運営どうのこうのより、もう頭打ちw
ヤマトに情熱を注げられる旧作ファンの監督候補がもうおらん

2199で出渕世代はやり切った感
と同時にデタラメなヤマトの制作進行に業界に悪名を響かせる
口をそろえて出てくる言葉は
ヤマトの仕事はもういいかな または二度としない(請けない)

2202ではジーベックを中心に回せることが出来た
羽原と言う存在が奇跡的だった
しかしヤマトが終わってジーベック解散
羽原はバンダイナムコの映像ブランド、ビヨンドへ

2205で元ジーベックの下地元会長がスタジオマザーを設立
この先もヤマト制作に大きく意気込むも死亡
ヤマト制作の大きな要を無くす