>>371

『我は自転車に乗ることが健康に良いこと、ならびに長寿に寄与することを信ず。
他者に依存せず、自らの手によりて、保守し整備できる、時流に流されない機械を信ず。

自転車の理論をおさえ歴史に通じ、資料を経典のごとくに持ち、すぐれたる双輪車をもち整備調整する技を持ち、
それにてひとつの遊行・逍遥世界をもつ者を、「双輪三蔵」としてこれを敬う。

自転車により、平和で健康的、かつ宇宙・自然の法則と調和した生活を目指し、つねに自然の草木鳥獣を友として、
自然を故なく破壊する者と戦う。

エンジン付き、あるいは電気式の乗り物を自転車の上に置き、これを神のごとく崇拝してはならない。

不浄の身なりで自転車に乗り、貧乏神のごとくに徘徊してはならない。
常に沐浴し、爽やかな行者のごとくにいかなるところへも行く。

自転車は神聖な、仙人の雲、齊天大聖のきんと雲のごときものなれば、金儲けのため、あるいは不浄の安物に乗りて、
自らを卑しめることなかれ【かかる外道の安物車両を『邪命二輪』(じゃみょうにりん)と当流ではよぶ】


自分が使う以上の部品を集め、人に見せびらかす貪瞋痴(とんじんち)を解脱することを得させたまえ。

願わくば、自転車の無上甚深微妙法(むじょうじんじんみみょうほう)の世界に我が心眼をひらかせ、終生人力の
双輪車に帰依し、世俗の塵より離れることを得させたまえ。』