この映画、小学生が事故でいきなり両親をなくしたことへの扱いが変だよね。

亡くなった両親を、幻覚か夢か幽霊かという形で登場させ、PTSDの描写もして個人の心のレベルの描き方をしてた。
それなのに最後に出てきた事故関係者を受け入れる理由は、「私は春の屋の若女将だから」。職業レベル・社会レベルにすり替わってる。