例えばある町のある商店で、通常なら一日10本売れる程度の水が、ある日100本売れた、というデータがあったとする
このデータからは何も生み出されない
ここに『その日の気温はその時期の過去最高を記録した』という仮説が植え付けられたとする
すると「仮説A.暑かったから水がいつもより売れた」ということになる

しかし『その次の日が町の運動会だった』という仮説が登場すれば上の仮説は成り立たなくなる
(仮説B.運動会で使用するために売れた)
更に「その日に限ってその商店で売ってる他の飲料水(お茶など)がきれていた」という仮説が加われば
「仮説C.他に飲むものがなかった」という可能性も浮上する

このように、「現象」というのはあらゆる要素から成り立っていて単純な図式では語れないし
それをデータから読み取るとなると更に論理の曖昧さは加速する
仮にそれぞれの仮説に対するデータ(運動会の規模、参加人数や気温差、お茶の普段の売れ行き等)を押さえても
結局そこから導出されるものは「推論」の域を出ない

データデータと言ってる奴はそこまで論証する気があるのか?
俺にはないね。だって無駄だし、結局どこまで行っても「お前が納得するかどうか」だから
それが非論理的だとわかってるから付き合わないんだよ

とまあ>>752のような阿呆はこうしたことがわからないわけだ
言っとくがこれは「○億売れたから〜」という縄信者の売り豚思考とは全く逆の論理だからな