日々進化するロードバイクはトッププロにレースの晴れ舞台で勝ってもらい、売り上げに貢献するためだけに存在する。
その為にはメーカー広告塔である選手の身体が将来的にどうなろうが関係ない。
ガチガチの全く撓らない高剛性のフレームやクランクを作り、踏むチカラを僅かたりともロスしない。
その最新テクノロジーのバイクは栄光のツール・ド・フランスでマイヨジョーヌを獲得してメーカーに富をもたらす。
その結果として踏んでも全く撓らないフレーム、クランクはコンクリートの硬い地面に二階から飛び降りるかのようなストレスを与え続け
そういったバイクに乗れば乗るほど選手の身体、特に膝の軟骨は擦り減ってゆく。
また過剰すぎる剛性には別の意味合いもある。
コンポメーカー同士の虚飾、見栄の張り合いによる行き過ぎた無意味な多段化により
変速に関する機械的テクノロジーは極めてデリケートなものとなった。
すなわち限られたエンド幅の中に無理やりスプロケットを詰め込みすぎ 、ギア間の距離が近くなりすぎ
それご変速のキレ、速さばかりを追い求めた末のチェーンとギアに複雑な加工と相まって
隣り合うギアへのチェーンの架替えがちょっとしたことで発生してしまう。
そのちょっとしたことがフレームの撓りである。
そしてその膝にとってのショックアブソーバーであるフレームの撓りを捨て変速性能と推進効率のみを追求した結果こそが現代の見るも無惨な醜悪極まりないロードバイクなのだ。
しかし選手は富と名声の為に自己の肉体を破壊してでもそのようなロードバイクに乗る。もちろん血液ドーピングは必須である。

我々のようなレースの勝ち負けとは無縁のホビーサイクリストはそのような非人道的な近年のロードバイクではなく
善き時代の往年のロードレーサーの乗り味を愉しむのが正解なのだ。