当時は吉本という選手も相当にもてはやされていた。
巨大戦力である立命館を完膚なきまでに打ちのめす存在として。
立命館の当時の主戦は竹中小島という名前だった気がする。
佛教には竹地吉本以外に西原という選手もいたと記憶している。
プリンセス山本っていう仇名の選手も佛教王国の主軸であった記憶がある。

しかし先ほど調べたら誰一人として五輪には出場していないっぽいではないですか。
ちなみに鈴木亜由子という当時の名城の選手は五輪に出た模様ですが…

この年代の選手の直近10年間はどういった戦力図だったのですか??

詳しい方の解説を求めます。