マラソン日本最強は瀬古か中山である
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瀬古は手抜いて8分台だったからな
イカンガーをラストでぶっちぎったときは勝負にこだわってたのでまだまだ余裕あったらしい
ヴェイパーもない時代であれだからなあ
しかも一発野郎じゃないし、マラソン勝率が半端ない
それに福岡国際で優勝して、1ヶ月後に箱根で走って区間記録というね。 エチオピアのミルツ・イフタ―のトラックでのラストスパートは当時世界最強
ロス五輪ではマラソンに出場すると語っていたが国のボイコットで不参加だった
81年瀬古が欧州遠征した時に10000mのラストで負けた相手はタンザニアの選手
スレイマン・ニャンブイといいモスクワ五輪5000m銀メダルを獲得した選手
後にマラソンに転向し1990年のびわ湖毎日マラソンで4位入賞している
http://www.lakebiwa-marathon.com/history.cgi?045 >>63
ミルツ・イフター。名前は知っていたが、リアルタイムでは知らなかった。
1944年5月15日生まれ。何とロス五輪では40歳だったことになる。
してみるとモスクワ五輪は36歳! カルロス・ロペスと並んで究極の
『大器晩成』である。モスクワ五輪1万mの画像を今年になって初めて見たが
何というロケット・スパートだろう! 最上最強・感動すら覚えるラスト400の走り。
しかも戦術的にも安直に前に出ないクレバーな走り。
瀬古利彦よりも凄い人を見てしまった。
1979年のレースも見ることは出来た。どこのレースかは失念。のちのロス五輪
マラソン銀メダリスト・ジョン・トレーシーも出ていたこのレースでもロケット・スパート
炸裂。この人のレースを見ると、あまりにも崇高すぎて「神の領域の人」に思えてくる。
史上最強のキッカーに見えて仕方ない。誰と比較対象出来ようか。 https://www.youtube.com/watch?v=C6eHUXDCKmQ
モスクワオリンピック10000mの映像
イフタ―のラストスパートは別格だが瀬古が出場していたら上位入賞は可能だったと思う いやあ、これですよ、コレ! イフターの位置取りを見ていると先頭には立たないが
常に3番手あたりの好位置をキープしていて、誰かが仕掛ければ、すかさず対応できる
ポジションを維持出来ている。ラッセ・ビレン(フィンランド)も長距離史上に残る偉大な
選手だったが、さすがにイフターのロケット・スパートには対応出来なかったようだ。
一度、イフターのマラソンを走る雄姿を見てみたかった。記録よりも勝負、のタイプだから
世界記録には無縁だろうが、五輪や世界選手権で金メダルを獲得しても「イフターだから
ね」で納得してしまう。もっともっとイフターの崇高な走りを調べてみようと思う。 ロペスのモントリオールオリンピック10000m銀メダルの映像も見つかった
この時もエチオピアは人種差別に抗議して他のアフリカ勢同様ボイコットしている
ビレンの楽勝を見てもこの大会の長距離種目はレベルが低かったことが分かる
https://www.youtube.com/watch?v=8rJqAp0vldk >>67
これはモスクワオリンピックの5000mでした
ここでもイフタ―のラストスパートがさえていますね いやあ、貴重な映像、初めて見ました。upの方に感謝です。 >>67 >>69
イフターの凄さもさることながら、モントリオールのラッセ・ビレンの強いこと。
ミュンヘンに続く連続2冠王でプラス、マラソンでも5位入賞。モスクワでも
1万で残り1周の時点では、先頭争いをしていた模様。
ロペスがロスで金メダルを獲れた一因は、1万を思い切りよく捨てたことかも。
この画像で見る限り、やはりロペスは、ハイペース持続力で勝負するタイプで
あり、ラストのスレスレの勝負には不向きだと実感。
しかし。youtube動画を見ようとすると「あなたへのおススメ」として横に藤井聡太の
画像などが出てきて、ついつい寄り道してしまう自分がいるわけですが。。。 エチオピアはモントリオール・ロサンゼルス・ソウルと3度もオリンピックボイコット
特にソウル五輪の前はデンシモが世界最高記録を更新しメコネンも最盛期だった
当時エチオピアは社会主義軍事政権になっていて韓国をアメリカの植民地扱いにした
メコネンがバルセロナオリンピックに出場した時は既に全盛期は過ぎていて途中棄権した 日本のレースだと頻繁に参加するのに韓国だとダメとは。
エチオピア政府の考えていることは、よく分からない。
88年ソウルは、エチオピアが出ていたら、デンシモ&メコネンの最盛期コンビで
やはり有力候補として無視出来ず、レース展開も変わったことだろう。 アベベ・ビキラにマモ・ウエルデの後に若干の空白期間があって、
ケべデ・バルチャ&デレジェ・ネディのコンビ。この二人も良く日本に
来てくれたから記憶に残っている。モスクワは日本などがボイコットして
エチオピア勢にとっては絶好機だったのに、チャンスを生かせなかった
のが惜しまれる。 >>34
この時の世界選手権はモネゲッティが4位。翌年のソウル五輪もモネゲッティは5位。
2つのレースの上位は、かなりの一致率だった。
ソウル以降、モネゲッティの強さが世界的に認知されだしたが、五輪での最高順位は
ソウルでの5位。世界選手権では銅メダルまで届いた。
最盛期の92年のバルセロナ五輪での失敗レースが残念。地元開催のシドニー五輪
で有終の美を飾った。 >>74
ソウル五輪は谷口が転ばなければ5位以内に入ったと思うけどどう? >>76
そうだバルセロナだった
中山はバルセロナは力的に少し下り坂だったかな バルセロナはビッグネームが引退したり衰えたりでややレベルダウンした大会 バルセロナ五輪日本選手3人全員入賞を頂点に日本男子マラソンの低迷は続く
期待された渡辺康幸も故障しているのに無理して初マラソンを走り悪化させてしまった
コニカに所属していたワイナイナがアトランタ銅シドニー銀アテネ7位と健闘した バルセロナの時点で既に日本マラソン界は斜陽だった。
たまたま代表に選ばれた3人が強かったのでカムフラージュされたが層が薄くなっていた。 中山はバルセロナではピークは過ぎていたが、戦術面で進歩した。
まずまずの走りを見せてくれた。4位は実に惜しい順位だが、悪くない。
森下は、中山の脅威を恐れ過ぎて、すぐ横にいた韓国選手との勝負に
集中しきれていなかった。森下が中山と同時期に引退してしまったことは、
中山も実に残念がっていた。 金メダルの黄は1986年ソウルアジア大会の中山の走りを見て感動したと言っている
韓国人としては珍しく親日的な人で引退後も森下との交流を続けている
https://s.japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=23233 黄は、九州一周駅伝にも参加したことがあるくらい日本と近しい関係にある。
ケガしていた有森裕子に「お姉さん、大丈夫?」と声を掛け「うるさ〜い」と有森。
仲の良さをうかがえるエピソード。中山とも陸マガか月陸か失念したが対談して
いる。無類の親日家で、この人は好感が持てる。 何だかんだで中山ってオリンピックで結果出しているところが立派だったよ。 ソウル、バルセロナと連続4位。ロスでは宗猛が4位だから3大会連続で
日本人が4位か。取って悔しい順位。ソウルでは3位と6秒差。
バルセロナに至っては、わずか2秒。 91年東京世界陸上のマラソンで5位入賞した篠原太は現在天満屋のコーチ兼スカウト >>86
結局中山の1つ上のフライガングはこのレースだけ
成績が良かっただけなんで
いろいろ疑ってしまうよ
おまけに東ドイツ出身だし バルセロナ五輪は難コースだったのでその後多くの選手が故障に苦しんだ メダリスト3人はまさに共倒れ。いや、黄は94年あたりまで健闘したか。
しかしバルセロナのメダリストは、みんな年齢的に若かったのに、なあ。
あと2回は普通に考えれば五輪で活躍出来ただろうに。 >>96
ワキウリは故中村清監督を父のように尊敬していたが瀬古の指導力には疑問を持っていた
むしろ村尾慎悦マネージャーに心を寄せていたようだ この時代だとボルディンとか好きだったな。
今となっては信じられないが中長距離はイタリアが強くてパスタ食べると速くなると信じてた。 イタリア勢はドーピングの噂もあったが(86年頃)、あくまでも噂で証拠は全くない。
キャステラも「長距離にはプラスはないと思う。少なくとも彼らはやっていないと思う」
とコメントしていた。 ボルディンはスピード感はないけど、本当に粘り強い男だった。
ソウル金メダルには本当にびっくりしたけど、86年欧州選手権優勝に87年ローマ
世界選手権銅、と実績があって、88年ボストンでは4位(2時間09分27秒だったか)
全くノーマークにするわけにもいかず、一応注目はしていた。
サラがワキウリ振り落としに躍起になって力を使い過ぎてと思う。この時、少し先頭から
離れていたのが、かえって幸いだったかも知れない。
90年のボストン優勝はボルディン生涯の最高傑作だと思う。深夜の放送で、生で見る
のはキツイ、とテレビ東京を録画していたが、巻き戻してみようとした際、ちょうど
ボルディンがイカンガーを捉えた箇所が出てきて「あ、これはボルディンが勝ったな」と
ピンとくるものがあった。 ソウルのボルディンは凄かった。
他にもアンティボ、コパ、バネッタと強かったな。
多分ボルディンはスピードも無かったのかも知れないがなんとも言えない強さが有ったと思う。 サルバトーレ・アンティボはお気に入りの選手だったが、見に行った東京での
世界陸上ではリチャード・チェリモなどのハイペースにかき回されて、周回遅れ。
朦朧としてしまっていた様子だったのを思い出した。 トラック&フィールドというアメリカの陸上競技専門誌がある
1947年以降毎年各種目の年間ランキングベストテンが掲載されている
瀬古は7回ベスト10入りし中山も1987年1位を含め6回ベスト10入りしている
https://trackandfieldnews.com/wp-content/uploads/2019/01/11-mMarRank.pdf >>104
中山が92年に返り咲くってのも凄いな。
そういえばフランクショーターってブランド無くなっちゃったね >>109
中山が福岡国際マラソンで初優勝した年ですね
万歳しながらゴールして2時間10分ちょうどだったことを思い出します
あ〜もったいないなと思いましたが当の本人はあっけらかんとしていました
この年を最後に福岡は海の中道コースがなくなり市街地を走るコースに変更されました
自分はショーターの初優勝の時から見続けていたので残念でした トラック&フィールドニュース公式ウェブサイト
https://trackandfieldnews.com/
女子マラソンや一般種目のランキングなども見られます こりゃ、また役に立つ! ありがとざんす。>>111
中山が突然変異で出てきた時は、ビックリした。youtubeで久々に当時(84年)のレースを
見たが、本人も戸惑っている節が見えた。表情が凄く優しいのにもビックリ。
まあ、素の部分が出てしまっていたんでしょうね。 >>99
当時のヨーロッパ勢は、全部やっています。
自転車競技の5年遅れのドーピングをやっていた。 1983年に世界陸上選手権が開催されるまでは福岡国際マラソンが国際陸連が公認した唯一の選手権だった
米ソ冷戦時代だったので東側諸国はボストンマラソンやニューヨークシティマラソンには出場しなかった 世界ランキング回数
8回 カルボーネン
キプサング
7回 キャステラ
イカンガー
瀬古
君原 君原健二もまた偉大なマラソンランナーであった。
キャステラ、イカンガーは80年代のビッグ・ネーム。瀬古&中山ともに縁の深い選手。 キャステラは81年福岡で2時間08分18秒を出して一躍大ブレイクした。
サラザールの出した2時間08分13秒はのちに(85年初頭あたり)距離
不足とされ、抹消されてしまったが、その時には既にスティーブ・ジョーンズ
がシカゴで2時間08分05秒を出していた。
キャステラは元・世界記録保持者と紹介されているが、リアル・タイムでは
一度も世界最高記録保持者と紹介されたことはない。 ロッテルダムで勝ち、ヘルシンキでの第1回世界選手権にも勝ったあたりが絶頂期。
ピークは長くて、91年にもロッテルダムで優勝した。 >>113
80年の8か国対抗陸上に出場し瀬古と対決したフィンランドのバイニオ
83年地元で開催された第1回世界選手権で5000m3位10000m4位
翌年のロス五輪10000mで2位でゴールしたが薬物違反が発覚し失格になった
自伝で世界選手権の時の薬物使用も認めている
https://web.archive.org/web/20041209003606/http://www.nikkansports.com/ns/sports/f-sp-tp0-041106-0001.html で、金井豊が7位に繰り上がった、と。
ああ、そうそう、8位がスティーブ・ジョーンズ。 スティーブ・ジョーンズは84シカゴで2時間08分05秒の世界最高記録樹立
(2位・ロペス。3位・キャステラ)。翌85年は、世界記録をロペスに更新された
翌日のロンドンで2時間08分16秒で優勝(2位はロス五輪銅のスペディング)
秋のシカゴで2時間07分13秒で再び優勝(2位・ロブレ・ジャマ、3位・キャステラ)
88年にもニューヨークで2時間08分20秒で優勝しているが、ケガの影響で
ソウル五輪は出られなかった(それ以前に代表選考で、ひと悶着あったようだが)
このジョーンズを87ボストンで破った瀬古利彦は、やはり希代のスーパースター。 当時の一発屋
バリンジャ―(82年福岡国際マラソン優勝)
シドロフ(82年東京国際マラソン優勝)
渋谷俊浩(88年福岡国際マラソン優勝)
森田修一(91年福岡国際マラソン優勝)
瀬古も宗兄弟も中山も谷口も出場しなかった大会 無冠の帝王・伊藤国光は、82年こそ優勝のチャンスだったな。
しぶたに、は一応当時の世界記録保持者のデンシモに勝っている。
森田もメコネンに勝っているか。 >>132
隙間隙間言っている奴は、カールルイスの100Mの連覇も今の中国人よりも遅いタイムだから隙間って言ってそうだわ。 >>130
天候不良でずっと中継がなくって
中継が入ったと思ったら瀬古が独走しててびっくりした。 かなり強烈なスパートだったそうで一瞬のうちに独走態勢に入った。 >>131
森田修一懐かしいな。日産だったっけか? 今となっては日産に陸上部が有ったなんて夢にも思わないだろうな。
ところで日産は駅伝強かったの? 全日本実業団駅伝優勝経験あり。確か89年。その後、部が縮小。 >>134
瀬古や中山が今いても、ケニエチのトップクラスには歯が立たんだろう。日本記録が出せる可能性はあるかもしれんが。
マラソンは100mと違ってケニエチ参入以前と以後でもはや別競技だからな
マラソン世界歴代記録の異常なケニエチ率を見ればわかる >>134
あの時代のトラックだと今みたいなタイムは出ないしね。
ただ91年東京の国立は大会直前に張り替えて高速マット初採用だった。
当時はリアクションタイムも0,12秒を切るくらいでフライング判定だったので0.10の今のルールより不利。
>>142
ケニエチは昔よりはるかに層が厚くなってるからね。人口増加も影響してるのかな。
中山がヴェイパー履けば05分台は間違いなかったと思う。
瀬古も08分台は本気ではなかったと言うし、瀬古はヴェイパーの効果はわからんが、
今のペースメーカーがいる環境だとかなり好タイムが出そう。
タラレバ言うと馬鹿にされるのはわかってるがあえて俺の意見。 ペースメーカーがある程度、お膳立てしてくれる現代よりも
瀬古・中山時代は、明らかに不利な時代。 >>143
瀬古ってタイム狙ったことあるのかな?
あの頃だとデンシモが5分台だったっけか?福岡でコース間違えた記憶がある ああ、懐かしい映像だ。何が懐かしいかと言うと金井豊も谷口伴之も
もう、この世にいない。中村清監督に至っては、この2週間後に急逝
してしまっている。
しかし、瀬古利彦のランニング・フォームは改めて素晴らしい。
3万mは、なかなか実施する機会がないせいかも知れないが、81年に
世界記録を出している。 >>142
カールルイスが今いてもボルトには欽ちゃん走りを50M位されるよ。
中国人にも勝てない
今は100Mもルイスのころとはもはや別競技だからなぁ
歴代記録の異常な9秒台の数を見ればわかる。 >>142
今のケニエチトップクラスが30年前の、
バネ靴なし、高度なスペシャルドリンクなし、高度なペースメーカなし、
そして、スペシャルEPO抜きだったらイカンガー程度だったと思うよ。 >>150
100mは時代の流れで技術が進歩して正当に平均タイムが上がってるだけ
マラソンももちろん技術の向上でタイムは上がってるが歴代上位がほとんどケニアエチオピアだけで埋まってるのからわかる通りケニエチが本気出し始めたら他の国は通用しなくなった、
つまりそれ以前はケニエチのいない隙間で稼いでいただけということに他ならない そもそも42キロも走らされて、しかもそのために毎日数十キロ走り込みが必要さらに見返りも少ないマゾ競技を誰がやりたがるねんという話で
マラソン程度の賞金に夢を見出だせる貧乏国ぐらいしか本気出さない結果がケニエチだけで埋め尽くされてる現状なんだろうな。
駅伝人気が強い日本という例外はあるけどこっちは人種的に弱いから結局大したとこまではいかないし
そういう意味では時代的に隙間という以前にそもそも競技として隙間なんだろうね。長距離の中でも基本的にトラックで通用しない、あるいはしなくなった奴が転向するケースが多いし 種目は違うが昔居た三段跳びのマイク コンウェイの息子がNBA選手になってた。身体能力は高いんだろうが金にならない種目よりNBA選ぶよな… MLB、NBA、NFL選手の引退後の破産率が半端ない。
NBAで6割、NFLで8割とかで半端ないので
BROKEというドキュメンタリーが作られる始末
https://www.youtube.com/watch?v=6gk50OyW6qw 飯島秀雄は代走専門としてプロ野球入りしたが牽制球で塁に戻ることを知らなかった >>152
今のケニエチトップクラスが30年前の、
バネ靴なし、高度なスペシャルドリンクなし、高度なペースメーカなし、
そして、スペシャルEPO抜きだったらイカンガー程度だったと思うよ。 >>152
お前はアベベは本気出していなかった時代だといいたいんだね?
油ヲタか大タコのファンか知らないけど、油も大タコも日本最強でないことだけは間違いない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています