宮崎駿の対する自然観と新海誠の対する自然観は交わることはないのに何故彼はあんなにも宮崎駿の共感を得たいのか。
違う峰を登っているだけで同じ頂上に辿り着くことはないのに。自分にとっての宮崎駿は緑多く優しい神もアラガミも存在する山を多くの人間と共存して登ってる感じがするのだが、新海誠の山はせいぜいクライミングするような岩山を選ばれた人が数人程度で登ってるようににしか感じないなぁ。観客はそれを眺めて喝采するだけ。例え新海の岩山の方が高くとも。