サンキュータツオがこう言ってる
正しい解釈だと思う?

なぜ「いま」だったのか。
映画のラスト、母親に対戦相手について「どうだった?」と聞かれた宮城は「強かった」のあとに「怖かった」と言っていました。
「でも楽しかった」とか続くかと思ったら「怖った」と言ったんです。
これほど恐怖の感情を立たせた理由、対戦相手=コロナの象徴 だからです。

波状攻撃を仕掛けてくる、いままで見たことも経験したこともない最強の相手に「恐怖」を感じている。これがコロナでなくてなんでしょう。手を変え品を変え、何度も心を折りにくるような攻守に、諦めずに立ち向かう、という姿勢を描きたかったんだと思いました。

劇中では、諦めの心の象徴として「先輩」が出てきますが、彼が本当に怖いウィルスのような存在として描かれていることにもそれを感じました。
この映画は、コロナ禍に立ち向かう勇気と元気を与えてくれます。

また、映画冒頭の1on1のシーンのボールの色、そして兄のバッシュの色はともに黄色と紫、つまりレイカーズカラーなのです。
彼の部屋にはボストンセルティクスのディフェンスに斬りこむマジック・ジョンソンのポスターもありました。
このことから、兄がコービーの象徴であることも明白です。

ただ、それがわかるのはバスケファンだけでよくて、不意に亡くなってしまった人の象徴としても機能しています。
この30年、度重なる震災や、事故で唐突に命を奪われた人。そしてその家族がどうその死を受け入れていくか。
受け入れよう、そして諦めずに前を向こうという映画だから「今」だった。

宮城家フルメンバーでの団欒のシーンがなくとも、アンナちゃんを見れば、いかにいい家族だったかがよくわかるようになっていますよね。
家族を奪った「海」から引っ越しても、その「海」の近くで生活をして二人と繋がり続けているように見えるお母さんも良かった!映画の主役であり、観客代表の母。