マラソン日本最強は瀬古か中山である
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
>>152
今のケニエチトップクラスが30年前の、
バネ靴なし、高度なスペシャルドリンクなし、高度なペースメーカなし、
そして、スペシャルEPO抜きだったらイカンガー程度だったと思うよ。 >>152
お前はアベベは本気出していなかった時代だといいたいんだね?
油ヲタか大タコのファンか知らないけど、油も大タコも日本最強でないことだけは間違いない。 >>152
マラソンも時代の流れで進化しただけでしょ?
バネ靴
ペースメーカー
スペシャルドリンク
進化したEPO系ドーピング
同じ条件なら4分は違うと思うよ。 それでも日本記録というね
ケニエチ以外は雑魚になってしまうのがこの競技
その点100mは様々な国がランキングに見られるのに日本記録でも100位にも入らない辺り競技力は本物 タンザニアとジプチはどうしてだめになったのだろうか? イカンガーとアーメド・サラという象徴的な選手がいなくなったから。
そのうちまた誰か台頭するでしょう。 >>157
そんなのない20年前にゲブレシラシエが今のトップレベルの走りをしてるのだから道具の変化は言い訳にならないな
アフリカ本格進出以降は別競技 昔からケニエチが世界ランキング上位9割占めてたの? ケニアは昔からトラックの中長距離は強かったがマラソンは全くダメだった
瀬古らと一緒に練習しソウル五輪で銀メダルを獲得したワキウリの功績が大きい トラックはゲブレシラシエ
マラソンはワンジルでブレイクスルーが起きた感じ >>172
これはモネゲッティ目線の映像なので、オーストラリアの中継のようですね。
ディフェンディング・チャンピオンのキャステラが途中棄権に終わったものの
モネゲッティの4位入賞で面子は保てたという感じ。しかし、3位に入った
地元のボルディンの「ヒタヒタ追走」は、地味に強い男の面目躍如。
翌年のソウル五輪もこの大会で上位だった面々が続いて上位を占め、この
世界選手権のレースがフロックでなかったことを実証しました。
ワキウリはヱスビー食品所属だったので、日本では知られた存在だったと
思います。
存分に楽しませていただきました。up主さんに感謝です。 いい映像だ。イカンガーにヒュー・ジョーンズにヨルゲンセン(デンマーク)か。 1980年代トラックの中長距離はモロッコのサイド・アウィータが無敵だった
彼だけは現在のケニアエチオピアのスピードにも対応できそうな気がする
https://www.youtube.com/watch?v=LsNuzBGZHo0 >>176
800でも5000でもオリンピックのメダル取ったからね。かっこ良かったなぁ あの時代の最強。ただ、ソウルでは己の実力を過信して800mの銅メダル
のみに終わった。5000と1万にエントリーしていたら2冠王になれた
のではないか。 この>>176のレースは、86年のオスロのビスレット・ゲームスですね。
アウィータが公式には恐らく初めて本格的に1万mに参戦した試合。
途中でベルギーのルソーにスパイクされたアクシデントもものともせず優勝。
最後の1周は60秒くらい。余裕を持っての勝利。
「ライバルの名前は覚えるのも面倒」「勝つのは映画館に入って映画を見る
くらい簡単」という具合にビッグマウスなので、必ずしも好きなキャラクター
ではないが、ランナーとしては本当に素晴らしい選手だった。 >>179
ベルギーのルソーね。
ロペス世界最高ロッテルダムのペースメーカー
自身もマラソン90年代前半に活躍。
でもこの時期、日本が低迷していたから印象薄い。
セロン、モネゲッティしかり。
瀬古全盛時代だったらイカンガー、キャステラ並みの知名度になってたのでは。 セロンはメキシコで92年別大優勝者。しかしバルセロナで途中棄権でつね。 >>181
「優勝したセロンより2位になった黄の粘りの方が怖いと思いますね」(解説者の宗茂) アウィータ以降モロッコ旋風がふきそうだったすぐ終わったような。 ソウルオリンピック10000mはモロッコの無名選手ブラヒム・ブタイブが金メダル
映像を見ると後ろとの距離を確認しながら楽勝
https://www.youtube.com/watch?v=6ovnkzJP7us >>184
当時21歳。従来の1万と異なり、ラストのスプリント勝負に持ち込まず、ハイペース
持続力で他を圧したという異色のレース。2位がアンティボ(イタリア)。
翌年、1万で世界記録を出したバリオス(メキシコ)の姿も後方にあり。
スタート直後、ハイペースの流れに付いて行った米重修一は後半撃沈。
アウィータが800m銅の後、故障で1500に出られず無冠に終わったのと対照的な
ブタイブの台頭。この後、しばらくはモロッコはトップグループに位置していた記憶がある。
>>182
宗茂の洞察力、恐るべしですね。 最後、ゴール前でガッツポーズしかけて、後ろみてガッツポーズやめてるよね >>185
アウィータは800mで1分43秒台を記録したから金メダルを取れる自信があったと思う
もはや5000mはジョギングと思っていたのかもしれない 800から1万までは自分が最強と天狗になっていた節がある。
確か日程上、1500と5000を兼ねるのはきつかった記憶がある。
ソウル五輪の5000mは平凡なレース。アウィータが万全の体調で出場
していたら、たぶん圧勝だったと予想する。 >>178
過信じゃない
勝って当たり前の1500や5000で金をとってもアウイタの商品価値は上がらないから、
商品価値を上げるために800で金を取りに行った。
位置取りミスって直線で行き場を失わなければもしかしたら・・というレースだった。 >>182
1位の選手よりも、2位の韓国人をほめる。
今、こんな発言したらネトウヨが大騒ぎしそうだよなwww アウイタはクルスやエリオットだったら勝てると
思ったんだろうな
エレングみたいなやつが出てくるのは想定外
アウイタの体調が万全でもあれは勝てないよ 当時の午後9時のNHKニューストップ(ハイライト)で
アゥィータが破れたニュースを流していた。
「帝王破れる!」
みたいな見出しで。 モロッコはバルセロナ五輪10000mでもハリド・スカ―が金メダル獲得したが
周回遅れの同国選手が2位を走っていたケニアのチェリモの進路を妨害し騒動を起こす
https://www.youtube.com/watch?v=RRAqeIiA0zs スペインとモロッコ、
海を隔てて歴史上微妙な関係だったことも
影響してのこの騒動だったと思う。
昨今何処かの二国関係に似ているが(苦笑) >>183
アテネ五輪1500m5000m2冠のヒシャム・エルゲージがモロッコ最後の英雄 >>193
当時の私は「チェリモを舐めるなよ。GО! GО!」と歌っていた気楽な時代でした。
スカーにとっては、本当に余計なモロッコ選手の行動でした。
涙ながらに潔白を訴えていたスカーが本当に気の毒。
この後、心が完全に折れてしまったスカーは出場予定の5000mを欠場することに。 かつては中長距離王国だったモロッコもリオ五輪メダル0に没落した 一時的なものかも知れない。マラソンで開花するかも知れないし。 瀬古中山ネタに戻す。
中山は福岡国際が条気象件よかったら
6〜7分台出ていたと言われている。
そうなると世界最高。
タラレバ言うべきではないが
後半の風雨は本当に残念。 ありゃ、そう言えば、瀬古&中山コンビ、全く忘却してた。
35km1時間44分25秒で通過。スローダウンしてたが、そんなに大きく落ち込んで
いなかった。土砂降りの雨が来なければ次の5kMも15分台は維持出来ていただろう。
少なくとも7分台の当時の日本最高記録ではゴール出来たと、そこだけは強調したい。 中山竹通は87年に10000m27分35秒の日本新記録を作っている
30年以上過ぎた現在でも村山鉱太・鎧坂哲哉・高岡寿成に次ぐ日本歴代4位
大迫傑の10000mベスト記録が27分38秒でマラソンが2時間5分50秒
気象条件が良ければ中山もマラソンで大迫並のタイムを出せたと思う
http://blog.livedoor.jp/ikedateki/archives/52148243.html 中山はヴェイパーの恩恵がもろにありそうだから相当なタイムが出た予感 >>203
体が冷えすぎてインタビューで震えてたしロレツが回ってなかったな
寒かったですと答えてた 中山は小掛にもう少しヨイショしてたら
陸連で要職につけたのに
這ってでもでてこい
じゃなくて瀬古さんのお気持ちを考えると
胸が痛みます
と言えばよかったのに 「自分なら這ってでも出る」とコメントしたのが曲解された節がある。
うーむ。天下の瀬古利彦は1万国内歴代13位か。
あの当時は世界から30秒以内で肉薄していた。マラソンのみならず1万でも
大変な実力者であった。 10000mでマラソンのタイムが決まるのなら佐藤悠基は5分台だよ あの気象条件でいながら2時間8分18秒のキャステラと並ぶ大会タイ記録
2位の新宅に2分16秒の大差をつけて圧勝
後方から順位を上げてきた工藤一良が日本人3位で全体の4位
翌年ロッテルダムで2時間6分50秒の世界最高記録を作るデンシモが5位
暑さに強い谷口浩美も寒さには弱く両足に痙攣が起きて6位
主な選手の順位17位伊藤国光20位金哲彦31位児玉泰介42位武富豊DNF宗猛 ハイレゲブレセラシエというと、1993年と95年で5000m2連覇したイスマイルキルイが
なぜ突然消えたのか気になる。
兄のリチャードチェリモノ若き死が原因で引退でもしたのか・・・。
18歳で5000m13分02秒というすげえポテンシャルの選手だったのに。 日本では14分切ったら凄い! となる年齢。チェリモも早くして消えてしまったのは
惜しまれる。
ゲブレシラシエというと初めてその存在を知ったのは92年の世界ジュニア。
ゴール前の競り合いに負けたケニア選手が悔し紛れにゲブレシラシエの後頭部を
殴りつけて失格。渡辺康幸(早大1年)が繰り上げで銅メダル獲得。 >>211
76位 森安彦(中央発條)2時間24分22秒
この人が福岡国際マラソンに出場していたとは思わなかった >>212
85年のワールドカップマラソン広島大会で中山が日本最高記録で2位になった時に「もう自分たちの時代は終わったと思った」と語っている その年、マラソンで2勝していて傍目には健在と映った。 ワールドカップ3位のロブレ・ジャマはアーメド・サラとセットで台頭したが、この年の
秋のシカゴで2位に入った後、故障で消えていった。 瀬古はインターハイ800m1500m国体1500m5000m2年連続優勝
全国高校駅伝では3年連続1区10kmを走り2年生の時に区間賞
和製アウィータと言うと褒めすぎだがこんな万能型の日本選手は他にいない 2年の時は係員の誘導ミスで一周少ない9・6qの参考記録。 中山の福岡国際は気象条件だけでなくきちんとしたペース配分が
出来ていれば6分台は出てたと思う。 >>222
それが出来ないのが中山。あのレースは意図的に谷口他のライバルをぶっ潰す作戦に出て、
氷雨もあって大成功。アジア大会でもそうだけど、中山の勝ちパターンは無謀と思える高速で入って、
相手の戦意を失くす程の大差をつけて、後半は落ちる任せるというもの。今みたいに
ペースメーカーがいたら出来ない作戦。半面、競うと必ずと言っていい程負けていた。
ソウル五輪も前半から逃げれば楽勝だったろうけど、ビビって集団走をしたのが敗因。
>>188
前年の世界選手権で、もう5000はやらないと言っていた。長くてしんどい競技なのに
人気がイマイチなので中距離に専念したのもあるのでは? 中山のぶっ潰し作戦、最後の勝利は90年東京だったが、この時は終盤大失速。
微妙にピークを過ぎたのでは、と思われた。 マイルは昔からヨーロッパ、特にイギリスで人気だったよ。54年にロジャー・バニスターが
4分を切った時は大騒ぎだったと聞く。またコーと同時代に無敗を誇ったスティーブ・
オベットも居て、アメリカのボイコット要請を無視して参加したモスクワ五輪での彼等の
対決は盛り上がった。 まさに貴公子と言った風貌のセバスチャン・コー。
モスクワ五輪断固出場を決めた英国もまたエライ!
カーターとかいうクソな人物に追従するだけのクソな日本国家とは格の違いが
あらわれている。 >>228
イギリス政府もモスクワ五輪ボイコットを支持したがオリンピック委員会が出場を決めた
JOCは会長の河野謙三(河野洋平の叔父)がボイコットを決定した
64年東京五輪招致に尽力した大島鎌吉さんらが個人の資格で参加させようとしたが潰された
その時の怒りは大きく88年に招致予定していた名古屋五輪招致には一切協力しなかった JОCとくに河野謙三はボコボコにした後で、頭からうんこをかけて処罰すべきだ。
選手の青春を奪っておいて、何も痛みを感じないのか? >>230
故人にどう砂をかけるつもり?アメリカのポチになるという決断は現在迄引き継がれているけどね。
それだからG20の集合写真を撮る際にオランダ首相以外には相手にもされず無視されるんだけど。
コーの全盛期は79-81の3年間。ロス五輪で本命のクラムを最後に引き離して五輪新(世界記録に0“8
程度の遅れ)で優勝した時は脱帽した。 速いペースのレースだったのに後半800を1‘49”8、ラスト
1周を53“2、ラスト100を12”7で走り切った。クラムはコーをずっとマークしていてラスト100
に勝負をしようと試みたけど、逆に諦めて2秒の大差がついた。コーは国会議員を務めた他、
一代男爵にもなってIAAFのトップ。日本人で、そういう人物が出ないのは何故?
コーの上を行ったのが史上初めてマイル4分を切ったバニスター。彼は神経医としても著名な
業績をあげてオックスフォードの教授として活躍し、ナイトに なったり、オックスフォードに
彼の名前のついたビルがある。 >>231
そうだな、イギリスの陸上選手は優秀だ
それに引き換えお前は、足も遅い、頭も悪い、おまけにアカちゃんパヨクww >>123
因みにモスクワで突如活躍して銀(10000),銅(5000)を取ったマアニンカも血液ドーピング
を告白している。
https://www.nytimes.com/1981/12/30/sports/sports-people-finn-admits-tanking.html
コンスタントに活躍して最もドーピングに遠そうなバイニオが黒判定されて、それ以降の
フィンランドの長距離の伝統はほぼ消えてしまった。誰が考えてもオリンピックだけ強かった
ビレンは真っ黒だが、本人は否認している。 ノスタルジックなスレですのであまり過激にならずのんびりといきましょうね(笑) 森下はなあ、短期間で燃え尽きたのが本当に残念(>_<) 中山がソウル五輪で得意の飛び出しが出来なかったのは体調が悪かったからと言っていた
前年までと違って猛練習をすると疲労が抜けなくなったと言っている
当時28歳で奇しくも瀬古がロサンゼルス五輪の時と同年齢 >>224
アメリカは知らんがヨーロッパはそうだね。
だからオリンピック最終日は男子1500とマイルリレー >>233
(今は見る影もない)イギリスのマラソン選手は優秀だったけど、五輪には不思議と縁が
なかった。戦後でもピータース、ヒートレー、アドコックス、ヒル、トムプソン、ヒュー・ジョーンズ、
スティーブ・ジョーンズとかの名前がすぐ浮かぶけど、ヒートレーが東京で銀を取ったくらい。
トムプソン、S・ジョーンズに至っては五輪出場も叶っていない。寧ろ下馬評にも挙がってい
なかったスペンディングが銅を取って驚かせた。トラックでは無敵のファラーもマラソンは駄目そう
だし。 つべに中山10000m日本新が出てる。まさか見れる日が来るとは思わなかったよ。 >>243 日本語での中継があったのが凄い。また中山が最後の一周で2位との差をかなり詰めている
のは大したもの。 スピードがないと言われていた中山が結構ラストで火事場のクソ力を発揮する。
86年にもあった。スポニチ国際だったか。直前の兵庫リレーカーニバルで
イカンガー(タンザニア)にラスト勝負で敗れていたが、この日のラストは
超絶ラストスパートを掛けた新宅雅也の横で必死の追走。新宅には競り負けたが
二人揃ってイカンガーを大逆転。兵庫で敗れていた相手にリベンジを果たし、
だんだん「スピードがない」という外野の声を黙らせていった感がある。
この時期、1万の記録は右肩上がりで上昇。翌年の日本新につなげる。 中山は実は27分台は一度きり。28分07秒台がセカンドタイム。 こうして見ると、やはり中山の最盛期は87年だなあ。 >>248
最盛期があと1年遅れていれば五輪のメダリストになれただろうにね。 瀬古は言動とかがなんか勘違いしてるんだよな
頭が悪いことを自覚したほうがいいと思う 瀬古のイメージを悪くしたのはやはりソウル五輪予選における未練がましさだろう
故障で福岡を欠場し満を持して臨んだびわ湖毎日マラソン
優勝したものの後半は完全にばてて2時間12分41秒の低調な記録でゴール
更にインタビューでは「暑くてが向かい風が強かった」など言い訳ばかり
「納得できる走りだった」と自画自賛するに至り解説者の宇佐美彰朗氏もあきれていた 琵琶湖が暑かったのは本当
西監督が昔暑さのあまりふらふらでゴール後
倒れとったよ オリンピック選手に夢の大挑戦スペシャル マラソン中山竹通に挑戦!!
その1 そのまん東・ダチョウ倶楽部
https://www.youtube.com/watch?v=HzUW8BSEbf0
その2
https://www.youtube.com/watch?v=0J-AqF7WaGs
その3
https://www.youtube.com/watch?v=bmJos1Wizhc
10kmちょいのレース。中山は15分遅れでスタート。
そのまんま東は4分10秒/kmくらいで走り続け、ラスト3分40秒/kmまでペース上げててすごい >>254
暑かったにせよ本番の五輪程ではないので、結局のところソウルでの惨敗は必至だった。
そんな奴を救済措置で選んでどうするという声は多かった。また計算高く言い訳がましく
ずるいのが、ソウルで凡走をして9位でゴールする際にガッツポーズだか万歳をして、体調不良
の割に好走した、を強烈にアピールしようとした事。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています