【70年代ボクシング総合スレ44R】 [無断転載禁止]©2ch.net
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ヨネクラはNP通信がスポンサーだったみたいだな
ヨネクラジム初の日本王者林守って選手が
昼間働いてらしい
あとヨネクラは喫茶店経営してた ラウルクルス戦を観るとNTヨネクラと表記があるし、酒井リングアナもNTヨネクラってコールしてるのに、NPNP言ってるやつはただの馬鹿なの?それとももうろくじじいかな? >>147
嫁子供親兄弟の悪口はいいけど
俺の悪口言ったらぶっ飛ばすぞ WBA世界チャンピオンを輩出した家が売り出し中 1380万円
https://www.athome.co.jp/kodate/1090991027/?DOWN=1&BKLISTID=001LPC&sref=list_simple トレーナーで成功したのにか
やっぱり日本のボクシングはだめだな >>151>>152>>153
は?何を言っているんだ?
レ〇〇ドは千代田区の億ション、高級タワーマンションの最上階に住んでるよ。
九段のジムも所有権として賃貸ではなく、所有物件だから家賃がかかっていない。
バブル時代の王者だから日本のチャンピオンで最も金を稼いだ一人だよ。
タレントでTV1本出て500万もらってたらしい。
なお、当該物件は聞くところによると青森に住んでいた父親を関東に住まわせるために
10数寝前に新築で買った物件だということ。 >>147
当時実際に新刊で購入したし間違い無いよ、酒井さんはたまにリングコールでも間違う
事があるからね(ブイビーディーヨネクラ所属ぅ〜とか)
http://iss.ndl.go.jp/books/R100000002-I000001309770-00 「レパード玉熊戦法で行け!!連打だ連打!!」結果、東洋太平洋フェザー級タイトルマッチで清水初防衛!!!
https://www.nikkansports.com/battle/news/201710030000188.html
3回終了後だった。清水にセコンドの大橋会長が声をかけた。
「レパード玉熊戦法でいけ!」。
90年代初頭にWBA世界フライ級ベルトを巻いた王者の名前を挙げたのは、
バッティング気味に頭から突っ込む往年の韓国スタイルのノへの特効薬を思い出したから。時は90年7月、
王者李烈雨に水戸で挑んだ玉熊の王座戦は、「頭」に対して細かい連打で10回TKO勝ち。
その意図を理解した清水は、「切り替えて、力でねじ伏せられた」と、4回から戦い方を一気に変え、終わりなき連打で試合を決めた。 >>135
それは実話だよ。俺も自分で見たことある。さすがに待合で
ボクマガは読まなかったが。 一度しか防衛してない玉熊が金があるわけないだろ
世界戦1勝2敗1引き分け >>160>>161
日暮里のタワーマンションに住んでたから区民栄誉賞もらっていた。
そこに白井義男も出席していたらしい。
当時、日暮里と西日暮里の間に国際ジムがあったから便利だったと。
現在は千代田区九段に土地と建物を購入し、ジムの経営に専念するために
近くのタワーマンション上層階に住んでいる。価格は2億円くらいらしい
息子は2人いて、幼稚園から私立、大学も私大というのは知っている。
バブル時代の当時は世界戦だけで数億、その他、TV出演でけっこうな金になったと言っていた。
地方の競馬番組に30分出ただけで1本100万とかもらっていたと。当時はひっぱりだこで東京〜地方往復生活で
それだけで億超えたと。
今はジムの会員が総勢200-300人いて、土地建物は所有物で金がかかってないから、
それだけで年収数千万、さらに協会の仕事もしていて、海外のボクサーと交渉事したりしてるのと
あと会社役員〜社長クラスのスポンサーが沢山いて、スポンサーからの収益だけでもさらに数千万
会長の嫁さんは東京芸大出ていて、絵に描いたようなお嬢様。実家は新宿の一等地に巨大な豪邸。
近々、相続で受け継ぐらしいね。一般人はボクシングでの試合だけが収入源と考えがちだが、
実はそれ以外のがでかいね。
会長のジムに昔いたし交流もあるからよく知っている >>144
リアスコはオルテガ、コティ、ラストラより少し強かった。 >>162
いくらバブルでも世界戦で数億なんてのはあり得ないよw マジレスするとレパードって牝ライオンより弱いからか レオパルド鶴田って新人王もいたのに、
なぜレパードってリングネームつけたのか、当時は不思議だった。。 70年代のボクシングってムハンマド・アリ以外は誰もフットワーク使ってないようにすら思える
フレイジャーなんか今見たらフットワークというよりも上半身をただフラフラ動かしてるだけに見える >>172
間違いっつーか何語で発音するかの違いじゃね ドイツにのレオパルド中戦車の模型を田宮が売っていたよ。。 >>175
それも発音間違いで出しちゃったんだろ。 レオナルド・ディカプリオもレナードと同じ綴り ロベルト・デュランもロバートと同じ
どっちが正しいなんてことはない 1976年の今日10月9日はロイヤルがリアスコをKOした日 明日が具志堅が戴冠した日 レオナルド
レオナード
レナード
リーガン
レーガン
ドクター
ドクトル >>178
ROBERT → ROBERTO
スペイン語圏のつづりでは最後のTの後に 「O」 が入ってる >>180
アルゲリョにKOされたフェザー級の落ちこぼれ同士が
無理な減量をして争った新設階級での世界戦
もちろんロイヤル小林が勝ったのはうれしかったけど
どこか空しさも感じた スレ違いかもしれませんが、ご容赦ください
どなたか、1986年放送「中村敦夫の地球発22時」での特集
「ロッキーになれなかった男たち」の動画をお持ちではないでしょうか?
生前のエディ・タウンゼントや青木勝利への取材が収録された
貴重な映像だそうですが、ネットでは見当たりません
(断片らしきものはありましたが) 動画は持ってないけど廃人になったと噂の青木さんを追跡する内容のやつかな?
最後公園のベンチでインタビュー受けてたの覚えてる >>186
俺は番組の存在すら知らないが ここには応えられる
オタが居るだろう 伊達に年をとっちゃいないから >>186
青木さんの弟が「(兄貴の)顔は出さないでよ」と念押ししていたのに隠し撮りした
のをぼかしも無しに放送。
取材キャスターの中村敦夫も「後ろからだけだから」と言っておいて約束破り知らん顔
田辺さんについてはエディさんが「再戦してもあの結果はなおせないよ」つまりアカバリョ
は勝てないと言っていた。田辺さん自身は「小差の判定で勝てるだろう」とか
ブエノスアイレスでの試合ということも加味してのものだったろうけどね。
動画アップする奴はいないだろう、せこいからな 俺も見た。録画したかもしれないが探すのは無理。青木が
たこ八郎みたいになってたな。なぜ無銭飲食をしたかという問いに
只でいいから食べて行ってよと言われたみたいな言い訳してたような。 フライ級三羽ガラスなんて知ってる(もちろんリアルタイムは知らないが)俺たちゃあいつの間にかベテランになりましたね ここには団塊の世代の人も紛れ込んでいる いいところw 皆さん、ご回答ありがとうございました
30年以上前に1度だけ放送されたきりなのに、
憶えている方が多くて驚きました
2chのログを見ていると、この番組の動画をやり取りしていたことが
あったみたいで、淡い期待で書かせて頂きました
>>189
呂律が回らず、43歳とは思えないほど老け込んだ青木氏を
中村氏が必死に励ましていたと聞いていましたが、
それが本当だったらガッカリですね……
ちなみに、前回書いた番組の断片と思われる動画はこちら
https://youtu.be/MX_lN6vDW4Y 去年までつべにあったけどな 青木がカーロスリベラみたくなって可哀そうだったわ >>194
そうですか……無念です……
ただ、気を害されたら恐縮ですが、
青木氏が廃人同然になったは自業自得
練習を怠けたのも、酒に溺れたのも、覚醒剤に手を出したのも、
全ては彼自身の責任
一方で、もし彼が心酔するようなカリスマ的な指導者に
出会うことが出来たら……とも考えます
引退寸前だった白井義男選手を世界王者に育て上げた
カーン博士が青木氏を育てようとしたという話を
聞いたことはありますが、本当かどうかはわかりません
(博士の伝記にはそのような記述は見られませんでした) 杉並区の善福寺公園で中村敦夫の取材を受けてた
最初に青木の口からでた言葉が無銭飲食の事
「飲みに行こうって誘われたから行ったら帰りには誰も居なくなっちゃうんだ
こっちはお金持ってないからそれで・・・」
まあ自己弁護してるがアル中になるほどの呑兵衛
気の弱さを酒でごまかしてた人だな
せっかく節制しても計量後に吞んでフラフラになってリングに上がり1RKO負け(たぶん柴田戦)
期待して観に行った寺内和尚もあきれてた >>197
当時の三鷹ジムの会長は、青木が酒を飲んでリングに上がるのは
負けた時の言い訳にする為だったのではないかなと言っていた。 青木勝利は、潜在能力だけなら日本人ボクサー史上
最高だったと言われるけど、映像資料が少ないのが淋しい
ユーチューブにあるのは、ジョフレ戦と原田戦しかない
個人的には、東洋王座を奪回した試合が見たい
>>199
原田戦に負けた直後は、敗因は寝不足だと弁明していた
それは正しいけど、後年に実は試合当日の朝まで飲んでいたと明かした
最初は負ける不安を紛らわすためだっただろうけど、
気が付いたらアルコール依存症になっていたのだと思う
>>198
電子データにダビングしたほうがいい
アナログ媒体の記録は劣化する >>200
米倉健司から東洋王座を奪った試合も映像が見られるよ
ちょくちょくお勧めしてる中日映画社のサイトで 青木がジョフレにボディ打たれて悶絶して倒れてる写真がある >>201
ありがとうございました
検索しても見つからないわけだ
あまりカメラの角度が良くなくて見づらいけれど
最後の青木の笑顔が印象的だった
多分、これが彼の人生最良の瞬間だっただろう 青木って本当に強かったのか? 三羽ガラスの他の二羽が強かったから底上げされて言われてるだけじゃないか
大学野球で立教三羽烏といわれた長嶋 杉浦 本屋敷 の本屋敷とか 法政の田淵 山本 富田の富田とか 北の富士
清国 若見山の若見山とか 三羽ガラスと呼ぶために無理やり入れたのが青木なんじゃないか それで周りからライバルなんて
言われてプレッシャーを背負って自滅 もっと自由にやらせれば活躍できたんじゃないか >>204
柴田と接戦している金玄に2勝してるし
落ち目になる前は負けたのが海老原ジョフレ原田アグィリーだけだから強い
それも練習しないでだから
常日頃から俺は練習しないでも勝てると豪語して実践してたくらい
3羽ガラスの中では一番自由にやってた感じがする
甘いマスクだから周りがチヤホヤしすぎたんじゃないかな >>204
ずば抜けて強かったのは事実だと思う。
フライ級時代の青木にスパーリングでライト級やウェルター級の選手でも
敵わなかったというくらいだからな。 >>204
他の人は知らないけど、大学時代の富田は山本よりもはるかに評価が高かったよ。
プロではあとの二人にだいぶ負けたけどね。 亀田大毅は北朝鮮系のパチンコ店だといわれているキコーナで営業してる
キコーナの大当たりはすべて遠隔大当たりなので打てば打つほど負ける
キコーナは大阪、兵庫の極悪パチンコ店なので利用しないように >>204
デビューしてから2年4ヶ月、19歳11ヶ月で
東洋王座に戴冠した位だから、強いに決まっている
(ちなみにボクシングを始めたのはデビューの2ヶ月前)
もし当時の世界王者が、ジョフレのような歴史的名選手でなければ、
世界王者にもなれただろう
(結局は原田に奪われただろうけど)
青木はあまりにも自由にやらせすぎたからダメになった
もっと優秀で、青木が心酔するような指導者がいたらよかった
なお、原田戦以降はかなり真面目に練習していたが、
アルコール依存がひどくて立ち直れなかったみたい >>206>>207>>208>>210
大変失礼しました。8ミリで見ると青木の強さがよくわからなかった >>189
その特集にボカシはなかったということだけど、
この動画では現役時代の写真(新聞掲載)ですらボカシがかかってるよ?
https://youtu.be/MX_lN6vDW4Y
さすがに動画編集時にボカシをかけたとは考えにくい
もっとも、この動画が本当にその特集の一部なのかは知らないけど 青木勝利のように、一つの時代を築いたにもかかわらず、
いつ死んだのかさえわからないのが、一番悲惨な末路だと思う 青木の人気と知名度は相当なものだったんだろうな。
三鷹ジムでは期待のボクサーだった佐藤稔という選手に
『二代目青木利勝』を襲名させてるほどだからな。 ジャイアントロボの必殺技のメガトンパンチも青木のパクリか? ロボコンパンチもマジンガーZのパンチも青木が由来なんだよな さっきNHKが10日後の村田の試合について報道していたが、試合を放送しない局が試合前にニュースを流すのは珍しいな
昔はどこの局もやっていたことで隔世の感がする 柴田国明は、青木勝利に憧れてボクシングを始め、世界王者になった
現役引退後、何度も事件を起こし、シャバと刑務所を
往復するようになった青木を、柴田はどんな気持ちで見ていただろう >>218
青木は柴田との対戦前に柴田に対しての取材を受けていて
「あの子は良い子ですよ サウナで会ったんだ 落ち目になった僕を先輩としてたててくれてね
米倉さんとこの選手は皆良いんだ だから試合するのが辛いよ」と
青木の大ファンだった柴田も複雑な思いだったらしい、だが柴田ににしてみれば師匠の米倉の東洋バンタム王座を奪って引退に追い込んだ敵討ち試合
思い切り行ったと でものちにあの試合は辛かったと明かしていた
その後の青木についてはそれはもう悲しい気持ちでいっぱいだろうな >>219
少なくとも1982年12月までは府中刑務所にいた
何年いたかはわからない
暴行、窃盗、器物損壊、詐欺(無賃乗車や無銭飲食)、
覚醒剤所持と、1983年の時点で前科7犯、逮捕20回だった
>>220
青木らしい話
ファイティング原田のように青木を蔑む人はいたけど、
青木を悪い奴だったという人は聞いたことがない
他人にも自分にも優しい人間だったのだろうか >>221
既に死亡している可能性が極めて高い
中村敦夫が取材した時点でひどく老け込み、
呂律が回らない状態だった(らしい)
それ以降、30年以上消息不明
1996年に、マガジンハウスが青木の行方を捜したが、
最後まで見つからなかった
渡嘉敷ジムのブログでは、青木を明白に故人としている
多分、1980年代後半または90年代に世を去った 青木の末路を聞くたびにボクシング協会は年金制を考えるべき
日本王者で5度防衛以上とか資格を決めて 現役頑張った選手の受け皿がないと
ボクサー志望者がいなくなる 少子化なんだから 青木が寺の境内で死んでたとか書いてるボクシングの本もあったけどね 青木をこよなく愛した寺内大吉に葬ってもらったんじゃないか 中日映画社の映像って映画館で本編の前に上映していたものかな?
もっともテレビのスポーツニュースも昔はあんな感じだったけど
遠い昔には東洋タイトル戦のニュース映像も流してたんだよねえ
小坂照男が世界王者のエロルデから“東洋王座”を奪った珍しい試合が
観られておもしろかった >>229
パッとサイデリアも青木のファンだったのか >>228
あんなのデマに決まっとるやんwww
最後は弟さんに看取られ、葬られたと信じたい
あんな社会不適合者にはもったいないほど優しい弟だったみたい 連投失礼
>>227
年金制度はいいかもしれないけど、青木は年金があっても
変わらなかっただろう
現役時代の7年間で、当時の金額で3000万円
(現在なら1億2000万くらい?)を稼いだのに、
放蕩と博打で一銭も残らなかったのだから 青木のエピソードを聞くたびに「人生とは何ぞや?」と考え込んでしまう 指導者だな 周りに叱りつける会長やトレーナーがいなかったんだろう 地方遠征でエキジビションが終わると会場から飲み屋街に直行
朝まで飲み明かす 流石に川野会長が叱ると「もう飲みませんから・・・」と謝る
しかし帰りの列車の中では一人離れた席でウィスキーのポケットビンをチビリチビリ
酔うと暴れる癖があるのが青木の困った所
無銭飲食で逮捕された時も警察署内でかなり暴れたらしい 青木って165センチだから当時は平均的なんだな それであのガタイだから暴れたら警官も大変だったろうな 厳しい指導をすれば、逆に青木は世に出なかったかもしれない
永遠のチャンプ・大場政夫を破った谷正和は
ずば抜けた才能の持ち主だが、青木同様に大の練習嫌いで、
ジムの会長に厳しく咎められ、嫌気がさしてボクシングをやめてしまった
よほどの実績と貫禄のある人間じゃないと、こういう天才肌を育てるのは難しい
有名なところでは、マイク・タイソンとカス・ダマトみたいに 21回の逮捕
最後が福岡でタクシーの無賃乗車(所持金5円)
その一ヶ月前が
岐阜県大垣のスナック(中浦敦夫が取材した店)での無銭飲食(マスター警察に同行、青木暴れる)
この岐阜から福岡と行動範囲が広いのは何でだろうか 現役時代はとんかつ屋を経営していた青木
ちゃんと結婚もしてたんだよね
たしか俳優の田宮次郎と親しかった >>239
福岡には、昔のファンの住まいに居候していたことがあるから
馴染みの店とかがあったかもしれない
>>240
とんかつ屋は引退した後では?
本人曰く、経営は順調だったけど、飲み屋で傷害沙汰を起こして
続けられなくなったそうだけど
「ちゃんと」結婚していたとは言えないような……
浮気しまくりだったし、奥さんは2度も自殺未遂をするし
娘は溺愛してたようだけど、離婚後は死ぬまで会うことはなかったと思う 青木ほどではないが海老原も晩年は寂しかったな
酒を飲みすぎて肝硬変から肝臓破裂 死亡時期は青木と同じくらいじゃないか >>242
師匠の金平正紀よりも先に死んでしまった
しかも、娘には交通事故で先立たれている
ガラスの拳に泣かされたことと言い、不幸度は青木以上 世界タイトル二度取っててテレ東やフジで解脱もやってたのにな
社会的地位や財産では心の健康は埋まらなかったんだろう タイトルは二度取ったけど防衛は一度もできなかった。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています