>>108
それは民主主義を騙っているだけではないですか。
どんな僭主だって現代社会では民衆のための政治を謡い、民主主義を装うのです。
近代以前においても、反乱勢力が君側の奸の排除を叫び、君主への忠誠を装うのと同じことです。
それが社会にとっての最大のモラルであれば偽装するだけのことで、実質ではありません。
労働者の天国である共産国家で労働運動がどう遇されたかでも明らかでしょう?
大義名分は名分であって、実質を見ないというのは愚かさの局地です。
呉のように近代社会に阻害されているというコンプレックスの強い知識人が、自分の知識人としての
売出しを考えてことさらに「封建時代マンセー」を叫ぶのは、奇抜な論の方が注目を集めるから、うまみがあるというだけのことです。
なんなら、彼の言論だけを自由主義の恵沢から除外して、反社会的だという江戸時代さながらに手鎖3ヶ月の刑に処すとか決めてごらんなさい。
3ヶ月ということならば彼は甘んじてそれを受けることで自説の売出しをもっと逞しくするでしょうが、これが死ぬまで永遠にということになれば
自説を撤回して近代の法の擁護にひざまずくしかないのです。
原油高やグローバリゼーションについていえば、独裁や共産主義や草の根が何かのやくにたつことは自由主義以上にありえない妄想でしょう。
端的にいえば世の中、いつも上手くいくことはないし、不幸な目にあうことだってある。そういうときにこそ陰謀論で誰かのせいにする
卑しさなどからは志操高く、自由でいたいものです。