X



マラソン日本最強は瀬古か中山である
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0268ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/06(土) 09:24:07.63ID:XDVnc60M
スポンジの水も口に含むほど、なりふり構わず走っていた。「強い瀬古」の面影なし。
しかし優勝は優勝。
0269ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/06(土) 14:14:17.74ID:fuB0BMOP
>>267
もう31年も前の懐かしい映像ですなあ。
0270ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/06(土) 14:42:15.49ID:aNvSiySP
ソウルの代表は瀬古よりも工藤のほうが良かった
0271ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/06(土) 21:49:35.67ID:wb6TUm+W
小掛もメルボルン前に公認世界記録を大幅に破って期待されながらコンディションニングを
失敗して入賞出来なかったので、瀬古と似たような面を併せ持つ。
0272ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/07(日) 02:54:57.40ID:Sz6ER5H0
その年に生まれた瀬古利彦
0273ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/07(日) 21:57:28.16ID:PERtcSxO
「瀬古はマシン。間違いなく世界最強」と評したのがスティーブ・ジョーンズ。
0274ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/08(月) 04:39:49.71ID:hQNeyDiu
86年ソウルアジア大会は瀬古が5000m出場する予定だった
ところが10000mにエントリーされていたことが試合前日に判明
急いでソウルに行って試合に臨んだが腹痛を起こし銅メダルに終わる
0275ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/08(月) 09:55:41.52ID:i6OiE36N
29分半くらい掛かる。途中、歩き出す場面も。それでも3位。
1か月後のシカゴでは快勝。
0276ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/08(月) 22:05:22.53ID:hQNeyDiu
>>274
このアジア大会で中山はマラソンに出場し2時間8分21秒の大会新記録で優勝した
その雄姿を見た韓国人の黄は感動してマラソン選手になることを決意したという
この頃から中山が陸連の瀬古優遇を批判し始めたように記憶している
0278ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/09(火) 13:27:04.61ID:0uaNYhQM
ソウル以降、緩やかに下降傾向にあったが、それでもバルセロナまで、良く持った。
0279ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/10(水) 20:45:24.09ID:VMm6Lijq
バルセロナでは、映像では映らなかったが、最後、競技場に入ってから、フライガングと3位争いをしていた中山が、一旦、フライガングを引き離したらしいからな
0280ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/11(木) 17:46:12.02ID:gq0Orkf6
87年の福岡の映像を見返すと、サイモンの入りが驚異的で尚且つ5-10kmでスピードアップ。
さしものの中山も10km過ぎまでサイモンを捕らえることが出来なかった。中山も25kmまでは
軽快だったけど、35kmから急落、ゴール後のインタビューでは思いの外ヘロヘロだったね。
0281ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/11(木) 20:22:39.66ID:um911bam
サイモンは、追いつかれると、あわててペース上げて引き離しにかかる無茶苦茶なレース運びだな。
これが終盤ならともかくな。
喜多の解説が結構的確。
0282ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/11(木) 23:21:40.94ID:NuqPbC4y
喜多は五輪争いからは一歩引いた立場だったが、この後も渋い活躍があった。
90ロッテルダムで上位に入っている筈。
0283ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/12(金) 12:15:34.81ID:8HkiH77U
サイモンが中山の闘争心に火をつけてしまった。
中山の敵は「見えない瀬古」であり、レースに参加していた選手たちは、正直誰も
眼中になかっただろう。
0284ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/12(金) 23:07:10.93ID:NWgjwA+t
>>281
ドリンク飲んでなかったから失速した。
0286ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/15(月) 08:46:56.27ID:Hi0uvmCE
「世界の瀬古」も早や63歳
0287ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/15(月) 11:57:27.15ID:qqStRJS4
>>270
結果論だがソウル五輪は新宅より上だったわけだし瀬古さん選出は
間違ってはいなかったと思う。
0288ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/15(月) 14:05:01.73ID:g93QBS05
>>287
特別措置で選んだのに9位では意味がないだろう。選手にやる気をなくすばかりか、
その後の選考のゴタゴタの元凶にもなった。工藤でも9位程度にはなれたかもしれない。
よしんば40位程度でもスッキリした選考は何にも代え難い。
0289ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/15(月) 20:31:32.02ID:g93QBS05
1986年のソウルアジア大会
https://m.youtube.com/watch?v=h4B7N4y35Mc
26分辺りから5000m、最後にマラソンがある。5000には新宅、金井のヱスビーコンビが出て
ラスト2周からのスパートで勝負あったかに見えたが、スパートが早すぎて韓国の金に追い抜かれ、
確実に金と思われた5000を落とす。マラソンは2kmも行かないうちに中山が谷口を千切って、
世界記録ペースで爆走。後半ペースダウンしたものの8分21秒で圧勝。
因みに10000では瀬古と新宅が登場したが、新宅が合図してペースアップした6200付近で
瀬古は付いて行けず、腹を抑えて立ち止まる信じられない光景。結局新宅が楽勝したが、
瀬古は1分遅れの銅。衰えを感じさせる信じられないシーンであった。尤も、この原因には
陸連(小掛監督)の失態があった。というのも瀬古は10000にエントリーしていたものの、
小掛の意向で2週間前に5000にエントリー変更を依頼された。その準備で走り込みをしていた
ところエントリー変更が却下されて元の10000で走らざるを得なくなった点に同情の余地がある。
0290ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/15(月) 21:39:25.01ID:YTo9q2HA
>>289
エスビーの中村清監督は1年前に渓流釣り出掛けに足を滑らせ川に転落し亡くなっていた
代わりにアジア大会の結果に怒り心頭だったのは織田幹雄氏だった
特に5000mの試合内容がお粗末で韓国選手に自信をつけさせてしまったと語った
0291ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/15(月) 22:04:14.48ID:g93QBS05
因みに86年のアジア大会での10000は9月29日。瀬古が生涯最高記録で優勝した
シカゴマラソンが10月26日。無理からぬ点もあった。最初から出場要請を断る
べきであったろう。中村監督が健在だったら出ていない。
0293ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/16(火) 19:17:11.38ID:Nh6jbO4K
そういや中山息子ってどうした?
0294ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/16(火) 20:40:53.42ID:o+mAslKY
>>292
そもそも混乱の一端は金井の不調にあって、全くあてに出来んから瀬古に頼み込んだ。
5000は10月3日で、よりシカゴに近くなるので表に出た話は小掛が自らを悪者に仕立て上げ
たお話である可能性もある。どちらにせよ瀬古は9月24日に40kmの走り込みをしている。
若い頃でも過集中で連戦の効かないタイプだったから器用な切り替えは尚更出来なかった
のだろう。この時、無理にアジア大会に出て貰ったのがソウル代表選考の伏線になっている
というのが自然なストーリー。
0295ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/17(水) 05:00:36.30ID:smKsKXWY
瀬古はその年の4月ロンドンマラソンで優勝し6月日本選手権10000mに出場した。
その試合に中山も出場し新宅が優勝、瀬古が2位で中山が4位か5位だったはず。
0296ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/17(水) 08:15:17.54ID:OO9qIsm6
中山4位。3位が阿久津浩三。
0297ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/17(水) 22:56:19.97ID:smKsKXWY
>>296
ありがとうございました。
阿久津は病院で職員をしながら練習しソウル五輪10000mに出場した努力家。
もっと世間から評価されるべき選手だと思う。
0298ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/18(木) 20:07:04.74ID:tvqh4LP5
小柄で地味に凄い選手。86年あたりから、にわかに台頭。
0299ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/19(金) 07:33:57.18ID:+O2CyRf4
>>294
アテネ五輪選考会の時も小掛は小出監督に高橋尚子は名古屋に出場しなくても当確と言ったらしい
結果落選で高橋尚子のアテネ五輪出場に賛成した委員は他にいなかったという
0300ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/19(金) 09:11:29.30ID:Uo57p8kc
小掛氏は振り回す男である。
0301ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/19(金) 10:35:50.71ID:d4OGp9g0
(瀬古の無理なスケジュールはあるにせよ)86年アジア大会でのSB勢の惨敗はかなり
批判されていた。急先鋒が中山であるが、当時の月陸等の雑誌を見ても選手権を嘗めて
いるとしか思えない、猛省を促す、等の過激な言葉が並んでおり、後の政治的発言を
極力控える編集方針と真逆の記事が並んでいた。
0302ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/19(金) 16:06:58.16ID:r7GW2TWI
金井は、この辺り完全にスランプ期だったような…
0303ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/21(日) 11:03:34.53ID:Uyo7SEUw
金井は早大入学当時から瀬古二世と呼ばれたがマラソン向きではなかったと思う。
800m日本記録保持者の森本葵氏が中距離選手層の枯渇を憂いていた。
0304ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/21(日) 11:27:52.02ID:RwAVYjSQ
>>303
そうだね。高校時代に800mで高校新を出し同着優勝しているし、トラックで切れ味鋭い
ラストスパートを極めた方が良かった。実際、ロードでは箱根で区間賞も取れていないし、
中村孝生や遠藤司同様マラソン向きではなかった。ロスで期待以上の入賞をしてから85年前半まで
絶好調で瀬古を一蹴する力を発揮していたけど、故障だったのか体調不良だったのか覚えて
いないが元の金井に戻ってしまった。
0305ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/21(日) 13:11:59.57ID:+HQ5vvbq
中村清門下だったのが微妙に影を落としていると思う
0306ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/21(日) 13:12:47.96ID:uN85gdR+
マラソンは芸術です
0307ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/24(水) 07:26:54.37ID:y/oZ6Dsh
高校時代400の選手だった篠田正浩氏も中村氏の勧めによって長距離転向。
箱根駅伝2区を走っている。
0308ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/25(木) 09:28:41.80ID:HS5WAuCr
>>307
http://www5.nikkansports.com/sports/hakone-ekiden/2011/column/archives/20101223_6679.html
だね。篠田は区間5位の好走だったが、その後は走っていない。走る事より映画製作に没頭したか。
中村も(幾らベルリン五輪で惨敗して孫基禎の優勝を目の当たりにしたと言っても)中距離選手だった
のにマラソンのみならず駅伝好きというのも変わっているよね。戦後の第一期競争部監督時代は
箱根優勝こそ2回あったものの、大した選手は育っていない。やはり瀬古は彼にとっても宝だった
のだろう。
0309ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/25(木) 13:36:33.63ID:q7D8xeeL
篠田氏の高校時代の400のベストタイムは52秒台。大学入学直後、
中村監督から「キミのスピードでは400では通用しない。だけどキミの
400のスピードを生かして長距離に転向すれば通用するな」と転向を
持ちかけられた。
中村監督の長距離信奉は揺るぎない。もし現代に生きていたら、
クレイアーロン竜波は何が何でも欲しがるだろう。
そうして箱根駅伝を走らせようとするに違いない。
0311ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/26(金) 09:54:16.00ID:Fql891Uy
中村と言えば、昭和29年の箱根駅伝の昼田の失神ゴールが有名。早大の10区・昼田は、新橋付近で失神しながらも中村監督の
「都の西北」に励まされ、 そのままゴールし、優勝。
0312ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/26(金) 12:26:55.30ID:4f7A+Of1
次に早稲田が優勝するのが30年後。その時も中村氏が指導していた。
0313ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/26(金) 20:19:37.00ID:LyTAtqPc
昭和59年の早稲田は2位の日体大を除いてすべての大学を繰り上げスタートにしてしまう
現代では考えられないほどの圧勝だった。
0314ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/27(土) 01:57:09.92ID:+381Kb2F
>>313
 1区 田原貴之 区間5位
 2区 坂口泰  区間2位
 3区 高橋昇  区間4位
 4区 高橋雅哉 区間1位(区間新)
 5区 木下哲彦 区間2位
 6区 越智房樹 区間5位
 7区 伊藤雅弘 区間1位
 8区 川越学  区間1位
 9区 谷口伴之 区間1位 
10区 遠藤司  区間1位(区間新)
http://www13.plala.or.jp/jwmiurat/taikai/60kai/60_m.html
0315ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/27(土) 02:13:20.14ID:+381Kb2F
早大の総合優勝より東大が予選会を通過して箱根駅伝に初出場したことの方が凄いと思う
0316ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/27(土) 06:06:59.67ID:E5I9C+wY
この年は記念大会で増枠だったことが大きい。
0317ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/27(土) 08:01:25.50ID:GXJQSStH
東大、17位で明治に先着していたんだ。東京学芸大とか慶応とか記念大会の
恩恵を受けたとしか思えない出場校もある。
0318ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/27(土) 08:04:17.54ID:GXJQSStH
競歩が本職の園原が明治の8区を走っている。
0319ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/27(土) 10:55:51.13ID:UvelxmpD
この時はもう卒業していたけど、東大の瀬古君と呼ばれた坂本 修一が活躍して関東インカレで
2位等の実力を示していた。東大卒業後、旭化成で暫く走っていたけど、現在は専務だな。
https://www.asahi-kasei.co.jp/asahi/jp/aboutasahi/officer/
0320ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/27(土) 13:00:54.49ID:DfQlc3hZ
早稲田は翌年も伊藤雅弘7区だったが、ややこしいことに別人。
田原→遠藤→坂内→高橋雅→木下→赤堀→伊藤→尾崎→川越→豊福で2連覇
0322ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/28(日) 02:48:37.46ID:P1a2SFeL
ベルリンの金と銅は半島系だった。
0323ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/28(日) 03:16:49.12ID:zaJB7l0c
中村清だってソウル出身じゃん。
0324ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/28(日) 08:04:38.55ID:H1UDmIuv
朝鮮籍の木下哲彦を韓国籍にしてソウル五輪に出場させたがっていた。
0325ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/28(日) 09:50:00.01ID:zaJB7l0c
>>324
結局、金さんは韓国籍に変更して4年遅れでバルセロナを目指したが、金メダルを
取る等、急激にレベルアップした韓国勢の中で代表権を勝ち取る事は叶わなかった。
中村見込み通り早く準備してソウルを目指せたら代表になれただろう。
0326ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/29(月) 08:55:12.77ID:EqClx/OY
87年別大3位の時の記録は実は韓国記録よりも上。
0327ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/29(月) 15:37:50.38ID:wOimwx+D
中村清は中山竹通に目を付けたと聞くが。
0328ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/30(火) 03:40:28.57ID:epf5Vwr6
>>327
自分が中山竹通の名を始めて知ったのは1983年の中日ロードレースだった。
男子30kmは中村孝生が優勝し女子20kmは佐々木七恵が2位だったと記憶している。
その時の男子30kmの3位に当時無名の中山竹通という名前が新聞に書いてあった。
おそらくこの時のことだと思う。
中村清とマラソンに対する考え方が正反対の中山だから決裂したと思う。
0329ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/30(火) 13:41:59.38ID:dggUtWpo
究極の一匹狼・中山は、今見ても異端児で、面白さは別格だった。
こういう男を逆に指導者にしたら面白いのだが。
0331ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/31(水) 09:44:47.96ID:xpPFoyLW
>>330
中山ネタで100幾つしかレスが付かなかったのは残念としか言いようがない。
0332ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/31(水) 09:53:36.97ID:xpPFoyLW
天才と言うより異才と私は見ていたが。
0333ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/31(水) 18:40:05.20ID:4zYQ7smI
鬼才・中山
0334ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/07/31(水) 22:30:28.71ID:Md3sSAuW
スタートから高速で飛び出して優勝した選手はフランク・ショーター
ショータ―福岡国際マラソン4連覇した時の最初5kmのラップタイム
71年 14:44
72年 14:52 
73年 14:36
74年 15:00
以降の福岡国際マラソン優勝者5kmラップタイム
75年 15:15 ドレイトン
76年 15:19 ドレイトン
77年 15:19 ロジャース
78年 15:27 瀬古
79年 15:25 瀬古
80年 15:27 瀬古
81年 15:31 キャステラ
82年 15:25 バリンジャ―
83年 15:18 瀬古
84年 15:36 中山
85年 14:56 新宅
86年 15:15 イカンガ―
87年 14:35 中山
88年 15:35 渋谷
89年 15:29 マティアス
0335ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/01(木) 10:32:43.96ID:TLmKpzN7
ショーターは記録よりも勝負強さが際立つ大選手
0336ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/02(金) 07:08:07.61ID:Ra3niurA
ショーターの後、ビル・ロジャースが台頭する。アメリカ華やかなりし時代。
0337ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/02(金) 08:50:54.39ID:PgWxo4aI
ペースメーカーがいない時代は毎年ペース展開が変わって面白いな
0338ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/02(金) 14:31:13.23ID:2J+GzRou
中村清は独占欲が強く有望選手を全部自分の支配下に置きたかったのではないか。
有名なのは急遽台頭してきた増田明美に秋波を送ったが、瀧田を通して袖にされた
事と、それに対抗すべく駄馬と思っていた佐々木七重を徹底的に鍛えて意趣返しを
しようとした事。ロス五輪でも増田だけには負けられないとおかしな対抗意識を
燃やし、微妙な成績で佐々木がゴールし、増田は棄権で実質的に引退に追い込まれた。
その一方で、中村不在の瀬古は暑い北海道で調整を失敗し、血尿を出し、ロス五輪の
惨敗に繋がった。
0339ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/02(金) 16:32:20.38ID:2J+GzRou
>>335
記録でも彼がベストを出した72年の福岡の優勝タイムは当時世界歴代3位。
レース中の大便も複数回やっている。
0340ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/02(金) 18:36:51.86ID:TVvEQse3
勿論今の方が記録は上だけど個々のキャラが際立っていた当時のマラソンのほうが親しみ深い
0341ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/02(金) 21:30:12.62ID:PgWxo4aI
80年代は一発野郎が少ないなあ
0342ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/02(金) 22:55:09.29ID:9OYEyeL8
80年代の一発屋は少ないというより浮かばない。
0343ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/02(金) 23:13:58.77ID:+Mk+9KGm
児玉泰介
0344ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/03(土) 00:40:07.80ID:BmlfUoCJ
大槻憲一が好調だった71-73は実業団駅伝の最長6区で3年連続区間賞を取っている。
72年の福岡では競技場でセポ・ニッカリを抜き3位に入った。翌74年の6区区間賞は
20歳の伊藤国光で年を明けての熊日30キロで日本新。翌75年の6区の鎌田の記録は
瀬古に破られる迄長く残り、年明けの熊日で伊藤の記録を1分以上更新する日本新で、
トラックシーズンに入っても無敗で日本選手権も2冠で代表を手繰り寄せた。こんな
感じで実業団駅伝の最長区や熊日が伸びる選手の指標になっていた。
0345ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/03(土) 02:11:13.13ID:BmlfUoCJ
因みに71年の熊日は年末の福岡で世界歴代3位の記録で優勝した宇佐美が日本新で優勝。
73年には年末の福岡で3位の大槻が優勝。74年には箱根と別府(2位、初マラソン日本記録)
で活躍した服部誠が優勝している。
0346ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/03(土) 08:44:52.18ID:PYKzkVRn
宇佐美は毎日マラソン独走優勝オリンピック惨敗を繰り返して次第に衰えていた。
モントリオール五輪マラソン代表は2人に減らすことも検討された。
しかし他種目の出場枠を削ってもマラソン3人枠を維持する方針が決定された。
高橋進コーチは喜多秀着を10000m代表に強く推薦したが却下された。
喜多はモスクワ五輪10000m代表に選出されたがボイコットで幻の代表になった。
ロサンゼルス五輪はマラソンで出場を目指したが瀬古宗兄弟の厚い壁に阻まれた。
0347ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/03(土) 13:56:03.98ID:BmlfUoCJ
喜多秀樹は記録面でも運がなかった。彼は75年6月30日と80年7月7日に日本記録を上回りながら、
何も日本人選手に先着を許し記録変遷史に名を残す事はなかった。後者については鎌田の記録を
4/100秒上回りながら当時は1/10秒単位で公認されたので日本タイと発表された。このレース
での1位は瀬古で27:43:44で3位の伊藤が27:47:35、喜多は27:47:59で5位だった。前者では高尾信昭
が沢木の記録を7年ぶりに25秒余更新する28:10:47(6位)で、喜多は順位不明ながら28:32:0の日本新
だった。因みにに高尾はこの年の2月に奥さんを亡くし、奮起したのか日本選手権2冠の勢いで
日本記録の大幅更新に繋げた。しかし、糸が切れた様に翌年の活躍は全くなく、五輪代表を掴む
事はなかった。
0348ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/03(土) 14:42:34.74ID:/IZVvzZ4
喜多は好不調の波が激しい代わりにラストが素晴らしく切れた。競り合いに強かった。
0349ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/03(土) 17:28:02.17ID:N5OYL3v0
>>348
北京マラソンだったか伊藤国光とラストスプリント勝負で勝って優勝したはず。
伊藤はトラックのスピードあり、マラソンも安定していたが
勝負勘がイマイチだったのが残念。
その後、カネボウで高岡を世界トップレベルに育てたが
師匠に似たのか高岡も勝負という面ではイマイチだった。
0350ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/04(日) 06:45:08.61ID:f7r/UnEn
記録はあっても確かに勝負強いとは言えなかった高岡。
福岡での3位が惜しまれる。
0351ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/04(日) 17:21:22.63ID:38DrBdEm
高岡は広島アジア大会2冠とじゃシドニー五輪の10000での7位入賞、アトランタ五輪の
最終選考会である日本選手権での鮮やかな逆転勝ち等もあるから必ずしも勝負弱い印象は
ない。ただマラソンに関しては2003年の福岡の仕掛けが少し早過ぎたのは返す返すも
残念。僅かの差の3位だし、世界選手権5位の油谷との比較も微妙だった。どちらかと
言えば運がなかった。実際、92年もバルセロナの代表が決まった後の欧州遠征で5000の
日本新を出したけど、後の祭りだった。
0352ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/04(日) 19:10:02.43ID:IMdKBDSC
そういや高岡と阪神の藤波って似てるね。
0353ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/04(日) 20:53:47.18ID:cf5bR0oV
高岡はマラソン転向が遅すぎたと思う。
25歳頃からマラソンを走っていれば五輪金と世界記録両方出来た可能性もあった。
日本人がオリンピックで金メダルを獲得できる可能性があった選手は高岡が最後だろう。
0354ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/05(月) 01:22:55.54ID:PohOQr/7
渡辺康幸の故障による早期引退も惜しまれる。
0355ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/07(水) 19:29:20.08ID:S1MPIEaW
高岡とタピオカって似てるよね。
0356ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/07(水) 23:18:34.01ID:od5l1hhj
大学生で日本新出したといっても10000は29分台だからね
故障がちで距離を踏めないタイプだから徐々に距離を伸ばす必要があった
しかし後付だけどマラソン適性は抜群にあった
0357ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/08(木) 16:31:54.62ID:Y1Smacrm
関東の大学に行かなかったのは大正解。箱根にこだわらないトレーニングが出来て
距離を踏むよりもじっくりとスピード強化に取り組む練習が出来た。
0358ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/09(金) 07:00:20.17ID:1Ykdfsqm
洛南高校時代にいた同期の秋山武史って、いつの間にか消えた。
0359ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/10(土) 18:33:31.48ID:A0gLCFaM
早田俊幸も初マラソンでは森下中山に次ぐ3位になったがその後はやや期待外れだった。
0361ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/10(土) 23:48:05.98ID:Wf54cju+
いにしえの野球少年・早田
0362ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/13(火) 10:00:18.21ID:QZ7Cp5Ci
実家に1935年の日本学生陸上競技聯合の欧州遠征記があった。中村清は遠征に参加して
おらず、長距離の中心は翌年ヒトラーの心を捉えた村社講平、中距離の中心は青地琢磨
だった。
0363ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/14(水) 17:05:12.81ID:G2wT3QrN
1500元日本記録保持者・中村清
0364ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/14(水) 17:54:13.24ID:3iWHIEgZ
ベルリン五輪10000でのサルミネン等のフィンランド勢vs村社講平
https://m.youtube.com/watch?v=_MoQr52oxqU
最後の1周で置いていかれたが、ヒトラーがいたく感激したとのこと。50000も
似たようなレースで村社は4位。この時の村社が五輪、世界選手権での両種目
の最高成績になっている。
0365ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/15(木) 09:40:06.31ID:ZN1PC8Gq
今にして思えば、たいへんな偉業。
0367ゼッケン774さん@ラストコール
垢版 |
2019/08/16(金) 21:51:58.32ID:2xMUpHEk
ミュンヘン五輪で優勝したショーターにストップをかける男として期待されたのは
イアン・トンプソンだった。デビューマラソンを好記録で制して出場した英連邦大会
https://m.youtube.com/watch?v=4fwdXKXp2co
は圧巻で世界歴2位の記録で圧勝した。その後の欧州選手権も制して74年は彼の年だった
と言ってよかろう。2強が走らなかった75年を経て76年モントリオール五輪での対決が
期待されたが、トンプソンは国内予選でまさかの7位で代表として選ばれなかった。
五輪後の福岡に来て2位になったが、世界記録を期待出来る走りからは程遠かった。
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています

ニューススポーツなんでも実況