1986年のソウルアジア大会
https://m.youtube.com/watch?v=h4B7N4y35Mc
26分辺りから5000m、最後にマラソンがある。5000には新宅、金井のヱスビーコンビが出て
ラスト2周からのスパートで勝負あったかに見えたが、スパートが早すぎて韓国の金に追い抜かれ、
確実に金と思われた5000を落とす。マラソンは2kmも行かないうちに中山が谷口を千切って、
世界記録ペースで爆走。後半ペースダウンしたものの8分21秒で圧勝。
因みに10000では瀬古と新宅が登場したが、新宅が合図してペースアップした6200付近で
瀬古は付いて行けず、腹を抑えて立ち止まる信じられない光景。結局新宅が楽勝したが、
瀬古は1分遅れの銅。衰えを感じさせる信じられないシーンであった。尤も、この原因には
陸連(小掛監督)の失態があった。というのも瀬古は10000にエントリーしていたものの、
小掛の意向で2週間前に5000にエントリー変更を依頼された。その準備で走り込みをしていた
ところエントリー変更が却下されて元の10000で走らざるを得なくなった点に同情の余地がある。