マラソン日本最強は瀬古か中山である
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>>9
青森の名久井農高時代の78年に全国高校駅伝の1区で区間賞を獲得した選手ですね。
その時、胸差で2位になったのがのちのビッグネーム・小林高校の谷口浩美。
この年、小林高校が全国高校駅伝2連覇。 ソウル五輪で中山4位瀬古9位に終わった時に解説者の宗茂はこうつぶやいたという
「(暑さに強い)谷口が出ていたらな〜」 縁がなかった。
逆にマラソン3回の森下は全部、中山竹通と一緒だったし。 瀬古と中山の共通の好敵手は、ジュマ・イカンガーかな、やっぱり。 ロス五輪金メダルのカルロス・ロペスはその後世界最高記録も作ったが
東京国際マラソンの途中棄権が現役最後のレースになってしまった
イカンガ―とアーメド・サラとアベベ・メコネンの印象が強い ロペスは私の脳内イメージでは五輪マラソン金メダリストとしては、長らく「最強」の
イメージがあった。ロスの瀬古は体調不良だったが、もし万全の状態だったとしても
銀メダルだったと私は思っている。前年の福岡で見せた必殺のラスト・スパートも
1万M世界歴代2位(当時)の記録を持つロペスが相手では、ギリギリまで待って勝負
を掛けるのも危険な戦術に思えてしまう。81年のボストンでの対バージンのように
途中での揺さぶりを考えてくるだろう。しかし、35kmから40kmまでを14分40秒を
切って走れるだろうか? ロペスは控えめに言っても2時間5分の力はあった。
瀬古vsメコネンは、マラソンでの直接対決は1度もなし。但し、瀬古引退レースの
千葉駅伝で同一区間を走っている。 で、30の者の連投。
ロペスは金メダル獲得の1カ月ちょっと前、七夕の頃、交通事故に遭っている。
日本の新聞にも小さく出ていた。「これで金メダル候補が一人消えた」と感じたが
大変な早合点だった。
ロペスのケガを懸命に直してくれたのは、現地在住の日本人。確か小林さんだった。
「私の金メダルは、半分はあなたのお陰です」と感謝されたという。
85年に世界最高記録を出した後、86年の東京に出ている。これは、ケガを直して
くれた恩人への恩返しの気持ちから出た行動ではなかろうか。人間的にも実に
立派な男だったと思う。 悔やまれるのは87年ローマ世界陸上に日本のトップクラスが出場しなかったこと
この大会の金メダルはワキウリ(故中村清門下生)銀がサラ銅がボルディン
1年後のソウル五輪は金がボルディン銀がワキウリ銅がサラで日本期待の中山は4位
世界陸上とメダリストの順位は入れ替わった顔ぶれは全く同じ
世界陸上に出場していたら中山らしい積極的な攻めのレースが見られたかもしれない >>30
ロペスはキャステラにも競り負けているくらいキックはないタイプ。それに、可能性なら瀬古も5分代のポテンシャルはあったと言える。 >>37
昔のロッテルダムの(83年)映像見たが、ロペスの勝ちそうな展開だったのに前に出ない
まま機を逸してしまった感じがした。して見ると、ロペスは一瞬の切れ味で勝つタイプでなく、
ハイペース持続力で勝つタイプなのかも。 サラザール5位。ロドルフォ・ゴメスが3位だったレース。 ロペスは37歳で5000m13分20秒切り1万m27分20秒切りしてる、世界クロカンもこの歳で勝ってる
5000mは記録の上では大迫に負けてるけど1万mのタイム考慮すると、今一緒に走ったらロペスの圧勝で勝負にならん。
スピードある上に精神力も凄いからアフリカを除いて古今東西最強ランナーの一人だと思う。
瀬古が勝てたかどうかだけど、ロスの走り見ると瀬古がベスト状態でも勝てたかどうか。
ラスト100mまでもつれ込んだらわからないけど、多分瀬古がベストでもロペスが振り切って勝ったんじゃないかと思う。 ロペスのマラソン全成績
優勝2回(ロス五輪金と世界最高記録達成の時)2位2回 途中棄権3回
確かに偉大な選手だけどキゃステラやロジャースに比べるとマラソンは実績不足だと思う 完走した時の強さは桁違い。大迫じゃあ可哀想だけど絶好調時のロペス相手じゃあ
掌で転がされてしまうだろう。
ロッテルダムで世界記録を出した時(85年)もペースメーカーが持たなくて完全に途中
から一人の走りになってしまっている。ロペスを今の時代によみがえらせれば、4分台
で走っても「あり得る」と思う。
ロジャースとキャステラの強さは、認める。もっともっと功績を讃えて欲しい人だ。 中山は福岡国際のぶっちぎりレースのインパクト強いけど競りあったレースはサラ、ボルディン、森下と勝てなかったから瀬古のが格上だろう ラストのキック力の差は歴然としている。瀬古のほうが上。
大差勝ちの中山と接戦で勝つ瀬古の個性の違い。
最大のピーク期は瀬古が83年。中山が87年だと思う。 あとから5分で走れた、4分で走れたと信者が騒ぐのはマラソンの恒例だなw >>48
当時のポルトガルは血液ドーピングしほうだいの頃だから、なんとも言えんな。
大タコとロペスに共通してるのは、どちらもキックがないということだ。 中山竹通「そんなにスピードというのならカール・ルイスにマラソンを走らせればいい」
中山らしい極論だがトラックのスピードランナーでもマラソンで成功しない選手の方が多い
早大の中村清監督が瀬古にマラソンを走らせると言うとほとんどの陸連幹部が反対した
織田幹雄氏は「瀬古の走りは膝の使い方が柔らかいのでマラソンで成功する」と支持した
織田氏は1500mの石井隆士にもマラソン転向を勧めたが周囲の反対で実現しなかった 瀬古は手抜いて8分台だったからな
イカンガーをラストでぶっちぎったときは勝負にこだわってたのでまだまだ余裕あったらしい
ヴェイパーもない時代であれだからなあ
しかも一発野郎じゃないし、マラソン勝率が半端ない
それに福岡国際で優勝して、1ヶ月後に箱根で走って区間記録というね。 エチオピアのミルツ・イフタ―のトラックでのラストスパートは当時世界最強
ロス五輪ではマラソンに出場すると語っていたが国のボイコットで不参加だった
81年瀬古が欧州遠征した時に10000mのラストで負けた相手はタンザニアの選手
スレイマン・ニャンブイといいモスクワ五輪5000m銀メダルを獲得した選手
後にマラソンに転向し1990年のびわ湖毎日マラソンで4位入賞している
http://www.lakebiwa-marathon.com/history.cgi?045 >>63
ミルツ・イフター。名前は知っていたが、リアルタイムでは知らなかった。
1944年5月15日生まれ。何とロス五輪では40歳だったことになる。
してみるとモスクワ五輪は36歳! カルロス・ロペスと並んで究極の
『大器晩成』である。モスクワ五輪1万mの画像を今年になって初めて見たが
何というロケット・スパートだろう! 最上最強・感動すら覚えるラスト400の走り。
しかも戦術的にも安直に前に出ないクレバーな走り。
瀬古利彦よりも凄い人を見てしまった。
1979年のレースも見ることは出来た。どこのレースかは失念。のちのロス五輪
マラソン銀メダリスト・ジョン・トレーシーも出ていたこのレースでもロケット・スパート
炸裂。この人のレースを見ると、あまりにも崇高すぎて「神の領域の人」に思えてくる。
史上最強のキッカーに見えて仕方ない。誰と比較対象出来ようか。 https://www.youtube.com/watch?v=C6eHUXDCKmQ
モスクワオリンピック10000mの映像
イフタ―のラストスパートは別格だが瀬古が出場していたら上位入賞は可能だったと思う いやあ、これですよ、コレ! イフターの位置取りを見ていると先頭には立たないが
常に3番手あたりの好位置をキープしていて、誰かが仕掛ければ、すかさず対応できる
ポジションを維持出来ている。ラッセ・ビレン(フィンランド)も長距離史上に残る偉大な
選手だったが、さすがにイフターのロケット・スパートには対応出来なかったようだ。
一度、イフターのマラソンを走る雄姿を見てみたかった。記録よりも勝負、のタイプだから
世界記録には無縁だろうが、五輪や世界選手権で金メダルを獲得しても「イフターだから
ね」で納得してしまう。もっともっとイフターの崇高な走りを調べてみようと思う。 ロペスのモントリオールオリンピック10000m銀メダルの映像も見つかった
この時もエチオピアは人種差別に抗議して他のアフリカ勢同様ボイコットしている
ビレンの楽勝を見てもこの大会の長距離種目はレベルが低かったことが分かる
https://www.youtube.com/watch?v=8rJqAp0vldk >>67
これはモスクワオリンピックの5000mでした
ここでもイフタ―のラストスパートがさえていますね いやあ、貴重な映像、初めて見ました。upの方に感謝です。 >>67 >>69
イフターの凄さもさることながら、モントリオールのラッセ・ビレンの強いこと。
ミュンヘンに続く連続2冠王でプラス、マラソンでも5位入賞。モスクワでも
1万で残り1周の時点では、先頭争いをしていた模様。
ロペスがロスで金メダルを獲れた一因は、1万を思い切りよく捨てたことかも。
この画像で見る限り、やはりロペスは、ハイペース持続力で勝負するタイプで
あり、ラストのスレスレの勝負には不向きだと実感。
しかし。youtube動画を見ようとすると「あなたへのおススメ」として横に藤井聡太の
画像などが出てきて、ついつい寄り道してしまう自分がいるわけですが。。。 エチオピアはモントリオール・ロサンゼルス・ソウルと3度もオリンピックボイコット
特にソウル五輪の前はデンシモが世界最高記録を更新しメコネンも最盛期だった
当時エチオピアは社会主義軍事政権になっていて韓国をアメリカの植民地扱いにした
メコネンがバルセロナオリンピックに出場した時は既に全盛期は過ぎていて途中棄権した 日本のレースだと頻繁に参加するのに韓国だとダメとは。
エチオピア政府の考えていることは、よく分からない。
88年ソウルは、エチオピアが出ていたら、デンシモ&メコネンの最盛期コンビで
やはり有力候補として無視出来ず、レース展開も変わったことだろう。 アベベ・ビキラにマモ・ウエルデの後に若干の空白期間があって、
ケべデ・バルチャ&デレジェ・ネディのコンビ。この二人も良く日本に
来てくれたから記憶に残っている。モスクワは日本などがボイコットして
エチオピア勢にとっては絶好機だったのに、チャンスを生かせなかった
のが惜しまれる。 >>34
この時の世界選手権はモネゲッティが4位。翌年のソウル五輪もモネゲッティは5位。
2つのレースの上位は、かなりの一致率だった。
ソウル以降、モネゲッティの強さが世界的に認知されだしたが、五輪での最高順位は
ソウルでの5位。世界選手権では銅メダルまで届いた。
最盛期の92年のバルセロナ五輪での失敗レースが残念。地元開催のシドニー五輪
で有終の美を飾った。 >>74
ソウル五輪は谷口が転ばなければ5位以内に入ったと思うけどどう? >>76
そうだバルセロナだった
中山はバルセロナは力的に少し下り坂だったかな バルセロナはビッグネームが引退したり衰えたりでややレベルダウンした大会 バルセロナ五輪日本選手3人全員入賞を頂点に日本男子マラソンの低迷は続く
期待された渡辺康幸も故障しているのに無理して初マラソンを走り悪化させてしまった
コニカに所属していたワイナイナがアトランタ銅シドニー銀アテネ7位と健闘した バルセロナの時点で既に日本マラソン界は斜陽だった。
たまたま代表に選ばれた3人が強かったのでカムフラージュされたが層が薄くなっていた。 中山はバルセロナではピークは過ぎていたが、戦術面で進歩した。
まずまずの走りを見せてくれた。4位は実に惜しい順位だが、悪くない。
森下は、中山の脅威を恐れ過ぎて、すぐ横にいた韓国選手との勝負に
集中しきれていなかった。森下が中山と同時期に引退してしまったことは、
中山も実に残念がっていた。 金メダルの黄は1986年ソウルアジア大会の中山の走りを見て感動したと言っている
韓国人としては珍しく親日的な人で引退後も森下との交流を続けている
https://s.japanese.joins.com/article/j_article.php?aid=23233 黄は、九州一周駅伝にも参加したことがあるくらい日本と近しい関係にある。
ケガしていた有森裕子に「お姉さん、大丈夫?」と声を掛け「うるさ〜い」と有森。
仲の良さをうかがえるエピソード。中山とも陸マガか月陸か失念したが対談して
いる。無類の親日家で、この人は好感が持てる。 何だかんだで中山ってオリンピックで結果出しているところが立派だったよ。 ソウル、バルセロナと連続4位。ロスでは宗猛が4位だから3大会連続で
日本人が4位か。取って悔しい順位。ソウルでは3位と6秒差。
バルセロナに至っては、わずか2秒。 91年東京世界陸上のマラソンで5位入賞した篠原太は現在天満屋のコーチ兼スカウト >>86
結局中山の1つ上のフライガングはこのレースだけ
成績が良かっただけなんで
いろいろ疑ってしまうよ
おまけに東ドイツ出身だし バルセロナ五輪は難コースだったのでその後多くの選手が故障に苦しんだ メダリスト3人はまさに共倒れ。いや、黄は94年あたりまで健闘したか。
しかしバルセロナのメダリストは、みんな年齢的に若かったのに、なあ。
あと2回は普通に考えれば五輪で活躍出来ただろうに。 >>96
ワキウリは故中村清監督を父のように尊敬していたが瀬古の指導力には疑問を持っていた
むしろ村尾慎悦マネージャーに心を寄せていたようだ この時代だとボルディンとか好きだったな。
今となっては信じられないが中長距離はイタリアが強くてパスタ食べると速くなると信じてた。 イタリア勢はドーピングの噂もあったが(86年頃)、あくまでも噂で証拠は全くない。
キャステラも「長距離にはプラスはないと思う。少なくとも彼らはやっていないと思う」
とコメントしていた。 ボルディンはスピード感はないけど、本当に粘り強い男だった。
ソウル金メダルには本当にびっくりしたけど、86年欧州選手権優勝に87年ローマ
世界選手権銅、と実績があって、88年ボストンでは4位(2時間09分27秒だったか)
全くノーマークにするわけにもいかず、一応注目はしていた。
サラがワキウリ振り落としに躍起になって力を使い過ぎてと思う。この時、少し先頭から
離れていたのが、かえって幸いだったかも知れない。
90年のボストン優勝はボルディン生涯の最高傑作だと思う。深夜の放送で、生で見る
のはキツイ、とテレビ東京を録画していたが、巻き戻してみようとした際、ちょうど
ボルディンがイカンガーを捉えた箇所が出てきて「あ、これはボルディンが勝ったな」と
ピンとくるものがあった。 ソウルのボルディンは凄かった。
他にもアンティボ、コパ、バネッタと強かったな。
多分ボルディンはスピードも無かったのかも知れないがなんとも言えない強さが有ったと思う。 サルバトーレ・アンティボはお気に入りの選手だったが、見に行った東京での
世界陸上ではリチャード・チェリモなどのハイペースにかき回されて、周回遅れ。
朦朧としてしまっていた様子だったのを思い出した。 トラック&フィールドというアメリカの陸上競技専門誌がある
1947年以降毎年各種目の年間ランキングベストテンが掲載されている
瀬古は7回ベスト10入りし中山も1987年1位を含め6回ベスト10入りしている
https://trackandfieldnews.com/wp-content/uploads/2019/01/11-mMarRank.pdf >>104
中山が92年に返り咲くってのも凄いな。
そういえばフランクショーターってブランド無くなっちゃったね >>109
中山が福岡国際マラソンで初優勝した年ですね
万歳しながらゴールして2時間10分ちょうどだったことを思い出します
あ〜もったいないなと思いましたが当の本人はあっけらかんとしていました
この年を最後に福岡は海の中道コースがなくなり市街地を走るコースに変更されました
自分はショーターの初優勝の時から見続けていたので残念でした トラック&フィールドニュース公式ウェブサイト
https://trackandfieldnews.com/
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