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マラソン日本最強は瀬古か中山である
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0444ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/28(水) 03:19:39.64ID:P4v01tQd
YouTubeが世界に拡張したおかげで未見の映像をたくさん見られて嬉しいです。
NHKもせめて国際マラソン選手権くらい保存してほしかった。
0445ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/28(水) 12:48:37.82ID:xaKmD3xc
メキシコ五輪の記録映画
https://www.youtube.com/watch?v=pVsQYRZgb10
10000は1:07辺りから、マラソンは1:30辺りから。マラソンは独立して
https://www.youtube.com/watch?v=c4n_8hpkDEg
にあるが途中がノイズで視れない。余り説明的でないので分かりにくい面が多々あり。

メキシコ五輪マラソンは東京の3000障害の覇者ローランツが途中までリード、
それを10000の金銀コンビのテム、マモ・ウォルデが追う展開。アベベは早々に
棄権。ローランツは途中で大きく遅れ(11位)、テムも大きく遅れ19位に終わる。
途中からマモが独走。後方待機だった君原は次々と選手を抜き、銀。銅は第1回
国際マラソンの覇者ライアン(NZ)。年末の第3回を制するアドッコクスは5位、
世界記録保持者のクレイトンは7位で入賞を逃す。前半先頭で映っていた宇佐美は9位。
佐々木は棄権。
https://en.wikipedia.org/wiki/Athletics_at_the_1968_Summer_Olympics_&;#8211;_Men%27s_marathon
0446ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/28(水) 13:52:52.92ID:KZqPelZw
改めて凄いことですね。メキシコ五輪にしても、もう50年くらいたっているんですから
はるか昔にあった話。貴重な映像ですね。
0447ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/28(水) 19:26:28.05ID:m18BNUkG
日本マラソン史上7強
男子:瀬古、中山、谷口、森下、藤田、宗茂、君原
女子:高橋、野口、土佐、有森、山口、鈴木、坂本

中でも瀬古、中山、高橋、野口が別格なのは言うまでもない
0448ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/28(水) 20:08:00.43ID:Ujsbf/Rt
キリのいい10強にされてみては?
0449ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/28(水) 21:05:39.68ID:gyV8EHGZ
>>445
この映画の題名は「太陽のオリンピア」日本語版を小学校の体育館で見ました。
印象に残ったのは走り幅跳びのビーモンの8m90という驚異的な世界新記録の場面。
それとマラソンの最終走者が足を引きずりながらゴールするまでを長時間映していた。
タンザニアのジョン・スティーブン・アグワリという選手だった。
0450ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/28(水) 21:16:12.35ID:FpvhxVGc
ドーピング疑惑が拭えないにしてもラッセ・ビレンの残した足跡は大きく、五輪では
劇的なレースを行っている。ミュンヘン、モントリオールの4冠のダイジェスト映像は
https://www.youtube.com/watch?v=xFVKBK0eM24
にある。

まずミュンヘンの10000m
https://en.wikipedia.org/wiki/Athletics_at_the_1972_Summer_Olympics_%E2%80%93_Men%27s_10,000_metres
映像でも分かる通り12周目にビレンはチェニジアのガムーディと脚を絡ませて転倒して
いる。ガムーディは2周後に棄権したが、ビレンは先頭に追い付くどころか世界新で優勝。
2位のプテマンスも従来のクラークの記録を上回り、3位には8年後に無敵の強さを示した
イフター、5位にマラソンで優勝するショーター、6位に優勝候補でかつ前半をリードした
ベドフォードが入った。ベドフォードは翌年世界新を記録する。

ミュンヘンの5000m
https://en.wikipedia.org/wiki/Athletics_at_the_1972_Summer_Olympics_%E2%80%93_Men%27s_5000_metres
は、ビレンと脚を絡ませて転倒、棄権を余儀なくされたガムーディがビレンに挑んだが
及ばず銀。彼としては4つ目のメダル(東京10000銀、メキシコ5000金、10000銀、ミュンヘン
5000銀)。3位には猛然と追い込んだスチュワートが、途中までビレン等とトップを争い最後
失速したプレフォンテンを交わして銅。彼はアメリカのトップランナーであり続けたが、
1975年にフィンランド-NCAA交流大会で優勝した晩のユージンでのパーティーに参加した後、
ショーターをケニス・ムーア(ミュンヘン4位)の家に連れて行った帰りに自損事故で事故死。
飲酒運転だった。彼の名前はプレフォンテンクラッシックという大会名に残っている。
0451ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/28(水) 21:16:47.58ID:FpvhxVGc
(承前)

モントリオール10000の結果は
https://en.wikipedia.org/wiki/Athletics_at_the_1976_Summer_Olympics_%E2%80%93_Men%27s_10,000_metres
にある。このレースは4冠の中で最も楽だった。2位だったカルロス・ロペスは8年後に
ロス五輪のマラソンを制し、世界記録も作った。しかし物議を醸したのはビレンがゴール後に
靴を掲げてウィニングランをしたこと。当時シェアが圧倒的だったアディダスではなく、
世界的には無名だったオニツカ(翌年アシックスに社名変更)だったため、一挙にオニツカ
ブランドが世界に知られるようになった。

モントリオールの5000mの結果は
https://en.wikipedia.org/wiki/Athletics_at_the_1976_Summer_Olympics_&;#8211;_Men%27s_5000_metres
2位のクァックス(NZ)は翌年に世界記録を作る(同じレースで鎌田が日本新)。3位は
ゴールで転倒したヒルデンブランドが僅かにロッド・ディクソン(NZ)を凌いだ。ディクソンは
ミュンヘンの1500で銅、74英連邦の1500で3位ながら世界歴代5位で走り、モントリオールでも
1500の有力候補だったが、同国の優勝候補ウォーカーとの競合を避けて5000に出場し、10中8,9
手にしていたメダルを手に入れ損なった。彼は1983年のNYCマラソンに2:08:59で優勝し、ロス
五輪でもマニアはダークホースに挙げていた。しかし本番は10位。それでも瀬古やサラザールに
先着した。
0453ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/28(水) 23:17:29.95ID:FpvhxVGc
因みにビレンはミュンヘンの5000の4日後にヘルシンキで13’16”4の世界新を出したが、
その6日後にミュンヘンの5000で5位、10000銀のプテマンスが13‘13“0の世界新を出し、
4年間の記録保持者になった。
0454ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/29(木) 02:42:57.70ID:RbIVvEcx
最近勢いが凄いスレですな
0455ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/29(木) 03:12:45.27ID:kCwyjX3O
瀬古も中山も所詮穴場の時代で稼いでただけのくせに五輪でメダルも取れなかった敗北者じゃけえ
今おってもたいしたことないじゃろうな
0456ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/29(木) 09:37:23.73ID:Rq+7ifCV
瀬古・中山最盛期を穴場の時代と言い切ってしまう455氏は、ド素人ということ
だけは良く分かった。
素晴らしい選手が何人もいた時代を・・・・・・・・・・
0457ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/29(木) 10:42:01.45ID:3zVdgIXi
>>447
現役の選手がいないのは何故?大舞台での実績がないから?
0459ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/29(木) 17:02:15.09ID:B5WtpY9f
現役の選手は、複数回の活躍が求められる。一発屋では信用されない。
0460ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/29(木) 18:00:59.76ID:ar4gYa9J
戦後になって5000mで世界で戦えた選手は少なく、それが五輪、世界選手権で決勝に
残った人がシドニーの高岡しかいない事でも分かる。(高岡でも最下位だった)。
 しかし戦後最強の日本人5000mランナーは澤木啓祐である事に異論を挟む人は
いないだろう。実際、Track & Field Newsのランキング
https://trackandfieldnews.com/mens-world-rankings-by-athlete-2/mens-world-5000-rankings-by-athlete/
で年間ベスト10に入ったのは66年(6位)、68年(8位)の澤木のみである。その他にも
65年と67年のユニバーシアードの連覇(67年は10000との2冠)もあり代表的なトラック
ランナーであった。澤木のハイライトはハイライトは1966年の6月22日、ロンドンの
クリスタルパレスで開催した、ロンドン4大学対抗競技会5000mで、当時のトップランナー
のロン・クラーク(オーストラリア)、ガムーディ(チュニジア)等をラストスパートで
振り切り優勝。タイムも年間ランキング4位の13分36秒2(日本新)であった。
この様にラストも切れて勝負の出来る名ランナーであり、68年には5000,10000とも
日本記録を更新し、メキシコ五輪の活躍を大いに期待されたが、メキシコシティーの
酸素の稀薄なコンディションに苦しみ10000m決勝の3000m手前で転倒し、鈴木従道に
も遅れを取る全くの不振で終わり、5000mも全くダメだった。動画もほぼ残っていない
様で残念である。
0461ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/29(木) 18:22:29.49ID:AdrQnwYJ
>>460
で出たロン・クラークは不世出の大長距離ランナーであり、世界記録を17回(五輪種目では
6回)も更新している。因みに5000,10000の両世界記録を破ったのはビレンである。

彼はメルボルン五輪の聖火ランナーを務めた後、63年に10000の
世界記録を破り、64年の東京五輪の10000
https://www.youtube.com/watch?v=5F5iCsymMj0
では優勝候補筆頭だったがキックのなさで銅メダルに甘んじた。
またマラソンでも序盤をリードし、高速レースを演出し、
アベベの大記録をアシストする形になった(9位でゴール)。
翌年の活躍は素晴らしく、世界で初めて3マイル13分の壁と
10000m28分の壁を破る等11の世界記録の更新があった。
翌年も活躍が続き5000で従来の記録を大幅に更新する素晴らしい
世界記録をマークする等大いに活躍した。その様子は
https://www.youtube.com/watch?v=H1RBZUwHWBU
にダイジェストされている。しかし、絶対的な優勝候補で臨んだ
メキシコ五輪では高地の薄い酸素に苦しみ10000mで6位でゴール
したものの昏倒してしまった。2日後の5000m予選には辛うじて
出場し、決勝で5位になるのがやっとであった。
 しかし平地であってもクラークの様なキックのない選手が金を
取れたかは疑問である。実際、英連邦大会では全盛期の66年を
含めて4つのメダルを取っているが全て銀メダルであった。
また南半球の選手のハンディはあったと思われる。
0462ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/29(木) 19:47:08.60ID:B5WtpY9f
ロン・クラーク。名前は聞いたことがありました。
0463447
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2019/08/29(木) 19:58:48.60ID:ClgAMMf1
>>452
スレタイに則り「力強さ」または「勝負強さ」で再度選んでみました
どんなもんでしょうか?
>>457
最近の選手だと世界大会でメダルや入賞した中国電力勢他、
ボストンで勝った川内などがいますが、先頭集団から早々と遅れ
後方から着を拾っていくような走りは「強さ」という点ではどうなのでしょうか?

日本マラソン界ベストナイン
瀬古(83東京、87ボストン他多数)
中山(87福岡、五輪2回入賞他多数)
谷口(91東京金、92五輪入賞他)
森下(二回中山に競り勝ち、92五輪銀)
藤田(00福岡他)
宗茂(78別大他)
君原(五輪銀&入賞他)
高岡(02シカゴ他)
宗猛(84五輪他)
0465ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/29(木) 20:24:02.47ID:3zVdgIXi
森下という人をリアルタイムでは見てないのですが戦績見たら
ある意味最強ですね。五輪以外全勝。五輪にしても銀メダル
獲得。見事勝ち逃げしたって感じですよね。
0466ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/29(木) 21:21:38.12ID:r5Uc1M0c
森下はベテラン中山に対する新鋭という感じで現われた
中山に対しては全盛期は過ぎていたとはいえ3戦して3勝
逆に中山は森下がいなければ、優勝ー優勝ーオリンピック銅メダルだった
0467ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/29(木) 21:27:32.31ID:fTbKRCGt
私もこちらの書き込みとっても為になります
10年以上前に立っていた「日本マラソン史上もっとも強いランナーは?」のスレッドを筆頭に
歴史的に読み応えがあるスレが多かったのですが再びこのようなスレに出会えて嬉しいです
以前よりもレース動画を観るのも容易になりましたし…
ありがとうございます
0468ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/29(木) 21:48:32.74ID:obAwC3UX
1977年のワールドカップは二つの意味で意義深い大会であった。一つには五輪以外で初めて
世界のトップ選手が競う大会であり、もう一つは前年の五輪でボイコットしたアフリカ諸国
とそれ以外の対決によって真の世界一が分かる大会であるためである。特に男子中長距離は
熱い種目が目白押しであった。例えば800は五輪覇者で世界記録保持者のファントレナが
ケニアのボイトの挑戦を辛うじて退けた
https://m.youtube.com/watch?v=_9C2CDZvOOY
レースは見応えがあった。また5000、10000ではイフターが強烈なラストスパートで
2冠。
https://m.youtube.com/watch?v=rY1W-8iPJS4
https://m.youtube.com/watch?v=4KO7Gtvc4uE
以降、79年のワールカップ、80年のモスクワ五輪と同じ様なレースを繰り返し王者として
君臨した。

しかし最も興味深いのは覇者の交代を象徴した1500である。75年に初めてマイル3分50秒
の壁を破り、前年の五輪でも順当に戴冠したウォーカーは77年も圧倒的にランキング1位
であったが、このレースの途中で棄権し、一方で圧勝したオベットはこの年からモスクワ
五輪までマイルと1500で無敗を誇るようになった歴史の転換点になったレースである。
https://m.youtube.com/watch?v=uBw2uRzHASg
皆さんは気が付いている思うが石井隆士も健闘し、長く残った日本新を出している。
0469ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/29(木) 23:47:06.70ID:VsFqzj19
イフターは、ホンマ凄いですわ。ぜひ一度、マラソンを走って欲しかった。
ラストスパートがとにかく感動的。

>>463
この9人は私も全く異論ありません。ベスト10にすると、あと一人誰になるのか、で
ハタと考えてしまいますが・・・・・・・・・・・・・・
0470ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/30(金) 03:16:47.28ID:7G456c2x
>>468
79年ワールドカップでイフタ―と先頭争いをしていたのはクレーグ・バージンですね。
81年ボストンマラソンで瀬古と激戦を展開して2位になったので印象が強い選手です。
その後は内臓に異常が見つかったようであまり活躍していないようです。
0471ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/30(金) 12:34:29.97ID:chmt6lwJ
バージンて世界クロカンで優勝したことあったような
0472ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/30(金) 14:01:35.40ID:A7cM505O
ああ済みません。どうも変だと思ったら10000mは1979年の奴ですね。79年WC10000mの2位は
クレイグ・バージンで81年ボストンマラソンでの瀬古の相手です。79年に10000で27'39"4の
全米新で走り、翌年に史上2人目のサブ27'30"(27'29"16)で走っています。またご指摘の様に
クロスカントリーも強く、世界クロカンで2連覇(80,81)しています。マラソンは4回走って
初マラソンで平凡なタイムで優勝、誰も覚えていないと思いますが(私も熱心に見ていたが
全く記憶にない)79年の福岡で17位になったのが2回目で瀬古と競ったボストンが3回目です。
77年の動画はすぐには見つからない。。。
>>463
古い人が入っていないような。宇佐美は世界歴代3位で走って国際マラソンで優勝し、五輪も
3回出て、69年にも世界歴代4位で走っています。重森は65年にボストンとウィンザーの
世界2大マラソンを制して、おまけに世界記録を出しています。寺澤は63年に世界記録を出し、
その後もそれを上回る記録を複数回出しています。65年にも世界歴代3位で走っています。
藤田の様な一発屋で良いなら川島がメルボルン五輪で5位です。広島庫夫は意外にも
Track & Field Newsの実力ランキングに多数回登場しています。
0473ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/30(金) 14:03:06.95ID:A7cM505O
因みに全ワールドカップの詳細(記録とレース寸評)は
https://web.archive.org/web/20121026100106/http://www.iaaf.org/mm/document/competitions/competition/05/79/40/20100809103225_httppostedfile_split2010_21818.pdf
にあります。
0474ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/30(金) 17:46:06.96ID:YnUBf1it
記録よりもいかに世界を相手に戦ったか、が重要ポイントですね。
0475ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/30(金) 18:09:20.78ID:NjYExmXi
>>474
勿論、円谷や佐々木も忘れてはいけません。
世界と伍していたかどうかという観点を入れると藤田、高岡等の90年代以降の選手は落第ですね。
日本のマラソンは60年代には世界のトップを争っていたので。勿論、アフリカ勢が本格参入
する前なので単純比較は可哀想ですが。
0476ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/30(金) 19:48:09.88ID:omVi6mmw
すごい為になるスレ。そうそう、じっと昔にあった「日本マラソン史上もっとも強いランナー」を彷彿させる。
川内は拾っていくレースだが言い換えれば粘り強く、十傑なら入るのでは?個人的には円谷も入れたい。
女子は>>452 の選手が接戦かも。渋井を上げたいがもう一歩か?ここに安部、増田、福士も入るとちょっと薄まってしまうか。
0477ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/30(金) 19:50:44.87ID:pfcHo6Y9
たぶん同じひとたちが書いてるんじゃないの?
自分もそうだけど。
0478ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/30(金) 23:27:45.74ID:Ydanriob
スティーヴ・オヴェットとセヴァスチャン・コーの2人は中々直接対決がなく、またマスコミも
2人の間に確執があるかのように書き立てたこともあって、2人の直接対決はモスクワ五輪の
最大の目玉だった。オヴェットは77年5月から1500と1マイルで45連勝を続けて、79年には
1500の公認記録を上回る3’32”09で走った。記録面で上を行ったのはコーで79年の41日間に
800で従来の記録を1秒以上破る1’42”33,1マイル3’48”95, 1500 3’32”03の世界新を3つ立て続けに
出している。

実際には彼等の対決は78年の欧州選手権の800mで実現してオヴェットが2位、コーが3位
https://m.youtube.com/watch?v=Tifw-nxWIcw
となっている。この時に接触があり、オヴェットがコーに何事かを語ったようである。

それを踏まえたモスクワ五輪の800、1500は興味深い。大方の予想では800はコー、
1500はオヴェットが有利との事だったが、逆の結果になった点も皮肉である。
https://m.youtube.com/watch?v=HqHXv6Q5eh0
https://m.youtube.com/watch?v=KMz0WZzWWlw
0479ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/31(土) 01:59:09.36ID:JBytLktd
アベベが裸足で優勝をしたローマ五輪で、モロッコは初参加にもかかわらず既にラジが2位入っていたので、
エチオピア、ケニアに続く中長距離強豪国ってイメージがあったけれど、
その後は80年代のアウィータが出てくるまでは目立った選手はいなかったんですね。
0480ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/31(土) 03:31:19.76ID:JBytLktd
モスクワ五輪10000mは後半からはエチオピアとフィンランドの2国の選手だけが5名残ってのレースで(バイニオは13位)
フィンランドは血液ドーピングをしていての強さだったので、それも無ければエチオピアが圧勝のあっさりしたレースだったと思うが(最後にマーニンカに抜かされてコツは4位)
ここに不参加だったロノやバージン等が参加をしていたらかなり違ったレース展開だったかもしれない。(マラソンだけれど瀬古のトラックレース参加も見たかった)
動画を見るとマーニンカはこの10000mでも後の5000mでもエチオピアの選手をやたら押し出している。

イフターは名前、年齢も不鮮明な人だったようなので、歳はこの時で(1980年)36才説と44才説がある。
44才でトラック競技2冠ならば空前絶後ですが、マラソンに移行するのも年齢的に遅かったでしょう。その後、83年にはマラソンも走っているが、途中棄権。
モスクワ五輪のイフタースパートも圧巻ですが、全成績を見るとイフターはこの五輪以降は意外にも優勝していない。(Wikipediaには82年まで負け無しとありますが)
ミュンヘンでの10000m3位、5000mは遅刻欠場で、それ以降は「イフタースパート」を獲得して絶対王者となるも、
次のモントリオールが不参加だったので、モスクワまでは何とかグッドコンディションを維持し、8年越しの五輪の舞台でビレンに勝ち2冠達成の雪辱を果たしたので、これで肩の荷が下りたのでは。
数年後にはイフターを始め、この時参加をしたエチオピア選手団の幾人かはカナダに亡命。マモも逃れていたら痛ましい晩年は避けられたと思う。
0482ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/31(土) 07:08:56.16ID:JBytLktd
今マラソン現役ではファラーやベケレ、国内では福士などがベテランですが、
ロス五輪のロペスが高齢(37才)金メダリストでは有名で、更にはミュンヘン五輪マラソンで銅メダルを獲得したマモは40才(推定)であった。
調整の為か、マモはこの時10000m予選にも出ている(9位)同じくマラソンを走る宇佐美も出ていて、彼はマモに続いての10位。
https://more.arrs.run/race/30295
しかし、もっと驚くべきことはアベベやマモの親衛隊の先輩にあたるワミ・ビラツ(ブラトとも)はローマ五輪マラソン参加時で43才(推定)であった。(アベベの兄という誤報もあった)
結局この時はローマに発つ直前に原因不明の病気でローマには行けなかったが、翌年のびわ湖毎日マラソンにアベベと共に来日し、44才にしてレース結果もアベベに次いでの2位であった(寺沢は8位)。
http://www.lakebiwa-marathon.com/history.cgi?016
ローマ五輪マラソンで裸足で優勝したアベベは数日前の10000mにも出場していたという話もあったが、これも誤報。マラソンで2位になるラジは走っている。
アベベはスタート時から裸足という説と、途中で靴を脱ぎ捨てたという説がありますが、映像でもちょっと確認し辛いかなあ…。(判別できる方居ますか 笑)
https://www.youtube.com/watch?v=i_zRr9KOFWE
https://more.arrs.run/race/13826
https://en.wikipedia.org/wiki/Athletics_at_the_1960_Summer_Olympics_%E2%80%93_Men%27s_10,000_metres
ワミは12人も子孫を残し、現在なんと102才で今も矍鑠とジョグをしているという。
https://borkena.com/2017/01/13/legendary-ethiopian-athlete-wami-biratu-celebrated-100th-birth-day/
https://www.cmdsport.com/running/entrevistas-running/wami-biratu-predecesor-bikila/
0483ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/31(土) 07:13:55.13ID:DRa/Btvu
戦績からイフターが73年以降不敗の10000を落とす可能性は低かった様に見える。しかし
5000は絶対王者とまでは言えなかった。
>>468 の動画では77年のワールドカップで好勝負をしているが、負けてもおかしくない
展開だった。結果は生涯自己ベストで歴代3位の13‘13”82で辛勝したけど、この時の2位の
リクオリも全米新で走っている。このリクオリは良く知られたマイラー/1500の選手で
同じ年の直前のチューリヒの大会では優勝、イフターは世界記録保持者のクァクスにも遅れを
取った3位だった。またモスクワ前年にも敗戦があるが、その相手も良く知られたマイラーの
トーマス・ヴェシングハーゲだった。彼はコー、オヴェットが席巻する1500/マイルから
5000に活路を求めて82年の欧州選手権を取ったりしている。イフターを上回る中距離ランナー
のキックはイフターにとっても脅威だった様であるが、幸か不幸か西ドイツはボイコットを
したためモスクワでのヴェシングハーゲとイフターの対決はなかった。
https://www.letsrun.com/forum/flat_read.php?thread=3550274
モスクワでのイフターの相手は世界歴代2位を出したばかりのニャンブイであったが、
寧ろ4位になったコグランの方が脅威だったかもしれない。しかし強敵とまでは言えず
楽勝だった様に見える。
0484ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/31(土) 07:38:23.81ID:gASAtp9A
うわあ、凄い読みごたえがあるなあ。まだ全部見て
ないですけど、必ず全部閲覧しますからね。
今後も楽しみに来ます。
0485ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/31(土) 07:41:33.64ID:DRa/Btvu
>>482
なるほど、僕も誤解していましたが、
https://archive.org/details/olympicmarathon00mart
に基づく
https://en.m.wikipedia.org/wiki/Abebe_Bikila#CITEREFMartinGynn2000
をの記述を見ると、新しい靴を買って試したところ豆が出来たので、結局裸足で走る事を
決意したとありますね。という事でローマ五輪のレースでは最初から裸足だったのでは
ないでしょうか。ローマ五輪の記録映画で確認出来るのは裸足のアベベのみです。
0487ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/31(土) 07:50:28.06ID:JBytLktd
>>485
レスありがとうございます。今、
https://www.youtube.com/watch?v=i_zRr9KOFWE
を見返していたんですが、スタート直後のゼッケン11のアベベを見ましたが、やはり最初っから裸足みたいですね。
「東京オリンピック」の映画の中でもビキラ・アベベと言われていたり、当時はアフリカ大陸からの情報も少なかったと思います。
0489ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/31(土) 08:41:02.57ID:JBytLktd
ミュンヘン五輪のトラック長距離はビレンよりも同じフィンランドのバータイネンの方が有力と見られていたようだ。
独特の風貌のバータイネンは短中距離からこなしていたようで、五輪前年の自国ヘルシンキでのヨーロッパ選手権での10000mラスト一周は
ロン・クラークの後継であるかのような新記録を生み出すイギリスのベドフォードもいたが、ドイツのハーセとの400m走のような脅威のスパートは圧倒される。
https://www.youtube.com/watch?v=Qrp2K9zxgrs
まるでメキシコ五輪10000mラスト1周のナフタリ・テムとマモ・ウォルデのスパート合戦を思わせる。
https://www.youtube.com/watch?v=Ifny_zFx6U4
バータイネンはヨーロッパ選手権での5000mでも優勝(3位には息の長い活躍をしたドイツのノルポトがいる)
https://www.youtube.com/watch?v=jXNfmF-VYFw
https://more.arrs.run/race/35638
この時、ビレンも走っていたが、10000は17位、5000も7位という結果であった。
ビレンはミュンヘン五輪10000m予選でもショーターに遅れての4位での通過であったが、
https://more.arrs.run/race/35730
決勝では最後まで粘ったプッテマンスをも引き離し、クラークが出した記録を1秒更新しての世界新での優勝。
5000mも最後でガムーディを抜かしての五輪新の優勝。一方でバータイネンは最下位であった。
戦績を見てもイフターに比べると、ビレンは安定していない。五輪だけは強かった。
https://more.arrs.run/runner/5739
0490ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/31(土) 09:20:29.91ID:JBytLktd
チュニジアのガムーディはファラーのように記録などには縁がなかったが、
東京五輪から3回出場したオリンピックでは必ず表彰台に上がっていた。予選レースも殆どが1位。
五輪のみならず、他でのレースも常に安定した強さがあった。
全レースでリタイアしたのも、ビレンの転倒に巻き込まれたミュンヘン10000決勝のみであった。
https://more.arrs.run/runner/9266
チュニジアはモントリオール五輪も当初はボイコットの予定はなく、開会式にも出たが(当時の映像ではカットされている)
https://www.youtube.com/watch?v=AsJOKRjqMbM
急遽帰国を余儀なくされた。この時、ガムーディは38才で流石に全盛期のような走りではなかったが、インタビューなどからモントリオール五輪を引退レースと考えていたようだ。
チュニジアはガムーディの金メダルから次の水泳の金メダルまで40年の月日が経過していた。
2010年代までは獲得した半分以上のメダルが陸上のガムーディによるものであり、レジェンドと呼ばれている。
0491ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/31(土) 09:43:59.88ID:teyM/LRA
中山のオリンピック2大会連続4位は悔しいね。
両方とも惜しかったな。ソウルのときはサラがもうメロメロだったし、
バルセロナのときは周回を間違えたんだっけ?
どっちか1つでもメダル獲ってほしかったなあ。
0492ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/31(土) 09:53:53.25ID:DRa/Btvu
このデータベース、例えばビレンの項
https://more.arrs.run/runner/5739
は素晴らしいけど、幾つか抜けがある事が一瞬で分かるので、限界がある事は認識して
おく必要がある。例えばビレンでは1976年6月23日のサリヤリビ国際の1500で2位(3’43”9)
が抜けているし、1980年7月9日、10日のワールドゲームズの5000の2位、100000の4位が
抜けている。因みに前者の1位は石井隆士(3‘43“4)で、後者の10000では1位バイニオ(28’00”7)、
2位伊藤国光(28“01”2)、3位瀬古(28‘09“5)で5000の優勝はヘルレ(西独)、2位のビレン、
3位のオルチスに次いで4位に森口達也が入っている。
0493ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/31(土) 10:16:02.56ID:DRa/Btvu
このビデオ
https://m.youtube.com/watch?v=QB5DxltIkTI
は興味深い。載っているレースはモントリオールの5000が主だが、1983年のNYCマラソン、
ミュンヘン、英連邦、モントリオールの1500等。ディクソンとクァックス(故人)のインタビュー
が主だがビレン、ウォーカーも出て来る。ヒルデンブランドが出てこないのが画竜点睛を欠く。
やはりモントリオールの5000は劇的。
0494ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/31(土) 10:49:15.36ID:DRa/Btvu
ビレンは1973年の春季サーキット(スポニチ国際他)に参加しるために来日しているが、
その結果もデータベースから抜けている。サーキットでは凡走だったけど、日本の
若手だった佐藤市雄等が健闘したのみで勝った思う。

因みに鎌田は高卒3年目の72年のサーキットでケイノに食い下がって代表までもう
少しの処まで行きながら、その後腐って75年辺りまで不振で、チームメートの高尾が
日本新、伊藤が30キロで日本新を出した事に刺激されて75年秋から復活、
モントリオールの代表になり、10000で27分台、5000で13分20秒台を初めて出した。
一方、同学年の佐藤市雄は高卒4年目の73年の日本選手権の5000、100000の2冠で
記録的にも日本記録まであと少しまで行きながら、その後不振。後に駅伝男として
復活するが日の丸を背負うことはなかった。
0495ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/31(土) 10:56:21.87ID:c3OhCfHl
佐藤市雄は駅伝がもっとも能力を発揮出来たと。
大久保初男や柏原竜二(こちらは派手でしたが)の系譜ですね。
0497ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/31(土) 12:48:25.26ID:DRa/Btvu
完璧ではないけど、このデータベースは凄く、幾らでも時間を潰せますね。例えば
https://more.arrs.run/runner/search
でsurname にSeko, given nameにToshihikoと入力すると下にSekoの欄が出て、それを
クリックすると
https://more.arrs.run/runner/6043
という登録されている瀬古の全成績が出てくる。どうも調べた限りでは1マイル1500等
の中距離はなく、3000以上の距離限定の様。また試合の詳細についてもレースの右端の
アイコンをクリックすると分かる。例えば80年のDNガランであれば
https://more.arrs.run/race/37012
である。先のワールドゲームズも
https://more.arrs.run/race/37016
の様に、実は登録があるけど4位のビレン以下が未登録。例えばそこでバイオ二の名前を
クリックすると
https://more.arrs.run/runner/5044
といったバイニオのページに飛ぶことが可能。今まで曖昧な記憶とオフラインの昔の雑誌や
本の記録に頼っていたものの大部分がこのデータベースで代替可能。
0498ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/31(土) 13:49:42.93ID:IOLznf7m
>>497
これは凄いですね。
瀬古が黒歴史にしていた78年のミルトンケーネスマラソンの結果まで残っている。
https://more.arrs.run/race/28318
0499ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/31(土) 17:55:25.17ID:DRa/Btvu
5000mで史上最も速いファイナルラップとも言われる2006年チューリヒでのラガト
https://m.youtube.com/watch?v=r2rHmSKqs2w
最終ラップは51“96と表示されているが、ラスト1周の時点でラガトはトップでないため
おそらく51”8を切っている。これはアテネ五輪のエルゲルージより速いタイム。
0501ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/31(土) 19:29:29.37ID:3lPxAROg
スローペースではあるが、5000mのレースで50秒89というのは俺が知ってる中で最速。
0502ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/31(土) 21:00:45.59ID:rfkgextE
ミルトンケーネス! これ、知ってましたけど、練習の一環でマラソン歴には
加えてないんですね。
宗兄弟とか喜多秀喜はマラソン歴に加えてるようですけど。
実井謙二郎も初マラソンが練習として出ているので、実質91年のびわ湖が初マラソン
みたいなものでしたし。
0503ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/08/31(土) 21:09:06.68ID:rfkgextE
ボストンの記録は79年は2時間10分13秒で、優勝した81年が2時間09分27秒と
私が記憶していたタイムよりも1秒下に修正されているんですね。
0505ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/01(日) 00:12:37.42ID:luMR1BcY
>>500
有り難う。それまで遅かったとは言え、凄いスパートですね。
>>495
佐藤市雄は73年の太平洋五カ国大会で日本勢唯一の優勝をしています。その意味で日の丸
経験あり。後年の駅伝では主要区間を走らなかったので微妙なところがあります。
0506ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/01(日) 09:14:47.40ID:R4sp54DS
中山が台頭してから瀬古との初対決、スポニチ国際の10000m
金井のスパートに中山が対応できなくて、それを瀬古がカラダをのけぞって確認。
このシーンがいちばん盛り上がった。陸マガにも見開きで載ったし。
けっきょく金井が優勝。瀬古が中山に先着。
中山はW杯マラソンから1ヶ月で28分50秒の自己新。
負けたけど中山やっぱりすごいなと思った。
0507ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/01(日) 09:32:25.52ID:MVUycyZw
中村監督急逝は、確かこの後すぐの出来事ですね。
中山は初の28分台。25歳と4カ月くらいでの到達。中山ジュニアの卓也は
須磨学園高校3年で28分48秒台で走っていたので、将来、日の丸をつけて
走る選手になれるのでは、と期待したんですけどね。
0508ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/01(日) 11:40:12.58ID:HDQT30oc
ファラーは800mでも五輪メダリストになれる気がする。
0509ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/01(日) 14:12:17.66ID:S4ZEocJF
質が高いスレですね
0510ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/01(日) 15:18:07.47ID:luMR1BcY
50:9というと800の2周目としてもそうはお目にかかれないハイペース。例えば
https://m.youtube.com/watch?v=gtsTHhep_DA
の前半はモントリオール五輪でファントレナが世界新で優勝した時のビデオだが、
50:85-52:65だった。因みに2位のイボ・バンダムは1500も銀を取って大いに期待
された22歳のベルギー選手だったが、その年の年末に交通事故で命をおとし、
今はイボ・バンダム記念陸上大会に名前残す。

追い込みで知られているのはミュンヘン五輪金bのデービッド・ウォトル(米)
https://m.youtube.com/watch?v=5LHid-nC45k
最初は断トツのドベからスタートとして徐々に差を詰めたけど、最後のストレート
でも4番。そこからまとめて抜いて金。2周目は何秒だったのだろう。
0511ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/01(日) 15:55:32.76ID:dY1Fj33n
>>511
陸上選手の交通事故って多いような気がします。
アベベ、プリフォンテーン、金井豊、谷口伴之、オツオリ、チオンカン、ニコラス…
数日前にはルディシャが事故に遭ったそうですが、無傷だったようで良かった。
0513ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/01(日) 16:09:22.33ID:luMR1BcY
ところで、このサイト
http://www.apulanta.fi/matti/yu/yl/
が過去の年毎のランキングを調べるのに便利。IAAFのサイトでも始点と終点を指定した
ランキングが出せるので同じ内容を調べることは可能だけど面倒。因みに60年代のデータ
が揃っていない年のランキングを調べた限りでは同じ結果を出すので同じデータベースに
基づいている様だ。

残念ながらマラソンのランキングはないので10000のランキングを調べると過去年間ベスト10
に入った日本人は3人で述べ5回。
瀬古 80年5位、85年5位、86年10位
新宅 83年9位
中山 87年4位

10000のランキングながらスレタイに対応した結果で興味深い。
0514ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/01(日) 16:10:27.18ID:R4sp54DS
ファラーの50.89の動画を観ると、
なんか、4600mペース走をしてそこから
400m T.T.をしているような感じですね。
 
0515ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/01(日) 16:48:21.95ID:eUDiSNcu
瀬古利彦は、モスクワに出ていたら1万でも入賞出来ましたね、きっと。
0516ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/01(日) 16:52:53.55ID:eUDiSNcu
ファラーもそうですが、凄い人発掘スレですね。
必ずしも瀬古&中山にこだわっていないから、ココは
長持ちしそうな感じがします。
0517ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/01(日) 17:13:11.83ID:luMR1BcY
昔のマラソン史上..のスレでも出てきたが Track & Field Newsでは年毎に各種目の実力
ランキングを発表している。
https://trackandfieldnews.com/mens-world-rankings-by-event/
長距離でランキングインしたのは
5000 沢木66(6), 68(8)
10000 円谷64(10), 瀬古80(4),85(4), 金井85(7), 新宅85(8),中山87(10)
のみ。

マラソンは多数ランクインしている。全部網羅するのは面倒なので複数回入った人
のみにすると
西田 52(10),53(8), 55(7)
広島(庫)53(5),55(2),57(2),59(3)
浜村 53(4), 55(3)
貞永 53(6),58(6),59(10),61(4)
中尾 60(9),61(5),63(3),64(10),65(3)
寺澤 62(2),63(5),64(8),65(2),66(4)
君原 62(7),63(3),64(9),66(5),67(4),68(4),72(6)
広島(日)65(6),66(2)
岡部 65(10),66(6)
宇佐美 67(6),68(7),69(4),70(2),71(2),74(8)5
采谷 68(2),69(9),70(5)
0518ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/01(日) 17:18:46.87ID:luMR1BcY
(承前)
宗猛 75(9),79(6),80(9),81(8),83(4),84(5)
瀬古 78(3),79(2),80(3),81(3),83(2),86(4),87(5)
宗茂 78(5),79(4), 81(5), 85(10)
伊藤 80(10),81(4),86(5)
中山 84(10),85(4),86(8),87(1),88(8),92(4)
谷口 87(2),91(1)
森下 91(10), 92(2)
 以上である。
因みに2000年以降でランクインしたのは藤田00年5位、油谷01年9位、高岡02年4位。
高岡以降にランクインした選手はいない。
0519ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/01(日) 17:35:19.78ID:R4sp54DS
宗茂が別府大分で2時間09分05秒6を出したときは
テレビ中継がなかったんだよね。ラジオだけだった。
だけど、宗茂が世界記録を大きく上回るペースで独走したもんだから
途中からあわててテレビ中継が始まった。信じられない出来事だな。
0520ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/01(日) 18:52:38.64ID:SPM3E+SP
今では考えられない話。そう言えば80年の箱根駅伝
の2区は、急遽NHKで実況生中継したと聞いた。
0521ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/01(日) 20:05:36.48ID:dY1Fj33n
あまり詳しいデータが見当たらない大会なんですが、1967年、スペインのサラウスマラソンの動画。
https://www.youtube.com/watch?v=V44nI2ua0ZY
アベベは前年も参加をしていて、その時は優勝していますが、この時は長引いている故障の為か、途中棄権でトレーナーのニスカネンと共に車に乗っている。
代わりに優勝したのはマモで、この時既に翌年メキシコオリンピックでの王者交代劇の前兆があった。
因みにこのレースの参加者には、翌年のサラウスでは優勝、更にメキシコでも6位入賞するゲブルや
ミュンヘンの10000mでアクシデントの為に途中棄権したガムーディの代わりに8位で健闘した同国チュニジアのザーンダムという選手も走っている。
0523ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/01(日) 21:11:04.04ID:dY1Fj33n
ザトペックも感動し、彼のその後の人生に大きな影響を与えたベルリン五輪10000m、5000m共に4位と健闘した
伝説のランナー村社講平のように、メキシコ五輪10000m、5000mで大きな感動を呼んだランナーにメキシコのマルチネスがいる。
地元の選手ということもあって、当時会場でのマルチネスへの声援は凄かったらしい。
21才の若手で小柄な身体ながら何度も先頭に立って走る姿に観衆は興奮し、正にベルリン五輪での村社を彷彿させ、10000m、5000m共に4位と結果まで同じであった。
https://www.youtube.com/watch?v=fWuAMm0GxyI
https://www.youtube.com/watch?v=7fMCQhIx-C8
70年には来日もしていて、ミュンヘン五輪の10000mも走っているが、この時は決勝まで残ったが10位という結果だった。
0525ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/01(日) 21:24:53.42ID:luMR1BcY
>>523 サンパウロマラソンの方には沢木が走っていますね。
0526ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/01(日) 22:20:56.48ID:dY1Fj33n
ARRSはプレオリンピックのトラック競技のデータなども全選手の記載が無かったりしますね。
1963年の東京国際スポーツ大会の5000mは円谷は5位、ガムーディ4位、6位は澤木で、
優勝したイギリスのブルース・タローは「裸足のタロー」の異名を持っていました。
https://www.youtube.com/watch?v=wpE58uiFlR4
本戦の5000mで優勝したアメリカのシュールは故障続きで次のメキシコは難しかったみたいですが、
10000mで優勝した同国のビリー・ミルズがメキシコ五輪に出なかった理由が分からないままです。
ミルズは映画化されたりしていますが、当時の走っている映像は少なくて、同国リンドグレンとの接戦や
https://www.youtube.com/watch?v=8enmHE2bZJ8
フランスの長距離選手の英雄、ミシェル・ジャジが優勝したヘルシンキのレースで観られました。
https://www.youtube.com/watch?v=h7haylwQdMc
0527ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/01(日) 22:28:59.02ID:luMR1BcY
一寸クリアではないけど
https://www.youtube.com/watch?v=dyj8yIvFM90
はヨーロッパ選手権(アテネ)でのロン・ヒル等の雄姿。結果は
https://en.wikipedia.org/wiki/1969_European_Athletics_Championships_%E2%80%93_Men%27s_marathon

実は所謂アテネ古典マラソンは春先に行われ、アテネ五輪と同じ難コースながら
欧州選手権を棄権したアドコックス(メキシコ五輪5位、その年の国際マラソンで
世界歴代2位で優勝し、マモ等を差し置いてその年の実力ランキング1位に推される。
また70年のびわ湖毎日でも大会新で優勝)が2:11:07という世界歴代3位相当の好記録
で優勝。このコースレコードはアテネ五輪まで残った。2位の君原も2:13:25:8の
生涯最高記録だった。これは猛烈な追い風が吹いた際の片道コースならではの恩恵
故だった。

一方、前年のメキシコ五輪では10000のみの代表(東京五輪ではマラソンと10000の
代表)だったヒルは、これで自信をつけたのか、年末の福岡では2:11:54の好記録で
2位、翌年のボストンでは世界歴代2位の2:10:30で優勝、更に英連邦で史上2人目の
サブ10である2:09:28を記録し、(年末の福岡では惨敗したものの)文句なしの
年間実力ランキング1位に選ばれた。3強(クレイトン、ヒル、宇佐美)の一角として
優勝候補として挙げられたミュンヘン五輪では君原から遅れる事10秒余の6位で
不完全燃焼だったと言えよう。
0528ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/01(日) 23:09:33.93ID:dY1Fj33n
1967年のプレオリンピックに当たるメキシコ国際スポーツは澤木は不参加だった模様。
10000mにマラソンも走る選手が出ていて、8位佐々木、10位宇佐美、12位君原。ベルギーのローランツが3位(3000mSCの方では優勝)でマルチネスはここでも4位。
5000mは日本選手は不参加でマルチネスは3位。この時、5000m、10000mの2冠はチュニジアのガムーディ。
メキシコ五輪長距離は高地民族の圧勝だったということで、その中にガムーディの名前も入りますがチュニジアは高地ではないので、他国の選手と同じように高地トレーニングが大変だったようです。
プレオリンピックは2冠達成でも果たして本戦では通用するか戸惑いがあったようで、3日間も眠れないで五輪10000mに臨んだという事です。
http://www.garycohenrunning.com/Interviews/Gammoudi.aspx
メキシコ五輪のラスト1週は10000が56秒、5000が54秒とラストは平地と特に変わらなかったようです。
0529ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/09/01(日) 23:42:46.04ID:luMR1BcY
>>528
メキシコ・プレオリンピックのマラソンではローレンツが優勝、君原が2位、宇佐美が3位、
佐々木精一郎が4位になっていますね。
https://more.arrs.run/race/34821
この結果がクレイトンの世界記録の際の高橋進のコメント「人類が2時間10分を
最初に割るとすればローランツだと私は確信した」
http://www.coara.or.jp/~hinoue/World/Fukuoka/1968_Fukuoka.html
に繋がった。

佐々木精一郎は10月22日にプレオリンピックで走ってから12月3日に福岡で世界記録を
上回る記録で走り、2月4日に別府で大会新で走って
https://more.arrs.run/runner/9394
ダメージは相当でかかった筈。レース過多で選手寿命を縮めたと思われる。因みに6月27日の
https://more.arrs.run/race/35116
3位28:40:8も日本新だったが、同じレースで沢木が28:35:2で2位になっているために
日本記録変遷史に残っていない。これは佐々木のマラソン記録が世界記録変遷史に残って
いないのと同様。
0530ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/02(月) 12:11:21.89ID:ELD7YUad
色々な強豪の歴史をココで学べる
0531ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/02(月) 23:12:36.90ID:u26zwd2y
アルベルト・コバ(イタリア)
https://m.youtube.com/watch?v=W0Iv5pz6JtI
https://more.arrs.run/runner/5741
82年欧州選手権、83年世界選手権、84年ロス五輪と10000の大レースを3連勝したキッカー。
そのキックはラスト1周にわたってというよりも必要な時の一瞬のみに発揮され、勝負勘の
良さが光った。しかし、それ故に記録とは無縁で玄人受けもせず、余り覚えている人は
多くないかもしれない。少なくとも同じロス五輪のもう一人の長距離5000の覇者である
サイド・アウィータやモスクワの覇者のミルツ・イフターとは知名度で大差がある。
0532ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/03(火) 00:09:35.17ID:wHQdl4nq
エミール・ザトペック
https://m.youtube.com/watch?v=qINaVe0oyx0 ヘルシンキ5000
https://m.youtube.com/watch?v=RqozVyagbyc ヘルシンキ10000
https://m.youtube.com/watch?v=hHaT5beAdQI ヘルシンキ、マラソン
https://m.youtube.com/watch?v=KvEBEK8_vqc ロンドン 5000
力感溢れる走法で戦後すぐの陸上長距離を席巻。400mx100のインターバルを
行ったりしたが、そもそもインターバルは彼の発案。上記ビデオの中では
ヘルシンキ5000が最も好勝負で、一時期金メダル間近と思わせ転倒した
チャタウェイはメダルにも届かず。5000,10000の双方で銀と苦杯を舐めた
ミムンはメルボルンのマラソンで金メダル。ザトペック(6位)に雪辱すると
共に溜飲を下げた。
0533ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/03(火) 01:18:05.62ID:8XZUtK4L
プレオリンピック・マラソンに当たる1963年の朝日国際マラソンの動画が
「あるマラソンランナーの記録」に少しありますね(マラソン動画は6分辺りから)。
https://www.youtube.com/watch?v=CNehMv0jsLY
https://more.arrs.run/race/14706
http://www.hakone-ekiden.jp/s/record_marathon.php?m=117
5分辺りでは80mハードルの依田郁子も好走。14分辺りには円谷の映像もありますが、こちらは記録会でプレオリンピックの円谷も観たかった。
この朝日国際マラソンは1位ジュリアン(NZL)、2位君原で、3位のベルギーのバンデンドリッシュは同年のボストンマラソンで優勝。
このボストンはアベベが初めて負けた(5位)として有名な大会で、同行したマモも12位。ブライアン・キルビー(英)は3位。
https://more.arrs.run/race/16795
このレースには当時のエチオピアランナー達の支柱であったスウェーデンのコーチ、オンニ・ニスカネンが初めて不在のレースだったと言われている。
アベベはこのボストン以外では、67年のサラウス、68年のメキシコが途中棄権で終わっている(この2レースの優勝者はいずれもマモ)ので、メキシコ五輪では3連覇も期待されていたが、競技生活最後の2年間は不調であった。
https://more.arrs.run/runner/8948
元々、円谷と再会した東京五輪翌年の65年来日辺りには既に足を痛めていたという話もある。
http://www.lakebiwa-marathon.com/history.cgi?020
先日亡くなった東京五輪マラソンの2位だったヒートリー(英)は元々はクロスカントリーがメインのキャリアが長いランナーであったので、東京五輪を引退レースとして有終の美を飾った。
https://more.arrs.run/runner/8949
0534ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/03(火) 08:09:03.18ID:BEMlhwGs
ザトペック投法(故・村山実)という言葉があるくらい、野球界でもザトペックの名前は
浸透している。
0535ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/03(火) 10:04:33.25ID:55TKLZX/
フィンランドも世界水準に復活して欲しい
0536ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/03(火) 19:27:39.33ID:x9JIt7nW
インターバルは、長距離練習の定番になり過ぎ。
少なくとも市民ランナーには必要ない。
0537ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/03(火) 21:36:36.99ID:F/Km6y8T
インターバルトレーニングの後に一世を風靡して現在も使われているヒルトレーニング
(ファルトレク)を前面に出したのがリディア―ド氏。その成果として、ニュージーランド
の中長距離選手が席巻した。その中でもリディア―ドの愛弟子として中距離に君臨したのが
ピーター・スネルで、ローマ五輪で800の金、東京五輪では中距離2冠。1962年の800の
世界記録は11年残った。また1マイルの世界記録、1000mの世界記録も残している。
https://www.youtube.com/watch?v=RK0woLEtQQA
を見れば分かる通り、他の選手との差は歴然。もしプロとして続けられたらもっと長く
君臨しただろう。
0538ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/04(水) 01:38:24.91ID:W2R6SNoc
森下銀メダルのバルセロナ五輪
韓国の黄永祚との一騎討ちの激戦の末に破れたため、
当時の実況は残念ムード満開だった。
その後の表彰式でも国歌斉唱のあと
しばし沈黙後
「やっぱり中央に日の丸が立って欲しかった…」
旨を呟いていたのが記憶に残る。
ただし、後日知ったことだが
黄永祚は日本のマラソンランナーをリスペクトしていて
たしか中山のポスターを部屋に飾って目標にしていたはず。
0539ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/04(水) 04:33:43.32ID:g5nlVa9s
かなり有名な話
0540ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/04(水) 04:37:35.31ID:g5nlVa9s
>>537
リディアード式は、中村清氏にも強い影響を与えた模様。代々木公園を利用したトレーニングも瀬古氏の練習にかなり登場しているようです。
0541ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/04(水) 18:00:48.55ID:sUO/XoE8
森下と宗茂がレース後、
ホテルに帰るタクシーで無言だったらしい。
勝てる確信をもって臨んだだけにすごく悔しくて
重苦しい雰囲気だったと。
0542ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/04(水) 19:29:42.29ID:W2R6SNoc
前年世界チャンピオン谷口、
絶好調の森下
前回4位でリベンジ目指す中山への期待は物凄く大きかった。
モスクワ(辞退)→ロス(宗猛4位)→ソウル(中山4位)という悔しい流れもあり、
さらには有森の銀メダル獲得でいやがおうにも盛り上がり、80年代の往年ランナー達も高齢になり他国はいまいち世代交代進まない状況で
直前はメダル独占を信じて疑わない雰囲気が漂っていた。
0543ゼッケン774さん@ラストコール
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2019/09/04(水) 20:19:44.89ID:ofmuTuyC
>>542
しかしその内実は綱渡り。特に谷口は5月中旬に右足指に痛みを感じ、右足第2中足骨に
疲労骨折の疑い。5月27日に骨折が確定し、1か月の入院で、五輪の代表辞退も必至と
見られた。一応箝口令が引かれていたものの、テレビでもプールの中を歩く谷口ばかり映って
勘の良い人は谷口はダメと感じ取ったに違いない。また中山も前年の世界選手権を棄権した
他、91年別大、92年東京と森下に連敗し、多くは望めずメダルは無理、という見方が大勢を
占めた。この中で若い森下にかかるプレッシャーは強く、張り切り過ぎた事もあり、
若干、調子のピークが早くなり過ぎた様である。尚、骨折入院から退院した谷口は思った
より順調にトレーニングをこなし、調子のピークを五輪(8月9日)に合わせる事は成功したが、
例の「こけちゃいました」で万事休す。
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