瀬古の2度目の優勝の翌年の1988年のボストンマラソン
https://m.youtube.com/watch?v=otleVsck-Co
は歴史的に重要なマラソンである。謂わば87年は旧世代最後のマラソンであり、
この年初めてアフリカ人の覇者が出た。それだけでなくこの年以降、ボストンの
殆どの優勝者がアフリカ人である事が雄弁に歴史の転換を物語っている。

このレースの覇者であるイブラヒム・フセイン自身も前年のNYCの優勝よりも
このレースの優勝の意義をより強調している。フセイン自身はこの年を含めて
ボストンを3度優勝する等の活躍をしたが、優勝候補の一角に挙げられたソウルでは
途中棄権だった。強調すべきは彼がケニアで初めての名の通ったプロランナーであり、
それまでレースが少なく稼ぎが難しいと参入を躊躇したケニア人の後輩を刺激した点では
世界チャンピオンでかつ五輪銀のダグラス・ワキウリ凌ぐ程の影響があった。以降、
ケニア人マラソンランナーが席巻する。

因みにこのレースの2位がイカンガーであるのは言うまでもないが、3位がロス銀の
トレーシー、4位に欧州チャンピオンでソウルを制するボルディンが入っている。
日本勢は10位に谷口、12位に喜多が入っている。