「谷口雅春先生を学ぶ会」の安藤巌氏との出会いです。過激な左翼学生運動に猛反発した安藤巌氏は

高橋史朗氏、百地章氏、衛藤晟一氏らと交流を重ねます。

"長崎大学学園正常化運動''を始め、それが「長崎大学学生協議会」が生まれます。

p274に

『「長崎大学学生協議会」はその後「全国学協」に発展し、やがて社会人組織「日本青年協議会」を生み、椛島有三は現在でも「日本青年協議会」の会長として日本会議の事務総長を務め「日本最大の右派組織」を率いていることを。』

それは同志、安藤巌氏が構想した運動の方向性と符号するといいます。

ある証言者の話をこう紹介します。

p292

『「いまだに、椛島さん伊藤さん百地さん高橋さんは、毎月安藤巌さんの家でミーティングしているはずです。(中略)まるっきりセクト。笑っちゃうでしょ?でもね、彼らは真剣なの。あの頃のまま、学生運動をやり続けているの」』

つまり根本的な感情は「打倒左翼」の誓いにあると、菅野氏はまとめる。