戦時下での痩せ我慢の象徴としての楠公であって捨てるとかそういう類いのものじゃ無い気がするがね

というかこうの史代さんは
失敗例として捨てた筈の楠公を
よりにもよってその場にいなかった黒村親子の決別のシーンに
ブックマーク?として再登場させて飛翔させたの?

...こうの先生はどういう意図を込めてそうしたのか説明できる?文盲?