【村田】東洋以上世界未満だった選手part2 【関】 [転載禁止]©2ch.net
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世界までもう一歩…
あるいは世界戦では通用しなかった
栄光なき強豪たちについて語るスレpart2
前スレ
【葛西坂本】東洋以上世界未満だった選手【三谷榎】
http://kanae.2ch.net/test/read.cgi/boxing/1428469830/ 八尋はともかく、葛西には金をかけてたからな。あの当時の帝拳は。
ただ、ミゲル・ディアスがトレーナーに着く前、A級トーナメントの
頃の葛西は、結構良いボクシングをしてた感じがある。トーナメント
の準決勝での阿部真一との第1戦なんて、2RKOで圧勝してたから。
A級までは桑田トレーナーが教えてたんだろ。で、ミゲルになって、
フットワークやリズムを取らなくなり軽くスピードのあるジャブを打た
なくなって、徐々にベタ足になってアウトボクサーが変にファイター化
したような感じになっていった印象しかない。
多分、セニョールはベネズエラとかのボクシングが好きなんだろ。
エロイ・ロハスのボクシングに葛西を無理に近づけようとして失敗した
感じを強く受ける。
八尋はガメスとの決定戦の後に、やはり東洋太平洋王座からやり直す形
だったが、その東洋太平洋挑戦の試合で、これぞ帝拳マジック判定の
試合でスポーツ新聞のコメントで矢尾板氏が激怒してたのを読んだ記憶が
ある。正直、八尋は東洋未満で日本が限界の選手だったよ。 そうだね、葛西、八尋の時は帝拳は世界取れなかったねぇ
苦しんでたけどポテンシャルは高かったから、ろくでなしブルース
にはよく名前使われてたね。 >>521
当の葛西がミゲール・ディアスについて「当たり前のことしか言わない人だったな」
と述懐していたな やはりうまく行っていなかったみたいだね 同時代の島本和博や高橋孝治や牧本浩輝はトップアマだったにもかかわらず、日本チャンピオンにすらなれなかった。
病原菌の鈴木トレーナーを追い出したのが正解だった。
もっとはやく追い出すべきだったが、今の本田会長が成人するまでの実質上の会長長野ハルのキャラが弱くて、
鈴木トレーナーにナメられていたんだろう。 >>523
そりゃそうだろうね。ハメドを育てたトレーナーに教えを請うなら、
それまでの既成概念を破壊されるような革新的な感じを受けるのかも
知れないが、どんなトレーナーでも、だいたい同じ事を言うのさ。
ただトレーナー個人がどこを重要視してるかで、違いが出るだけ。
ディアスが過去にデュランを教えてたと言うが、デュランを「育てた」
訳じゃないし、デュランと数試合、組んだというだけだろ。ビジネス
パートナーとして。「無駄なジャブは打つな」「当てないジャブは無駄」
と言うて、強いストレートなジャブを強く打つ練習をして、そこにバスケス
から右クロスを狙われてぶち込まれるんじゃねぇw
それに葛西がアメリカに行くか、たまにディアスが日本に来た時に指導
するだけで、日頃の練習は桑田さんが見るんだろ。しかしディアスのメニュー
をこなさせるだけで、セニョールも強いアドバイスを与える訳だから、
どう考えても、ディアスとセニョールのアドバイスが相反する場合も
多いはず。数か月前につべに葛西×山岡の試合がうpされていて、20年
振りに見たが、葛西がラウンド終盤に山岡に打たれてゴングがなって、
コーナーに戻って来た時に、ディアスが何か言おうとしてるのを、
セニョールがディアスにストップと言うて、自分で葛西に指示だしてた
ようだからな。解説の原田は1Rの葛西のアウトボックスを褒めて、この
調子で行くべきと言うたが、隣の浜田は、ジャブとストレートで山岡
を後退させるべき。と正反対な事を言うててワロタw
担当トレーナー以外に教えたがりが多い環境では、困るのは選手と言う事
なんだがなw >>524
懐かしい名前だなw 島本はインターハイ2連覇で、鳴り物入りで、
高校の時の指導者と一緒に帝拳入りしてたな。
デビュー戦はテレビで放送したと思うが、判定勝ちだったってか、
島本は高校の時はモスキートでプロはフライでデビューしてたせいか
まったく相手を倒せなかったな。体重は増えるもんで、フライから最後
はJ・フェザーまで階級アップしてたが、さらに倒せないw
最後は葛西が2連勝したハッピーの阿部にKO負け食らって引退。
確か13勝1KO1敗とかで辞めたはずw
高橋孝治も最初は期待されてたけどデビュー2〜3戦目で負けてたよなw
知人から聞いたが、高橋ってインターハイ優勝して国体でも勝って、
その年の年末だか年始のアマの高校生同士の最後の試合で、1RKO負けを
食らった時に壊れたんだかで、打たれモロくなって、全然ダメだった
らしいってのを聞いた事があるわw
牧本って大学上りのトップアマなのに当時の全日本新人王戦で、3戦
だかの高校3年生に負けたのは覚えてる。 そうだ、高橋孝治は、同じ苗字の高橋というハードパンチャーに壊されたんだった。
アベジムの山中郁夫も、インターハイで広島の今岡に右フックのカウンター一発で壊され、
東京都のオープン戦でも酷いKO負けを食って、プロに転向後もダメージが回復しなかった。
島本のトレーナーの本田は評判が悪く、地元に帰っても良い選手を育てられなかったが、
最近、黒木優子という美人のボクサーを出すことができた。 >>516
面白い見方だね鬼塚とか辰吉や畑山とか絶対にサラリーマンは務まらないだろうね サラリーマンを40年やる奴の方が変わっているだろ。
大学出て就活して入社して先輩上司からイジメられて
合コンで悪い女に引っかかって、35年ローンで贅沢なマンション買って
子供で来たらイクメンやって、有名私立やピアノの稽古代で貯金がなくなり、
子供が成人したら奥さんに離婚されて、老後はガンと脳梗塞との闘い・・・
そして、創価学会の勧誘に押し切られて聖教新聞をとり退職金と年金を巻き上げられ孤独死
畑山や辰吉の方がサラリーマンよりマトモだよ。 牧本って引退後しばらくはトレーナーをしていたよな?
その後どうしているんだろうね >>527
気になったので、アマチュアの当時の資料を見て見たら、昭和62年度の高校
ランキングに高橋姓は一人だけだな。
山形の酒田南高校の高橋清仁。高校ランキングは6位で、高校卒業後は日体大
に進学し、昭和63年度のアマランキングにはフェザー級3位。全日本でも3位に
入賞してる。当時、東日本と西日本に分けて、年始に後楽園ホールで、高校
アマ東西選手権なる1マッチの対抗戦が行われてた模様。そこで高校王者の
沖縄の高橋と山形の高橋が対戦して山形の高橋が1RKO勝ちしたようだ。
ただ本来なら、インターハイ準優勝でランキング1位の横浜の松本が東の
代表になる予定だったようだが・・・
ちなみに山形の高橋は大学時代に横浜の松本、つまり大橋ジムのチーフ
トレーナーの松本弘司とも全日本で対戦してRSC勝ちをしてるみたい。 >>532
そうだ。思い出した。酒田の選手だった。
凄い調査力。
その高橋清仁はプロからのスカウトを蹴ってしまった。
プロ向きの選手で、アマチュアのポイントアウトするスタイルには最後まで馴染めなかった。
たしか、当時のフェザー級の王者は三谷大和だったと思う。
だから、日体大進学後も、国体や全日本で優勝することができなかった。 >>533
ついでに酒田南高校のボクシング部出身者も調べたら、結構、小粒だが
良い選手を出してるねぇ。
62年度の高橋、61年度の五十嵐、60年度の山田、59年度、佐藤と阿部
58年度の岩下は高校王者とか・・・。
59年度の佐藤佳克は、のちのソウルオリンピック代表の武装高校〜日大
の松島に負けるまで、高校アマチュアデビュー以来負けなしの39連勝の
選手で、拓大進学後も一年で全日本準優勝(優勝は日大の黒岩)四年は
国体バンタム級優勝、その後、国体3連覇、全日本フライ級優勝してる
ようだ。大学卒業後もアマ選手としてトップアマで活躍してプロに行かず
に引退。
プロに行った選手ではモントリオール五輪バンタム級代表の石垣仁。
ヨネクラで日本バンタム級王者になってる。
他にはレオ・ガメスに挑戦した三迫ジム所属の日本ストロー級王者の
横沢健二とか。
平成3〜4年頃まで高校王者とかポツポツ出してたが、今は廃部になった
のか知らんが、まったく高校アマでは名前が聞かなくなった高校のよう
だなぁ。 >>529
お前の人生悲惨なんだなw有名私立なんて無理に通わせるからだよw >>534
名前変わったとかじゃないか高校野球でも知らない名前と思ったら名前変更してたみたいな事結構ある >>534
今、高橋清仁は、石川県小松市のボクシングジムでコーチをしている。
高校生の時に一度チャンピオンになっていたんだね。
他にも、その当時、プロ向きのトップアマがたくさんいた。
山田渉、阿波連本親、八重樫剛、前田真一、今岡紀行、今岡賢覚、大澤淑郎、 >>537
いや、高橋清仁は高校ではチャンピオンにはなってない。何のタイトル
も取ってない。酒田南高校の年度別の記載も、58年度の岩下以外は、
インターハイ準優勝か3位の成績の奴らだ。昭和63年度は高橋清仁
は準々決勝あたりで負けてるようだ。とりあえず、その年度の酒田
南のボクシング部の選手たちを書いてみただけ。学校を検索したら
wikiに書いてたからw
しかし、よく大学のアマでタイトルも取らずに引退した選手の現在
を知ってるねぇ。あなたはwww >>539
オレは糸数(インターハイ沖縄代表→東京農大→警視庁→自衛隊体育学校)
と知り合いで、彼の同郷の高橋孝治を知るようになった。
高橋孝治はセンス抜群だったが、帝拳からのプロ入りが決まっていて油断があったのだろう。
清仁にKOされてしまった。そのインパクトが強烈だったから覚えていた。
孝治の試合目当てに来ていたプロのスカウト数名が、勝った清仁を取り囲んで名刺を渡して色々と説得していたらしい。
あの頃はバブルが崩壊したころだったから、プロに行かないで大学に進学するトップアマの方が多かった。 >>540
いや、バブル崩壊ももっと後だよ。昭和62年と言えば1987年だよ。
バブルのまだ頂点に向かって、どんどん上昇してる頃。
バブル崩壊は大蔵省のバカが総量規制と日銀の金融引き締めによって平成3年
(1991年)3月からだから。実際、大衆が不景気と感じるのは、それから数年後
で、1994年〜1995年あたりから、どん底になった。
俺の昔の会社の上司にも、高校アマでインターハイ準優勝して大学に進んで、
大学ではアマでタイトルは取れなかったようだが、リーグ戦ではレギュラーで
プロからもスカウトされた経験のある人がいたのだが、親がプロ入りに反対し
ていて、本人もそれほど強くプロでやりたいと思わなかったらしく、普通の企業
に就職して、そこの会社でリストラされて、俺のいた会社に来た人がいたよ。
高橋とかも、そういう感じじゃないのかね? >>541
そうだ。勘違いしていた。
就職内定取り消しで就職浪人がたくさん出た時代だ。
しかし、バブル崩壊後でも超人手不足の職種があった。IT業界だ。
1995年にWindows95が出るまでの間、DOSやBASICを一から覚えてSEやプログラマーになるのでれば未経験者でも採用されたが、
バブルの華やかな日本を知っている大学生はUNIXやPGや汎用機のSEを敬遠した。
あの高橋ナオトでさえ、高卒で未経験でパンチドランカーだったが、水道橋のソフト会社に採用された。
自分から辞めたが。
あの頃、スキー板を捨てて地道にUNIXやC言語を覚えていた奴は勝ち組。
オウム真理教に入った奴は負け組。
1993年がどん底で、Windows3.1が出た1994年から光明が差し、1995年にはパソコンや一太郎がバカ売れした。
ああ、懐かしい。 東洋では強いのに世界には通用しない選手と
東洋無敵ではないのにあっさりと世界を獲る選手の
差は何なの? >>543
運。
村田英二郎のように東洋で無敵でも、WBAがチャンドラー、WBCがピントールだったから運がなかった。
チャンドラーの後のサンドバルやピントールの後のダビラにも勝てなかっただろう。
小堀佑介は1度も防衛していないが、たまたまアルファロが穴王者だったことと、角海老の資金力でドン・キングと手を組むことができたという運があった。
金子ジムも大きいジムだが、角海老ほどの資金力や政治力はない。 バブル崩壊の1991年は畑中と辰吉が世界王者になった頃だな。 福田健吾はどうなるのよ?
あの人が本当に世界取るって思っていたヲタって当時いたの? いないだろ。
アイドルボクサーってキャッチフレーズが付いた時点でアスリートというよりアイドルとして見られていた。
それに、非力なテクニシャンの荻原昇に負けた時点で限界を見た。確かダウンしたような・・・覚えてないや。
浅川誠二とのガンつけで浅川の気迫に呑まれていたし打たれ脆さを露呈した。 だいたい東洋どころか日本さえ取れない逸材ですぜ
このスレの範囲外ですがな 今福田は実業家ということだが、何をやっているのだろうか? 榎洋之
全盛期に平均的なレベルの王者にやらせたかった 平均的なフェザー級の王者といえば、
松田直樹かな?
正統派のオーソドックスなボクサーファイター。 葛西
良い右ストレートが打てる数少ない日本人ボクサーだったな アブラハム・トーレスに分の悪い引き分けだったから、
トーレスほどの右ストレートではないんだろう。 トーレスとかタノムサクなんてのもスレタイ通りのボクサーだよなぁ
特にタノムサクなんて幻のWBA世界Jバンタム級チャンピオンなんだし >>547
福田なんて、平成元年6月に淺川に挑戦して2RKO負け
その2か月後の平成元年8月に東洋王者の朴に挑戦して、負け試合を引き分け
に。その半年後の平成2年3月に淺川に再チャレンジして3RKO負け。
淺川との再戦の時なんて、パンチを食らって仰向けにダウンしたが、
髪型を気にして前髪を直して寝たまま、カウントアウトだぜ。
そういえば、福田が急に世界ランキング12位にランクインした事があった
のだが、ボクシングファンの問い合わせ殺到で、次の月には消えてた事が
あったはずwww >>555
トーレスはある意味、世界ランキングを取るなら、最高の相手だよな。
ジャバーで左は素晴らしいが右はイマイチで、それにパンチはないが、
打たれ強くもない。コナドゥに挑戦した世界戦も2RであっさりKOされて
たしねw
しかし帝拳のランキングのゴリ上げには驚いたわw
辰吉は、日本王者になって次の氏名試合が流れてフィリピンランカーに
勝っただけで、当時いきなりWBAの世界11位だったし、
葛西なんて、王座決定戦で日本王者になって一度勝ってる阿部をもたつき
ながらKOして、次のトーレス戦の時は、なぜかWBAの世界4位だぜ。
日本タイトル取って、ノンタイトルか初防衛でKO勝ちすりゃ世界ランカー
だもんなw アマ経験者でフェザー級以下の階級で日本王者になんとか
なれる自信があるなら帝拳に行けば世界ランカーは確実だなw トーレスは辰吉と戦う前に、すでに、ウィルフレッド・ロチャ(ソウル五輪銅メダル)
にKOされて壊されていたよ。
パンチ切れるのに倒せない・・・
当たるタイミングが悪いか、急所に当たっていないか、軽いパンチなのか分からないが、
グリマンや西島洋介山も同じだった。 西島はあの筋肉質の体でパンチが無かったからな
右ストレートに関してはガッツさんに「パンチが流れる」って指摘されていたな 西島の試合を解説していた浜田剛史が、
「これだけパンチを貰っても効かないと、相手は倒れたくても倒れられないですよ。」
と西島のパンチの軽さに皮肉を言っていた。
「ヘビー級は諦めて、クルーザー級、Lヘビー級、うーん、Sミドル級で戦っても、
今のSミドル級は強いですからキツいですね・・・」で会話が終わった。 >>559
それウィルフレド・ロチャじゃなくて、ホルヘ・エリエセール・フリオの事だろ。
確か、アマの時はフリオ・ロチャで登録してたな。どっちもコロンビアだがw
エリエセール・フリオは、オリンピックで日本の松島に勝って銅メダルを確定
させてたな。 そうだ。
ロチャ違いだ。
松島からスタンディングダウンをとって判定勝ちした。
いい選手だと思った。
辰吉と戦う話があったが、リチャードソンの方を選んで正解だった。 西島は体格的に本来ミドルからSミドルぐらいだったんだろうな
ガッツさんも「あの体、本気で絞ればミドル級ぐらいになるんじゃないか?」って言ってたし
どっちにしろどの階級に落としても世界なんて無理だったと思うよ
話題作りでヘビー ま、良かったんじゃないかw >>563
エリエセール・フリオと辰吉が? それはありえないぞw
エリエセール・フリオがWBAタイトルと取ったのは、1992年10月で、辰吉が
ラバナレスにKO負けした直後だぜ。
フリオはWBAタイトルを取った時点での戦績は24戦全勝(21KO)でデビュー
から19連続KO勝ち、その中には辰吉が苦戦したトーレスをKOして初黒星もある
。辰吉のボクサー人生の最高ポテンシャルが発揮できたと
しても勝てない相手に挑戦なんかするかよw >>565
辰吉は、エディ・クックvsエリエセール・フリオの試合を取り寄せて研究していた。
ボクマガかワーボクに「ハイレベルな試合」と言っていた。 クックには「おいしい相手」と言っていたな
フリオはフットワークが素晴らしかったし、あの頃のバンタムでチャンスがあるとすれば
顎の弱いJジョーンズだろうか? それでも順当ならKO負けだろうけど >>566
あの当時、エリエセール・フリオの試合ならエキサイトマッチでやってたぞ。
クックからタイトルを取った試合かは忘れたが、フリオが勝った試合を見た
記憶がある。そしてジュニア・ジョーンズに負けた試合はハッキリと記憶
に残ってる。取り寄せしたなら、ジョー小泉経由でビデオを貰ったんだろう。 ラバナレスにボディ打たれて負けて、再戦するかフリオにターゲットを変えるかを、
大阪帝拳も迷っていた。そして、フリオには勝てないと判断し、ラバナレスとの再戦に決めてポスターやチケットが刷り上がった頃、
辰吉の網膜剥離が判明し、吉井会長が激怒した。「チケット、どうするんや!!」と。 >>568
クックはサウスポーだぜ。小柄だが連打の回転の速いボクサータイプだった
ような。辰吉はサウスポーダメなんだからクックにも勝てないよ。
クックがおいしく見えるのは目が悪いからだ。サラゴサとアヤラで証明され
てるだろ。クックはアヤラよりもハンドスピードはあるぞw 無理無理。 クックはフリオの顔面を20針位縫う怪我を負わせたからな。 >>569
あれ?ラバナレスとの再戦の暫定王座決定戦で勝ってから網膜剥離だろ。
お前、時系列が滅茶苦茶だぞw ラバナレスとの第2戦〜3戦目まで時間があったのに、医者にも行かないで3戦目のチケットが刷り上がった時に、
「実は会長、目の調子が悪いのを放っておいたら、ヤバくなったので医者に行ったら網膜剥離でした。」
と辰吉らしいボケをかましたんだろう。
吉井会長からすると、「もっとはやく言え!」ということだ。
会場抑えてチケットやポスター刷り上がる前に、目の調子がおかしいと気が付いただろが。 辰吉戴冠前後のWBAは個性的なチャンピオンが盛りだくさんだったんだな
Jジョーンズ←フリオ←クック←コントレラス←ルイシト
辰吉がやっても誰にも勝てなかったろうな そりゃ、トーレスに分の悪い引き分けなんだから、勝てる訳ない。 >>573
>ラバナレスにボディ打たれて負けて、再戦するかフリオにターゲットを変えるかを
だから暫定王座決定戦での再戦では勝ってしまってるのに、
なんで「負けて、再戦するかフリオに・・・」と言う言葉になるのだ?
それに、辰吉が暫定王者になった事で、次の試合は当時、決まってたの
だよ、それは正規王者の辺丁一と王座統一戦が決定して、日時は
1993年11月25日だったのだよ。だからラバナレスとの3戦目ってのは
嘘だわなw ラバナレスとの3戦目のチケットとポスターが刷り上がって・・・
というのは嘘だが、辺との王座統一戦が11月25日。辰吉が目の異常を訴えて
医者に行ったのが9月。
まぁ大阪帝拳は辺とのポスターやチケットを刷っていておかしくない時期だな。
辰吉の代わりに葛西が辺とのタイトルマッチに出す計画があったのだが、
葛西がバンタムでは・・・。と難色を示して、薬師寺に話が行ったw 吉井会長は金に汚かったから、つい罵声が出たんだろう。
金に汚くないボクシング関係者の方が少数派だと思うが。
薬師寺の試合は負けていたが、辺も五輪で不当判定を経験しているんだから、
薬師寺をKOしないとダメなのに、勝ちを確信して足使って逃げた大バカ者。
鬼塚戦のタノムサクみたいな間抜けな野郎だ。 >>579
確かにこれ以上減量は無理だよって体型だったけど世界戦蹴るとか馬鹿だな
今みたいに前日計量なら歴史は変わってたかも知れないね 辺は巧いから、一本調子の葛西じゃ到底勝てなかったろうな 変則の横田広明vs葛西裕一とか見て見たくない?
葛西裕一がいかに単調で、相手によって戦術を変える柔軟性がないかが分かるよ。 >>583
横田に挑戦して負けた小泉と王座決定戦で王者に。
初防衛戦はA級トーナメントの準決勝で2RKO勝ちした1位の阿部真一に
手こずっての7RKO勝ち。その後、なぜかWBAの世界4位にランクイン。
この時点で、王座返上した横田の世界ランクよりも上になる。
バンタムの世界6位のトーレスと分の悪い引き分け。そして2度目の
防衛戦は前バンタム級王者の山岡の挑戦を受けたが内容は、山岡に
クリーンヒットを何度も許す展開。後半、それほど山岡を追い込んだ
感じでもないが印象は山岡のポイントが目立ったのに、4〜5ポイント
差の3-0で葛西の勝ち。
元世界ランカーの肩書のロートルで34歳のコフィーとの世界前哨戦
はフルマークながらダウンも奪えない展開で終了。
そして、バスケスとの世界戦で、葛西の1RKO負け。この世界戦の時の
葛西は世界2位だったが、現役の世界ランカーには一度も勝てない
世界2位ではなぁ。とつくづく思った。横田の日本王座に葛西が挑戦
したら、葛西は判定負けを食らうんじゃないかな?
ただ変則でガードが時折、甘くなる横田に右ストレートがヒットする
可能性もあるが・・・まぁ横田、葛西も所詮は日本タイトルを争う
のがいっぱいいっぱいなレベルと言う事だろう。 横田は見方によってはバスケスに判定勝ちしていたよ。
判定が横田でも、鬼塚タノムサクのようなジモハン問題にはならなかっただろう。 うーん、横田好きだったけど、さすがにバスケスに勝ってはいなかったんじゃないかな >>585
見方によっては・・・・そんな事を言うたら、ジャッジなんて必要ないわなw 10対10が認められていた時代だったから、
横田の勝ちもあり得た。
横田は西條学戦でボクシングの醍醐味を見せてくれた。
世界獲らなくてもそれで十分。 横田って町田駅の近くでジムを経営しているんだな
バスケス戦は攻め込ませないものの、ポイントも取っていないような試合だったな
バスケス曰く「横田は大人のボクシングをした」そうだ >>588
いや、10対10が認められたって、それはJBCのルールであって、93年当時、WBA
でも、できるだけ優劣をつけるラウンドマストシステムは採用されてた。
俺は横田はバスケスに挑戦し、その後も現役を続けて日本王者とのノンタイトル
で勝って引退した所までは評価するが、その後にジム会長になったのに、
現役復帰を数回繰り返し、それも継続的ではなく数年に一度、忘れた頃に
一試合だけ現役復帰のような事をしていて、ホントに嫌いになった。
本気でやるなら継続してやれば、まだ理解もできるが、思い出作りのような
数年に1度だけ現役復帰で東南アジアの外人を呼んで、試合して勝っても
何が面白いのかが分からん。 バスケス戦は前半調子よすぎて僅かに出来た心の隙間を、バスケスが逃さなくうまくついてダウン奪って形勢逆転したなー
敗戦が目立つから横田なんて〜とか言うヤツいるけど、敗北から学んだクレバーさが横田にはあった。
この辺はガッツにも通ずるかな
葛西と横田が戦ったら、どうなるかわからないよ >>590
ボクシングジムの会長だから、大手のジムや興行主からオファーが来たら
断れないという台所事情もあるんだよ。
オレは地方のジムで働いていたことがあるが、弱小ジムはイキナリ穴埋めカードを引き受けさせられたり、
2階級も違うウェイトで試合をさせられたりする。
横田のジムも東京都はいえ、町田という片田舎。大川ジム経由で出たくもない試合に出さされたんだろう。 >>585
俺も横田の勝ちかなと思ったダウンがなぁ試合はコントロールしてたな >>592
だから引退した人間を引っ張り出してまで穴を埋めなきゃならん興行なんて
狂ってるだろ。せめて年齢は高い、試合も最近してないが引退はしてないし
練習は続けてる「現役」なら分かるが。
大川が出ろと言うたら、自分の兄貴に名義上、会長職を移転してまで試合に
出なきゃならん興行なんてないだろ。だいたいそんなの誰が見たいんだ?
地方と都内とか関係ないわ、それが当たり前に感じるなら地方が狂ってる >>594
ボクシングの興業でまともなのはないよ。
亀田に負けたサマンなんか、引退して屋台やっていたところを、無理やり日本に連れてこられたんだぞ。
田口に負けたランダエダも引退同然だったろ。
それ以外にも、自分から倒れ込んで日本の建設現場で働くタイやフィリピンの嚙ませを使うとか
辰吉や薬師寺に負けて松岡洋介に勝ったパショネスも、宿舎を脱走して建設現場で働いていたところを、
不法滞在で逮捕された。そんな例は枚挙にいとまがない。
川島vsカルロス・サラサールのセミでも、フィリピン人がコロっと倒れて
10カウントの後、元気に起き上がったのも。そいつも不法滞在で捕まった。
最近は、パッキャオの影響でフィリピン人も骨のある選手が増えたが、
その穴埋めとしてタイやインドネシアから、やる気ナッシングボクサーが
日本の建設現場での仕事のために来日するようになった。
大体、横田のような中卒の看護師上がりのサラリーマンボクサーが、自分からシャシャリ出てカムバックする訳がない。
そんなことしたら、問題になるよ。年齢制限が厳しくなった頃なんだから。 >>596
結局、横田が復帰を繰り返すおかげで年齢制限が緩和されてるじゃね〜かよ >>596
よくそれだけ嘘糞言えるもんだぜ
どシロートは、ガセばかりだなww 嘘糞の話を、もっともらしく話すのがまことだからなあwww 横田はカムバック(世界戦?)したかったからジムを作ったと聞いている。
大川ジムじゃ赤字興行の横田の試合は経営的に組めず、移籍しようにも出来ない?とかでならばとジムを作った。
自分がまずジムの会長になれば所属ジムからは自由になる。
その為に作ったジムだから、選手を試合に出す事には消極的で所属ジムは割を食ったようだ。
これは所属の選手に五年位前に聞いた話。 横田がメインの興業だと赤字だが、同時代に同門の大友巌がいたから、
ダブルヘッダーだったら黒字になったはずなのに、なぜか記憶がない。
それにしても、大友がシャイアンを血だるまにした試合は壮絶だったが、
最後のナザロフ戦で、ボディをこれでもかと食っても倒れないタフさにも驚いた。
まさか五代登に負けるとは思わなかった。 ナザロフ相手に最後まで立っていられるのは大友ぐらいのもんだろうな
OPBFやっていることは冴えない防衛戦の連続だったけどさ ナザロフが大友のことを、
「不気味なくらいタフだった。」と言っていた。
大友はナザロフのことを、
「ボディを打たれて気が遠くなった。でも、戦った中で一番強かったのはナザロフではない。」
と言っていた。オーストラリアのレスター・エリスが一番強かったらしい。IBFのSフェザー級チャンピオンだった白人。
浜田剛史と互角に戦ったジョンジョン・パクインに勝ったロッド・セケナンを
後半逆転KOしたエリスの試合は壮絶だった。サウスポーのセケナンが強かったから。 >>601
それはおかしいよな。
横田は1995年5月、2度目の引退。(33歳7か月)
1996年1月、横田スポーツジムを開設(34歳3ヵ月)
1998年10月、2度目の現役復帰。(37歳0か月)1試合戦い37歳定年制のため3度目の引退。
37歳で現役復帰って、どう考えても世界挑戦とかする気の復帰じゃないだろ。
単なる自己満足を追いかけただけだろ。
2004年と2007年にも各1試合だけ復帰してるが、訳がわからん。 バブル崩壊後、興業に出れる選手が足りないという現象が発生した。
同時に、フィリピンの選手を興業で使ってはいけないという通達が出たのもこの頃。
脱走して不法就労する奴らが増えたから。もうそれはなくなったけど。
横田の突発的なカムバックはそこら辺の事情が関係している。 つべに村田英次郎の試合がうpされてるな。アカウントも村田英次郎だから
本人がうpしてるようだ。ジムのスパーリング大会みたいなのもうpしてる
から。
ただ、当時の東洋タイトルも韓国人との試合ばかりみたいな感じ。
それに村田は右だけって感じ。 村田は試合全般を見ると動きが遅いんだが、ここという場面で突然高速カウンターを打つ。
テレビで見ると、相手が突然倒れるから、カウンターを見逃しがちだが、
テレビ局のカメラマンも、いきなり村田のテンポが変わるから動きについていけないんだろう。
チャンドラーとピントールというバンタム級史上の残る名チャンピオンが相手でなかったら・・・ 村田はチャンドラーには相性が悪かったし、チャンドラーも
村田戦だけ特別出来がよかったと言われている。
初戦1Rはリング中央で決まれば後頭部を打ち付けている
所だったので惜しかった。
でも、ピントールを狙ったほうが相性がよかった。 ピントールが再戦に応じなかったんだよ。
特に、日本での試合は計量でインチキがきかないから。
日本もその頃裕福ではなかったから、ジャパンマネーで釣ることもできなかった。
だから、金子ジムは仕方なくチャンドラーに目標を定めた。 >>610
でも、村田戦の後にテルがピントールに挑戦してピントールが日本に来てる
がな。ただテルとの試合に勝ってスーパーバンタムに上げると言ってたな。
まぁテルの戦績を見て大した相手ではないから、挑戦を受けたのかも知れん
けど。 確か自分の記憶では、ピントールはロスでの開催にずっと固執し、
村田がチャンドラー敗戦後に村田陣営敵地での試合OKということで話が
まとまりつつあった時にゴメス戦が決まり、ピントールはゴメス戦を選択した
ことを本人が吐露していた記事を目にしたことがあります。
まあ、日本での試合はピントールとしては「クロスファイトながらも
勝ったと思ったが引分」なので、ホームのロス開催じゃないと今度は危ない
と思ったのかも。ピントール自身「バンタムに減量して、村田と試合して勝つには
3ヶ月の期間が最低必要。それならゴメスの方が勝ち目がある」と考えていたようです。
村田は大柄な上にタフで、パンチのスピードもあり、アウトボクシングも上手く
右の強打を最高のカウンターで打てるピントールにとっては苦手なタイプだったのか
ピントール自身「サラテの次に強かった」と評価していますね。
村田はビデをで見たらそんなに強そうな選手に見えないという人も多いですが、
世界的にもかなり評価の高いピントールやチャンドラーとクロスゲームを
繰り広げたのを見ると、やはり対戦相手にしかわからない間合いとか、緩急の
付け方、或はフェイントの多彩さ、パンチの当て勘や角度など観衆である
我々には判断できない強さがあったと思います。とりあえず、ピントールや
チャンドラーとあれだけのラウンド渡り合ったということはかなりのタフネスと
防御技術を備えていたのでしょう。二人とも実力者かつ壊し屋でしたから。 亀田兄弟がバンタム級の世界チャンピオンになれたのに、
村田英次郎が東洋チャンピオン止まりというのは、
本当に運としか言いようがない。
あの体格でバンタム級のリミット近くを常に維持して節制している姿を思い出すと、
本当に世界チャンピオンにふさわしい選手だったと言える。
だが、村田英次郎がリチャードソン戦の辰吉や、アサエル・モラン戦の六車に勝てるかというと、
ちょっと無理なような気がする。
やっぱり村田英次郎は、東洋最強で世界のトップコンテンダーという肩書が似合うのかな。 チャンドラーとの第2戦の時、試合が決まるまでの裏話をTBSの関口
プロデューサーが番組内で話していたのが、「チャンドラーは村田との再戦
を嫌がり、指名試合なので避けられないことがわかると、かねてから熱望していた
名伯楽ウイリー・オニールにコーチを頼み、村田のビデオを100回見て、
弱点を発見し、これなら勝てる!と、試合を受けた」と。
あの試合は、初の敵地で試合開始が夜11時、リングマットも今まで経験したことが無いほど
柔らかく、時差の違いと腰痛を抱えていた村田は表情にも元気が無かったのと
対照的に、チャンドラーは体つきどころか顔つきまで一変していて、まるで黒豹そのもの。
ボクシングの方も前回とはまるで別人のような素晴らしい出来で、正に生涯最高の
状態。あれほど隙が無く、完璧なボクシングはなかなかお目にかかれないほどでした。
いずれにせよ、結果的には世界は取れなかったけど、ピントールとチャンドラーが
再戦を嫌がっていたのは事実。世界王者ならまだしも、世界ランカーで
超一流の王者2人から対戦に二の足を踏まれていた選手は、東洋ではいなかったのでは?
引分後、敵地でしか再戦を受けてくれないというのは、王者がその実力を認めていたから
に相違ないでしょう。 チャンピオンが対戦を渋ったのは村田と矢尾板くらい? こういう流れを見ると、つくづく昔のボクシングは面白かったなぁーと再認識する。 >615
金メダリストの桜井もローズとの試合で微妙な判定で王者になりそこなってから、
なかなか世界戦が決まらず、最後にはあっさり引退しちゃいましたね。
敵地でのノンタイトル戦でオリバレスからダウンを奪ったり、「安全運転」
「試合運びがクールすぎて地味」と言われながらも地力のあるテクニシャンでしたね。
王者に避けられたかどうかは定かではないけど、(客を呼べるタイプじゃない
割にはかなりの実力者)、興業的にも王者には避けられるタイプだったかも。 一度オレは桜井が生前に経営していたジムの見学に行ったが、「スパーをするには事前にCTを撮って異常がないと記載された医師の診断書が必要だ。」
と言われ、「このジム何だ?」と思っていたらヤッパ潰れた。
築地という好立地条件のジムだったが、練習生がほとんどいない変なジムだった。 「スパーをするには事前にCTを撮って異常がないと記載された医師の診断書が必要だ。」
このようなジムは、比較的良心的なジムだと思うぜ。
なぜなら、俺の知り合いのヤツも他のジムに通ってたらしいが、同じ事を
言われて、CTを取りに行ったら、脳と頭蓋骨の内側の隙間が一般的より
少ないらしく(脳みそが大きくて詰まってるって事らしい)医者は、
脳にダメージを与えられた時に脳にダメージが伝わりやすいかも。また
隙間がないので脳が揺らされると頭蓋骨の内側にぶつかりやすいので
出血しやすい可能性もある。となって知り合いは選手を諦めたよ。
事故が起こってからでは遅いしな。それにスパーをする前の段階に取った
CTは、その後のプロテストでのCT提出にも使えるらしいので、プロ
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