一寸マニアックだが78年の欧州選手権10000mの決勝のビデオ
https://www.youtube.com/watch?v=NmgMo0LHAZo
が興味深い。結果は
https://en.wikipedia.org/wiki/1978_European_Athletics_Championships_%E2%80%93_Men%27s_10,000_metres
にあるが、1位〜3位は当時の世界歴代4-6位の好記録ラッシュ。

1位のバイニオは長く活躍しロス五輪の10000mで2位でゴールしたがドーピングで失格。
83年の世界選手権等のそれまでの記録は有効になっている。モスクワで銀、銅を取って
活躍したマアニンカが後にドーピングを告白しているが、モスクワで活躍出来なかった
バイニオがロスで使ったのみなのか常習なのかはっきりとしない。因みに84年のロッテルダム
マラソンのBサンプルで陽性となっているので五輪のみということはなさそう。

2位のオルチスは78年のハか国陸上のため来日し、瀬古を子ども扱いし、瀬古のトラックへの
未練を絶った事で有名。しかし活躍はこの年のみと言って良い。

3位のアンチポフは80年のDNガランで瀬古が10000mで日本新を作った時の相手。
当時ソ連だったが本来リトアニア出身。モスクワ五輪では活躍出来なかった。

4位のフォスターも好記録でゴールしたが実は彼は6月23日に前年の世界記録を
上回る世界歴代2位の27'30"3で走っていた。彼はモントリオール五輪10000m
でビレン、ロペスに次いで銅を取る等、当時の代表的なランナーで数多くの栄誉に
輝くと共にビジネス界でも成功している(Nike Europe等のvice-presidentを経て
Nova Internationalを創始)。