【村田】東洋以上世界未満だった選手part2 【関】 [転載禁止]©2ch.net
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世界までもう一歩…
あるいは世界戦では通用しなかった
栄光なき強豪たちについて語るスレpart2
前スレ
【葛西坂本】東洋以上世界未満だった選手【三谷榎】
http://kanae.2ch.net/test/read.cgi/boxing/1428469830/ 畑山との試合は2試合とも、ボクシングというよりは根性比べの殴り合いみたいだった。
畑山ももっと対策あったろうに。 畑山と崔の初戦は、崔が不器用そうなんで、自分のボクシングをすれば楽勝かと思ってたら
崔のプレッシャーが予想外にキツくて終盤に押し込まれて引き分け。
反省した結果、変に捌こうとするから崔のペースに巻き込まれるという結論になってあの我慢比べになったんじゃなかったっけ。
実際、畑山の技術レベルじゃああするしか勝てなかったろうな。 >>458
めっちゃ好きな選手だったから西岡との試合では全く通用してなくて悲しかったわ >>457
畑山のスピードならヒット・アンド・アウエイで完勝できそなのに
なぜ相手にチャンスを与えるの? トレーナーの影響か
あの顔だからやっぱあっちの人なのか
韓国人選手みたいだったよね 松本好二の息子がアマで活躍してるらしいね。
順調に育てば数年後にプロデビューするだろう。
世界に届かなかった親父を越えられるか。 松本や葛西のボクシングは華がなかったなぁ。
同時期なら、田村の方が観てて面白かった。 華の有る無しは、アマエリートで横浜出身の田舎者たちと、高校在学中にデビューした新宿生まれのボクサー違いだろうな 渡辺雄二は攻めてるときは良かったんだけどねえ
バスケス戦2Rとかいい攻めだった
ただ守りが下手過ぎた デニス・ローレンテはもろにスレタイの位置でしょ
東洋4階級制覇までして1度も世界戦やっていないんだよね? 鶴太郎がマイクつけてセコンドやってたのは鬼塚ということもあって亀田並みの笑止 >>462
チェは接近しての押し合いに巻き込む不思議な上手さがあった
三谷もチェとやるまではあんなに酷いクリンチャーじゃなかったし、
松本もチェ戦では三谷とあんま変わらんような試合展開になってた 渡久地は佐々木vs川嶋戦みたいに熱い試合やってねえからな 川島なら川嶋以上に世界の器っだっただろ。
年取った今は知らないが、現役時代のピューマなんてメンタルはチンピラだっただろ。 ピューマは日本止まりだったんだよなぁ
何かショボイ韓国人にも負けていたし
デビュー時は絶対に世界取ると思っていたけどな >>487
身体能力的には世界の器だったと思うんですけどね
他の面で色々足りなかった ピューマは失踪後しか知らないが硬いし日本限定のパンチ力だけの選手って感じだったな
失踪前はいいボクシングしてたと聞いたが ユーリとは負けてもいいからやるべきだったね ふと思ったけど、西岡もこの仲間に入る可能性があったんだ。紙一重だね。 >>490
西岡は4回も同じチャンピオンに挑戦して勝てなかったわけだからな
スピキンが足もやってしまったし、もう終わったと思われていた
あそこから這い上がってきたのは驚異的だよ 凄まじい精神力だと思うな ナパポーンに判定で勝って号泣している姿が印象的だったな
苦しかった思いの丈が込み上げてきたんだろう あれが西岡の真の姿だ でもあの決定戦はあかんやろ
たいていの人の人生はどんなにがんばろうともそんなにチャンス回ってこない 確かにあの決定戦は帝拳マジック炸裂って感じはしたよな
それにいつのまにか正規王者になってしまうし
ま、チャンスの回数は人によりけりらしいよ
アリもフォアマンもタイソンも負けても何度もチャンスはやってきたし >>495
チャンスの数は人によりけりなのは同意
だがアリ、フレージャー、タイソンは王者になって実績作ったから
何度もその後チャンスもらったからちょっと違うでしょ 確か、90年代の世界戦で、チャンピオン側のセコンドから、2Rくらいで
もう、倒してしまえ というとんでもない指令が出て、4Rか5RでTKOで
負けてしまった、日本人挑戦者の名前を知ってる人がいれば教えてください。
試合後、チャンピオンは、負けた方の手をとり、リング内を周ってました。
紳士的なチャンピオンでした。 >>497
知ってて何故聞く?
そのチャンピオンは天国にいる 素晴らしいテクニシャンだった 先日亡くなった戦後初の東洋王者・金子繁治は大変な人気ボクサーだったらしいけど
ここではちょっと無理があるかな >>499
東洋王座獲得が快挙みたいな時代があったのか!
って俺も思った
でも最初ってそんな感じかね
サッカーでも日本がアジアカップで初めて優勝した時は
随分とすごい騒ぎになったのを覚えている プロボクシング創成期は日本東洋王者で家が建ったっていうもんな
世界なんて端から無理だと思われていたから日本東洋の価値が異様に高かったんだろうな 日本・東洋王者で、家が建った時代は昭和30年代の半ば位までだろ。 横田が判定まで行ったバスケスなんて葛西なら絶対勝つわ
って意気揚々と世界タイトル見にいったわ
葛西は結局タイトル取れなかったなあ
いまなら弱いチャンピオン選んで取れたかな? 片岡鶴太郎がボクが子供のときは東洋タイトルマッチでも
今日東洋タイトルだ!って大興奮だったって言ってたな 子供の頃に始まったチャンピオンカーニバルが意外にも盛り上がってワロタ トラッシュ中沼だな
ジャブ ストレート無しの超変則スタイル >>505
当時帝拳と日テレがやたら葛西と八尋のヒョロヒョロコンビを売ってたからね俺も葛西楽勝と思ってた
試合後の横田のコメントが気に入らなかったのか葛西が俺の方が強い試合やろうやとか言ってたよね >>466
>>467
田村か、確かに殴り合いとしては面白い試合をする選手だったが、田村の
応援団がな。三色旗を振り回して、信濃町に土下座する集団だぜ。
田村の試合だけは、生で見たいと思った事はない。 >>505
葛西が、今なら、世界と取れたか?と言うと、厳しいだろう。
なぜなら、葛西は世界ランカーには東洋タイトル挑戦の時の韓国人
王者で世界ランキング9位にしか勝った事がないからだ。
バンタム級6位のアブラハム・トーレスにはホームで分の悪い引き分け
世界王者のバスケスには、ホームで1RKO負け
J・フェザー級6位のグスマンとは中南米タイトル戦で、アウェイでTKO負け
世界王者のセルメニョとは大差の判定負けとホームで12RKO負け。
ちなみにトーレスとグスマンも世界戦をしてるが、どちらも序盤でKO負け。
東洋圏以外の世界ランカー以上には、まったく勝てていないと言う事。
韓国の世界ランカーに一度、勝っただけではねぇ。まぁ葛西は教科書的な
ボクシングスタイルだから、ある一定のレベル以上の選手だと崩しやすい
のかも知れないが。今でも世界王者になるとしたら、厳選された相手じゃ
ないと勝つのは難しいと思うぜ。 葛西はサリム・メジクンヌになら勝てたと思う
佐藤修にだったら判定勝ちできそうな気もするが、ボディでやられちゃう気もする >>512
葛西の日本タイトル防衛戦の山岡戦を見れば、インファイトに強い感じ
は葛西はしないからねぇ。ただ中間距離を維持できれば、葛西が圧勝する
可能性はあるな。セルメニョとの試合前のラスベガスでの試合の葛西なら。 葛西、鬼塚、高橋ナオトの3人は全員敵対関係にある。
お互いの何が気に入らないかは大体想像がつくが。 >>514
葛西が一番、安定してるなw
選手としては世界を取った?鬼塚が一番上の実績になるが、葛西は東洋止まり
で世界戦も3連敗だが、指導者としては、一番実績があるだろ。
鬼塚は地元でオナニージムを開いて、結局、プロのジムじゃなくなったようだし、
高橋はあのザマだ。
まぁ帝拳だから、アマ上がりも多いし、素質や可能性のある選手が溜まりやすい
から世界とっても当然みたいな空気もあるが、逆に考えると、それだけの選手
を指導するのだから、勝てなければ無能指導者の烙印を押されるのも早いだろ。
鬼塚や高橋が帝拳のようなジムでトレーナーを続ける事も無理だろうし、そんな
ジムを作る事もできない。
と考えると葛西は宮使い的ではあるが、一番、指導者として成功してると感じる。 >>515
選手としての実績は鬼塚
トレーナーとしての実績は葛西
面白い試合をした実績は高橋
ということだな。
葛西は一般社会に出て会社勤めをしても務まること間違いだろうが、
鬼塚は我が強すぎて絶対に無理。
高橋に至っては脳障害に加えパチンコ借金中毒だから、
普通の人は関わり合いになりたくないだろう。 葛西のバスケス戦ってのは年に何回か見返すけど見るたび爆笑だよなぁ
特に戦前の余裕シャクシャクのインタビューを合わせてみると腹が痛いw 葛西が弱かったのもあるが、バスケスが強すぎたというのが正解だ。
あのエロイ・ロハスでさえ、半殺しにされたんだから。 あの頃の帝拳は葛西・八尋と教科書通りのボクシングをするだけのひ弱なボクサーが看板だったんだよな
その後でこれだけ攻勢をかけるとは思わんかった 八尋はともかく、葛西には金をかけてたからな。あの当時の帝拳は。
ただ、ミゲル・ディアスがトレーナーに着く前、A級トーナメントの
頃の葛西は、結構良いボクシングをしてた感じがある。トーナメント
の準決勝での阿部真一との第1戦なんて、2RKOで圧勝してたから。
A級までは桑田トレーナーが教えてたんだろ。で、ミゲルになって、
フットワークやリズムを取らなくなり軽くスピードのあるジャブを打た
なくなって、徐々にベタ足になってアウトボクサーが変にファイター化
したような感じになっていった印象しかない。
多分、セニョールはベネズエラとかのボクシングが好きなんだろ。
エロイ・ロハスのボクシングに葛西を無理に近づけようとして失敗した
感じを強く受ける。
八尋はガメスとの決定戦の後に、やはり東洋太平洋王座からやり直す形
だったが、その東洋太平洋挑戦の試合で、これぞ帝拳マジック判定の
試合でスポーツ新聞のコメントで矢尾板氏が激怒してたのを読んだ記憶が
ある。正直、八尋は東洋未満で日本が限界の選手だったよ。 そうだね、葛西、八尋の時は帝拳は世界取れなかったねぇ
苦しんでたけどポテンシャルは高かったから、ろくでなしブルース
にはよく名前使われてたね。 >>521
当の葛西がミゲール・ディアスについて「当たり前のことしか言わない人だったな」
と述懐していたな やはりうまく行っていなかったみたいだね 同時代の島本和博や高橋孝治や牧本浩輝はトップアマだったにもかかわらず、日本チャンピオンにすらなれなかった。
病原菌の鈴木トレーナーを追い出したのが正解だった。
もっとはやく追い出すべきだったが、今の本田会長が成人するまでの実質上の会長長野ハルのキャラが弱くて、
鈴木トレーナーにナメられていたんだろう。 >>523
そりゃそうだろうね。ハメドを育てたトレーナーに教えを請うなら、
それまでの既成概念を破壊されるような革新的な感じを受けるのかも
知れないが、どんなトレーナーでも、だいたい同じ事を言うのさ。
ただトレーナー個人がどこを重要視してるかで、違いが出るだけ。
ディアスが過去にデュランを教えてたと言うが、デュランを「育てた」
訳じゃないし、デュランと数試合、組んだというだけだろ。ビジネス
パートナーとして。「無駄なジャブは打つな」「当てないジャブは無駄」
と言うて、強いストレートなジャブを強く打つ練習をして、そこにバスケス
から右クロスを狙われてぶち込まれるんじゃねぇw
それに葛西がアメリカに行くか、たまにディアスが日本に来た時に指導
するだけで、日頃の練習は桑田さんが見るんだろ。しかしディアスのメニュー
をこなさせるだけで、セニョールも強いアドバイスを与える訳だから、
どう考えても、ディアスとセニョールのアドバイスが相反する場合も
多いはず。数か月前につべに葛西×山岡の試合がうpされていて、20年
振りに見たが、葛西がラウンド終盤に山岡に打たれてゴングがなって、
コーナーに戻って来た時に、ディアスが何か言おうとしてるのを、
セニョールがディアスにストップと言うて、自分で葛西に指示だしてた
ようだからな。解説の原田は1Rの葛西のアウトボックスを褒めて、この
調子で行くべきと言うたが、隣の浜田は、ジャブとストレートで山岡
を後退させるべき。と正反対な事を言うててワロタw
担当トレーナー以外に教えたがりが多い環境では、困るのは選手と言う事
なんだがなw >>524
懐かしい名前だなw 島本はインターハイ2連覇で、鳴り物入りで、
高校の時の指導者と一緒に帝拳入りしてたな。
デビュー戦はテレビで放送したと思うが、判定勝ちだったってか、
島本は高校の時はモスキートでプロはフライでデビューしてたせいか
まったく相手を倒せなかったな。体重は増えるもんで、フライから最後
はJ・フェザーまで階級アップしてたが、さらに倒せないw
最後は葛西が2連勝したハッピーの阿部にKO負け食らって引退。
確か13勝1KO1敗とかで辞めたはずw
高橋孝治も最初は期待されてたけどデビュー2〜3戦目で負けてたよなw
知人から聞いたが、高橋ってインターハイ優勝して国体でも勝って、
その年の年末だか年始のアマの高校生同士の最後の試合で、1RKO負けを
食らった時に壊れたんだかで、打たれモロくなって、全然ダメだった
らしいってのを聞いた事があるわw
牧本って大学上りのトップアマなのに当時の全日本新人王戦で、3戦
だかの高校3年生に負けたのは覚えてる。 そうだ、高橋孝治は、同じ苗字の高橋というハードパンチャーに壊されたんだった。
アベジムの山中郁夫も、インターハイで広島の今岡に右フックのカウンター一発で壊され、
東京都のオープン戦でも酷いKO負けを食って、プロに転向後もダメージが回復しなかった。
島本のトレーナーの本田は評判が悪く、地元に帰っても良い選手を育てられなかったが、
最近、黒木優子という美人のボクサーを出すことができた。 >>516
面白い見方だね鬼塚とか辰吉や畑山とか絶対にサラリーマンは務まらないだろうね サラリーマンを40年やる奴の方が変わっているだろ。
大学出て就活して入社して先輩上司からイジメられて
合コンで悪い女に引っかかって、35年ローンで贅沢なマンション買って
子供で来たらイクメンやって、有名私立やピアノの稽古代で貯金がなくなり、
子供が成人したら奥さんに離婚されて、老後はガンと脳梗塞との闘い・・・
そして、創価学会の勧誘に押し切られて聖教新聞をとり退職金と年金を巻き上げられ孤独死
畑山や辰吉の方がサラリーマンよりマトモだよ。 牧本って引退後しばらくはトレーナーをしていたよな?
その後どうしているんだろうね >>527
気になったので、アマチュアの当時の資料を見て見たら、昭和62年度の高校
ランキングに高橋姓は一人だけだな。
山形の酒田南高校の高橋清仁。高校ランキングは6位で、高校卒業後は日体大
に進学し、昭和63年度のアマランキングにはフェザー級3位。全日本でも3位に
入賞してる。当時、東日本と西日本に分けて、年始に後楽園ホールで、高校
アマ東西選手権なる1マッチの対抗戦が行われてた模様。そこで高校王者の
沖縄の高橋と山形の高橋が対戦して山形の高橋が1RKO勝ちしたようだ。
ただ本来なら、インターハイ準優勝でランキング1位の横浜の松本が東の
代表になる予定だったようだが・・・
ちなみに山形の高橋は大学時代に横浜の松本、つまり大橋ジムのチーフ
トレーナーの松本弘司とも全日本で対戦してRSC勝ちをしてるみたい。 >>532
そうだ。思い出した。酒田の選手だった。
凄い調査力。
その高橋清仁はプロからのスカウトを蹴ってしまった。
プロ向きの選手で、アマチュアのポイントアウトするスタイルには最後まで馴染めなかった。
たしか、当時のフェザー級の王者は三谷大和だったと思う。
だから、日体大進学後も、国体や全日本で優勝することができなかった。 >>533
ついでに酒田南高校のボクシング部出身者も調べたら、結構、小粒だが
良い選手を出してるねぇ。
62年度の高橋、61年度の五十嵐、60年度の山田、59年度、佐藤と阿部
58年度の岩下は高校王者とか・・・。
59年度の佐藤佳克は、のちのソウルオリンピック代表の武装高校〜日大
の松島に負けるまで、高校アマチュアデビュー以来負けなしの39連勝の
選手で、拓大進学後も一年で全日本準優勝(優勝は日大の黒岩)四年は
国体バンタム級優勝、その後、国体3連覇、全日本フライ級優勝してる
ようだ。大学卒業後もアマ選手としてトップアマで活躍してプロに行かず
に引退。
プロに行った選手ではモントリオール五輪バンタム級代表の石垣仁。
ヨネクラで日本バンタム級王者になってる。
他にはレオ・ガメスに挑戦した三迫ジム所属の日本ストロー級王者の
横沢健二とか。
平成3〜4年頃まで高校王者とかポツポツ出してたが、今は廃部になった
のか知らんが、まったく高校アマでは名前が聞かなくなった高校のよう
だなぁ。 >>529
お前の人生悲惨なんだなw有名私立なんて無理に通わせるからだよw >>534
名前変わったとかじゃないか高校野球でも知らない名前と思ったら名前変更してたみたいな事結構ある >>534
今、高橋清仁は、石川県小松市のボクシングジムでコーチをしている。
高校生の時に一度チャンピオンになっていたんだね。
他にも、その当時、プロ向きのトップアマがたくさんいた。
山田渉、阿波連本親、八重樫剛、前田真一、今岡紀行、今岡賢覚、大澤淑郎、 >>537
いや、高橋清仁は高校ではチャンピオンにはなってない。何のタイトル
も取ってない。酒田南高校の年度別の記載も、58年度の岩下以外は、
インターハイ準優勝か3位の成績の奴らだ。昭和63年度は高橋清仁
は準々決勝あたりで負けてるようだ。とりあえず、その年度の酒田
南のボクシング部の選手たちを書いてみただけ。学校を検索したら
wikiに書いてたからw
しかし、よく大学のアマでタイトルも取らずに引退した選手の現在
を知ってるねぇ。あなたはwww >>539
オレは糸数(インターハイ沖縄代表→東京農大→警視庁→自衛隊体育学校)
と知り合いで、彼の同郷の高橋孝治を知るようになった。
高橋孝治はセンス抜群だったが、帝拳からのプロ入りが決まっていて油断があったのだろう。
清仁にKOされてしまった。そのインパクトが強烈だったから覚えていた。
孝治の試合目当てに来ていたプロのスカウト数名が、勝った清仁を取り囲んで名刺を渡して色々と説得していたらしい。
あの頃はバブルが崩壊したころだったから、プロに行かないで大学に進学するトップアマの方が多かった。 >>540
いや、バブル崩壊ももっと後だよ。昭和62年と言えば1987年だよ。
バブルのまだ頂点に向かって、どんどん上昇してる頃。
バブル崩壊は大蔵省のバカが総量規制と日銀の金融引き締めによって平成3年
(1991年)3月からだから。実際、大衆が不景気と感じるのは、それから数年後
で、1994年〜1995年あたりから、どん底になった。
俺の昔の会社の上司にも、高校アマでインターハイ準優勝して大学に進んで、
大学ではアマでタイトルは取れなかったようだが、リーグ戦ではレギュラーで
プロからもスカウトされた経験のある人がいたのだが、親がプロ入りに反対し
ていて、本人もそれほど強くプロでやりたいと思わなかったらしく、普通の企業
に就職して、そこの会社でリストラされて、俺のいた会社に来た人がいたよ。
高橋とかも、そういう感じじゃないのかね? >>541
そうだ。勘違いしていた。
就職内定取り消しで就職浪人がたくさん出た時代だ。
しかし、バブル崩壊後でも超人手不足の職種があった。IT業界だ。
1995年にWindows95が出るまでの間、DOSやBASICを一から覚えてSEやプログラマーになるのでれば未経験者でも採用されたが、
バブルの華やかな日本を知っている大学生はUNIXやPGや汎用機のSEを敬遠した。
あの高橋ナオトでさえ、高卒で未経験でパンチドランカーだったが、水道橋のソフト会社に採用された。
自分から辞めたが。
あの頃、スキー板を捨てて地道にUNIXやC言語を覚えていた奴は勝ち組。
オウム真理教に入った奴は負け組。
1993年がどん底で、Windows3.1が出た1994年から光明が差し、1995年にはパソコンや一太郎がバカ売れした。
ああ、懐かしい。 東洋では強いのに世界には通用しない選手と
東洋無敵ではないのにあっさりと世界を獲る選手の
差は何なの? >>543
運。
村田英二郎のように東洋で無敵でも、WBAがチャンドラー、WBCがピントールだったから運がなかった。
チャンドラーの後のサンドバルやピントールの後のダビラにも勝てなかっただろう。
小堀佑介は1度も防衛していないが、たまたまアルファロが穴王者だったことと、角海老の資金力でドン・キングと手を組むことができたという運があった。
金子ジムも大きいジムだが、角海老ほどの資金力や政治力はない。 バブル崩壊の1991年は畑中と辰吉が世界王者になった頃だな。 福田健吾はどうなるのよ?
あの人が本当に世界取るって思っていたヲタって当時いたの? いないだろ。
アイドルボクサーってキャッチフレーズが付いた時点でアスリートというよりアイドルとして見られていた。
それに、非力なテクニシャンの荻原昇に負けた時点で限界を見た。確かダウンしたような・・・覚えてないや。
浅川誠二とのガンつけで浅川の気迫に呑まれていたし打たれ脆さを露呈した。 だいたい東洋どころか日本さえ取れない逸材ですぜ
このスレの範囲外ですがな 今福田は実業家ということだが、何をやっているのだろうか? 榎洋之
全盛期に平均的なレベルの王者にやらせたかった 平均的なフェザー級の王者といえば、
松田直樹かな?
正統派のオーソドックスなボクサーファイター。 葛西
良い右ストレートが打てる数少ない日本人ボクサーだったな アブラハム・トーレスに分の悪い引き分けだったから、
トーレスほどの右ストレートではないんだろう。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています