウイリー・ぺップが1942年NY州公認世界フェザー級王者になり
1946年NBA王者サル・バートロに勝ち王座統一とあるから昔も分かれる時もある つか、協栄の王者が勇利以外は全てWBAなのはなぜなのかの話をしようぜ。 世界ランカーと一度も戦わずに世界ランク1位になったのは鬼塚だっけ? 原田も当時は世界ランカーとの対戦勝利も無いのに
王者挑戦の最低レベルの世界ランク6位にいつの間にかなってた。 >>290
矢尾板の代わりに笹崎が権利買ったんだよ 輪島さんは小学校時代開校以来の秀才と言われるほど頭良かったって聞いた
だから経営に関しても一味違って
団子屋も名義貸しじゃなく自分で修業にいって作れるようになってきたので
いわゆるタレントショップとは違う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています